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第四章 それでは皆様

第81話 母の記憶

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「……ローゼリンデよ、一つ聞かせてくれ。おぬしの此度の改心、本当におぬし一人の決意によるものなのか?」

 国王は複雑な表情のままローズの質問には答えず、逆にそう問い質してきた。
 その言葉はシュミレーションの中でも全く想定していなかったもので、ローズはその言葉の意味を捉えかねキョトンとした顔をする。
 国王はそのローズの顔から真意を読み取ろうとしているのか、より一層目を細めてじっとローズを見詰めた。

「あ、あの……陛下。仰る意味が……。わ、私一人の決意とは……?」

 質問を質問で返すのは失礼とは言え、国王の意図が全く読めないローズには返す言葉が見付からないのだから仕方が無い。
 そもそも最初に質問を質問で返して来たのは国王の方である。
 『これはそのお返しよ』と、本来ならそう思っていたかもしれないが、今のローズにはそこまで軽口を吐ける余裕は無い。
 戦う覚悟が出来たとは言え、ここは庶民であったローズの中の人である野江 水流にとって一生縁が無い筈であった眩いばかりのあまりにも荘厳な謁見の間。
 更には目の前にはその肩書きに恥じぬ威厳を放つ国王と、その両翼に並び立つ王国の重鎮達から放たれる圧も、アラサー程度の小娘には荷が重すぎる。
 いくら青春時代に幾度の修羅場を潜ってきたと言えど、所詮平和な時代をぬくぬくと享受して来た世代の中で一つ頭が飛び出している程度では、先の大戦を生き抜いて来た本者達には到底及ぶ筈が無い。


「ふむ、図星……と言う訳ではないようだの」

 国王はローズの様子から何かを悟ったかの様にそれだけ小さく零した後幾度か頷いる。
 その態度にローズは首を捻った。
 今の所国王の言動全てが徹頭徹尾ローズの理解の範疇を超えており、その考えの真意の尻尾さえ掴めない。
 図星? 図星とは何の事だろう? 真っ白になった頭では考えが纏まらない。
 と言う訳ではなかった? 図星では無いと言う事?
 何が図星ではないの?
 改心……、一人の決意?
 一人じゃないと言う事は……?
 他の誰かの……入れ知恵?

 『あっ!』

 言葉自体の並びに違和感が無い事に気付いたローズは、国王から漏れでた言葉達を無理矢理繋ぎ合わせてみた。

 『え~と、まずはあたしが謝罪した途端皆の顔色が険しくなったのよね? あんな態度を取られると思って無かったわ。そしてあたしの改心が誰かからの入れ知恵かと暗に聞いて来たんだと思う。最後はハテナ浮かんだあたしの顔を見て図星じゃないと言ったのよね……。う~ん、この雰囲気は意味不明だけど、言葉的にはなんとなく繋がったわね。本当に意味不明だけど』

 雰囲気に流されて理解出来ていなかっただけで、言っている事は簡単な事だったと言う事に気付いたローズは少し冷静になる事が出来た。
 だが、改心してこんな追及されるなんてなんて理不尽。
 まるで悪い事でもしているかのようだ。
 逆なら分かる。
 悪の道に誘い込んだ者が居るのか? と言う問いならこの雰囲気も納得いっただろう。
 しかし、改心したのなら誰に唆されたとしても問題無いのではないだろうか?
 不思議に思いながらも、そんな居ない人物をでっち上げる必要も無いのでローズは正直に言う事にした。

「失礼いたしました陛下。日々精進はしておりますが、まだ無礼を働いていた頃の無知蒙昧を埋めるには至っておりませんでした。申し訳ありません」

 と、前置きで国王の質問に答えられなかった非礼を詫びて頭を下げる。
 すると、またもや周囲からどよめきが上がる。
 やはりその反応の意味が分からず戸惑うものの、今度こそその質問に答えなければならないだろう。
 ローズは頭を上げて正面の国王に目を向けた。
 その際に重鎮達の様子も伺ったのだが、どよめいている中ベルナルドとミヒャエルだけは沈痛な顔をして俯いているのが分かった。
 更に気付いた事が有る。
 今ここに居る重鎮達はフレデリカより聞いていた公務時に本来居るべき人数の半分程度であったのだ。
 当初は今日集まる事が出来た者がこれだけかと思っていたのだが、そうではなかった。
 フレデリカが教えてくれた貴族達の外見の特徴通りなら、ここに居るのはベルナルドと親交が有る派閥若しくは職種上中立の立場の者の内、ベルナルドやローズの父であるバルモアと縁が有る者だけの様だ。
 即ちここに居る者達は、少なくともベルナルド派閥やシュタインベルク家にとって政敵となる者は居ないようである。
 これが意図された物なのかは不明だが、その事実にローズは安堵の溜息を吐いた。
 ベルナルドが居るのだから、いきなり過去の罪で糾弾されたとしても庇っては貰えるだろう事は承知していたものの、このメンバーならそれさえも起こる可能性が低いだろう。
 とは言え、この状況の意図は不明のままである。

 『これ以上このメンバーの前だとしても、失態を犯す訳にはいかないわ。間違った選択をしない様に気を付けないと』

 そう、ローズは心の中で気合を入れなおした。

「先日ベルナルド様にはお伝えしましたが、陛下がお尋ねになった通り私の改心は私のみの決意で始めた次第であります」

 そう言って頭を下げ国王の言葉を待つ。
 舞踏会の打ち上げの際にミヒャエルにも語ったのだが、その名前は伏せる事にした。
 なにしろ彼は司法のトップであり、あの場には居ない事になっている人物であるのだから。
 先程のテンパったままのローズなら言ってしまったかもしれない。
 そして言ってしまっていたら、このメンバー達だとは言え波紋を投げかけていた事になるだろう。

「それは真なのだな?」

 国王はローズの言葉に対して念を押すかのようにそう尋ねて来た。
 それに対してローズは大きく頷き次の言葉を返す。

「しかしながら、決意は確かに私一人の物でしたが私一人の力では有りません」

 ローズのこの言葉に再び周囲からどよめきが起こった。
 ただ、今度はベルナルドとミヒャエルは悲痛な顔ではなく少し笑みを浮かべている様に見える。
 どうやらローズの言葉の真意が分かったのだろう。

「ど、どう言う事なのだ? 一人だが一人ではない? やはり誰かの言葉によるものなのか?」

 国王はローズの真意に気付いていない為か、ここに来て初めて慌てた風にその言葉の意味を聞いて来た。
 どうやら会話のイニシアチブが取れたらしい。
 ローズはやっと国王攻略の糸口を見出した。

「いえ、そうではありません陛下。最初に申しました通り改心の決意は私だけの始まりです。ただあまりにも長い悪行三昧の日々。穢した名誉の数々。無学に溺れ無知のままここに至った月日。それらの汚名をそそぐ為には私一人の力では到底不可能です。僭越ながら陛下が今の私を改心したと認識されて居られるのでしたら、それは私一人の力ではなくここまで導き指導して下さった沢山の人達のお陰でございます」

 これは嘘ではない。
 ローズは心からそう思っていた。
 本来のゲームでは敵である筈のフレデリカ。
 ゲームシステムを越えて自分を信頼してくれて、自分を陰から支え導いてくれている。
 そんな彼女に感謝している。
 ゲーム中は昼行燈なモヤシ爺だと思っていた執事長。
 実は歴戦の猛者であり、もう会う事が出来なくなった爺ちゃん先生に代わりに自分を鍛えてくれている。
 そんな彼に感謝している。
 ゲームには出て来なかったが、自分の曾祖伯父であり今では自分を守ってくれているベルナルドにも、オーディックにもシュナイザーにもディノにもホランツにもカナンにも。
 それだけじゃない、シュタインベルク家の使用人達全てにも感謝しているのだ。
 その想いは心の底からの真実の言葉だった。
 ローズはその想いを言葉に込めて眩しいまでの聖女の笑顔で国王に語る。
 この笑顔は作戦でも何でもない。
 心の内を言葉にした際に自然と形になった物だった。

「お、おぉぉぉ。ローズよ……」

 ローズの笑顔に当てられた皆は感嘆の声を上げながらたじろいている。
 王としての治世多くの傑物達と対面しているであろう国王でさえ、その衝撃を受け思わずローズの事を愛称で呼んでしまう程。

「ただ、一つ切っ掛けとなった事を申しますと、それは母の夢に御座います」

 周囲の皆の様子を見たローズは、今まできた夢見の母の話を切り出す事にした。
 それによって周囲のどよめきが更に激しくなる。
 何故かこれは聞いた者全てにスマッシュヒットすると言う必殺技であったのだ。
 それに関しては今となっては『何故か』ではない事をローズは理解している。
 最初に口にした際は偉大な母の事を知らなかったが、少し探るだけであふれる程アンネリーゼの功績を知る事が出来た。
 そんな偉大な母をのは、最近罪悪感が湧いて来るようになったものの、今この場においてはこれ以上の手段は無い。
 痛む胸を押し殺してローズは話を続けた。

「あれは父上の出立の日の朝。夢の中に一人の女性が姿を現しました……」

 ごくりと息を呑む声が聞こえる。
 噂では耳にしているだろうが、本人から聞いた者はこの場において二人しかおらず他の者は詳細を知らない。
 皆興味津々と言う顔をしていた。
 国王でさえそうなのだから、ローズは心の中でこの状況にほくそ笑んだ。
 そして、他の者に内容と齟齬が無いように言葉を組み立てる。
 よりドラマチックに、より感動的に……。

 『天国に居るローズのお母様ごめんなさい。あなたの娘が生き残る為にはこの嘘が必要なんです』

 組み上げ終えたローズは話を続ける前に天国に居るであろうアンネリーゼに謝罪した。
 この世界においては自分の母であるのだが、正直なところ野江 水流としての意識に目覚めた際に過去の一切の記憶を忘れてしまった自分にとって、アンネリーゼが母だと言う事に対して全くと言っていい程実感が湧いて来ない。
 ただチクリと胸に残るのは以前見た白昼夢の……、白昼夢の……アンネリーゼの亡骸?

 棺いっぱいに敷き詰められたバラの花の上に眠るアンネリーゼの亡骸を思い出したその時、ローズの頭の中に一つの情景が浮かんで来た。

 それと共に動悸が激しくそして息苦しくなってくる。
 そこに見えたのは自分の記憶の何処にも無い筈の物。
 それは絵画でしか見た事のない筈のアンネリーゼの姿だ。

「はぁ……はぁ……。夢の中の母上は……お母様は……。私にこのままではダメだと……」

 それでもローズは話を続けようと言葉を振り絞るように喋る。
 罪悪感がそうさせたのか、それとも嘘を吐いた罰なのか。
 ローズは意識を失わない様に必死で耐えようと身体に力を入れ気力を振り絞る。
 このまま話の途中で固まると不審に思われて振出しに戻ってしまう。
 そう考えたローズは突然頭に流れる情景の奔流によって薄れゆく意識に何とか抗い、組み立てた夢見の母の嘘を騙ろうとしたのだが、既に自分の口は意図しない話を流暢に語り出していた事に気付いた。
 自分の意識とは違う別の何かがローズとして語っている。
 ローズはその事に恐怖しながらも、自分の口から流れ出る言葉に耳を傾けた。
 その言葉は今頭に流れている情景を言葉にしている様だ。
 ただ、その口調は先程自分が語っていた目上に向けるものではなく、どことなく幼く感じる。

『あの日、お母様が夢の中に来て下さったのです。お母様は私の事を抱き締めてくれました。だけど私を一人にしたお母様が許せなくて『大嫌い』と言ってしまいました。するとお母様は『あなたを置いて死んでしまってごめんね』と謝ってきたのです』

 口から出てくる言葉は確かに映画の如く脳裏に浮かぶ情景を語っている。
 それは自分が考えていた物より子供が考えた様なチープな物であった。
 薄っすらと残っている視界から皆の驚いている顔が見える。
 ベルナルドでさえ驚いているようだ。
 それは仕方無い、なんせ『母が伝えてきた言葉』しか言っていないのだから。
 勿論それ以前の情景などローズ自身知る由もない物だ。

「ロ、ローズ……いや、ローゼリンデよ。一体……」

『私はその瞬間自分が間違っていた事に気付きました。私はお母様が天に召された後、私はただお母様の様に強くなりたかったのです。お母様の様に誰にも涙を見せず、誰にも弱音を吐かず……けれど私は誰にも優しくなかった……』

 自分の意志とは違う言葉を俯瞰視点の様に眺めているローズ。
 もう動悸や息苦しさは感じない。
 だが、徐々にこの言葉が織りなす感情が自らの心に沁み込んで来るのが分かった。
 それは突然堰を切ったように沁み込んで来る勢いが激流に変わる。
 どうやらその感情とは後悔と謝罪の想いの様だ。

 『もしかして、これはの感情なの?』

 自らの記憶に無い脳裏に浮かぶ情景。
 それに狂おしいまでの悔恨の念。
 ローズはそれが自らの内に眠っていた元のローズの物だと気付いた。
 それと共に幾つかのローズとしての過去の記憶がフラッシュバックする。
 それは生前のアンネリーゼとの幸せだった記憶。
 突然アンネリーゼが病に倒れた時の悲しい記憶。
 他にもアンネリーゼ死後の悪役令嬢として振舞っていた記憶。
 どうやら今起こっている不可思議な事態が呼び水となったらしい。
 この感情の激流の中、まるで自分と言う意識が溶けて消えてしまいそうな錯覚に陥った。
 いや、錯覚ではなく現実だろうとローズは悟る。
 このまま元のローズに取り込まれてしまうのだろう。

 『待って! あたしこのまま消えたくない!』

 そう思った瞬間、ローズは心の中で絶叫した。
 消えたくない、消えたくない。
 元の世界から消えて、そしてこの世界でも消えるなんて……。
 自分の意識を無視して知らない記憶を語る身体から剥離した野江 水流としての意識は泣きながらそう絶叫した。



 <<……大丈夫よ。可愛い可愛い私のローズ>>

 その時、泣き叫ぶ野江 水流の意識に誰かが優しく触れた。
 それはとても暖かい感触だった。
 野江 水流はその暖かさによって正気に戻る。
 周囲に渦巻いていた激流はいつの間にか消えていた。

 『誰……なの?』

 落ち着いた野江 水流は顔を上げた。
 そこには優しく自分を見詰める女性の姿があった。
 それは見覚えのある顔。
 先程流れて来た自分ではないローズを見詰めていた彼女ではなく、今その瞳は自分にのみ向けられている。

 『あなたは……アンネリー……ううん、お母様……』

 野江 水流の口から母を呼ぶ言葉が零れ落ちた。

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