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第三章 絶対に負けないんだから

第43話 慟哭

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「カナン様ですか……。いえ、ここに奉公に来てから何度か顔合わせする機会は有ったのですが、昔遊んだと言っても、本当にカナン様が幼い頃の事でしたので、今では私の事など覚えておられないご様子でした」

 その答えになるほどと、ローズは呟く。
 カナンが覚えていないと言う設定ならば本人に確かめようがない。
 ローズはうまく逃げたなと心の中で唸る。
 だが、今の言葉でカナンが物心付く前の約12年程前と言う事が推測出来た。

「ただ……」

 在籍期間の終わりが絞れた事でまずは良しとするかと、ローズが思っていたところにエレナが何やら後に続きそうな言葉を少し弾ませた声で発した。
 どういうことだ? と、エレナの表情を確認すると、その語尾通りに少しはにかんだ顔をしている。
 悪だくみの顔ではない、本当に嬉しそうな顔。

「えっと、『ただ』どうしたの?」

「いえ、昨日の事なのですが、お屋敷での舞踏会の準備中に、カナン様がお声を掛けて来られたのです。どうやらテオドール様からのお手紙に私の事が書かれていたらしく、『これからよろしくね』と言って頂けました。と言いいましても、私の事を思い出したと言う事は有りませんでしたけどね」

 少し恥じらいながらエレナはそう言った。
 その仕草にローズは言葉を失う。
 一応、その事は予測はしていた。
 テオドールからの紹介と言う事でこの屋敷に来たのだから、何らかの連絡がカナンの所に届いてもおかしくないと思っていたし、その言質を取れた事に納得もしている。
 まぁ、カナンがこの屋敷に来ている事をテオドールが知っていたと言う事には少し驚いたが、大切な跡取りなのだから、どれだけ兄が気に食わないと言う気持ちが有ったとしても、どこぞで遊び歩いて危険な目に遭わないかと心配をするより、親族の家に入り浸る方が安心出来ると言うのが親心と言う物だ。
 それに、ゲームと違う出会い方なのもこの際目を瞑ろう。
 隠しルートと言う事ならば、主人公が受け身状態での異なる出会い展開は起こっても不思議ではないし、出会いの辻褄を無理矢理合わせようとするシナリオの強制力によるものと言う事だって考えられるからだ。

 だがしかしっ!

 そう、だがしかし、その恥じらう表情。
 ローズは、そのエレナの恋に恋する乙女の様な振る舞いに怒りの炎を燃やす。

 『この泥棒猫め! カナンちゃんの社交辞令をそのまま受け取っているんじゃないわよ!』

 つい最近周りから同じ指摘を受けていた事を棚に置いて、心の中でそう叫ぶローズ。
 そして、ローズは少し焦っていた。
 何故かと言うと、今目の前で繰り出されているエレナの恥じらい姿は、同じ女性の身であれどとても可愛くて庇護欲をそそられてしまったからだ。
 恐るべし、ステータスカンストの無敵主人公!
 もし、この表情と仕草を他のイケメン達の前で披露されてしまうと、皆一発でエレナに恋してしまうのではないか? とローズはその破壊力に戦慄した。

 『おおおおお、落ち着きなさい私! と、兎にも角にも情報収集が大事だわ。少しでも主人公攻略の糸口を見付け出さないと』

 無敵主人公の圧倒的戦力差に少し心が折れそうになりながらも、何とか心を落ち着かせたローズは、気を取り直して情報収集を再開する事にした。
 ここまでは完璧な説明だ。
 演技の上手さも相まって、理論の破綻が見付からない。
 いや、裏事情を知っている身としてはそれらが作り話だと言う事を知ってはいるが、この世界の住人を演じている以上、それを指摘する事は出来ない。
 しかし、少なくともテオドールからの紹介は事実で有るだろうし、カナンはテオドールからの手紙でエレナを知っていると言う。
 勿論、本来この屋敷から来るべき別の者を襲い紹介状を奪い取って掏り替わった、とかなら話は別だが……。
 さすがに目の前の可憐な少女がそんな武闘派には思えない。
 
 ともあれ、カナンと既に出会い済み、しかもカナンの幼馴染属性まで獲得してしまった。
 本当に主人公を敵に回すと恐ろしいと、ローズは思う。
 
「えぇと、この屋敷に来たと言う事はお母様はどうなされたの? 誰かが面倒を見てくれているのかしら?」

 現在穿つ事の出来る隙は一つ。
 先程の話では、エレナには病に伏している母が居る設定なのだ。
 そこから何か矛盾が発生しないかと思い、今その人はどうしているかを尋ねる事にした。
 薬を買うお金を稼ぐ為にこのお屋敷に来たと言う理由ならば、そのお金を立て替えてやればいい。
 『このお金で薬を買って、早く母親の元に戻ってあげて』と言えば、ここに居る理由はなくなるだろう。
 我ながら良い案だと思ってエレナからの回答を待っていたが、一向に返って来る気配が無い。
 不思議に思いエレナの様子を伺うと、何やら肩を震わせながら俯いていた。

「え……っと、どうしたの?」

 その尋常じゃない雰囲気に悪い予感がした。
 もしかして? と言う思いに罪悪感が心に広がる。
 『いや、そんな筈はない、これは演技だろう』
 そう思おうとするが、その悲痛な姿はとても演技には見えなかった。

「母は……、死にました」

 予想通りの最悪の答え。
 それは迫真の演技じゃなかったら、今度こそ吹き出していただろうと思える程の『べたべたな展開』だ。
 あまりにも有りがちな設定な為、逆に嘘臭過ぎてそんな展開は敬遠するだろうと考えた自分の愚かさに嘆く。
 策士、策に溺れるとはこの事だと、自嘲を込めた空虚な笑いが心の中を木霊した。
 前世はとても有名な大女優だったのだろうと、少しでも気を紛らわせる為に、心の中でエレナの事を茶化した。
 そうしなければ飲み込まれそうな程の空気を、エレナは醸し出していたからだ

「そ、それは、ごめんなさい。悪い事を聞いたわね」

「い、いえ、良いんです。もう半年も前の事なので」

「あ、あの……、テオドール叔父様は助けてはくれなかったの?」

「元使用人と言えども、辞めた人間です。おいそれと領主様にご助力を願えません。それに町の人から良くして頂いて何とかなってはいたんです……。けれど、昨年の厳冬の所為で、寒さから一気に病が悪化して……。お医者様を呼ぼうにも連日の猛吹雪でそれも叶わず……。うっうぅぅ」

 これは本当に演技なのか?
 頬を伝う大粒の涙、それに心の奥からの悲しみの慟哭。
 迫真なんて言葉ですら生ぬるい。
 それに、確かに去年は歴史的猛寒波がこの国を襲って各地の農作物に被害が出たとフレデリカの授業でも聞いていたし、エレナが語ったような悲劇が何処かで起こっていたとしても不思議じゃない。
 ローズは目の前のエレナの泣いている姿をただ茫然と眺める事しか出来なかった。

「……その後、町の人の助けも借りて何とかお葬式も終わったのですが、だからと言って天涯孤独な私には行く当てなど何処にも無く、母の遺言に従ってテオドール様のお屋敷で雇って貰えないかと領主館の門を叩いた次第です」

「そ、それじゃあ、なぜこの屋敷に?」

「……テオドール様のお屋敷には残念ながら空きが無く、今は私を雇えないと言われました。ただ、身寄りの無い私を不憫に思って下さったのか、テオドール様はご自身の兄であるバルモア様への紹介状を書いて頂けたので、ここに奉公させて頂く事になりました」

「そうだったのね……」

 もうローズは演技だろうがどうだろうが、どうでも良くなってしまっていた。
 元来こう言うお涙頂戴物な話は大好きであったし、感動物の映画を見ようものなら涙を拭く為にエンドロールの頃には箱ティッシュを空にする程の泣き上戸であったのだから、今のエレナの身の上話はクリティカル過ぎたのだ。
 居ても立っても居られなくなったローズは、思わずエレナに元に駆け寄る。
 そして……。

「え? お、お嬢様……な、なにを?」

 エレナはローズの取った行動に戸惑い驚きの声を上げた。
 それは仕方がない。
 なにしろローズは、エレナを強く抱きしめたからだ。

「なんて可哀想なの!」

「お、お嬢様!」

 ローズは相手が敵だとかそんな事を忘れて、自らも涙を流しながらエレナを力いっぱい抱き締める。

「あなたはここに居ていいのよ。もう一人じゃないわ」

 自分で何を言っているのかを理解しておきながら、後悔の感情は沸いて来ない。
 ただ『くそーー! してやられたーー!! けどエレナもブラボーだったわ』と、エレナの演技に感動してしまった自分に呆れながらも、まるで観劇後のスタンディングオベーションをしている気分に浸っていた。

 完全敗北だ。

 『まぁ良いわ、その素晴らしい演技力に免じて、第二戦はあなたの勝ちにしといてあげるし、この屋敷にも置いてあげる。けれど次は負けないわよ。カナンちゃんだけじゃない。誰もあなたに渡しはしないんだから』

 昨日の敵は、今日の友とでも言おうか、剣道少女な体育会系のさっぱりした性格だった元の世界の野江 水流は、一昔前の青春漫画の主人公のような思考の持ち主で、死力を尽くして戦った相手には敬意を表してライバル親友認定をしてしまう癖が有った。
 その癖の所為で、エレナにそのライバルの称号を送ってしまったローズ。
 相手が自らの立場を崩壊させる存在だと言う事も忘れて……。

「え、え、お嬢様? は、離れて下さい」

「いーーえ、離さないわ。あなたはこの屋敷の一員。もう家族みたいなものだもの」

 これも野江 水流の悪い癖だ。
 彼女は皆との和気あいあいな時間が大好きで、誰とでも仲良くしようとしてしまう。
 そして一度仲良くなれば、それはもう家族同然として接してしまうのだった。
 それはライバル親友だろうと同じ事。
 心の壁を作ってしまう人達からすると相当うざい性格と言えよう。

「……家族?」

「え?」

 エレナが家族と言う言葉に反応した。
 その声は先程までの感情が籠ったものではなく、まるで棒読みのように感情と言う物が一切消え失せた声だった。
 突然のエレナの急変に、今の今まで感動して沸き立っていた心が、まるで寝起きに冷水をぶっ掛けられたかのように、一気に覚める。

「……だ……が」

「ど、どうしたのエレナ?」

 黙っているかと思ったら、どうやらエレナは微かな声で何かをブツブツ言っているようだった。
 一体なんだろうと、尋ねながら耳を澄ます。

「……だ……れ……が」

 だ……れ……が? 『誰が』?
 どう言う事だろう、意味が分からない。
 ローズは混乱する。 
 もう一度問いかけようとした途端、突然エレナは思いっきりローズを押し除けて後ろに飛び跳ねた。
 その行動の意味も分からない。
 もしかして、強く抱き過ぎた所為で体が痛かったのだろうか?
 この期に及んで相手の事に気付かうローズ。
 エレナはわなわなと震えていた。
 また前髪で目が隠れてしまっている為、表情を窺い知る事が出来ないが、その身から立ち上る気配には怒気を孕んでいる様に思える。
 そう言えば初めて会ったあの時も、『家族』と言う言葉に反応していたか? と、ローズは二人の出会いの時の事を思い出した。

「誰がっ!!」

 突然エレナは大声を上げた。
 部屋中に響き渡る絶叫にも似た魂の慟哭と言うべきか。
 叫んだ際に頭を振り上げた事により、前髪が舞い両目が露わになる。
 その両目には激しい憎悪の光が色濃く浮かんでいた。
 何故そんなに敵意を向けてくるのか、何故そんなに激しい怒りで身を焦がしているのか、ローズには分からなかった。
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