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第二章 誰にも渡しませんわ
第38話 違和感
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「あれからエレナの様子はどう?」
皆が帰った後、部屋に戻ってフレデリカの淹れてくれたお茶を飲みながら、ローズはエレナに関する調査状況をそれとなく尋ねてみる。
本当はガッツリと一挙手一投足根掘り葉掘り聞きたいと思っているのだが、あくまでローズとしては新人のメイドとしか認識していない風を装っているので『そう言えば』的な感じでさりげなく。
エレナが登場してから幾度か顔を合わせる事は有ったが、二三業務的な言葉を交わす事は有ったもののまともに会話する機会は訪れなかった。
何度か近付いて話そうとしたが、何か理由を付けてそそくさと去って行く。
無理に引き止めて尋問紛いの事をすると、それによってローズが転生者と言う事がバレる恐れが有るので深追いは出来ない。
かと言って、廊下を歩いている際にふと視線を感じた方に目をやるとエレナがこちらをジーっと見ている事がある。
目が合った瞬間、頭を下げてすぐに去って行く事から、明らかにこちらを警戒し観察をしている様子。
やはり、ゲーム開始となる青草一の日が来るまでは、通常ルートでは起こり得なかったオープニングイベントに遭遇した事により、状況把握の為に情報収集に努めているのだろう、とローズはこのエレナの挙動不審な態度から相手の考えを推測した。
「エレナですが、今のところは尻尾を見せません。前髪が鬱陶しくは有りますが、思いの外まじめですし、性格も明るく周囲の人間にも一早く馴染んでいるようですね。物覚えも良いようで、広いお屋敷もこの短期間で場所の把握が出来ているようです」
フレデリカは、エレナの寸評を淡々と語る。
その言葉にローズは納得すると共に驚愕した。
多くは説明書に語られている人物紹介そのままなので驚くに値しない。
しかし、問題は『周囲の人間にも一早く馴染んでいる』の部分。
ゲーム開始まで様子を見ているだけと思われたが、既に身の回りの人物から攻略を開始している。
その事実にローズは驚愕したのだった。
それに引き換え自分はどうだ。
勿論使用人達と仲良くなった手応えは感じているものの、いまだ馴染んでいるとは言い難い。
一応年配の古い使用人達とは気軽に話せるようになって来ている。
使用人達の休憩の合間に若い頃のバルモアや生前のアンナリーゼの話も聞く事が出来た。
執事長も『もやし爺』なんて思っていた事なんて忘れて今では師匠として尊敬しているし、バルモアの事だけではなく、ゲーム中には一切語られなかったローズの祖父アルベルトと共に、かつて数多の戦場を駆け巡ったと言う武勇伝の数々を聞くのが、最近の楽しみの一つとなっている。
しかし、若い使用人達は違った。
一緒に朝練をしている衛兵達もそうだし、執事や給仕の男性達。
それだけじゃない、メイドや女中と言った女性達でさえローズが目を合わせるとサッと顔を逸らすのだった。
話しかけると、相手はしどろもどろになってまともな会話にならない事が多く、中にはぼーっとした目でこちらを見詰めて来る者も居るが、やはり声を掛けたら『すみません』と言って逃げて行く。
学生時代の様に、皆と和気あいあいと仲良くなる事は出来ないかしらと思い悩む毎日だ。
しかし、そう思っているのは現ローズだけだし、元の世界での野江 水流だけ。
年配の使用人達はアンネリーゼと言う、最高の高嶺の花をその目で見て、そして優しくしてくれた記憶が有るからこそ、その娘であるローズの事を素直に愛でる事が出来るし、その姿からアンネリーゼの面影を感じる事によって話す事も出来る。
要するに高嶺の花に免疫が有ると言う事。
だが、若い使用人達は突然降って湧いたの如く登場した『心を入れ替えたローズ』と言う存在に当てられ、まるで長湯でのぼせ切ったかの様に上気して前後不覚に陥っているのだ。
それは元の世界の学生時代もそうであった。
ローズは学生時代の事を和気あいあいと表現していたが、周囲の者達の中では全く逆の想いで彩られている。
女子生徒達は『お姉様』とただただ慕い、男子生徒は『笑顔の虐殺機関』として恋愛対象とされないと言う諦めの悟りの極致状態。
そう言った様々な経緯から相互不干渉な暗黙のルールの元、ローズの言う和気あいあいが成立していた。
現在この屋敷において、その域まで登り詰めるには幾ばかの刻が必要となるだろう。
ローズはその事が分かっていないのだった。
「けれど、それが逆に怪しいですね」
「え?」
ローズはフレデリカの報告から、ついに動き出したエレナへの恐怖とそれまでに使用人達と仲良くなれなかった後悔で思い悩んでいると、フレデリカがその後に続けた言葉に驚きの声を上げた。
「聞くところによると彼女は平民の出と言う事です。しかも、今回が初の職場と言っておりました」
「そ、そうなの?」
口では知らない風に言ったが、ここら辺の話はゲーム中のエレナ自身のモノローグでローズも知っている。
知らないのはなぜこの屋敷に来たかと言う理由だけ。
それもテオドールからの紹介と言う事なので、表面上の理由としては把握済みであった。
「えぇ、しかもテオドール様の所でも研修さえしていなかったようです」
「それの何が問題なの?」
いまいちフレデリカの言いたい事が分からないローズは、その言葉の意味を説明して貰おうと尋ねる。
すると、フレデリカは腕を組み眉間に皺を寄せて目を瞑る。
どうやら少し怒っている様だ。
「え……っと、フレデリカどうしたの?」
それっきり黙ってしまったフレデリカの態度に、ローズはどうしたらいいのか分からず声を掛けた。
しかし、黙っているのかと思ったら少しばかり低い声を出しているのが聞えた。
もしや、フレデリカはゲームシステムに捕らわれてしまったのか、とローズは思い恐怖する。
「ふぅぅぅぅぅーーーざけんな! って言う話ですよ!」
「ひゃっ! び、びっくりした」
ローズがフレデリカに手を伸ばそうとした途端フレデリカは大声を上げ、その声に驚いたローズは飛び上がった。
「す、すみません、お嬢様。驚かせてしまいました」
「い、いえ、いいのよ。それよりどうしたのそんなに怒って」
ローズを驚かせてしまった事に心底申し訳ないと言う顔をしているフレデリカの態度にローズは安堵した。
どうやら、ゲームシステムに取り込まれたのではなく、エレナに対して憤っているようだった。
そう言えば、今の溜めからの『ふざけんなっ!』は、ゲーム幕間のフレデリカ愚痴タイムで何度も聞いた事をローズは思い出す。
その時はローズに対する愚痴だったが、今はエレナに対して怒っていると言うゲームとのギャップに少し頬が緩む。
「いや、何かと言いますと、伯爵家のメイド業を舐めるなって事です。身内からの紹介と言えども、素人がいきなり来て良い職場では有りません。マジで舐めるのも大概にしろと言う物ですよ。それ以上に確かに多少ドジをして失敗する所は有りますが、新米としては業務を卒なく熟し過ぎなんです。適正とか才能とかの話では無く、あれは訓練された動きですね。間違いありません」
フレデリカは一気に捲し立て不満を言い切った。
一瞬『それは無敵の主人公だからよ』と言い掛けたが、そんな事はゲームキャラのフレデリカには言ってはいけない言葉だ。
言ってしまったらどうなるか分からない。
最悪ゲームシステムによって排除される恐れさえあるのだから尚の事。
しかし、ふとローズはフレデリカの言葉の中に違和感を覚えたのだが、上手く形にする事が出来なかった。
「あと、周囲への打ち解け方も怪しいです」
「怪しいとは?」
「それぞれの部署のキーパーソンを熟知しているかの様に狙い撃ちして接触しているのですよ。洞察力とかそんな単純な事では無くまるで最初から知っているかのようにです」
それにもまた『それは五十周した主人公だからよ』と言い掛けたが、これにも同じく言葉の中に違和感が存在していた。
だが、これも先程と同じく自分でも何故そう思うのか分からない。
どちらにせよ、エレナがこの屋敷の事を熟知しているのはローズも分かっている。
『なんたって三桁回数プレイしたんだもん。ゲーム中に表示されるマップのお陰で、屋敷の施設は大体の位置を把握しているし、登場人物達だって知っている……ん?』
情報を反芻する中で自分の中にもやもやとしていた違和感の尻尾を垣間見た気がした。
おぼろげに掴んだその姿の全貌を現すべく再度反芻をしようとした所、ぬぅっとフレデリカの顔のアップが視界に広がった。
「うわっ! ど、どうしたのフレデリカ?」
「いえ、お嬢様が急に黙り込まれましたから、どうなされたのかと」
どうやら、フレデリカは違和感の正体を突き止めようと思案していたのが気になって顔を覗き込んだだけな様だ。
「いえ、何でも無いの。確かにちょっと変ね、と思っただけよ」
「そうでしょう? ますますスパイ疑惑は強まったと言えるでしょう。だけど安心して下さい。大体の目的は見えました。それに対しての守りも既に手配済みです。しかしながら、お嬢様。どうかお気を付けください」
「あ、ありがとう。気を付けるわ」
フレデリカの笑顔と、その言葉の内容に圧倒されたローズは、そう返す事しか出来なかった。
目的? 手配済み? どう言う事? それよりそんな事して大丈夫? 何処からツッコんだらいいかと迷っている内に違和感の事など忘れてしまっていた。
「う~ん、まぁいいわ。それよりフレデリカも危険な事はしないようにね。それとエレナと接する時は……」
「分かっております。そこは抜かり有りません。相手を油断させる為にお嬢様に不満を持つ使用人を演じております。ただ、時には心にも無いお嬢様の悪口を言わないといけないのが辛くは有りますね。申し訳ありません」
「いいのよ。あなたには危険な任務をお願いしているのだもの。……ただ、いつまでも私のフレデリカで居てね」
この言葉はローズの本心であった。
切なる願いと言っても良い。
この短い期間でも他の使用人達とは違い、絆は確かに深まった事を実感している。
だからこそ、願わくば彼女がゲーム開始の青草一の日を過ぎても、ゲームシステムに取り込まれ離れて行かないない様にとの想いを込めたものだった。
その言葉を受けてフレデリカの目から涙が零れた。
「お嬢様……、ありがとうございます。それに私はどんな事が有っても貴女から離れる事は有りませんよ」
ゲームでは見た事の無いフレデリカの泣き顔を見ながら、そうであって欲しいとローズは心の中で神に祈った。
◇◆◇
「では、本日の授業はここまでです。明後日の舞踏会に出席なさる方々の説明は以上となりますが、大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫。前回で大半の方達は教えて貰えてたし残りも全員大丈夫。けど、出席者なんて良く分かったわね」
あれから暫くして午後の講義が始まり、舞踏会の出席が確定した者達の解説が行われた。
当初全員出席かと思われていたが、さすがに招待状が配られてからの日時が短すぎた所為で、欠席者が数名出ている様だ。
なのに、なぜフレデリカはそんな事まで知っているんだろう、とローズは首を捻る。
「そこはそれ。どうやらベルナルド様もオーディック様も同じ事を思われてこの舞踏会を開こうと思ったようです。先程来られた際に名簿リストを持って来ていただきました。『どうせローズの事だから忘れているだろ。名簿の奴等だけでも覚えさせておけ』との事です」
「まぁ、オーディック様ったら……。けど同じ事って?」
「決まっているでは有りませんか、心を入れ替えたお嬢様のお披露目です」
「まぁ、なんて事……。本当に私は恵まれているのね」
バルモアよりローズの面倒を任されたベルナルドが、ローズの事を思ってこの急な舞踏会を発案したと言う事なのだろう。
そこで新たなローズを皆に見せる事によって、今までのわがままな『伯爵家の愚女』ではなく、素晴らしい貴族令嬢として派閥内の貴族達全員の認識を改めさせ、ローズの味方に付くように促す。
そう言う作戦を考えているようだ。
まさしくそれは自分達が画策してた事と同じだとローズは感激したのだった。
派閥の者が一堂に会する場などそうそう有るものではない。
それこそ派閥の者の結婚や葬式、若しくは年始の時くらいである。
それに舞踏会は、本来派閥内の者達がお互いの信頼関係を深める為に執り行うもので、派閥長自ら全員に召集を掛ける舞踏会と言う事は、その場で何か重大な発表が有る事を意味する暗黙の了解となっていた。
ただ今回に関しては日程の関係上、不参加やむなしとの記載がされていた為、仕事の関係上でその日王都に居ない者等の数名の不参加者が出ている。
ローズは心の中で、これだけ恵まれている環境に居ながら元のローズがわがまま放題で嫌われ、ついには伯爵家は没落し最後は行方不明となる未来を憐れんだ。
「それもこれも、お嬢様が貴族としての自覚にお目覚めになったからですよ。そこは誇って下さい」
「そうね。皆からの想いに応えないと。私もこれから頑張るわ」
「はい。……それではすみませんが、私は少々席を外します。お食事までお部屋でくつろいでいて下さい」
ローズの言葉にフレデリカが笑顔で頷いたかと思うと、いそいそと部屋から出て行こうとする。
「どうしたのフレデリカ。何か用事?」
「えぇ、そうです。用事です」
そう言うフレデリカに、何事だろうとローズは首を捻る。
「いや、まぁ、お嬢様が急遽明日このお屋敷で舞踏会を開くなんて言い出しましたからね。その準備で使用人一同てんやわんやですよ」
フレデリカは困った顔をしてため息を吐きながらそう言って来た。
「ごめんなさいーー!」
ローズは全く準備の事など考えていなかった自分の愚かさを反省する。
内心、『ホールをちょっと片付けたら踊れるわ』程度に考えてさえいた。
どうやら、他の貴族達を正式に招く際には、幾らプライベートと言えどもそれなりの準備をしないといけないらしい。
と言う事をくどくどとフレデリカに言われてしまった。
「まぁ、今回は明後日の予行練習にもなりますからね。丁度良い機会でもありましたし、使用人達もお嬢様のお役に立てると喜んでいる事でしょう。では、私も準備に掛かりますので」
そう言うとフレデリカは部屋から出て行った。
ローズはそのまま扉を見詰めながら、明日の事、そして舞踏会の事に思いを馳せる。
明後日開催のローズのお披露目の舞踏会、奇しくもそれはゲーム開始と同じ青草一の日であった。
皆が帰った後、部屋に戻ってフレデリカの淹れてくれたお茶を飲みながら、ローズはエレナに関する調査状況をそれとなく尋ねてみる。
本当はガッツリと一挙手一投足根掘り葉掘り聞きたいと思っているのだが、あくまでローズとしては新人のメイドとしか認識していない風を装っているので『そう言えば』的な感じでさりげなく。
エレナが登場してから幾度か顔を合わせる事は有ったが、二三業務的な言葉を交わす事は有ったもののまともに会話する機会は訪れなかった。
何度か近付いて話そうとしたが、何か理由を付けてそそくさと去って行く。
無理に引き止めて尋問紛いの事をすると、それによってローズが転生者と言う事がバレる恐れが有るので深追いは出来ない。
かと言って、廊下を歩いている際にふと視線を感じた方に目をやるとエレナがこちらをジーっと見ている事がある。
目が合った瞬間、頭を下げてすぐに去って行く事から、明らかにこちらを警戒し観察をしている様子。
やはり、ゲーム開始となる青草一の日が来るまでは、通常ルートでは起こり得なかったオープニングイベントに遭遇した事により、状況把握の為に情報収集に努めているのだろう、とローズはこのエレナの挙動不審な態度から相手の考えを推測した。
「エレナですが、今のところは尻尾を見せません。前髪が鬱陶しくは有りますが、思いの外まじめですし、性格も明るく周囲の人間にも一早く馴染んでいるようですね。物覚えも良いようで、広いお屋敷もこの短期間で場所の把握が出来ているようです」
フレデリカは、エレナの寸評を淡々と語る。
その言葉にローズは納得すると共に驚愕した。
多くは説明書に語られている人物紹介そのままなので驚くに値しない。
しかし、問題は『周囲の人間にも一早く馴染んでいる』の部分。
ゲーム開始まで様子を見ているだけと思われたが、既に身の回りの人物から攻略を開始している。
その事実にローズは驚愕したのだった。
それに引き換え自分はどうだ。
勿論使用人達と仲良くなった手応えは感じているものの、いまだ馴染んでいるとは言い難い。
一応年配の古い使用人達とは気軽に話せるようになって来ている。
使用人達の休憩の合間に若い頃のバルモアや生前のアンナリーゼの話も聞く事が出来た。
執事長も『もやし爺』なんて思っていた事なんて忘れて今では師匠として尊敬しているし、バルモアの事だけではなく、ゲーム中には一切語られなかったローズの祖父アルベルトと共に、かつて数多の戦場を駆け巡ったと言う武勇伝の数々を聞くのが、最近の楽しみの一つとなっている。
しかし、若い使用人達は違った。
一緒に朝練をしている衛兵達もそうだし、執事や給仕の男性達。
それだけじゃない、メイドや女中と言った女性達でさえローズが目を合わせるとサッと顔を逸らすのだった。
話しかけると、相手はしどろもどろになってまともな会話にならない事が多く、中にはぼーっとした目でこちらを見詰めて来る者も居るが、やはり声を掛けたら『すみません』と言って逃げて行く。
学生時代の様に、皆と和気あいあいと仲良くなる事は出来ないかしらと思い悩む毎日だ。
しかし、そう思っているのは現ローズだけだし、元の世界での野江 水流だけ。
年配の使用人達はアンネリーゼと言う、最高の高嶺の花をその目で見て、そして優しくしてくれた記憶が有るからこそ、その娘であるローズの事を素直に愛でる事が出来るし、その姿からアンネリーゼの面影を感じる事によって話す事も出来る。
要するに高嶺の花に免疫が有ると言う事。
だが、若い使用人達は突然降って湧いたの如く登場した『心を入れ替えたローズ』と言う存在に当てられ、まるで長湯でのぼせ切ったかの様に上気して前後不覚に陥っているのだ。
それは元の世界の学生時代もそうであった。
ローズは学生時代の事を和気あいあいと表現していたが、周囲の者達の中では全く逆の想いで彩られている。
女子生徒達は『お姉様』とただただ慕い、男子生徒は『笑顔の虐殺機関』として恋愛対象とされないと言う諦めの悟りの極致状態。
そう言った様々な経緯から相互不干渉な暗黙のルールの元、ローズの言う和気あいあいが成立していた。
現在この屋敷において、その域まで登り詰めるには幾ばかの刻が必要となるだろう。
ローズはその事が分かっていないのだった。
「けれど、それが逆に怪しいですね」
「え?」
ローズはフレデリカの報告から、ついに動き出したエレナへの恐怖とそれまでに使用人達と仲良くなれなかった後悔で思い悩んでいると、フレデリカがその後に続けた言葉に驚きの声を上げた。
「聞くところによると彼女は平民の出と言う事です。しかも、今回が初の職場と言っておりました」
「そ、そうなの?」
口では知らない風に言ったが、ここら辺の話はゲーム中のエレナ自身のモノローグでローズも知っている。
知らないのはなぜこの屋敷に来たかと言う理由だけ。
それもテオドールからの紹介と言う事なので、表面上の理由としては把握済みであった。
「えぇ、しかもテオドール様の所でも研修さえしていなかったようです」
「それの何が問題なの?」
いまいちフレデリカの言いたい事が分からないローズは、その言葉の意味を説明して貰おうと尋ねる。
すると、フレデリカは腕を組み眉間に皺を寄せて目を瞑る。
どうやら少し怒っている様だ。
「え……っと、フレデリカどうしたの?」
それっきり黙ってしまったフレデリカの態度に、ローズはどうしたらいいのか分からず声を掛けた。
しかし、黙っているのかと思ったら少しばかり低い声を出しているのが聞えた。
もしや、フレデリカはゲームシステムに捕らわれてしまったのか、とローズは思い恐怖する。
「ふぅぅぅぅぅーーーざけんな! って言う話ですよ!」
「ひゃっ! び、びっくりした」
ローズがフレデリカに手を伸ばそうとした途端フレデリカは大声を上げ、その声に驚いたローズは飛び上がった。
「す、すみません、お嬢様。驚かせてしまいました」
「い、いえ、いいのよ。それよりどうしたのそんなに怒って」
ローズを驚かせてしまった事に心底申し訳ないと言う顔をしているフレデリカの態度にローズは安堵した。
どうやら、ゲームシステムに取り込まれたのではなく、エレナに対して憤っているようだった。
そう言えば、今の溜めからの『ふざけんなっ!』は、ゲーム幕間のフレデリカ愚痴タイムで何度も聞いた事をローズは思い出す。
その時はローズに対する愚痴だったが、今はエレナに対して怒っていると言うゲームとのギャップに少し頬が緩む。
「いや、何かと言いますと、伯爵家のメイド業を舐めるなって事です。身内からの紹介と言えども、素人がいきなり来て良い職場では有りません。マジで舐めるのも大概にしろと言う物ですよ。それ以上に確かに多少ドジをして失敗する所は有りますが、新米としては業務を卒なく熟し過ぎなんです。適正とか才能とかの話では無く、あれは訓練された動きですね。間違いありません」
フレデリカは一気に捲し立て不満を言い切った。
一瞬『それは無敵の主人公だからよ』と言い掛けたが、そんな事はゲームキャラのフレデリカには言ってはいけない言葉だ。
言ってしまったらどうなるか分からない。
最悪ゲームシステムによって排除される恐れさえあるのだから尚の事。
しかし、ふとローズはフレデリカの言葉の中に違和感を覚えたのだが、上手く形にする事が出来なかった。
「あと、周囲への打ち解け方も怪しいです」
「怪しいとは?」
「それぞれの部署のキーパーソンを熟知しているかの様に狙い撃ちして接触しているのですよ。洞察力とかそんな単純な事では無くまるで最初から知っているかのようにです」
それにもまた『それは五十周した主人公だからよ』と言い掛けたが、これにも同じく言葉の中に違和感が存在していた。
だが、これも先程と同じく自分でも何故そう思うのか分からない。
どちらにせよ、エレナがこの屋敷の事を熟知しているのはローズも分かっている。
『なんたって三桁回数プレイしたんだもん。ゲーム中に表示されるマップのお陰で、屋敷の施設は大体の位置を把握しているし、登場人物達だって知っている……ん?』
情報を反芻する中で自分の中にもやもやとしていた違和感の尻尾を垣間見た気がした。
おぼろげに掴んだその姿の全貌を現すべく再度反芻をしようとした所、ぬぅっとフレデリカの顔のアップが視界に広がった。
「うわっ! ど、どうしたのフレデリカ?」
「いえ、お嬢様が急に黙り込まれましたから、どうなされたのかと」
どうやら、フレデリカは違和感の正体を突き止めようと思案していたのが気になって顔を覗き込んだだけな様だ。
「いえ、何でも無いの。確かにちょっと変ね、と思っただけよ」
「そうでしょう? ますますスパイ疑惑は強まったと言えるでしょう。だけど安心して下さい。大体の目的は見えました。それに対しての守りも既に手配済みです。しかしながら、お嬢様。どうかお気を付けください」
「あ、ありがとう。気を付けるわ」
フレデリカの笑顔と、その言葉の内容に圧倒されたローズは、そう返す事しか出来なかった。
目的? 手配済み? どう言う事? それよりそんな事して大丈夫? 何処からツッコんだらいいかと迷っている内に違和感の事など忘れてしまっていた。
「う~ん、まぁいいわ。それよりフレデリカも危険な事はしないようにね。それとエレナと接する時は……」
「分かっております。そこは抜かり有りません。相手を油断させる為にお嬢様に不満を持つ使用人を演じております。ただ、時には心にも無いお嬢様の悪口を言わないといけないのが辛くは有りますね。申し訳ありません」
「いいのよ。あなたには危険な任務をお願いしているのだもの。……ただ、いつまでも私のフレデリカで居てね」
この言葉はローズの本心であった。
切なる願いと言っても良い。
この短い期間でも他の使用人達とは違い、絆は確かに深まった事を実感している。
だからこそ、願わくば彼女がゲーム開始の青草一の日を過ぎても、ゲームシステムに取り込まれ離れて行かないない様にとの想いを込めたものだった。
その言葉を受けてフレデリカの目から涙が零れた。
「お嬢様……、ありがとうございます。それに私はどんな事が有っても貴女から離れる事は有りませんよ」
ゲームでは見た事の無いフレデリカの泣き顔を見ながら、そうであって欲しいとローズは心の中で神に祈った。
◇◆◇
「では、本日の授業はここまでです。明後日の舞踏会に出席なさる方々の説明は以上となりますが、大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫。前回で大半の方達は教えて貰えてたし残りも全員大丈夫。けど、出席者なんて良く分かったわね」
あれから暫くして午後の講義が始まり、舞踏会の出席が確定した者達の解説が行われた。
当初全員出席かと思われていたが、さすがに招待状が配られてからの日時が短すぎた所為で、欠席者が数名出ている様だ。
なのに、なぜフレデリカはそんな事まで知っているんだろう、とローズは首を捻る。
「そこはそれ。どうやらベルナルド様もオーディック様も同じ事を思われてこの舞踏会を開こうと思ったようです。先程来られた際に名簿リストを持って来ていただきました。『どうせローズの事だから忘れているだろ。名簿の奴等だけでも覚えさせておけ』との事です」
「まぁ、オーディック様ったら……。けど同じ事って?」
「決まっているでは有りませんか、心を入れ替えたお嬢様のお披露目です」
「まぁ、なんて事……。本当に私は恵まれているのね」
バルモアよりローズの面倒を任されたベルナルドが、ローズの事を思ってこの急な舞踏会を発案したと言う事なのだろう。
そこで新たなローズを皆に見せる事によって、今までのわがままな『伯爵家の愚女』ではなく、素晴らしい貴族令嬢として派閥内の貴族達全員の認識を改めさせ、ローズの味方に付くように促す。
そう言う作戦を考えているようだ。
まさしくそれは自分達が画策してた事と同じだとローズは感激したのだった。
派閥の者が一堂に会する場などそうそう有るものではない。
それこそ派閥の者の結婚や葬式、若しくは年始の時くらいである。
それに舞踏会は、本来派閥内の者達がお互いの信頼関係を深める為に執り行うもので、派閥長自ら全員に召集を掛ける舞踏会と言う事は、その場で何か重大な発表が有る事を意味する暗黙の了解となっていた。
ただ今回に関しては日程の関係上、不参加やむなしとの記載がされていた為、仕事の関係上でその日王都に居ない者等の数名の不参加者が出ている。
ローズは心の中で、これだけ恵まれている環境に居ながら元のローズがわがまま放題で嫌われ、ついには伯爵家は没落し最後は行方不明となる未来を憐れんだ。
「それもこれも、お嬢様が貴族としての自覚にお目覚めになったからですよ。そこは誇って下さい」
「そうね。皆からの想いに応えないと。私もこれから頑張るわ」
「はい。……それではすみませんが、私は少々席を外します。お食事までお部屋でくつろいでいて下さい」
ローズの言葉にフレデリカが笑顔で頷いたかと思うと、いそいそと部屋から出て行こうとする。
「どうしたのフレデリカ。何か用事?」
「えぇ、そうです。用事です」
そう言うフレデリカに、何事だろうとローズは首を捻る。
「いや、まぁ、お嬢様が急遽明日このお屋敷で舞踏会を開くなんて言い出しましたからね。その準備で使用人一同てんやわんやですよ」
フレデリカは困った顔をしてため息を吐きながらそう言って来た。
「ごめんなさいーー!」
ローズは全く準備の事など考えていなかった自分の愚かさを反省する。
内心、『ホールをちょっと片付けたら踊れるわ』程度に考えてさえいた。
どうやら、他の貴族達を正式に招く際には、幾らプライベートと言えどもそれなりの準備をしないといけないらしい。
と言う事をくどくどとフレデリカに言われてしまった。
「まぁ、今回は明後日の予行練習にもなりますからね。丁度良い機会でもありましたし、使用人達もお嬢様のお役に立てると喜んでいる事でしょう。では、私も準備に掛かりますので」
そう言うとフレデリカは部屋から出て行った。
ローズはそのまま扉を見詰めながら、明日の事、そして舞踏会の事に思いを馳せる。
明後日開催のローズのお披露目の舞踏会、奇しくもそれはゲーム開始と同じ青草一の日であった。
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「オマケのようでオマケじゃない〜」では、本編の小話や後日談というかたちでまだ語られてない部分を補完しています。
14回恋愛大賞奨励賞受賞しました!
これも読んでくださったり投票してくださった皆様のおかげです。
ありがとうございました!
ざっくりと見直し終わりました。完璧じゃないけど、とりあえずこれで。
この後本格的に手直し予定。(多分時間がかかります)
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小説家になろう様でも投稿しています。
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