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第四章 それでは皆様

第83話 決意

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「その前に、もう一つだけ私の告白を聞いて頂けないでしょうか」

 ローズは恭しく頭を下げながら国王にそう進言した。
 そして心の中でシャルロッテに謝罪する。

 『二人の約束を破ってごめんなさいね』

 ローズが謝罪した二人の秘密とは野江 水流の記憶を取り戻す前のローズの記憶に関する事だった。
 シャルロッテの勘違いから始まった記憶喪失。
 どうやらこれは本当の事だったらしい。
 当初はローズと言う存在に自分が乗り移ったのかと思っていたが、先程包まれた母であるアンネエリーゼの温もりは野江 水流としての意識が、魂が、覚えていた。
 どうやら自分は急に降って湧いた異物ではなく、元からこの世界の住人だった様だ。
 それを悟ったローズは、本当の意味の心の安寧を得る事が出来た。

 異物である自分はこの世界に不要の存在ではないのか?
 そうした不安が何処か心の奥底にいつも漂っていた。
 その想いがこの世界での人との繋がりを得る原動力になっていたのに間違いない。
 しかし、それは勘違いだった。

 確かに一なる魂は異物だったかもしれない。
 しかし、自分は偉大なる父と母から愛されてこの世界に誕生した。
 そして、自分はその愛されたローズ魂を押し退けて、この身体を間借りしている訳ではなかったのだ。
 ローズはその事がとても嬉しく、そして今まで自分の仕出かしてきた悪事の数々は他人事ではなく、まさしく自分が歩んできた人生の一部で有る事も理解したのだった。

 ならば、覚えていない悪行を知らんぷりなど出来はしない。
 そうしない為に心の中に居た二人のローズと手を取り合い歩いていく事を決めたのだ。
 確かに今まで自らが行った全てを思い出した。
 その行為における後悔と罪悪感は胸を締め付ける。
 だが、今のローズはその苦しみに挫ける事も歩む事を止めたりしない。
 何故なら今は自分一人だけではないのだから。

「分かった。申してみよ」

「はっ、ありがとうございます。今から話す事は俄かに信じられない事と存じます」

 ローズは前置きとしてそう言いながら頭を下げる。
 俄かに信じられないと言ったのだが、なにもローズが喋ろうとしている事は自分が転生者だと言う事ではない。
 それこそ今この場において不要な情報だ。
 それは又もや自分の中で野江 水流としての意識を特別な物とする行為に他ならない。
 自分は真にローズとして生きていく事を決めたのだ。
 ローズは心の中で決意を新たにその言葉を呟いた。

「私が改心したその日、実を申しますと特殊な記憶喪失に陥っておりました」

「記憶喪失とな……?」

 シャルロッテとの秘密である記憶喪失をこの場に居る皆に告げたローズ。
 国王は思わず聞き返す。
 他の重鎮達も同じく驚いた顔をしているが、ベルナルドとミヒャエルだけは『やはり』と言った顔でローズを見詰めていた。

「はい、自分の名前や立場、それに幾つかの事柄は覚えていたのですが、その殆ど……即ち罪深い事に自らが行って来た悪行の数々を忘れ去てしまっておりました」

「な、なんとそうであったのか……。そうなった原因とはやはりバルモアの出立の所為かの?」

 国王は驚きながらも、その原因を推察した。
 これに関しては明確な回答をローズ自身も持っていない。
 なぜ記憶喪失があのタイミングだったのか? そもそもなぜ野江 水流としての記憶が戻ったのか? それよりも、本を正せば何故自分がこのゲームの世界に転生したのか?
 それが偶然か誰かの意志か……。

 出せない答えをあれこれ考えるのは後でも良い。
 だが国王が言う通り記憶を失いそして記憶が戻ったトリガーは、確かに今まで自分の側で庇護してくれた父であるバルモアの出立である事は間違いない事をローズは理解している。
 それは蘇った悪女としてのローズの記憶が自分に語ってくれていた。
 バルモアが使者として長期間自分から離れてしまう事に対して絶望に似た恐怖を抱いていたからだと言う。

 かつて母を失ったローズ。
 その悲しみを自らの意識から切り離し、心の奥底に少女の姿として封印した。
 そして強くなった気でいたのだが、それはいつも側で優しく守ってくれる父に甘えていただけだったのだ。
 その父が自分の元から去って行く。
 この突然の辞令は母が自分から去って行った悲しみを再び蘇らせるには十分だった。
 日々募る焦りと恐怖。
 その激しい焦燥がとうとう出立の前日に限界を迎え、その精神が自壊すると共に野江 水流の意識を呼び起こした。
 いや、これは少し間違いか……。
 ローズは苦笑しながらその仮定を自ら否定した。
 そして少し付け加える。
 悪女のローズは自らの中に残っていた。
 後ろ盾を失くす事への焦りが我に返らせ、その所為で自らが行って来た悪行の後悔に押し潰され自我が壊れてゆく愚かな娘を哀れに思ったアンネリーゼが、我が子を守る為に魂の奥底に残っていた野江 水流としての残滓を呼び起こしたのではないか?
 そして自らが騙った夢見の母の話は、自らの虚構ではなく悪女のローズが懺悔で語った通り本当にあった事なのだろう。
 ローズは助けてくれた母に感謝しつつ仮定を事実としてそう確信した。

 この仮定が間違っていようが構わない。
 何故なら今この心には母と二人のローズが確かに居るのだから。
 国王の目をしっかりと見据えローズは話を続ける。

「その通りでございます。強さを履き違えていた私の心の弱さが現実逃避をしたのだと思います。しかしながら、だからこその自分を取り戻し、改心する事が出来ました。いえ、最初に申し上げました通り、全てはこんな私を今まで支えて来てくれた皆さまのお力添えのお陰であります」

「で、では今は……?」

「陛下のお察しの通り、先程お見せしました失態でありますが、またもや自分の弱さに負けそうになったその際に全てを思い出した次第にございます」

 この言葉に皆が「おおっ」と言葉にならない溜息を吐いている。
 これに関しては記憶喪失だと言う事を推測していたベルナルドとミヒャエルも同様であった。
 だが『なるほど、今の言葉で合点がいった』と心の中でポンっと手を打つ。
 先程の人が変ったかのような過去の懺悔の言葉。
 その時のローズに何故か幼き少女の姿がダブって見えた気がした。
 あれは取り戻した過去の記憶が言葉を発していた為にそう錯覚したのではないか?
 この場に居る皆各々が、この真実に遠からずな解釈をしたのだった。
 ただ皆の心に少しばかりの懸念が沸き起こる。
 過去を思い出したのなら、また悪女に戻ってしまうのか? と言う懸念だ。

「う~む。一つこちらから尋ねても良いか?」

「勿論でございます陛下」

「ふむ、ならばローゼリンデおぬしに問う。過去を思い出したおぬしはこれより如何とするのか?」

 ローズはその言葉による回答をすぐには出さなかった。
 勿論悪女のローズに戻るつもりがない。
 それに心の中の悪女のローズ自身既に改心して自らの意志と共にある。
 もう戻りようがないのだ。

 だが、問題はそう言う事ではない。
 ベルナルドも国王もその言葉によると此度の謁見は尋問であったと言う。
 しかも改心した事を唆した人物を聞き出す為だ。
 そんな人物は居なかったのだが、何故そんな事を問い質そうとするのか?
 まるで悪女のままであった方が良かったとでも言わんばかり物言いだ。
 王族の血を引いていたとは言え、これ程の重鎮を招集し物々しい召喚を持って行うなど余程の事態であるのだろう。
 その理由を自分に語ってくれないのは時期が来ていないか、それとも自分が知ってはいけない事なのか。
 どちらかにあるに違いない。
 知りはしたいが、ここに居る者達は自分に対して危害を加えようとしていない事は今までの態度から分かっていた。
 ならば自分を守る為にあえて言わないのであろう。
 これもまた父バルモアや母アンネリーゼと同じく慈愛の想いからそうしてくれているのだろうとローズは推測した。
 ならば、ローズの答えは決まっている。
 選択肢など存在しない。
 それを口にする事にした。

「皆様方に深いご配慮をして頂いているのは分かっております。しかしながら過去を思い出そうと私の心はもう変わる事はございません。今の私がローゼリンデでございます」

 国王の目をまっすぐと見詰め力強くそう言った。
 その言葉に国王は言葉が出ないでいる。
 この迫力……そして身体から放たれる強い意志。
 よもや国の長である自分が年端も行かない娘にその言葉だけでこれ程圧倒されようとは……。
 国王はその眩しいばかりの美しい娘の輝きにある決意をした。
 また言葉が出ない者は国王だけではない。
 周囲の重鎮達もローズの姿に思わず見惚れ息をするのも忘れていたのだ。

「相分かった。元よりおぬしの改心は先程も言った通り儂としても喜ばしい事なのだ。おぬしの決意がそれ程の物ならばもう何も言いはせん」

 やはり自分が改心した事によって国王が思い悩む何かが有るのか。
 ローズは国王の覚悟を決めたかのような真剣な眼差しからその真意を察した。
 しかし、その理由は語ってくれないらしい。

「すみませぬ陛下。私が改心したローゼリンデを喜ぶあまりお披露目など考えたばかりに……」

 側に居たベルナルドが少し悲痛な顔をしながら国王に謝罪した。

「いえ、陛下。使用目的を聞いてなお、会場の使用許可を出した私にも責任が有ります。司法の長として有るまじき失態に御座います」

 ベルナルドに続き司法庁の長であるミヒャエルまでそう言って頭を下げた。
 両者の顔を見る限り自分が想像していた以上の事が自分を中心として起きているのかもしれない。
 どうやらこれはただ事以上ではないのではないか?
 ローズは自分の力が及ぶ範囲を超えた事態に少しばかり後悔をした。

 『これは配役された脇役キャラとしての領分を越えた事へのペナルティなのかしら? 私が設定通りの悪役を演じなかったから、とうとうシステムが痺れを切らせて動き出したと言うの……?』

 この早過ぎる『召喚状』イベント。
 そしてまるで自分に悪女を望むかのような皆の言葉。
 ゲームシステムはとうとう実力行使に出たのだろうか?
 自分を元の悪女に戻そうと言うのか? それともこの世界を壊して強制的バッドエンドを迎えさせ次の周回に進もうと言うのだろうか?

 …………。

 『させない!』

 ローズは心の中で叫んだ。
 そしてゲームシステムに対して宣戦布告を行う。
 それはかつて行ったようなプレイヤーとしての気持ちではない。
 この世界に根を下ろし歩いて行くと決めた今だから出来る心からの宣戦布告だった。

 『絶対にそんな事させないわ。配役通りの悪女のローズは誰も救えなかった。誰にも笑顔を与えなかった。烏滸がましいかもしれないけど、自意識過剰かもしれないけど、今あたしの周りに居る皆は笑ってくれている。幸せだと言ってくれている人も居る! それにこれからもっと皆幸せにしてあげられるように頑張ってやるんだから! 私の中の悪女のローズは自らの罪を認め改心したわ。もう悪女なんかにあたしも少女のあたしも、それにお母様が絶対に戻させない。世界を崩壊させる? やるならやってみなさい! その前に皆が幸せになるバッドエンドハッピーエンドに主人公を叩き込んでみせるわ!』

 もう迷わない。
 走り出した野江 水流ローズは止まらないのだ。

「何も言うな二人共。おぬしらが動かずとも国中に知れ渡るのは時間の問題であったのだろう。色々と伝え来るローゼリンデの噂は留まる事を知らぬではないか。それら全て皆の喜びに溢れておるのだ。儂は決めたぞ。ローゼリンデの改心を喜び祝おうではないか。我らが護ってやればいいだけの事なのだ」

 国王が謝る二人を宥める様にそう言って下げている頭を上げさせた。
 その言葉には先程までとは違い柔和な笑みを含んでいるように聞こえる。
 だが、最後の言葉はローズの鼓動を早くさせるのに十分な力を含んでいた。

「陛下、一つお聞かせ下さい。私の改心で誰かが不幸となるのでしょうか?」

 ゲームシステムと戦う事を決めたとは言え、それによって誰かを不幸にするのならそれは話が違う。
 今の自分には語ってくれない事情があるのは分かるが、その事だけは確かめておかねばならないだろう。
 誰かを犠牲にする事は出来ない。
 その誰かも救ってみせる。

 ローズは心の中で新たに湧いた決意に力を込めた。
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