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第四章 それでは皆様

第79話 謁見の間

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「え? もう準備が整ったの? まだ何も打ち合わせ終わってないのに」
 
 国王との面談対策の最終打ち合わせを行おうとした矢先、突然部屋に扉をノックする音が木霊する。
 そして『陛下及び皆様の準備が整いました』と言葉が聞こえて来たのだ。
 その言葉で思わずローズが冒頭の言葉を零したとしても仕方が無い。

 『い、今の言葉聞かれたかしら? 屋敷と違ってここはお城の中よ。貴族にあるまじき言葉遣いを聞かれたら不味いわ』

 そう思ったローズは慌てて身嗜みを整えて立ち上がり、扉の向こうの使用人に「分かりました」と声を掛ける。
 その言葉を合図に扉が開くと、そこには頭を下げたメイドに姿が有った。
 少しばかり廊下で通り過ぎた時に見たメイドの衣装とは少しばかりデザインだけじゃなく素材も上等の様に見受けられる。
 そのメイドは顔を上げてすっと廊下の方を指し示すしながら口を開いた。

「陛下がお待ちになっておりますので、すぐにご準備を」

 と、急かす様に控室から出る様に促してきた。
 ローズは慈愛の笑みを浮かべながらも『タイミングの悪い』と心の中で舌打ちしたが、しかしながらそれでもその時はまだローズの心の中にどこか余裕が有った。
 何か有れば後ろに控えているフレデリカがそっと助言をしてくれるだろうと思っていたからだ。
 不安な気持ちに『何とかなる』と言い聞かせて部屋を出ようとすると、背後から思ってもみなかった言葉が飛んで来た。

「それではお嬢様。行ってらっしゃいませ」

「え?」

 控室から一歩足を踏み出したローズは驚きの声を上げて振り返る。
 そこには頭を下げたフレデリカが居た。
 
 『な、なんで? 一緒に来てくれるんじゃないの?』

 ここにメイドが居なければ口から出ていた言葉だ。
 それは仕方の無い事。
 なにしろ馬車の中では『後ろに控えて助言致しますのでご安心ください』とフレデリカは言ってくれていたのだから。

「すみません、お嬢様。事情が変わりました。私はお嬢様と共に参る事が出来ません」

 頭を下げたままフレデリカは落ち着いたトーンでそう言った。
 この場に及んでのこの言葉、一瞬『裏切られた?』と言う気持ちがローズの中に沸き起こる。
 『なんで? どうして? やっぱりフレデリカは主人公の味方なの? 私の敵なの?』と、怒りよりも悲しみに近い感情が湧き上がり、身体がガクガクと震え出しそうになる。

「お嬢様。落ち着いてください」

 慈愛の笑みの仮面が悲しみに剥がれ落ちそうになった瞬間、今まで聞いた事の無いようなとても優しい声がフレデリカから聞こえた。
 それと共に心の中に暖かい風が吹いた様な錯覚に陥り、身体の震えが収まっていく。
 そしてフレデリカは頭を上げてローズに対してにっこりとほほ笑んだ。

「フレデリカ……?」

 その笑顔を見たローズはトクンと心臓が跳ねる。
 何故ならばその顔に浮かんでいたのは、最近板に付いて来た自身渾身の慈愛の笑みにも似ている優しさが込められていたからだ。
 『フレデリカは裏切ったんじゃない。何か考えが有っての事なんだ』そうローズは理解した。
 

「説明足らずで申し訳ありません。その方は謁見の間仕えの使用人様に御座います。それに陛下のみならず皆様の準備が整ったと言う言葉。以上の事から此度の陛下との御拝謁は謁見の間にて行われるものと推測されます。ならば陛下の臣下である一貴族の使用人如きが足を踏み入れる事はまかりなりません」

 フレデリカは優しく説明するともう一度ローズに頭を下げた。
 その言葉を聞いたローズは部屋の外で待っているメイドに目を向けると、何も言わず目を伏せてペコリと頭を下げる。
 その態度からすると、どうやらフレデリカが説明した通りの事情のようだ。
 『なるほど、他のメイドの衣装より豪華なのはそう言う理由なのか。さすがはフレデリカ』と、ローズは一瞬で状況を理解したフレデリカに感心した。

「そ、そうなのね。ごめんなさい。そこまで考えが回らなかったわ」

 状況を理解したローズはフレデリカに謝った。
 更に心の中で裏切ったと思った事に対しても謝罪する。
 だが、それと共に新たな問題がこの身に掛かっている事実に驚愕した。

 『いやいや、ちょっと待って? 謁見の間ですって? 馬車でフレデリカが言っていたようにお褒めの言葉を頂くみたいだったし、てっきり執務室か応接室に通されると思ってたわ。謁見の間に呼ばれると言う事はこの招待は公務って事よね? 貴族家当主ならいざ知らず、その娘を公務で呼び出すってどう言う事なの? やっぱりこれって『国王からの出頭命令』イベントなんじゃあ。あわあわあわ……』

 ローズは頭の中がパニックになりながらも、外見上は少々顔をヒクつかせる程度に動揺を抑える事が出来た。
 『自分エライ!』と、少々現実逃避気味に自分を褒め称える。
 その時クスッと言う小さな笑い声が聞こえて来た。
 ローズはその笑い声の主に顔を向ける。
 それは相変わらず優し気な目で自分を見詰めているフレデリカだった。

「お嬢様。お嬢様が何を怖がっているのか私には図り知れません。もし過去の愚行を恥じての事でしたらご安心ください。お嬢様は今のお嬢様を貫けばいいのです。いつも通りのお嬢様なら大丈夫です」

 フレデリカの口からもたらされた優しい言葉はローズの胸に染み渡っていく。
 『そうか、フレデリカは自分を信じてくれている』と、ローズは幾分心が軽くなった。
 そして、フレデリカに微笑み返すと、謁見の間付きのメイドの方に向き直る。

「お待たせいたしましたわ。それではご案内をお願いいたします」

 ローズの言葉に謁見の間付きのメイドはペコリと頭を下げ、「では、先導してご案内しますのでついて来て下さいませ」と廊下の奥に向かって進みだした。

「じゃあ、フレデリカ行ってくるわ」

 部屋を出る直前、そう振り返ってフレデリカに声を掛ける。
 その言葉をフレデリカは優しく浮かべた笑顔で受け止めた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「おぉ、ローゼリンデ嬢よ。よくぞまいった。こうして話すのは久方振りであるな。息災であったか?」

 玉座に深く座っている国王はよく通る威厳に満ちた渋い声でそう言った。
 ここは謁見の間。
 ゲーム中一度も表示されなかった場所だが、部屋のあちこちにヴィクトリアン調のとても荘厳で豪華な装飾が施されている。
 ある意味白馬の王子の出現を待っていた野江 水流が夢にまで見た光景であるだろう。
 勿論こんな状況じゃなければの話なのだが。

 広さは野江 水流が転生前に勤めていた高校の体育館ぐらいはあるだろうか?
 それ程までに広いこの謁見の間には、中央最奥にある国王が座る玉座の左右に王国の重鎮達が並んでいた。
 中には見知った顔も幾人か居る。
 軍閥のベルナルド公爵に司法庁の長であるミヒャエル公爵。
 野江 水流として目覚めてからは直接面識がある訳ではないが、特徴は聞いていたシュナイザーの父である宰相のゲルハルト・フォン・ミューラーと思しき人物もいる。
 その他の人物達もフレデリカの授業で出て来た重鎮達の特徴を持った大貴族達ばかりだ。
 しかしながら国王の手前の為か、見知った者達もローズに微笑みかける事なく他の重鎮達と同様に神妙な面持ちで目を伏せている。
 ローズは国王に跪き臣下の礼を取りながら、この物々しい雰囲気に押し潰されそうになっていた。
 ここに来るまでに脳内で幾つかのシミュレーションを行っていたのだが、最悪と言えるシチュエーションの中でも一番最悪のパターンだったのだから仕方が無い。

 『王城からの召喚状』イベント発生後に表示される数少ないその時の状況を伝えるテキストの中に出て来た『謁見の間にて物々しい雰囲気の中、重鎮達に囲まれて』と言う語句が物語っている。
 どうやら数々の楽観的状況の可能性は否定されたようだ。
 当初の予想通り、これは紛れもない『王様からの出頭命令』に違いないのだろう。

 『あぁ、とうとうこの時を迎えてしまった……』

 ローズは心の中でそう呟いた。
 この世界で前世の記憶に目覚めてからのこの一ヵ月半。
 ゲームでは起こらないイベントばかりに戸惑いもしたが、それ以上に胸が躍った。
 バッドエンドに叩き込むと心に誓った主人公エレナと、折角心を通わせたと思ったのも束の間、また心がすれ違っている現状に頭を悩ませる日々。
 それでも自分が幸せに、それにはまず家族屋敷の皆を幸せに、そして出来れば手の届く範囲の人達の笑顔に。
 元の世界では何故か上手くいかなかった恋愛や、高校時代の悲しい確執、生徒会長として果たせなかった無念。
 もう二度と戻れない元の世界に残して来た全ての未練を、この世界で形は違えど果たすべくただ前に進むべく歩を進めて来たのだ。

 だが、ここへ来て更に予期せぬ事が起こってしまった。
 いや、いつか起こる事は分かっていたのだ。
 ゲームシナリオ上避けて通れぬイベントなのだから。

 『だけど早過ぎる』

 ローズは吐き捨てる様に心の中で呟いた。
 唐突に始まったこの『国王からの召喚状』イベント。
 少なくとも届いた招待状はゲーム本編でローズが読み上げた物と同じ文面だった。
 そして、それはシュタインベルク家没落の始まりを告げる鐘の音。
 ここまで辿ってきた道は違えど、ゲーム本編と無関係などではないだろう。
 それにローズは思い出した。
 三徹に空腹で多少記憶はあやふやだが、確かにこの世界に転生した原因かもしれない謎の声を聞いたのだ。

 <<キミは私達が創った世界への転生を望むかい?>>


 ゲーム中とは異なるタイミングで発生したこのイベント。
 これはゲームシナリオから逸脱した事によるゲームシステムからの罰なのかもしれない。
 シナリオの強制力とでも言うのだろうか?
 やはり悪役令嬢は悪役のまま終わる定めだったのか。
 もしそうなら、なぜ自分はローズ悪役令嬢としてこの世界に転生したのだろう?
 そんな疑問が頭の中をぐるぐると回り出す。
 
 なんにせよ、今後の自分を左右する大きな選択を迫られる筈だ。
 それこそ、幸せを掴む事なくその手からすり抜ける、ゲームと同じ破滅への宣告を受ける結果になる事だって十分に考えられる。
 ローズの中にそんな予感が、確信に似た思いと共に胸に脈打っていた。



 『お嬢様!』『ローゼリンデ殿!』『ローズ様!』『ローズ!』



 そんな心が折れ掛かっていたローズの脳裏に突然声が聞こえて来た。
 それは自分の事を心配するかのように呼ぶ皆の声だ。
 だがこれは別にテレパシーと言う訳でもなく、気弱な心が救いを求めて思い出した産物だろう。
 しかし、この声でローズは真っ暗だった目の前が晴れた気がした。

 記憶を取り戻した頃の自分の名を呼ぶ皆の声には明らかに恐怖と嫌悪が込められていたのを覚えている。
 その理由は分かっていたが、それがとても悲しかった。
 野江 水流としての自分がそう思われている事以上に、ローズが皆からそう思われていたと言う事実が悲しかったのだ。
 ゲーム中の音声にはその様なイベント以外の日常会話での感情は表現されておらず、表示されるグラフィックも数パターンの表情が浮かんでいるだけ。
 細かな感情の機微など分かる筈もない。

 しかし、転生して分かった。
 この世界での生きている人達の感情と言う物を。

 だから、自分がそしてローズが皆から少しでも好かれるようになろうと努力して来たのだ。
 そして、徐々にその声や表情から恐怖と嫌悪が消えていくのがとても嬉しかった。
 やっと幸せの尻尾が見えて来た所だった。
 あと少し手を伸ばせば……。
 そう思った瞬間ローズの中に熱い何かが胸の奥から湧き上がって来た。

 『こら! ローズ! フレデリカの言葉を思い出しなさい! 私は私を貫いたら良いの! 『いつも通りのお嬢様なら大丈夫です』そう言ってくれたんだから』

 そう心の中で自らに渇を入れたローズは、覚悟と共に国王に向けて頭を上げる。

 『覚悟を決めたわ! 『あたし幸せ計画』達成の為にはこんな所で立ち止まっている訳にはいかないのよ。それにこのイベントはどうせいつかは乗り越えなければいけなかった試練じゃないの。今回もぶっつけ本番で攻略してやるわ』

 そして、小さく深呼吸し口を開いた。

「ご機嫌麗しゅう国王陛下。バルモア・フォン・シュタインベルクが娘ローゼリンデでございます。この度の名誉あるご招待、とても光栄ですわ」

 慈愛の笑みを浮かべ水晶の様に透き通った声で臣下の言葉で王に返す。
 その姿を見た周囲の貴族から感嘆の溜息を聞こえてくる。

 『さぁ試合開始よ!』

 ローズはそう心の中で信じて送り出してくれたフレデリカを想いながら気合を吐いた。
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