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第三章 絶対に負けないんだから

第59話 美しい姿

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「さぁさ、紳士淑女のオーディエンスの皆様! このドレスに注目して下さいませ!」

 サーシャはローズから少し離れ、両手でローズの身体を指し示す形で貴族夫人達に声を掛けた。
 もはやただの観客となっている夫人達は、その言葉に従い息を飲みながらローズに注目する。

「同じ派閥の皆様なら、このドレスは元々ローゼリンデが社交界の時に愛用しているドレスなのはご存知だと思いますわ。皆様の中には貴族令嬢として同じ物を着ている事について恥だと思われた事はないでしょうか?」

 サーシャの言葉に皆は気まずさと共に押し黙った。
 先程までの喧騒が嘘の様だ。
 そう、ローズが舞踏会等に参加する時大抵このドレスを着用していた事を知らない者はこの派閥には居ない。
 悪辣非道なわがまま令嬢のトレードマークとして認知されており、人々の嫌悪の象徴でもあった。
 そしてそれは身嗜みに気を使っている夫人達の嘲笑の的でもあったのだ。
 勿論面と向かって伯爵令嬢に言える訳も無く陰口でだが。
 『同じ物をお召しになるのは貴族としての誇りはないのかしら?』
 『あんな小娘に貴族の誇りなんて有る訳無いじゃない。あの古着と同じで埃しかないのではなくて?』
 『そうそう性悪娘にはボロがお似合いですわ』
 そんな言葉を言わなかった夫人達は居ない。
 奇跡の体験を経てローズに心酔した夫人達は、過去の自分の性悪な言葉を吐いた自分達の心の醜さに胸が締め付けられている。
 しかも、同じドレスを着ていた理由を自分達が確かめてしまったのだ。
 そのドレスは……、

「先程説明しました通り、このドレスは私の親友でしたアンネリーゼが初めてこのホールにて社交界デビューした時に着用していたドレスであります。そして、それを改修した物をローゼリンデは亡き母の事を想い愛用しておりました。それだけ大切なドレスだったのです……」

 サーシャは感情を込めに込めた迫真の演技でドレスの事を語った。
 最後は悲壮な表情を浮かべ胸の前に手を当てて黙る。
 それを見た夫人達、それに他の貴族達も同じドレスを着ていたローズの事を良く思っていなかった事から、初めて知ったその真相に激しく後悔し、中には懺悔の祈りを神に捧げる者も居た。

 これはアンネリーゼの大叔父であったベルナルドも忘れていた事実。
 ローズを見る度にどこかで見た記憶があるなとは思っていたが、美しい姪孫を可愛がっていたベルナルドは、アンネリーゼは何を着ても似合うと毎月大量のドレスを送っていたので、その一つ一つを憶えていなかったのだ。

 改めて見るとどうだ。

 あの日あの時、姪孫の社交界デビューのお披露目の為に特別な想いで贈ったドレスではないか!
 数多にプレゼントした既製品のドレスなどではない。
 晴れの舞台なのだからと、当時王都で有名だったデザイナーの元に自らの足で通い、姪孫の素晴らしさを熱く語りそれに似合う最高のドレスを製作してくれと依頼した特別な品だったのだ。

 出来上がったドレスを見た時の感動。
 姪孫が着た時を想像した時の胸の高鳴り。
 姪孫がプレゼントを嬉しそうに受け取った時の喜び。
 そして、姪孫を会場にエスコートした時の高揚。
 その全てが素晴らしい思い出……。

 ベルナルドの脳裏にはその時の光景が走馬灯の様にありありと浮かんで来ていた。
 頬を涙が伝う。
 何故その事を忘れていたのだ。
 ベルナルドは愚かにも大切な思い出を忘れていた自分に激しく後悔した。

 曾姪孫はそんな想いを込めてそのドレスを着ていたのか……。
 過去に他のドレスを着るように注意した事が有った。
 勿論何十倍の文句で返されたが。
 少しでも他のドレスに興味を持って貰おうと姪孫同様に数多のドレスをプレゼントもした。
 しかし、ローズは同じ古着しか着ない。
 貴族令嬢として恥ずかしいその行為。
 いつも苦々しく思っていたのだが、最近ではもう諦めてしまいプレゼントもしなくなっていた。

 今日もそうだ。
 数週間振りに見た曾姪孫の美しさに感動はしたものの、その裏で『また同じドレスを着て来たか』と内心溜息を吐いていた。
 その後のハプニングで、サーシャによって生まれ変わったドレス姿で帰ってきたローズを見て大いに喜んだ。
 貴族としての誇りに目覚めてくれたついでに、貴族令嬢としての身嗜みにも目を向けて貰う良い切っ掛けになるだろうと考えていた。
 
 曾姪孫のいじらしいまでの想いに気付かずに、自分は今まで何と言う馬鹿で愚かな事を考えて来たのだろうか。
 本当に恥ずべきは、この貴族として驕り高ぶった自らの醜い心ではないか!
 曾姪孫がわがまま娘に育ってしまったのは、そんな卑しい心を貴族として当たり前の物として押し付けて来た所為ではないのか?
 だからそれに反発するかの如くわざと悪女を演じて来たのではないか?
 ベルナルドの心にそんな疑問が沸いてきた。
 一度気付いてしまったその疑問は、心の中で激しさを増し確信へと一気に姿を変える。

 これはベルナルドだけじゃなくこの場に居る貴族達も同じ結論に至った。
 ローズに心酔したとは言え、今までの偏見は少なからず心の中に残っている。
 この偏見は今は感動で鳴りを潜めているだけで、いつまた活動を開始するか分からない厄介な代物だ。
 しかし、この結論に至った今、もはやそれは目覚める事は無く姿を消した。
 いや、消えたと言う表現は正しくない。
 それは既に目覚めて今では異なる想いとなったのだ。
 その想いの名は『敬愛』と言った。

 そんな皆の気持ちを知らないローズも、実はもしかすると? と言う気持ちになっていた。
 少なくとも今着ている理由は、そんな大それた想いなんて微塵も無い。
 だが、他のドレスに袖を通す気になれなかったのは、元のローズの記憶や想い心の何処かに残っていたからなのだろうか?
 ローズは少しだけそんな事を思った。


「そして、先程ローゼリンデのメイドさんが、あなた方にご説明した通り、そのドレスは悲劇によって切り裂かれてしまったのです」

 皆の後悔の海より新たに生まれたローズへの想いに打ち震えている中、サーシャは突然大きな声を出して話を再開する。
 相変わらずフレデリカの熱演にも負けない程のノリノリな演技のサーシャ。
 ローズはその言葉に『切り裂いたのは悲劇じゃなくて、サーシャ様の使用人がハサミでジョキジョキした所為ですけどね』と、心の中でツッコミを入れた。
 言葉にしなかったのは、空気を読んだ以上にその現場を目の当たりにした驚きのあまり、思わずサーシャに向けて飲んでたお茶を盛大に噴出してしまった事を反省しているからだ。
 『もしかして助けに来るのが遅れちゃったのは、着替えとかお化粧直しが原因じゃないの? 本当にごめんなさい』と心の中で謝った。


「本来ドレスはこの悲劇によってその生涯を閉じる運命でした。そう、元の主人であるアンネリーゼと同じ様に……」

 サーシャはノリノリの演技のまま更に追い討ちを掛けるように話を続けた。
 この言葉に夫人達から嗚咽混じりの声が聞こえてくる。

「しかし! その悲劇を知った私は、どうしてもそれが許せなかった!」

 急にサーシャは観客達に訴えかける様に大声を上げた。
 それと同時に会場に音楽が流れ出した。
 激しいビートから入ったそのメロディは、すぐに緩やかで優しいラインを奏で出した。
 突然の音楽に驚いたが、どうやら舞踏会の楽団が演奏しているらしい。
 最初からこのタイミングで演奏を開始する手筈だったのであろう。
 ローズは『手が込んでるわ~』と、素直に感心した。

「私には親友の命を救う事は出来なかった。けれど! ドレスの事なら私の力で救う事が出来る! そうです! このドレスはアンネリーゼの魂と私の想いが一つとなって新たに生まれ変わったのです!!」

 サーシャの締めと共に流れる演奏が激しくビートを刻んで終わり、辺りは静寂に包まれる。

「以前より私には一つの想いがありました」

 突然サーシャは声のトーンを落とし喋り出した。
 観客達はその言葉に皆首を捻っている。
 一つの思いとなんなのだろうと、サーシャの言葉を待っていた。

「私が作ったドレス達。皆様はこぞって買ってくれます。それはとても嬉しい事です。ですが、その殆どは一度着たらもう着て貰えない。それは私にとってとても悲しい事なのです」

 再び楽団による演奏が流れ出した。
 今度は少し寂しいメロディラインの曲だ。
 その音色に触発されたのか、夫人達の心に悔恨の文字が浮かぶ。
 それはサーシャの言葉によって、自らの後ろめたい過去を掘り起こされたからだ。

 確かにそうであった。
 どれだけ素晴らしいドレスであろうと、一度袖を通せば興味は尽きる。
 貴族はそんな見栄を張って行く事こそ美しい姿。
 それが貴族夫人のステータスと思っている者は数多いのだ。
 爵位の低い者等は金銭的理由からそう言う訳もいかない者も確かに居るが、それは周囲より笑い者にされ、夫人達のヒエラルキーの最下層に位置付けされた。

 しかし、昔はそうではなかった。
 昔と言ってもそう遠くない過去。
 この場に居る多くの者の間では当時の事をいまだ忘れ得ぬ悪夢として覚えている。
 『四英雄』の働きによって今の平和な時が訪れる前の事だ。
 戦乱の最中、そんな事で見栄を張る者は非難されて然るべきとされていた。

 貴族が見栄を張る時は、国の未来を謳う時。

 それこそが王国貴族として美しい姿だったのだ。
 暫しの平和な時代によって、美しさが醜く変貌してしまった。
 皆はその当時を思い出し、今の愚かな自分と照らし合わせ愕然とした。
 その時、周囲の演奏が優しい音色の調べに変る。
 それに気付いた皆は顔を上げてサーシャに目を向けた。

「ローゼリンデは同じドレスをずっと着ていました。これは何も恥知らずな訳じゃない。買えないお金がない訳ではない。その想いは今や皆の知るところとなりました」

 そう、その想いは知っている。
 皆はその言葉に頷いた。

「そして、ローズのドレスを直している時に、そのドレスから声が聞こえて来た気がしたのです。『私を生き返らしてくれてありがとう』と。それはどこか懐かしく、とても優しい声でした」

 皆はその声の主が誰なのか気付いた。
 それは、そのドレスの元の主であるアンネリーゼではないのかと。
 ドレスに宿った彼女の魂が親友に礼を言ったのだ。
 皆の目から涙が零れ落ちる。

 ローズはと言うと『実際に直してたのは職人さんって言ったらダメなのよね? そりゃデザインの指示はしていたけど。私の噴出したお茶でびしょ濡れのままで』とノリノリなサーシャにツッコミを入れていた。
 勿論心の中で。

「その時、私の中の一つの想いが形となったのです。皆様! こちらを見てください!」

 そう言ったサーシャは、舞台の奥の壁に向けて身体を翻す。
 それと共に演奏の曲調が激しくなり、舞台を照らしていたスポットライトが全て舞台奥の壁に集まった。
  そして、荘厳な盛り上がりと共に演奏が締められあたりに静寂が広がった。

「サーシャンズコーデ……リデザインズ?」

 照らされた壁には大きく垂れ幕が下がっていた。
 そして、そこに書かれていた文字を観客である夫人の一人がポツリと読み上げる。

「そう、これが私が想い描いて、ローゼリンデとアンネリーゼのお陰で形となった結晶! 我がブランドサーシャンズコーデの新しい形なのです!」

 その言葉と共に会場の明かりが一斉に点き辺りが光で満たされ、急に明るくなった為、その眩しさで皆の目が眩んだ。

 『ぐわっ! 眩しいっ! 今度は急に明かりが点くなんて一体どうなってるの?』

 真っ白な視界の中、ローズはこの会場の明かり事情に文句を言った。
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