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第三章 絶対に負けないんだから

第41話『聖女の如き悪役令嬢』

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「も、申し訳ありませんお嬢様。もう剣の練習に出掛けられたと思い、ベッドメイキングの為の替えのシーツをお持ちいたしましたのです」

 突然の主人公出現に動揺するローズに対して、ここに居る理由をそう答えるエレナ。
 目が隠れる程の前髪の所為で表情がよくわからない。
 ただ、エレナ自身も思っていたのと違うとでも言うような少々焦っている感じにも見て取れる。
 それも勝手な憶測なので、あまりにも大きな声を上げて驚いてしまった為、それにびっくりしただけなのかもしれない。

 『取りあえず落ち着かないと。このままじゃまずいわ。私が気になっているって事を知られてしまった訳だし。えーーと、まずは状況整理よ。エレナがここに居る理由だけど、ベッドのシーツを替えに来た……。うん、なるほどなるほど。……じゃないっ!』

 ローズは動揺するあまり、一瞬エレナの言葉を信用しそうになった。
 しかし、今まで朝練中にベッドメイキングをされた事はなかったし、その作業もフレデリカが自身で行っていたのだ。
 朝練中にベッドメイキングがされない理由は、ただ単に最近はフレデリカも『思った以上に無防備なお嬢様の貞操を危険から守る為に』と、朝練に同行する様になっているからである。
 それに、ゲーム中でもエレナがローズのベッドメイキングを行うシーンは出て来なかった。
 ゲームが開始した今、この言葉は頭から信じていいものじゃない。

 それよりも、そろそろフレデリカが迎えに来る時刻なのに、なぜフレデリカより先にエレナがこの部屋に来るのだろうか? それともこれも隠しルートの所為だろうか? と、答えの出ない問答を頭の中で繰り返す。
 だが、このままでは埒が明かないし、動揺したままでは怪しまれてしまうだろう。
 取りあえず何かを言わなければと、ローズは口を開いた。

「そ、そうなの? 誰も居ないと思っていたものだから、少し驚いたのよ。それよりフレデリカはどうしたのかしら? いつもはフレデリカの仕事だったと思うのだけど」

「あぁ、その事でしたらフレデリカ先輩に頼まれたのですよ。なんでも今日はお嬢様が旦那様の名代として舞踏会に出席されるのでその準備に忙しいからと、お願いされました」

「あっ、そうなの……」

 怪しくて色々とツッコミたいが、実際に昨日のなんちゃって舞踏会の後片付けや、『心を入れ替えたローズ』作戦の本番である派閥の舞踏会出席準備で忙しいと、実際にフレデリカは愚痴っていたのを聞いている。
 問い質す訳にもいかないので、ローズはただ了解の言葉を述べる事しか出来なかった。

 『う~ん、フレデリカがエレナにこんな仕事を回す筈はないと思うのだけど……。もしかしてスパイ疑惑が晴れたのから? それとも……、もしかしてゲームシステムに取り込まれた……とか? そんなっ! 早くフレデリカに会って確かめないと! それにはまずこの場を乗り切るしかないわね。直接対決の第二戦開始よ』

 ローズは気を取り直し、突如始まった主人公との直接対決に勝利すべく作戦を練った。
 攻撃のイニシアチブを取り返す為の手として、ローズはまず状況の確認をする事にする。

「それよりノックが聞こえなかったのだけど、勝手に入ってくるのは感心しないわ」

 作戦を考えている内に『そもそも使用人が主人の部屋に無断で入ってくるのはどうなの?』と言う疑問が湧いて来たので、エレナに対して攻撃第一段とばかりにそう尋ねた。
 確かにこれはかなり不敬な事である。
 理由も無く無断で入って良い場所ではないだろう。
 すると、思った以上に効果があったのか、エレナはこの言葉に明らかに動揺しだした。
 相変わらず目が隠れているので表情は読み辛いが、それでも分かるくらいの驚きようだ。
 もしかしたらエレナは、ゲームと違う行動をした事で何らかの不具合が発生するのではないかと言う事にビビっているのかもしれないと、ローズは推測した。

「あ、あの、一応ノックはいたしました。ただ、返事が無かったものですから、もう部屋をお出になられたのかと思い、勝手に入ってしまい申し訳有りません」

「え? 本当? 聞こえなかったわ」

「は、はい。私もてっきり居ないものと思っておりましたら、クローゼットの陰にお嬢様が居られまして驚いた次第です。しかしながら、ずっと考え事をされておりましたので、私の存在にも気付かれないご様子でした。その為、邪魔したらまずいと思いまして一旦お部屋から出ようと思った際に、お声を発せられましたのでつい答えてしまったのです」

 それは完璧な回答だった。
 ローズは、このエレナの言い訳に反論出来ずにいた。
 確かにここからはクローゼットの開いた戸が邪魔で部屋の入口が見えない。
 それに深く考え事をしていた所為で、扉が開く音もエレナが近くに来ていた事も全く気付かなかった。
 エレナの言う通りノックしたのを聞き逃した可能性も否定出来ないだろう。

「そうだったの、ごめんなさいね。少し考え事をしていた……あっ」

 ローズは、その『考え事』の理由を聞かれていた事を思い出した。
 その事に『しまった! 』と心の中で地団駄を踏む。
 せっかく攻撃のイニシアチブを掴み掛けていたのに、これでは何も出来ないまま相手に攻撃のターンを贈呈してしまったのと同義だと激しく後悔した。
 相手もその事に気付いたのだろう。
 先程までの焦っていた雰囲気は消え失せ、急に余裕有る態度に変わった。

「何やらお嬢様は私の事を考えておられたようですが、何をそんなにお気にされていたのですか? 何かお気に召さない事が有りましたでしょうか?」

 ローズの予想通り、そう尋ねてくるエレナ。
 言葉自体はメイドが主人に自分の仕事振りに落ち度が無いかを尋ねると言うごく普通のもの。
 しかし、その口調はそんなかわいい物ではなかった。
 まるでコールタールのようにねっとりと絡みつく口調で、明らかにローズを煽る意図を感じる。
 恐らく、それによってこちらがどう反応するかを窺っているようだと、ローズは思った。

 『下手な事は言えないわ。転生者とバレる事だけじゃない、フレデリカのようにスパイと疑っている事もそうね。どちらも知られちゃったら、どんな手段を取ってくるか分からないわ。既に周囲の足場固めを始めているのだもの、本格的にイケメン達の攻略を始める事だって考えられる』

 なんと言っても、相手は自分と同じこのゲームの完全制覇者である。
 イケメン達の攻略法は周知で有るだろう。
 もしかしたら、自分がなかなか攻略出来ずにクリア回数を闇雲に重ねていたオーディックの攻略法だって把握しているかもしれない。
 ゲームを通じてイケメン達の弱点を知っている以上、幾つかのイベントをすっ飛ばしても攻略は可能だろう。
 何しろゲームと違いイベント発生をただ待つ必要もなく、自由に動けるのだから。
 それに関しては自分も既にイケメン達に対して色々と試してきたので、多少なりとも効果が有る事は知っている。
 しかも、目の前の相手は、主人公本人なのだから、自分の様に悪役令嬢よりもその効果は抜群な筈だと、ローズはゲームの枷から解き放たれた際の主人公への恐怖を想像し戦慄した。

 『だからこそ、エレナには今の現状を自身が知らない隠しルートと思い込ませ、『伯爵死亡』イベントまで下手に動けない様に行動を縛っておく必要が有るわ』

 ローズは、『あたし幸せ計画』改め、ありもしないメイデン・ラバーの隠しルート『聖女の如き悪役令嬢』編を敢行すべく作戦を練る事にした。
 ローズは、まずプレイヤーとして嫌と言うほど味わったローズの悪役令嬢振りとのギャップを刻み込み、エレナを混乱させる事を考えた。

「いえ、ほら私達の出会いって、少しばかり騒がしくて、あなたの事を怖がらせてしまいましたでしょ? だから気になっていたのですよ」

「あぁ、その事でしたか、はい、あの時お嬢様に執り成して頂いたお陰で皆様にはよくして頂いております」

 ローズはエレナの回答に、心の中であの時庇わなければ良かったと舌打ちをする。
 折角のエレナをバッドエンドに叩き込む機会を自ら潰してしまった事を改めて後悔した。

「そうですか、それは良かったわ」

 怒りを表情に出さないようにと、必死になりながらなんとかローズはその言葉を言う事が出来た。
 エレナはその言葉を笑顔で受け止める。
 しかし、何やらただの笑顔ではなく少々口角を上げている事にローズは気付いた。
 それはまるで『引っかかったな』とでも言いたげだ。
 なにか失敗したのかとローズは焦った。

「そう言って頂けるととても嬉しいです。けど、先程『』と仰られていましたようにお聞きしましたが、その事のどこが不思議だったのでしょうか?」

「うっ」

 『謀られた!』と、ローズは心の中で叫んだ。
 恐らくこれはあえて先に無難な質問で回答を誘導させて、その後に本題をぶつけ言い訳を封じる作戦だったのだ。
 やばかった、一瞬でも口角が上がっている事に気付くにが遅れていたら、実際に声に出してたかもしれない。
 ローズはそんな自分のギリギリのファインプレーに自ら賞賛の声を掛けた。
 勿論心の中で。

 『ナイス私! 高校時代くぐって来た数多の修羅場のお陰よね。しかし、エレナの奴め。敢えて本題をずらして、こんな引っ掛けをして来るなんて性格悪いわ』

 心臓がバクバクと言いながらも返す言葉をローズは考えた。

 『相手に不審に思われない範囲で不思議と思ってもおかしくない事……、あっ!』

 そうだ! とばかりに、ローズは反撃の糸口を思い付いたので、それを言葉に纏めた。

「いえ、フレデリカが貴女の事を褒めていたのよ。何でも我が家が初めての職場だと言うのに、とてもよく働いてくれているって」

「そんな、フレデリカ先輩ったら、そんなに私の事を褒めていらっしゃったのですか?」

 まずは撒き餌とばかりにエレナを褒める。
 フレデリカは怪しい理由でそう語っていたが、褒めている事には変わりない。
 エレナは、ゲームのお助けキャラであるフレデリカが『ゲーム通り自分の味方』をして褒めていた事を知って油断したのか、回答になってないこの言葉に嬉しそうにしている。
 よしよしと、ローズは次の作戦を仕掛けた。

「ええ、本当に『』とは思えないって」

「うっ」

 この言葉に、今度はエレナが変な声を漏らし押し黙る事となった。
 明らかに焦っているようだ。
 ローズは作戦の第一段階が成功した事に心の中でガッツポーズをした。

「以前、執事長から聞いた事が有るのですが、伯爵家のメイドはとても高い技能が必要との事で、誰でもなれるものじゃないらしいですね。それを不思議と思ったのです」

「うぅ……」

 この事に関しては、エレナが何かを失敗する度に発生するミニイベント『執事長からのお小言』定番文句だった。
 周回を重ね能力値が高くなってからは発生しなくなるのだが、ゲーム開始初期の貧弱ステータスの頃はローズ叱咤イベントの次に多く発生するイライラなミニイベントだ。
 『お前のような半端者が務まる職場ではない! 伯爵家のメイドたる者、高い技能が必要なのだ』
 この言葉に何度『このもやし爺』と叫んだことかと、ローズは少し懐かしくその時の事を思い出す。
 相手もプレイヤーならこの事は百も承知の筈だ。
 どう言う事情かしならいが、ドジな主人公設定に有るまじき行動をした自分に後悔するがよいと、ローズは心の中でほくそ笑む。

「どこで、その技能を覚えたのかしら。よろしかったら語って下さる?」

 『敵を知り己を知れば百戦殆うからず』と言う言葉も有るように、エレナの事を知っておく必要が有るだろう。
 このゲームに関しては、自分より周回が少ないエレナの方が上手だとしても、所詮ゲームである。
 だが、口喧嘩においては自分の方が一枚上手。
 元の世界では、数々の危ない橋、生徒会選挙での対立候補とのディベート合戦などを勝ち上がって来た自分が負ける道理はない。
 ローズは、このまま相手に攻撃のイニシアチブを取らせずに、ずっと自分ターンで勝ち切ってやると気合を入れた。
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