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第四章 それでは皆様
第64話 ワクワク
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「な、なんと! ぷっ、はーーーはっはっは!」
ここは国境近くに建造されている砦の執務室。
そこに豪快な笑い声が木霊した。
執務室に同席していた他の者達はあまりの大声にギョッとして目を向けていた。
この砦に就任して以来、今部屋に鳴り響いた笑い声の主が、今の様に大きな笑い声を上げたのを聞いた者は居なかったので驚いても仕方がない。
使者として隣国の新王との謁見はおよそ成功とは言い難いものだった。
明らかに『何かを知っている』と言える態度での知らぬ存ぜぬの返答。
周囲の高官達もにやにやと薄ら笑いを浮かべている。
こちらに敵意を持っている事は明白だった。
やはり、国境に現れると言う盗賊団は、盗賊と名ばかりで隣国の手の者だろう。
おそらくもう暫く被害が広がると、国境警備や周辺の被害を受けた村への援助と言う名目で国境侵犯をし、なし崩し的に王国への侵略を開始するのではないか?
しかし、それを今この場で責めても悪質な言い掛かりと、逆に自分達が責められ『今の言は我が国への宣戦布告である』と言う大義名分に利用されるだけである。
それが分かっている人物は何も言わず大人しく隣国の謁見の間から退出し、この砦を目指したのであった。
笑い声の主の名は、バルモア・フォン・シュタインベルク伯爵。
砦の隊長として就任して以降、四六時中眉間に皺を寄せ執務に行っていた。
寝るのを惜しんで盗賊の足取りを追い、被害に遭った村の復興救助を行い、盗賊を打ち倒すべく兵達の訓練に余念が無い。
部下達は少しは休んだ方が良いと進言するが、聞く耳は持たないとでも言う様にその手を休める事は無かった。
そんなバルモアが愉快そうに笑っている。
久々に見るその姿に皆はホッと胸を撫で下ろす。
その理由はある程度皆も理解していた。
バルモアは今手に持っている手紙を見ての事。
昨日王都より届いた補給品の中に紛れていた待ち人からの手紙の束はそれぞれ兵達の元へと配られ、そこに書かれた自身達が出立して以降に王都で繰り広げられた信じ難い出来事の数々に驚いてたところだった。
立て込んでいた執務をやっと終えたバルモアが、休憩がてらに届いた手紙を読みだしたのだ。
執務室に居た者達は、それを読んだバルモアがどの様な反応をするのかと少し興味津々で伺っており、思っていた以上のリアクションだったので驚いたのだが、久々に嬉しそうなバルモアの顔を見れて良かったと皆はその頬を綻ばせた。
手紙に書かれていた事はおそよ想像出来る。
自分達の手紙にも話題に上がるのは多かれ少なかれある人物が中心となる話ばかり。
ベルナルド派閥の舞踏会で起こった奇跡の光景、それにその後の王都の女性達を集めてのサーシャ様のブランドの発表会。
二大悪女と呼ばれた者達の劇的な仲直り。
とあるレストランで一緒の席に着いて談笑しながら食事を食べているその二人に周囲の者は驚いて号外が出たとの話まで書かれていた。
その出来事の全てに共通する人物は、今目の前で手紙を読んで笑っているバルモアの愛娘ローゼリンデだったのである。
「いやーーしかし! 我が娘が悪名以外で王都で話題になる事が有るとはな。本当に嬉しい限りだ。……いや、しかし……」
嬉しそうにそう言ったバルモアは一転表情を曇らせた。
そして悲しげな溜息を吐く。
その理由を察した周囲の部下達も表情を曇らせる。
「あぁ、今すぐ娘をこの手に抱きしめたい」
絞り出すような声でバルモアがそう呟く。
任期終了までまだ2か月以上は優に残っている。
しかも、現状を打破出来ない限り任期の延長だって考えられるのだ。
娘の素晴らしいまでの成長をその目で見る事が出来ない悲しみは、バルモアのローゼリンデの溺愛ぶりを知っている部下達には痛いほど理解していた。
どうにかしてバルモア様を王都へと無事に帰還させる事は出来ないだろうか?
部下達は任務の早期達成に向けて気合を入れ直した。
コンコン――。
そんな中、執務室の扉をノックする音が響く。
何事か! と、皆が扉に向けて目を向けた。
「すみません。バルモア隊長! 王都よりお客様がお見えになられました」
扉の向こうより兵士の声が聞こえた。
その報に敵が動き出したのかと一瞬緊張して張り詰めた空気が緩む。
しかし同時に誰だろう? と言う疑問が浮かんだ。
本日来客の話など聞いていない。
そもそも、国境近くの森に面して建てられてあるこの砦だ。
誰かが遊びに来るなんて場所でもないのだから、急な来客なんて緊急事態で有る可能性が高いではないか。
そう思った皆は再度緊張を高めた。
「うむ、この部屋にお連れしろ」
バルモアが扉の向こうの兵士にそう声を掛けた。
周囲の部下達はゴクリと息を飲む。
「分かりました。では今すぐにお連れいたします」
そう言って兵士が離れていく足音が聞こえる。
「隊長。誰でしょうか? 使者の話など聞いておりませんが」
不安そうに部下の一人がバルモアにそう尋ねる。
しかし、バルモアとしてもその問いに答える解を持っている訳ではないので、顎髭を摩りながら「うむ~」と唸った。
暫くするとまたもや足音が近づいて来るのが聞こえて来た。
先程の兵士が客を連れて来たのだろう。
鎧がガチャガチャとなっている足音の他にもう一つの足音が聞こえる。
「バルモア隊長。お客様をお連れいたしました」
「うむ、入りたまえ」
バルモアが兵士の言葉に答えると、扉のノブが回りゆっくりと開いた。
そして兵士と共に入って来た人物に驚いて目を剥いたが、緊張して張り詰めていた空気は霧散する。
「あぁ、君だったのか。驚いたぞ。急にどうしたのだ?」
突如現れたよく知っている人物にバルモアは笑顔で語りかけた―――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ま、まいりました……」
ここはシュタインベルク家の訓練場。
若い衛兵が、目の前の人物に対して降参の言葉を上げる。
その人物は勿論ローズ。
あの衝撃の舞踏会から数日後、いつもの様に早朝の訓練場で衛兵達と一緒に汗を流していた。
最近では執事長だけでなく、兵士達ともかつての剣道部で部員達と切磋琢磨していた時の様に気軽に試合が出来る様になって来ていた。
それだけ皆の基礎力が上がり、打ち合えるようになって来たからである。
また、それ以上に信頼関係も築けて来た所為もあるのだろう。
本気で打ち込んでもお嬢様なら受け切ってくれると、信頼しているからこそ衛兵達は憂いなく試合が出来るのであった。
自分達もだが、お嬢様はそれ以上の速さで日々強くなって行っておられる。
衛兵達は情けないとは思いつつも、皆が皆ローズに惚れている手前必死にローズの強さに届き、少しでも信頼をして貰える様にと必死に鍛錬をしていた。
これがここ最近のシュタインベルク家の早朝の日常風景である。
但し、本日は少々趣が異なっていた。
「いやーー! び、びっくりした! ローズお前いつの間にこんなに強くなったんだよ!」
訓練場の端に座って見物していたオーディックが驚きながらも称賛の声を上げた。
その隣に座っているシュナイザーは顎が落ちんばかりに驚いている。
「な、なんと……。既に私より強…ふごふぐ…」
今目の前で行われた華麗なるローズの流れる様な剣戟に、思わず自分より強いのでは? と言いかけて慌てて口を閉ざす。
ローズの前で情けない所などを見せる訳にはいかない。
自分は常にローズの前では男らしい男、そしてあの運命の出立の日にローズが言ってくれたようにローズの手本になるべく男らしく頼もしい王国貴族として立たねばなるまい。
シュナイザーは落ちかけていた顎を元に戻して、いつもの俺様キャラフェイスをキメる。
「おぉ、ローゼリンデ様。なんと美しい……」
ディノはただただ、目の前のローズの事を称えていた。
一応ながら、今の動きからローズよりは自分の方が強い事を自覚しており、純粋に戦乙女の如きの無駄の無い動きの数々を堪能している。
美しく優しいだけじゃない、強さにおいてもその輝きは眩しく尊いローズの姿に忠誠心は今まで以上に燃え上がっていた。
その隣のカナンも同じく「すごいすごい」とはしゃいでいた。
「いや~凄いね。ローズ。依然見た時は何ですり足しているか分からなかったけど、なるほど。戦っているところを見たら分かったよ」
そう言って拍手をしているのはホランツだ。
そう、現在ここにはローズ取り巻きのイケメン五人衆が他の衛兵と同じように端に並んで座っていた。
なぜ皆がここに居るのかと言うと、それはカナンとホランツからの提案だった。
提案と言うかお願い、いやわがままに近い。
先日の舞踏会での騒動の顛末を聞き付けたカナンとホランツが、『そんな面白そうな事をオーディックと二人で体験したなんてずるい!』と駄々をこねたのだ。
いつもなら、そんな二人のわがままを諫めるオーディックは当事者であり、シュナイザーも内心同じ思いだったので黙っていたし、ディノにしてもこう言う場では口は開かないものの、ホランツに対して心の中で応援していた。
そんな彼らが要求したのは『ローズが戦う所が見たい』と言うもので、その言葉が出た途端周りの皆からも喝采の声が上がり、お願いの言葉が乱舞した。
その迫力にはフレデリカさえ止める事は出来ず渋々ながら了承した為、皆がこの場に居るのである。
「そんな、私なんてまだまだです。相変わらず執事長には子供の様に軽くあしらわれておりますし……」
イケメン達からの称賛の声に恥ずかしそうにしながらそう言ったローズに対して、訓練場に居る全ての者が心の中で『そりゃ当たり前だ』とツッコミの言葉を入れた。
ディノを除くイケメン達はさすが貴族の子息である。
先の戦については貴族の通う王立学園でその歴史や執り行われた戦術戦略など事細かく習っていたのだ。
その際に際立つ功績を上げた四英雄の話。
実は戦術担当の教官が言うには本当は五英雄だったとの事。
数えられなかった英雄、それはなにも記録を消されたからではない。
その知られざる英雄は老兵であり更に貴族でも無い為、本人から英雄と呼ばれる事を辞退したとの事だった。
その者の名はオリヴァー・ロックバルト。
現在シュタインベルク家の執事長として働いている。
そう、今ローズが勝てないと言った相手だったのだ。
ディノとしては騎士団に居るので更に詳しい事を聞いており、心の師匠と崇め時折教えを乞うていたのでこの屋敷の衛兵より先にその強さを知っていた。
「な、なぁ、ローズ? ちょっとだけ相手してくれねぇか? いや絶対に怪我はさせねぇし、俺だって怪我しない自信が有るぜ。なによりその奇妙な剣術をその身で体感してぇんだ」
オーディックがフレデリカに絶対ダメと言われていた対戦を希望して来た。
どうやら熱血キャラとしての血が騒いだようだ。
心の中で『綺麗で強いなんて、最高過ぎる。惚れ直したぜ!』と、結婚後に二人で力を高め合うと言う未来を夢想していた。
その言葉にフレデリカが抗議の声を上げる。
「オーディック様。それはなりませんと申し上げたではありませんか。もし双方どちらかでも怪我をしてしまったとしたら笑い事では済まないのですよ」
「いや、大丈夫だって。ちゃんと寸止めするからさ。それにほらローズの目を見てみろよ」
オーディックがそう言ってローズの方に親指をクイッと指した。
フレデリカはその言葉通りにローズの方に顔を向けたが、ローズの顔を見た途端ガクンと肩を落とす。
その顔は『戦ってみたい!』と、まるでおもちゃを見詰める子供の様なキラキラとした眼差しでオーディックを見ていたからだ。
先日は『見目麗しい伯爵令嬢であるローズ』として生きるなどと考えていたのだが、練習の最初の方こそその思いを胸に秘めお淑やかに振る舞ってはいたものの、訓練している内にテンションが上がってしまい衛兵達と試合をする頃にはバトルハイとでも言おうか、完全にお淑やかと言う言葉を忘れてしまっていた。
ただ単に、強い者と戦いたい。
まるでどこかの戦闘民族の様な言葉が頭の中でいっぱいだったのだ。
「ねぇ? フレデリカ? ちょっとだけだから。ね? ちょっとだけ」
ローズのこの言葉に深い溜息を吐いて壁際に立っていた執事長の方を見た。
すると執事長もフレデリカのその態度を理解した様で頷く。
「では、審判は私が務めましょう。双方危なくなれば私が止めに入ります」
「やったぜ!」
「やったーー!! あっ、私とした事が恥ずかしいですわ。おほほほほ」
喜びの声を上げたオーディックとローズ。
ローズはすぐさま貴族令嬢としてはしたない声を上げてしまった事に気付き誤魔化した。
しかしながら、心の中ではガッツポーズをしている。
そして、木剣を手にやって来るオーディックをワクワクとした目で見詰めるのだった。
ここは国境近くに建造されている砦の執務室。
そこに豪快な笑い声が木霊した。
執務室に同席していた他の者達はあまりの大声にギョッとして目を向けていた。
この砦に就任して以来、今部屋に鳴り響いた笑い声の主が、今の様に大きな笑い声を上げたのを聞いた者は居なかったので驚いても仕方がない。
使者として隣国の新王との謁見はおよそ成功とは言い難いものだった。
明らかに『何かを知っている』と言える態度での知らぬ存ぜぬの返答。
周囲の高官達もにやにやと薄ら笑いを浮かべている。
こちらに敵意を持っている事は明白だった。
やはり、国境に現れると言う盗賊団は、盗賊と名ばかりで隣国の手の者だろう。
おそらくもう暫く被害が広がると、国境警備や周辺の被害を受けた村への援助と言う名目で国境侵犯をし、なし崩し的に王国への侵略を開始するのではないか?
しかし、それを今この場で責めても悪質な言い掛かりと、逆に自分達が責められ『今の言は我が国への宣戦布告である』と言う大義名分に利用されるだけである。
それが分かっている人物は何も言わず大人しく隣国の謁見の間から退出し、この砦を目指したのであった。
笑い声の主の名は、バルモア・フォン・シュタインベルク伯爵。
砦の隊長として就任して以降、四六時中眉間に皺を寄せ執務に行っていた。
寝るのを惜しんで盗賊の足取りを追い、被害に遭った村の復興救助を行い、盗賊を打ち倒すべく兵達の訓練に余念が無い。
部下達は少しは休んだ方が良いと進言するが、聞く耳は持たないとでも言う様にその手を休める事は無かった。
そんなバルモアが愉快そうに笑っている。
久々に見るその姿に皆はホッと胸を撫で下ろす。
その理由はある程度皆も理解していた。
バルモアは今手に持っている手紙を見ての事。
昨日王都より届いた補給品の中に紛れていた待ち人からの手紙の束はそれぞれ兵達の元へと配られ、そこに書かれた自身達が出立して以降に王都で繰り広げられた信じ難い出来事の数々に驚いてたところだった。
立て込んでいた執務をやっと終えたバルモアが、休憩がてらに届いた手紙を読みだしたのだ。
執務室に居た者達は、それを読んだバルモアがどの様な反応をするのかと少し興味津々で伺っており、思っていた以上のリアクションだったので驚いたのだが、久々に嬉しそうなバルモアの顔を見れて良かったと皆はその頬を綻ばせた。
手紙に書かれていた事はおそよ想像出来る。
自分達の手紙にも話題に上がるのは多かれ少なかれある人物が中心となる話ばかり。
ベルナルド派閥の舞踏会で起こった奇跡の光景、それにその後の王都の女性達を集めてのサーシャ様のブランドの発表会。
二大悪女と呼ばれた者達の劇的な仲直り。
とあるレストランで一緒の席に着いて談笑しながら食事を食べているその二人に周囲の者は驚いて号外が出たとの話まで書かれていた。
その出来事の全てに共通する人物は、今目の前で手紙を読んで笑っているバルモアの愛娘ローゼリンデだったのである。
「いやーーしかし! 我が娘が悪名以外で王都で話題になる事が有るとはな。本当に嬉しい限りだ。……いや、しかし……」
嬉しそうにそう言ったバルモアは一転表情を曇らせた。
そして悲しげな溜息を吐く。
その理由を察した周囲の部下達も表情を曇らせる。
「あぁ、今すぐ娘をこの手に抱きしめたい」
絞り出すような声でバルモアがそう呟く。
任期終了までまだ2か月以上は優に残っている。
しかも、現状を打破出来ない限り任期の延長だって考えられるのだ。
娘の素晴らしいまでの成長をその目で見る事が出来ない悲しみは、バルモアのローゼリンデの溺愛ぶりを知っている部下達には痛いほど理解していた。
どうにかしてバルモア様を王都へと無事に帰還させる事は出来ないだろうか?
部下達は任務の早期達成に向けて気合を入れ直した。
コンコン――。
そんな中、執務室の扉をノックする音が響く。
何事か! と、皆が扉に向けて目を向けた。
「すみません。バルモア隊長! 王都よりお客様がお見えになられました」
扉の向こうより兵士の声が聞こえた。
その報に敵が動き出したのかと一瞬緊張して張り詰めた空気が緩む。
しかし同時に誰だろう? と言う疑問が浮かんだ。
本日来客の話など聞いていない。
そもそも、国境近くの森に面して建てられてあるこの砦だ。
誰かが遊びに来るなんて場所でもないのだから、急な来客なんて緊急事態で有る可能性が高いではないか。
そう思った皆は再度緊張を高めた。
「うむ、この部屋にお連れしろ」
バルモアが扉の向こうの兵士にそう声を掛けた。
周囲の部下達はゴクリと息を飲む。
「分かりました。では今すぐにお連れいたします」
そう言って兵士が離れていく足音が聞こえる。
「隊長。誰でしょうか? 使者の話など聞いておりませんが」
不安そうに部下の一人がバルモアにそう尋ねる。
しかし、バルモアとしてもその問いに答える解を持っている訳ではないので、顎髭を摩りながら「うむ~」と唸った。
暫くするとまたもや足音が近づいて来るのが聞こえて来た。
先程の兵士が客を連れて来たのだろう。
鎧がガチャガチャとなっている足音の他にもう一つの足音が聞こえる。
「バルモア隊長。お客様をお連れいたしました」
「うむ、入りたまえ」
バルモアが兵士の言葉に答えると、扉のノブが回りゆっくりと開いた。
そして兵士と共に入って来た人物に驚いて目を剥いたが、緊張して張り詰めていた空気は霧散する。
「あぁ、君だったのか。驚いたぞ。急にどうしたのだ?」
突如現れたよく知っている人物にバルモアは笑顔で語りかけた―――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ま、まいりました……」
ここはシュタインベルク家の訓練場。
若い衛兵が、目の前の人物に対して降参の言葉を上げる。
その人物は勿論ローズ。
あの衝撃の舞踏会から数日後、いつもの様に早朝の訓練場で衛兵達と一緒に汗を流していた。
最近では執事長だけでなく、兵士達ともかつての剣道部で部員達と切磋琢磨していた時の様に気軽に試合が出来る様になって来ていた。
それだけ皆の基礎力が上がり、打ち合えるようになって来たからである。
また、それ以上に信頼関係も築けて来た所為もあるのだろう。
本気で打ち込んでもお嬢様なら受け切ってくれると、信頼しているからこそ衛兵達は憂いなく試合が出来るのであった。
自分達もだが、お嬢様はそれ以上の速さで日々強くなって行っておられる。
衛兵達は情けないとは思いつつも、皆が皆ローズに惚れている手前必死にローズの強さに届き、少しでも信頼をして貰える様にと必死に鍛錬をしていた。
これがここ最近のシュタインベルク家の早朝の日常風景である。
但し、本日は少々趣が異なっていた。
「いやーー! び、びっくりした! ローズお前いつの間にこんなに強くなったんだよ!」
訓練場の端に座って見物していたオーディックが驚きながらも称賛の声を上げた。
その隣に座っているシュナイザーは顎が落ちんばかりに驚いている。
「な、なんと……。既に私より強…ふごふぐ…」
今目の前で行われた華麗なるローズの流れる様な剣戟に、思わず自分より強いのでは? と言いかけて慌てて口を閉ざす。
ローズの前で情けない所などを見せる訳にはいかない。
自分は常にローズの前では男らしい男、そしてあの運命の出立の日にローズが言ってくれたようにローズの手本になるべく男らしく頼もしい王国貴族として立たねばなるまい。
シュナイザーは落ちかけていた顎を元に戻して、いつもの俺様キャラフェイスをキメる。
「おぉ、ローゼリンデ様。なんと美しい……」
ディノはただただ、目の前のローズの事を称えていた。
一応ながら、今の動きからローズよりは自分の方が強い事を自覚しており、純粋に戦乙女の如きの無駄の無い動きの数々を堪能している。
美しく優しいだけじゃない、強さにおいてもその輝きは眩しく尊いローズの姿に忠誠心は今まで以上に燃え上がっていた。
その隣のカナンも同じく「すごいすごい」とはしゃいでいた。
「いや~凄いね。ローズ。依然見た時は何ですり足しているか分からなかったけど、なるほど。戦っているところを見たら分かったよ」
そう言って拍手をしているのはホランツだ。
そう、現在ここにはローズ取り巻きのイケメン五人衆が他の衛兵と同じように端に並んで座っていた。
なぜ皆がここに居るのかと言うと、それはカナンとホランツからの提案だった。
提案と言うかお願い、いやわがままに近い。
先日の舞踏会での騒動の顛末を聞き付けたカナンとホランツが、『そんな面白そうな事をオーディックと二人で体験したなんてずるい!』と駄々をこねたのだ。
いつもなら、そんな二人のわがままを諫めるオーディックは当事者であり、シュナイザーも内心同じ思いだったので黙っていたし、ディノにしてもこう言う場では口は開かないものの、ホランツに対して心の中で応援していた。
そんな彼らが要求したのは『ローズが戦う所が見たい』と言うもので、その言葉が出た途端周りの皆からも喝采の声が上がり、お願いの言葉が乱舞した。
その迫力にはフレデリカさえ止める事は出来ず渋々ながら了承した為、皆がこの場に居るのである。
「そんな、私なんてまだまだです。相変わらず執事長には子供の様に軽くあしらわれておりますし……」
イケメン達からの称賛の声に恥ずかしそうにしながらそう言ったローズに対して、訓練場に居る全ての者が心の中で『そりゃ当たり前だ』とツッコミの言葉を入れた。
ディノを除くイケメン達はさすが貴族の子息である。
先の戦については貴族の通う王立学園でその歴史や執り行われた戦術戦略など事細かく習っていたのだ。
その際に際立つ功績を上げた四英雄の話。
実は戦術担当の教官が言うには本当は五英雄だったとの事。
数えられなかった英雄、それはなにも記録を消されたからではない。
その知られざる英雄は老兵であり更に貴族でも無い為、本人から英雄と呼ばれる事を辞退したとの事だった。
その者の名はオリヴァー・ロックバルト。
現在シュタインベルク家の執事長として働いている。
そう、今ローズが勝てないと言った相手だったのだ。
ディノとしては騎士団に居るので更に詳しい事を聞いており、心の師匠と崇め時折教えを乞うていたのでこの屋敷の衛兵より先にその強さを知っていた。
「な、なぁ、ローズ? ちょっとだけ相手してくれねぇか? いや絶対に怪我はさせねぇし、俺だって怪我しない自信が有るぜ。なによりその奇妙な剣術をその身で体感してぇんだ」
オーディックがフレデリカに絶対ダメと言われていた対戦を希望して来た。
どうやら熱血キャラとしての血が騒いだようだ。
心の中で『綺麗で強いなんて、最高過ぎる。惚れ直したぜ!』と、結婚後に二人で力を高め合うと言う未来を夢想していた。
その言葉にフレデリカが抗議の声を上げる。
「オーディック様。それはなりませんと申し上げたではありませんか。もし双方どちらかでも怪我をしてしまったとしたら笑い事では済まないのですよ」
「いや、大丈夫だって。ちゃんと寸止めするからさ。それにほらローズの目を見てみろよ」
オーディックがそう言ってローズの方に親指をクイッと指した。
フレデリカはその言葉通りにローズの方に顔を向けたが、ローズの顔を見た途端ガクンと肩を落とす。
その顔は『戦ってみたい!』と、まるでおもちゃを見詰める子供の様なキラキラとした眼差しでオーディックを見ていたからだ。
先日は『見目麗しい伯爵令嬢であるローズ』として生きるなどと考えていたのだが、練習の最初の方こそその思いを胸に秘めお淑やかに振る舞ってはいたものの、訓練している内にテンションが上がってしまい衛兵達と試合をする頃にはバトルハイとでも言おうか、完全にお淑やかと言う言葉を忘れてしまっていた。
ただ単に、強い者と戦いたい。
まるでどこかの戦闘民族の様な言葉が頭の中でいっぱいだったのだ。
「ねぇ? フレデリカ? ちょっとだけだから。ね? ちょっとだけ」
ローズのこの言葉に深い溜息を吐いて壁際に立っていた執事長の方を見た。
すると執事長もフレデリカのその態度を理解した様で頷く。
「では、審判は私が務めましょう。双方危なくなれば私が止めに入ります」
「やったぜ!」
「やったーー!! あっ、私とした事が恥ずかしいですわ。おほほほほ」
喜びの声を上げたオーディックとローズ。
ローズはすぐさま貴族令嬢としてはしたない声を上げてしまった事に気付き誤魔化した。
しかしながら、心の中ではガッツポーズをしている。
そして、木剣を手にやって来るオーディックをワクワクとした目で見詰めるのだった。
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