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第三章 絶対に負けないんだから

第56話 どうしてこうなった

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「皆さま、先程はお騒がせして申し訳ありません」

 ローズはそう言って頭を下げた。
 辺りにどよめきが上がる。
 このローズの行動にフレデリカとオーディックを除くこの場の全ての者が目を疑った。
 フレデリカは出立の日以降幾度と無く見た光景なので慣れたもの。
 更に打ち合わせも無く自分の策に気付いてくれた事がとても嬉しいと、ローズの心と分かり合っている事実に至上の喜びを感じていた。
 オーディックにしても今のローズならこうするだろうなと、少し困った顔で頭を下げているローズの姿を眺めていた。
 二人にはこの行動の意味が分かっていたのだ。

 しかしながら、出立の日に会って以降のローズの行動に関して噂でしか知らぬベルナルドは、先程の騒動もそしてローズの行動も全く分からず、まるで悪夢を見ている錯覚に陥る。
 いや、もしかしたら本当に夢を見ているのではないだろうか?
 ベルナルドは思わず頬を抓るが、その痛みがこれは現実であると伝えて来た。
 ローズを襲う暴徒の群れ。
 しかもそれは自らの派閥の夫人達なのだ。
 混乱のあまりその者達を暴力にて制圧しようとしてしまった。
 もしそうなってしまっていたら……、考えただけでも恐ろしい。

 ただずっと悩みのタネだったわがまま三昧だった曾姪孫が、やっと一人前の貴族としての第一歩を踏み出した事が嬉しかったのだ。
 しかも、姪孫が枕元に立って正しき道を示したと言うではないか。
 それが、とても嬉しくて本当に嬉しくて、なにか曾姪孫の助けに慣れる事はないかと、この舞踏会を計画したのだ。
 勿論だが麗しくも素晴らしい何処に出しても恥ずかしくなくなった曾姪孫を自慢したいと言う気持ちが有った事は間違いない。
 しかし、しかしだ。
 どうしてこうなった? 一体何が起こったと言うのだ?

 ベルナルドは武官として混沌たる戦乱の世を駆け抜け、それも終わり平和な世となってからも策謀渦巻く貴族社会を生き抜いて来た。
 そんあ激しくも輝かしいまでに過ぎ去った今までの人生を振り返っても、先程起こった様な悪魔のサバトの如き場面に出くわした経験など無かった。
 まさに悪夢としか言いようが無い。

 それ以上に分からないのは、曾姪孫の態度だ。
 以前なら怒り狂っていただろう。
 取り囲まれた時点で夫人達に暴言を吐いてもおかしくなかった。
 そうなっていたら売り言葉に買い言葉でもっと酷い惨劇となっていた筈だ。
 雰囲気に呑まれて怖がっていたから何も言わなかった?
 いや、自分が武力を以て夫人達から救い出そうとした時に見せた目は恐怖に脅えていた者のではなかった。
 手を出さなかった最大の理由は、その曾姪孫の目が自分に冷静になれと訴えていたからに他ならない。
 そこで自分がしようとしていた愚かな行為に気付く事が出来たのだ。

 だが、『神童』の機転によって助かったとは言え、その後取った態度は理解の範囲を超えている。
 殺されてもおかしくない目に遭ったのだぞ?
 しかも、それは派閥の舞踏会で自分より身分の低い夫人達の手によるものなのだ。
 なによりそれは、その者達の勘違いが原因だと言うのに!
 元の曾姪孫では無くとも激怒して当たり前だろう。
 全員死罪にしろ喚き散らしても、それをこの場で咎める者など居ない。
 実際に被害が無かったので死罪になる事はないだろうが、曾姪孫が訴えれば最終的に廃爵処分になる者も多く居る筈だ。
 それ程までの狼藉、序列による秩序にて国が動くこの世では許されざる大罪なのである。
 被害無く事態が終息した今でさえ、この不祥事を起こした責任を自ら取らねばなるまい事は覚悟をしている。
 
 それなのに!

 それなのにだ、何故曾姪孫はその者達に頭を下げているのだ?
 分からない、もしかして曾姪孫は頭がイカレてしまったのだろうか?

 ベルナルドは、ローズの取った態度の意味が分からなかった。
 だから、低い身分の者に頭を下げているローズに腹が立ち、思わずその下げている頭を無理矢理上げようとして手を伸ばした。

 だがしかし、ベルナルドの手はローズの元に届く事は無く、虚空を掴むように握ると自らの元に戻し、姿勢を直した。
 なぜならローズの頭を下げている後姿に見覚えが有る事を思い出したからだ。

 勿論こんな状況が他にある訳が無い。
 その後姿の理由もシチュエーションも違う。
 ただ、その事を思い出すと不思議と曾姪孫の行動も理解出来る気がした。
 そう、全てを許し包み込むあの優しかった姪孫アンネリーゼの事を。
 ベルナルドはローズが頭を下げた理由をやっと理解する事が出来た。


「そんな、ローズ様は何も悪くありません。全ては私共が悪いのです」
「そうです。そうかお顔を上げて下さい」

 夫人達共々その夫達までローズに顔を上げるように懇願する。
 その声を受けてやっとローズが顔を上げた。
 その表情は本当に申し訳無いと言う風に、眉を下げ口をキュッと閉じている。
 その表情に貴族達は胸が締め付けられた。

「私がキチンと皆様に説明しなかったのが悪かったのです。それどころか何処か驕りが有ったのでしょう。破れたドレスが再び息を吹き返した喜び、そしてそれがサーシャンズの手によるものなのですから、つい皆様に気を持たすような態度に繋がったのです」

 ローズが謝罪の理由を述べる。
 それは、説明不足だった事。
 ドレスが修繕されて嬉しかった事。
 それを自慢したかった事。
 しかもそれは皆の羨む職人の手によるものだった事への優越感から来る驕りだったと言う事。

 夫人達は理由を語るローズのいじらしさに胸が締め付けられた。
 もし自分の立場だったなら天にも昇る様な気持ちとなって、周囲の夫人達にこれ見よがしに嫌味たらしく自慢をしていただろう。
 それなのにローズ様は先程ご自身で奢っていたと言葉に述べられていたが、そんな態度はまるで無かったではないか。
 それどころか、隠そうとすらしていた様に思う。
 迂闊にもこちらがそれを指摘してしまったから、嘘を付く訳にもいかず正直に話したのではなかったか。

 そうだ、伯爵家名代として人前に立つ立場となられたローズ様。
 この様な公の場にて、嬉しいからと言って下の者共に大っぴらに自慢する様な下品な真似などする訳にはいかないのだ。
 よく見たらデザインこそ最新鋭のサーシャンズであるのだが、そのドレスの生地自体は新品ではなく少しばかり時代がかった年代物。
 そう言えばいつもローズ様がいつも舞踏会でお召しになっているお気に入りのドレスの原形が見て取れる。
 わがままで飽きっぽいローズ様だが、ドレスに関してはいつも同じその古いドレスしか着て来ない。
 何か特別な想いが込められているドレスではないのか?
 もしかすると、それはローズ様の母であるアンネリーゼ様の形見では……?
 
 夫人達、それにその夫となる貴族家当主の者達、それだけではない。
 それ以外のこの場に居る貴族達も同じ結論に達した。

 『あぁ、ローズ様は奥ゆかしくも清廉な貴族として、なんとご立派になられたのだろうか! それに比べて自分達はなんと浅はかで愚かなのだ!』

 出立の日、心を入れ替えた場面を見た者もいまだに上辺だけと思っていた。
 噂でしか聞いていなかった者などは、伯爵と言う後ろ盾が無くなるローズを守る為の作り話と思っていた。
 この舞踏会だけでも見栄えだけ立派な貴族令嬢として振舞うつもりなのだろうと思っていたのだ。

 それは間違いだった。
 かつての悪辣非道なわがまま小娘はもう居ない。
 今目の前に居る美しい女性は、救国の英雄ローデリヒ=フォン=シュタインベルク卿の末孫にして前大戦を終結に導いた四英雄の一人であるバルモアを父に持ち、今は天に御座す『慈愛の聖女』アンネリーゼ様の忘れ形見であるローゼリンデ=フォン=シュタインベルク伯爵令嬢なのだ。

 それを自覚した途端、激しい罪悪感が皆の心を襲った。
 先程はただ単に上の爵位の者に無礼を働いたと言う事への後悔だ。
 しかし、今皆の胸を穿つ痛みはローズと言う女性に対して行った非道に対してのものだった。
 なんでこんなに素晴らしい方の事を訝った目で見てしまったのだろうか。
 今目に映るローズはまさに英雄バルモアの持つ覇気、そして聖女アンネリーゼの慈愛を併せ持つ輝きを放ってるではないか!
 それを見抜けないとは……。

 皆は長い貴族生活よって掛けられていた色眼鏡の所為で曇ってしまった自らの目に絶望した。
 自分達はこの様な方の慈悲を受けるに値しない。
 許しを請うなど以ての外だ。
 そう思った貴族達は自分達より厳罰の嘆願を申し出ようとする。

 しかし、もしかして心を読まれたのか?
 ローズはすっと手を上げ、自分達が今まさに喋ろうとするのを制止させる素振りを見せた。
 そして、その顔には聖女の微笑みが浮かんでいる。

 本当に心を読んだのだろうか?
 自分達が厳罰によって裁いてくれと言おうとした事が分かっていたのだろうか?
 そして、この後ローズ様の口から溢れ出るであろう言葉は、現在頭の中に響いてる神に縋る想いから来る卑しい妄想ではないのではないだろうか?
 そう、ローズ様はこう言うのだ。
 慈愛の笑みを浮かべ『貴方達の罪を許します』と。


「皆様方、その様な顔をしないで下さい。私は貴方達の罪を許します。皆様方、あまり自分達の事を責めないで下さいね。あれは夢魔が見せた泡沫の夢、悪夢みたいなものですわ。無事に終わりましたのですもの、今日は待ち望んだ舞踏会。さぁさ、皆様微笑んで下さいまし。舞踏会を楽しみましょう」

 ローズからもたらされた言葉は卑しき妄想の言葉と一緒でいて、更に優しい想いが込められた物として皆の心に届いた。
 罪を問わないだけでもお優しいのに、死する事すら有り得ていたあの騒動をただの悪夢と切り捨て、御身に危害を加えようとした自分達と共に舞踏会を楽しもうとなされている。
 どこまでお強いのだ、どこまでお優しいのだ。
 貴族達は皆涙を流しながらその場で跪き、ローズに対してまるで神に祈りを捧げるかのように胸の前で手を合わせる。


「ちょっ、ちょっと皆様。何をなされているのですか? お止めになって下さい!」

 突然の皆の態度にローズは焦って止める様に言った。
 ローズは折角フレデリカが仕掛けてくれた策なのだからとご相伴にあずかっただけで、こんな状況は想定外だった。

 『何でこの人達私を拝んでるの? いや、なんかとっても怖いわ』

 と、涙を流しながら瞳孔が開いた眼で必死に祈りを捧げて来る貴族達の不気味さに若干引き気味であった。
 ただ単に皆と仲直り出来たら良いな程度にしか考えておらず、過去の経験上少しでも自分に痂疲が有る場合は自分から謝った方が話が早いと言う処世術によるもの。
 相手が反省している素振りを見せている時に、その責を追及しても禍根が残るだけ。
 喧嘩両成敗ではないが、お互い非を認めて謝った方が仲良くなれるものだ。
 そう思っていたのに……? と、ローズは顔は聖女の笑みのまま心の中ではこの事態に首を傾げていた。

 しかしながら、これは仕方の無い事だった。
 ローズは貴族のマナーを学びはすれど、貴族社会の思想については知らなかった。
 しかも、ここは現代ではなく階級が絶対の封建社会であると言う事を。
 言葉では知っているが実感は無かった。
 下の者が上の者に盾突くなど以ての外、公の場で悪口を言うだけで罪となる世の中だ。
 特にローズの中の人である野江 水流は高校時代だけでなく教師として母校に舞い戻ってからも、絶対的権力を持った創始者一族に幾度か生徒会長として、そして教師として生徒の権利を守る為に盾突いて来た過去が有ったので、そこら辺の意識はかなり緩い。
 想定では先程のセリフを言ったあと、皆で笑いながら舞踏会が始まるものだと思っていた。

「どうしてこうなった?」

 ローズは顔を引き攣らせて自身にとって悪夢の様なこの状況にポツリと呟いた。
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