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第三章 降臨
第37話 判断ミス
しおりを挟む「ちょっと~。師匠どうしちゃったんすか? 置いて行かないで欲しいっすよ~」
口ではそう言っているが、チコリーは俺の言い付け通りその場で周囲を警戒しながら待機している。
連れて行ってやりたいのは山々なんだが、俺の鼻が馬鹿になっているのでなければ、これから向かう先は女の子が見て楽しい訳でもないだろう。
風から微かに感じるこの生臭い匂いは、間違い無く血の匂いだ。
腐敗臭はしない。
と言う事は、この血の持ち主が匂いを発してからそれほど時間は経っていない。
下手すりゃ、この匂いを発する事になった元凶がまだそこに居る事も考えられる。
この匂いは、風向きからするとあの丘の向こうの方だな。
「チコリー! すぐ戻る」
俺はそう言うと、丘を目指して走り出した。
匂いは確実に強くなっていく。
それに伴い、何やらくちゃくちゃと詳細を知りたくない嫌な咀嚼音が僅かに風に乗って流れてきた。
どうやら、その主は食事中の様だ。
この付近に肉食獣は生息していない。
動物が居るとしたら、元の世界で言うところのウサギや鹿と言った草食動物くらいだ。
たまに雑食の放浪ゴブリンやオーク等が姿を現す事も有るが、奴ら特有の集団行動と言う感じはせず、音から推測するに恐らく単体の魔物による物だろう。
今のところ風向きはあっちが風上だ、まだ気付かれてはいまい。
俺は息を潜め、中腰で丘を登る。
向こう側が見えて来た時に、それが目に映った。
「あ、あれは……大猿なのか? あれじゃまるであいつじゃないか」
そいつは、丘を下った少し離れた所に、……恐らく鹿なのだろうか。
地面に広がった血の海の中に、既に肉塊となったモノをくちゃくちゃと下品な音を盛大に立てながら貪り食っている大猿が居た。
しかし、目に映るシルエットは明らかに別の物に見える。
上半身は確かにジャイアントエイプだ。
いや、魔物化最終段階のと言う意味だ。
背を向けているので目が赤いかまでは分からねぇが、普通の大猿より二周りはでかい体躯。
森で見た奴等とほぼ同じだ。
しかし、その下半身は見る影も無く変貌を遂げている。
「そうか、魔物化にはまだ更にその先が有ったのか」
魔物化と勝手に言っていたが、女媧の能力は聞いている限り、その差が大き過ぎる。
洗脳に、形態変化、まるで別物だ。
王子が女媧に操られた奴を鑑定した時に『隷属深度』と言う言葉で洗脳された者が示されていたと言っていた。
『隷属深度』……。恐らくそのレベルで対象者に及ぼす影響が異なるのだろう。
今、丘の下で食事をしているあいつのレベルがどれほどなのかは分からんが、MAXに近い事はその姿から伺える。
そう、視線の先に居る大猿の下半身は、まるであの女媧の如く蛇身体となっていた。
洗脳や、魔物化すらただの過程でしかなかったんだ。
アメリア王国の伝説で語られていた『自らの眷属を作って去っていく』。
まさにその通りだ。
要するにあいつの能力は他の生物を材料にして自分のコピーを作ると言う事なのだろう。
「なるほどな。グレン達が見付ける事が出来ない筈だわ。横に開いてる大穴。女媧と同じく普段は地中の中に潜んでやがったのか」
ダイスの情報だと、逃げ出した奴で行方不明が一~二匹だったか。
あの一匹だけじゃない可能性が有るって事だ。
眷属化された大猿は、元の習性と異なり群れで移動していた。
元々草食の筈が肉食に変わっている事から、生物の性質自体の習性が変わっているんだろう。
恐らく今も生き残り共は一緒に移動しているかもしれん。
しかし、今の所見える範囲に居るのはあいつだけ。
と言う事はだ。ここはあの魔法の出番だろう。
さて、どれだけ範囲を広げるか……。
まっ、あいつを中心に一km四方も有りゃ十分か。
無効化される恐れも有るが、不意打ちなら本家にも利いたんだ。
その劣化コピー達が無効化出来るとは思えない。
「さて、やりますか……」
俺は静かに魔力を集中させる。
発動点は奴の足下。そこから地面の奥の奥。そして一km四方に届くように……。
「 ウルトラワイド アースジャベリンリバース!!」
発動と共に放たれた魔法は、地上に微かな揺れを起こすだけだが、地面の下は打って変わって地獄の様相だろう。
何せ奴を中心に余す所無く、土の槍が形成されており、もし地面の下に他の眷属が居てもお陀仏の筈だ。
槍の太さも前回比1.5倍の太さにしてあるしな。
「ギッ? ギギッ!」
おっ? 奴も異変に気付いたようだな。
さすがに自分の真下で発動した魔法だから、そりゃ気付くよな。
首をキョロキョロして辺りを見回している。
さて、逃げ出さない内にあいつをサクッと討伐しちま……お……う?
「な?! 馬鹿な!」
キョロキョロと辺りを見回した時に奴の顔が見えた時、自分の目を疑った。
大きな牙は森で会った眷属化した大猿と同じだが、一つ大きく違う所が有る。
「目が……赤く……ない!」
女媧だけじゃなく眷属化された者は今まですべて目が赤く輝いていた。
隷属深度が幾つからそうなるのかは分からんが、少なくともあの姿になっているのに、ただの洗脳の時の様に目が赤くならないのはどう言う事なんだ?
「ちっ! 訳が分からねぇな。仕方無い、あいつにバレちまうかもしれないが……。アナライズ!!」
俺は大猿に向けて鑑定の魔法を唱えた。
さすがに隠蔽の魔法で隠しても対象者自身には魔法の発動は隠せない。
土槍と異なり標的にされている事に気付いて逃げられる可能性も高いが、死体に掛けても生前の情報は大幅に欠落するんで何が起こっているのか知るにはこれしかねぇ。
案の定、奴は魔法を掛けられた事に気付いたようだ。
更に感の良い奴だったのか、俺にも気付きやがった様で目が合った。
やはり赤くは無く、大猿本来の目に戻ってやがる。
ただ運が良い事に、奴は逃げずに俺に対して威嚇の声を上げながらこちらに向かって突進して来た。
ここは、女媧と同じく俺に対する敵対心。神によって作られた宿命のライバルに対して憎む気持ちは残っていると言う事か。
頭の中に流れて来る声は、ちっ……。さっき見た夢の所為だな。……幼馴染のクレアの声だ。
神め、鑑定魔法をこんな仕様にしやがって。
込み上げてくる懐かしさと、悲しみを押し込めつつ、突撃してくる奴を迎え撃つ為、腰から剣を抜き、鑑定結果に耳を傾けた。
ん? 『隷属深度』なんて言葉は出て来ないぞ? 代わりに種族が未確定。称号は……『魔族の出来損ない』に『魔族より解放されし者』か。
なるほどな。
ご主人様の力の源は、昨日俺が光の玉に触った所為で次の魔族の元へ飛んで行ってしまったんだ。
こいつらはもう女媧の眷属じゃない。
称号の通り『魔族の出来損ない』のこう言う生き物になり果ててしまった様だ。
鑑定の結果、瘴気も纏っていないようだし、危険な相手で有る事は変わりないが、間違ってもこれ以上女媧としての被害が増える事もないだろう。
さて、目の前の大猿モドキだが、俺に向かって来ている内にやっちまいますか。
俺は構えた手に力を入れ、突進してくる大猿モドキに向かって走り出した。
そしてぶつかる瞬間、少し身体を翻し、すれ違い様に剣を横一文字に一閃し、走り抜ける。
「グギャァァァーーーー!!」 ドスンッ!
背後から大猿モドキの断末魔と、何かが落下し地面にぶつかる音が聞こえてきた。
振り替えると、そこには大猿の上半身と女媧の下半身が転がっている。
まぁ先程の攻撃で真っ二つになったと言う訳だ。
俺はまだうねうねと動く下半身を蹴飛ばし、呻き声を上げている上半身の元まで歩いた。
恐らくこのまま放って置いても死ぬと思うが、魔族の出来損ないの生命力が予想を超えてこのまま回復するって事も有り得るしな。
しっかり止めを刺しておくぜ。
ザクッ!
「さて、これで全部済んだな。チコリーにゃ悪いが、先輩にこの事を報告せにゃならんし、ここらで一旦帰るか」
血糊が付いた剣を手拭いで拭きながら俺はチコリーの待つ丘の向こう側まで歩き出した、その時……。
「キャァァァーーーーー!」
な、この悲鳴は! そんな、まさかっ!
遠くから聞こえてきたチコリーの悲鳴に俺は愕然とした。
さっきの魔法で全て仕留めたと思ったが、逃げ延びた奴が居たのか?
くそっ! 俺の判断ミスだ!
草原なら見晴らし良いからと、安易に考えて置いてきたのが失敗だった。
自分の力を過信し、相手を舐め過ぎてしまっていた所為でチコリーを危険な目に会わせてしまったのか。
「頼むっ! 無事で居てくれ!」
俺は自らの主義を捨て、神に祈る気持ちで走る足に更に力を込め丘を登った。
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