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第三章 絶対に負けないんだから
第62話 一体誰?
しおりを挟む「きゃーーーっ! お、おばっ! け、ふぐぅぐぅ」
ローズは用具入れの隙間から覗いているシャルロッテの顔に驚いて思わず悲鳴を上げようとした。
ローズの中の人が如何にアラサーの剣術の達人野江 水流と言えども紛う方無き女子であり、しかも乙女である。
誰も居ないと思っていた所に突然声を掛けられ、振り向いたら少しだけ開いた用具入れの扉から、しかも少し青ざめて目を見開いてる女性の顔が覗いていたとしたら、そらお化けだと思って悲鳴の一つ二つは上げても仕方のない事だろう。
それにローズとしては宿命のライバルかもしれないが、野江 水流としては会場でちらと顔を合わせただけのほぼ初対面の相手なのだから。
が、その悲鳴は凄い勢いで飛び出して来たシャルロッテに口を塞がれてしまった為、最後まで発する事は無かった。
「ちょっと、ローズ。 いきなり大声を上げたら衛兵が飛び込んで来るでしょ」
シャルロッテはローズの口を押えたまま、小声でローズに注意する。
これによってローズは、この人物がお化けではなく人間である事を理解した。
『だって触られてるんだもん』と少しずれた解釈なのは、まだ少し混乱しているからだろう。
『おおお、落ち着きなさいローズ。い、生きてる人間なら怖くないわ。いきなりで驚いたけど力はそんなに強くないから腕を取ってキュッとやれば……って、違う! それより確かこの顔はシャルロッテ……よね? ローズのライバルの。会場から逃げ出したかと思ったら何でここに居るの?』
口を押えているのがシャルロッテと分かり、ローズはやっと気を取り直して改めて状況を整理する。
先程自分を窮地に追い詰めた張本人。
元のローズの時はライバルだったと言えど、野江 水流的にはゲームに未登場と言う知る筈も無い人物なので正直恨みも憎しみも全く無かったのだが、改めてシャルロッテを恨む理由は十分過ぎる程堪能する事が出来た。
もうライバルと書いて仇敵と書くと言っても大袈裟ではないだろう。
『叫ぶと衛兵が飛び込んで来る? 望むところよ!』とローズはもう一度叫ぼうかと思ったのだが、シャルロッテの顔を見て気が変わった。
『なんて顔してるよの、まったく』とローズは心の中で、溜息を吐く。
なぜならシャルロッテの目は泣き腫らしており真っ赤になっていたからだ。
恐らく怖くなって会場から逃げ出した後、そのまま自分の屋敷まで帰る事が出来なかったのだろう。
それにいくら犬猿の仲の相手とは言え、命を危険に晒すつもりなど毛頭無かったと思われる。
それを物語っていたのが逃げ出す際に見せた恐怖と懺悔の色が浮かんだ顔。
自らの行為に後悔して、周りの夫人達が恐ろしくて、でもローズが心配で……。
だから屋敷に留まって、けれど会場に戻る勇気も無くて、そしてこんな所に隠れて一人で泣いていたのか。
ローズと同じくわがまま令嬢と呼ばれてはいるが、もしかすると根は良い子なのかもしれない。
少なくとも自らの行いによる過失を全て投げ出して忘れる事が出来るほど悪人ではないようだ。
取りあえずは黙っといてやるかと、ローズは思った。
ドンドンドン! 「大丈夫ですかっ!!」
突然化粧室の扉が叩かれ、そしてその向こうから様子を伺う声が聞こえて来る。
口を塞がれたとは言え、最初の悲鳴は外に聞こえていてもおかしくない。
そう言えば、大量の女性を屋敷に呼んだ手前、それに紛れて賊が入り込んでいないかと衛兵が屋敷を警邏していると言う事だった。
『そう言えば、おトイレに来る途中も何人かの衛兵とすれ違ったわね』と、ローズはその事を思い出す。
そう、ここは女性用のトイレである。
またベルクヴァイン家はホールの貸し出しを行っている理由からか、貸出エリア内のトイレは現代の公衆トイレの様な集団型の形式で造られていた。
その為、男性である衛兵はどうやら女性用トイレにいきなり乗り込むのは躊躇しているようだ。
如何に悲鳴と言えども相手は貴族女性。
それに悲鳴の理由は千差万別。
ただ転んだや、水を引っ掛けた、または個室の扉を開けたら人が用を足していて驚いた、などなどたわいない理由だって考えられる。
そんな理由だった場合、貴族女性が入っているトイレに了解を取らずに扉を開けて乗り込むのは、それだけで重罪となってしまう。
だからまず、状況確認ともし賊が居た場合の威嚇の意味で激しくノックをしているのだった。
少しでもおかしい兆候が有ればすぐさま開けるつもりなのだろうと、ローズは衛兵の行動を推測した。
『う~ん、どうしよう? この状況を見られちゃうと、いくらシャルロッテが伯爵令嬢と言えど、連行されてて取調べを受ける事になるわ。そうなったらヤバイかも。この子の事もだけど、なにより私の独り言を聞かれちゃったじゃない。もし、取調べで洗いざらい喋られちゃったとしたら私の正体がバレちゃう。何とか誤魔化さないと』
シャルロッテとしても、ローズの口を押えているこの状況を見られるのはとてもマズいと焦っているようだ。
ぷるぷると少し身体を震わせて脅えている。
ローズはそんなシャルロッテの肩をポンポンと叩き『落ち着いて』と小声で言った。
口を塞がれているので実際は『ぼびぶびべ』となってしまったが、シャルロッテにはその意味が伝わった様で、少し口に当てている手を緩めてきた。
これなら声を出せそうだと、思ったローズは息を吸い込んだ。
「あはははは、ごめんなさーーい! 何か変な虫が個室に飛び出して来たんでビックリしただけですわ。もう大丈夫。きっちりとトドメは刺しましたのでご安心ください」
ローズは出来るだけ明るく扉の向こうの衛兵に向かって話し掛けた。
扉の向こうの衛兵は「は、はぁ……」と言う返事をして扉を叩く手を止める。
「本当に大丈夫ですか? 賊に押さえつけられて脅されているとか無いですね?」
衛兵がそう尋ねて来る。
おそらく念の為と言う事なのだろう、少し警戒の色が声に込められているようだ。
その言葉にシャルロッテはビクンと体を震わせた。
ほぼ衛兵が言った通りの状況なので驚いたのだろう。
「大丈夫、大丈夫。そんな事は有りませんわ。まだ途中でしたので申し訳ありませんが、化粧室から離れて頂くと助かりますわ。その、聞かれたくありませんので……、あの人払いもお願い出来るかしら?」
「は、はっ! 申し訳ありませんっ! すぐに離れます! 他の者にも伝えますので。では、失礼します!」
ローズの『まだ途中』、そして『聞かれたくない』と言う言葉に、衛兵はすぐさま反応して慌てて謝罪し、足音を立てながらトイレから離れていくのが扉越しに聞こえた。
人払いも頼めたので暫くは多少の声を出しても安心だろう。
「ふぅ~、去っていったわね。危なかったわ」
ローズは、何とか切り抜けた事に安堵してほっと息を吐く。
そして、ふとシャルロッテの方に顔を向けると、そこには驚きの表情で自分の事を凝視している顔が有った。
「あ、あのシャルロッテ? 衛兵は行ったのだから放して貰えるかしら?」
取りあえず放して貰おうとローズはシャルロッテに話し掛けた。
すると、弾かれたようにシャルロッテはローズから手を放し距離を取る。
その顔はいまだ驚きの色に染まっており、どうやらローズの事を警戒している様だ。
「あなた……一体誰?」
シャルロッテはどこかで聞いたようなフレーズを、ローズに向けて言い放った。
ローズはギクリとしたが、何とか表情に出すのは堪える。
『あちゃ~、こりゃ疑われてるわ~。独り言を聞かれるなんて迂闊だったわね。まさか用具入れに隠れているなんて思わなかった。何とか誤魔化さないと』
ローズは、『そのドレスでどうやって狭い用具入れに隠れていたの?』と、思いながらも状況打破の作戦を練る為に、取りあえずシャルロッテがどう言う認識でいるのか情報収集をしる事にした。
「あなた誰って酷いわね。私はローズじゃない。貴女もよく知っているでしょ?」
あくまで自然に『あなた、なに馬鹿な事を言ってるの?』と言う感じで返してみる。
するとシャルロッテは驚く顔を止めて、キッと目に力を入れてローズを睨んで来た。
「ふざけないで!! 貴女がローズな訳ないわ!」
そして、ローズと言う事を否定する言葉を叫ぶ。
その言葉にローズは焦ったが『まだだ、まだ慌てる時間じゃない』と、何とか心を落ち着かせる。
「何を根拠に……。ほら、大声上げるとまた衛兵が来ちゃうわよ」
「う、うぐぐ。こ、根拠はそれよ! 私のローズなら、そんな事を言う筈ない!」
シャルロッテの言葉に目が点になるローズ。
今こいつ変な事を言わなかったか? と、シャルロッテの言葉を急いで整理する。
『んんん? 今『私のローズ』って言った? ……あっ、あ~あ~。多分焦って『ライバル』って言葉が抜けたのね。うん、そうよ。ふぅ何気にここ最近一番びっくりしたわね』
シャルロッテの言葉足らずな説明に焦りながらも妥協点を見付けて心を落ち着かせるローズ。
「確かに貴女の綺麗な金髪。その細くて長い睫毛。そしてそのきめ細かい肌。なによりその匂いはローズに違いない。違いないけど違う! 貴女は私のライバルのローズじゃないわ! ずっと見て来た私には分かるの! ……ハッ! ま、まさか、貴女……?」
シャルロッテは何かに気付いたのかトンでもない事を言うだけ言った後、急に目を見開いて口をつぐみ、そのまま動かなくなってしまった。
『まさかバレた?』と焦りながらも、それ以上に今シャルロッテが言ってきた言葉の半分も理解出来ない事にも焦っている。
『え、え~と、今の言葉って憎いライバル相手に言う言葉で正しいの? ずっと見て来たと言うのはまだ分かるとして、前半部分、特に『匂い』って何? そんなに私って体臭きついかしら? いやいや、中身が別人って事がバレた方が問題なのよね? あぁ、ツッコミ所が多くて何処から処理したら良いのよ!』
バレた可能性に焦りながらも、取りあえず自分の身体を匂いを嗅ぐローズ。
確かに、今日は色々な種類の汗を掻く事が多かった。
冷や汗や脂汗、それに慣れないモデルウォークをやらされた事による普通の汗。
少し汗臭いのかもしれないわ? と思わなくも無い。
少し匂いを嗅いでみたが、幼い頃から日常的に鍛錬を行っていた所為で自分の汗には慣れっこなローズとしては、自分の汗の匂いは気にならないどころか、ある種精神安定剤の様なものだった。
『うん、臭くないわ。むしろ好き!』と、自分に言い聞かせながら何とか気を取り直したローズはシャルロッテに真意を尋ねた。
「あ、あの、まさかって何かしら?」
ローズの問い掛けに、ローズの異変に気付いた様な事を言ったまま止まっていたシャルロッテがゴクリと息を呑む。
そして少しだけ息を吸うと、きゅっと唇を閉じ小さく気合を入れた。
「最初からおかしいと思っていたのよ。ローズ、貴女……もしかして……」
『またもやそこで止めるな。勿体ぶりやがって』と、心の中で突っ込みを入れるローズ。
とは言え、シャルロッテの発言如何では口封じの手段を考えないといけないだろう。
ローズは固唾を呑んでシャルロッテの発言を待った。
「そう、貴女は記憶喪失ね!」
「へ?」
ビシッと指差しながらそう言ってくるシャルロッテ。
その言葉に一瞬頭が真っ白になったが、一つの言葉が浮かんできた。
『この子、すっごく馬鹿かもしれない……』と。
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