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第二章 誰にも渡しませんわ

第21話 練習試合

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「さっ、誰からでも良いですわ。私と練習試合をしてくれる方、声を上げて下さいな」

 ローズはにこやかな笑みを浮かべ、片手で木剣を持ち右肩にポンポンと当てながら、目の前に正座している十四~五人の男達にそう言った。
 男達の大半は衛兵で数人の執事も交じっている。
 雪崩れ込んだ中にメイドも居たのだが、同性と言う事でローズの後ろに縮こまりながら並んで立ち、ローズの言葉に戦々恐々としてその背中を見詰めている。
 戦々恐々は男達も同じだった。
 いきなり死刑と言われなかった事には胸を撫で下ろしたのだが、今の言葉は死刑宣告が伸びただけに過ぎないと思っていた。
 何処の世界に伯爵令嬢が本気で剣の練習相手を申し込んでくると言うのか。
 これは、手を出せない事を見越してのリンチ。
 若しくは、少しでも剣が当たろうものなら、それを理由に傷害罪として起訴されるのではないか? 男達の頭の中にその二つの未来が浮かんでいた。
 そして、拒否すると覗きの罪で死刑。
 やはり性悪令嬢は変らない。
 ここ数日の変り様で気を許し出していただけに、その落差による精神的苦痛は以前の比ではなかった。

「もう、誰も居ないの。じゃあ、私が選ぶわね」

「ヒィッ!」

 少しでも残り少ない生の喜びを味わおうとしていた彼らにとって、その言葉は地獄の魔王からの案内状の様に聞こえて思わず悲鳴を上げる。
 立候補しなくても、悪魔お嬢様が選んでくる。
 やはり自分達を、その肩にポンポンと当てている剣でボコボコにしようと言うのか。
 いや、それどころか『木剣なんて野暮ですわ。やはりここは真剣を使うべきですわね』と言って切り刻まれるのではないか?
 男達は自分が少しでも後に選ばれますようにと心から祈った。

「じゃあ、そこのあなた。茶髪の……」

「えぇ? わ、私ですか?」

 ローズは適当に相手を選ぶと、選ばれた茶髪の若者は悲鳴に近い声を上げて震えがる。

「そう、あなた。はい立って。他の皆は部屋の隅で自分の順番まで見学してて」

 テキパキと指示を与えるローズに、皆は言われるがままに大人しく従った。
 ただ、大人しく従ったのはなにも主人の娘の命令だからと言う訳では無い、自分達も何故ここまで自然に従ってしまうのか分からず首を傾げている。
 これに関しては、現ローズの中の人である野江 水流の長年培って来たリーダーシップによる物に他ならなかった。
 小さい頃から学級委員長や、剣道部の部長、高校では生徒会長に現在は高校教師で剣道部顧問。
 要するに人の扱いに慣れているのだ。
 特に衛兵等の体育会系の者達や、執事等の使用人達にはその言葉に抗う事が難しい。
 茶髪の若者も気付いたら木剣を持ってローズの前に立っている。
 その状況に激しく混乱した。

「えぇと。ルールは……そうね。まずは寸止めで行きましょうか」

「え?」

 皆は思わずハモって聞き返してしまった。
 一方的なリンチじゃなかったのか? しかもいまだに真剣に持ち替えず木剣を持ったまま。
 自分達の勝手な想像とローズの言葉とのギャップで頭の中が真っ白になる。

「す、寸止めですか? そ、それはお嬢様も?」

 第一の餌食と絶望していた茶髪の若者が、恐る恐る尋ねる。
 元々、自分達は寸止めするしかないと思っていた。
 いや、それどころか案山子の如く動いてはいけない木偶人形になるつもりでいたのだ。
 相手がローズだからと言う訳では無く、貴族の令嬢に対して訓練だからと言って剣を向ける事自体有り得ない事。
 何故、ローズがそんな当たり前の事を言って来たのかその真意を確認したいが為だった。

「ハァ? 当り前でしょう? ん~、そうね。それでやる気が出ないんならいきなり実戦形式にしましょうか? 本気で打ち込んで来て貰っても構わないわよ」

「い、いえっ! 寸止めで結構です!」

 『何を言っているのだこの人は?』 今この場に居る者達全ての頭の中に浮かんでいる言葉だ。
  本気で打ち込んで来い? 正気なのか? 皆の頭の中はグルグルと回り続けていたが、やがて一つの解が導き出された。
 『そうか、最近剣術をやり始めたから、それだけで自分が強くなったと勘違いしているのか』と。
 そう言う事なら話が早い、その考えに至り皆はホッと胸を撫で下ろした。
 わがまま娘の万能感なのだろう。
 少し練習しただけで自分が強くなった気になり、自分の実力を見せびらかそうとしているのだ。
 ならば対応は簡単と皆はアイコンタクトで作戦を確認しあう。
 その作戦とは、ローズはたかだか数日の訓練、しかも覗いている限りただ剣の素振りだけ。
 しかも、すり足なんかで前後に動くだけと言うまるでお遊戯レベルのもの。
 自分達の様に実戦を想定しての打ち込みや型の練習などしていない。
 万能感だけで強い気になっている小娘なんぼの物ぞと言う訳だ。
 ならその対応は簡単であると皆は考える。
 適当に打って来る相手を軽く往なし疲れさせればいい。
 ローズは昔から熱しやすく冷めやすいのを皆は理解していた。
 しかも、少しでも疲れると一気に興味を無くす事も熟知している。
 興味の無くなった物は一晩眠ると忘れてしまう所もいつもの事だ。
 今回も疲れさせれば、興味を失くし明日からは訓練場に来なくなるだろう。
 そうすれば、ローズが一人早朝に訓練場に籠る事によって怪我する可能性に怯えてこっそりと監視しなくても良くなるし、それに覗きの罪さえ無かった事になるかもしれない。
 なにより諦めかけていた明日の朝日を無傷で拝めるかもしれないのだ。
 皆は生き残る光が見えて来た事で俄然やる気が出て来た。
 茶髪の若者も意気揚々に木剣を構える。

「おっ、やる気が出て来た様ね。よしよし。じゃあ、行きましょうか」

「お願いしますっ!!」

 茶髪の若者はローズの掛け声に応えた。
 『お嬢様の剣を避けるのは簡単だろうが、あまりに簡単に避け過ぎて逆に反感を買われても困るな。ここは少しギリギリに受けて、適当に褒めて機嫌を取っておくか。そうすれば気に入られる可能性だって有るかも……』なんて事を考えながら……。
 観戦している者達も、その茶髪の若者の考えを分かっているのか、こんな事なら自分が立候補すれば良かったと歯がゆい思いで、訓練場の真ん中に立っている二人を見ていた。

「じゃあ、フレデリカ? 試合開始の掛け声をお願い出来るかしら?」

「え? あっはい。分かりました。それでは……、初め!」

 フレデリカの試合開始の合図を聞いた茶髪の若者は、まだ余裕綽々でこれから来るであろうローズの打ち込みを、どの様に受けようかのんきに考えていた。
 格好良く、それでいて相手に花を持たせるそんな受け方はどうすればいいか?
 たかが素人の動きなど、寸止めじゃない実戦形式の訓練を積み重ねている自分ならば容易い事だと浮かれ気分である。
 その慢心が、一瞬観客席に視線を移す事となる。
 皆の悔しがる顔を見ようとしたのだ。
 そこには手柄を奪われて歯軋りしている顔が有るのだろうと思っていた。
 いや、確かに目を移した時はそんな顔をしている者もちらら居たのを確認している。
 だが、その刹那皆の目に驚愕の色が浮かぶのを若者は見た。
 その瞬間急に背筋に冷たいものが走るのを感じ、慌ててローズが立っている正面に目を戻す。

「え? 居ない?」

 若者の目の前にローズの姿は無かった……筈。

 ガシッ! シュッ!

 次の瞬間、手に衝撃が走り、一陣の風が顔を掠めたかと思うと目の前数センチの位置に茶色い薄い物が現れた。
 それが何なのか理解するのに数秒掛かった。
 それは木剣の剣先。
 しかし、それが何か分かっても、なんでそれが目の前に迫って来てるのか分からない。

 ボトッ!

 少し離れた位置に何かが落ちる音がする。
 横目で見るとどうやらそれは木剣の様だ。
 なんでそんな所に木剣が落ちているんだ?
 お嬢様の剣か? いや、常識的に考えて今目の前に迫っているのがお嬢様の剣なのだろう。
 ならあれは……自分の剣?
 まだ少し痺れている手の平をニギニギと動かすと、何も持っていない事が分かった。

「一本! で、いいかしら?」

 目の前に迫っていた剣先がスッと引くと、視界から消えていたローズが笑顔で現れる。
 それによって、どうやら低い姿勢から突きを繰り出していたのだと若者はやっと理解する事が出来た。

「ま、参りました」

 若者はそれだけを言うと、その場にぺたんと座り込んでしまった。
 今目の前に起こった現象が理解出来なかったのだ。
 先程の様に観客の皆に目線を移した。
 今度は皆の悔しがる顔を見ようとしたのではない。
 皆に、今起こった事を説明して欲しいと思ったからだ。
 しかし、皆の顔はそれを語ってくれそうにない。
 恐らく自分以上に驚いている顔をしているのではないかと若者は思った。

「あなた、練習と言っても気を抜いてはダメよ? もっとちゃんと集中しないと」

「は、はい。すみません……」

 ローズからの注意に身体を震わせながら若者は答えた。
 怒りを買ってお仕置きをされるのではないか? 処刑されるのではないか? と、もう既に生きる心地など無く、ただ捨てられた子犬の様にローズを見る事しか出来ない。

「もう、男の子がそんな顔しない。次からは頑張りなさい。じゃあ、次の人お願いするわ」

「え?」

 自分の想像とは異なりあっけらかんとしたローズの言葉に思わず間の抜けた声を零す。

「ん? もう一試合するつもり? それでもいいわよ?」

「い、いえ。すみません。すぐに退きます」

 もう一試合など勘弁して欲しい。
 若者は慌てて観戦している皆の元に逃げ出した。

「あら、そう? じゃあ、次は……あなた。お願いするわ」

「えぇっ!」

 若者が戻った場所の隣の人を指名するローズ。
 指名された物の悲鳴が訓練場に響いた。
 どうやら、試合の順番がそれによって決まってしまったようだ。
 若者に近い位置に座っている者は恨みの目を、遠い位置に座っている者は感謝の目で若者を見ていた。
 しかし、そんな事など若者は気付かない。
 若者の目は、今自分に何が起こったのか確認する為に、ローズの一挙手一投足の逃すまいと言う事に集中していたのだ。

「第二試合、初め!」

 フレデリカの合図と共に開始された練習試合二戦目。
 若者は数秒立たずに自分が何をされたのか理解した。
 今の試合は自分とは少し違う展開だが同じ結果だった。
 自分と違い何が起こっていたかを客観的に見ていた次の対戦相手は、しっかりと構えていた。
 自分の様に相手を侮って余所見なんかしていない。
 しかし、始まった途端にローズは電光石火の飛び込みで相手の剣を自分の剣でくるっと巻き込み、そのまま剣を手から弾き飛ばす。
 そして自分の時の様に相手の数センチ先にピタッと剣を止めた。
 今度は相手の喉元だ。
 恐らく自分も同じ様に剣を下から弾かれて次の瞬間凄まじい突きが眉間に突き立てられたのだろう。

「ま、参りました」

「流れに無理矢理力で逆らおうとしたら駄目よ。はい、次の人」

「は、はい」

 自分の時の様にアドバイスを残し次の相手を呼ぶローズ。
 そして、次の相手も、その次の相手も数度の打ち合いで勝負が決した。
 後に行く程、油断も隙も無い。
 なのに全てローズの勝ち。
 しかも寸止めの位置は自分と同じく眉間、次の相手の喉元。
 他にも首筋、延髄、鳩尾と全て人体の急所だ。
 若者のみならず一同皆驚愕した。
 ローズは今まで剣など握った事を見た事がない。
 数日前からちょっと訓練を開始したに過ぎないではないか。
 しかし、自分達は衛兵として毎日訓練を重ねて来た。
 それなのに何故ここまで好きな様にされるのか?
 皆は答えの出ない問に今目の前で起こってる事が夢ではないかと思い始めていた。


 それに引き換えローズは少し物足りなさを感じており心の中でため息をつく。
 少し、急ぎ過ぎたのではないだろうかと思い始めていた。

 『う~ん、よく考えたら、雇い主の娘に対して手を挙げるなんて雇われ人が出来る訳なかったわね。手加減してくれてるのに偉そうに言っちゃって皆に可愛そうな事したかも』

 皆がローズの強さに対して畏怖と尊敬の念を抱き始めている心中が分かっていないローズは、そう自身の中で反省する。
 まだまだ、ローズに対して心を開いてないのだろう、もっと仲良くなれば剣道部時代の様に一緒に訓練に打ち込めるのでは? と思い、今日はこの辺で切り上げようかと思った時、一人の男が手を挙げた。

「お嬢様。お相手をさせて頂いてよろしいでしょうか?」

 手を上げた男を見てローズは驚いた。
 その男の事はローズの中で戦力外と思っていたのだ。
 衛兵では無かったし、何よりお爺ちゃんと言って良い年齢だろう。
 その男は、執事長だった。
 
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