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第一章 私の取り巻きイケメンは私の物

第13話 主人と従者

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「あっ、これは皆さま。恥ずかしい所をお見せしてしまい申し訳ございません」

 ローズは階段を駆け下りる最中、階下の人達が見上げて来る目の色に気付き、慌てて立ち止まり頭を下げた。
 ここにいる全員、伯爵と同じ派閥の貴族や部下の騎士達だ。
 即ち、ローズの今まで行って来た傍若無人な振る舞いの事は承知しており、しかもそれを快しとしない人達である事は、先程二階から見下ろした際にその人達から自身に向けられた眉を顰める様な目が物語っていた事でローズは理解していた。
 しかし、その非難の色に染まった目が、駆け下りるローズの姿を見て明らかに動揺の色に変わったのだ。
 これは恐らく今までのローズならば、父で有ろうと他人の言葉によって自身の行動を強制されるのを嫌がり、今の様に素直に応えて慌てて駆け下りるなどと言う行動を取る筈がないと踏んでいたのだろうとローズは考えた。

 『多分、元のローズなら伯爵の言葉と言えども刺々しい文句で返しながら、わざとゆっくりと階段を下りて皆をイライラさせていたんでしょうね。私もローズにはゲーム中も本当にイライラさせられたもの。しかし、この皆の驚きようと言ったら無いわ。謝ったと言うのもインパクトが強かったみたい。まるでハトが豆鉄砲喰らったみたいな顔をしているわね。けど、この状況は使えるかも』

 ローズが考えている通り、駆け下りる姿を見て動揺していた皆だったが、ローズが立ち止まり皆に謝った瞬間、動揺を通り越してまるで全ての感情をどこかに置いて来たかの様にポカーンと口を開けて固まっている。
 その顔を見たローズは『皆ハニワみたい』と心の中で呟いた。

 その後、皆にニッコリと優しい笑みを浮かべながらもう一度お辞儀をする。
 それが合図となり固まっていた皆は金縛りが解けたかのように動き出し、今起こった事が現実だったのかと騒めき立った。
 ローズはそんな空気の中、今度は貴族の御令嬢然とした優雅な振る舞いで階段を下りる。
 しかし、今までのローズの様にわざとゆっくりと言う訳ではなく、流れる川の様にスマートに、そして体幹のブレ無く下りる姿は、それを見る皆の目にまるで王立劇場で行われる歌劇の一場面の様に映った事であろう。

 肉体は違えど、意識は元の世界の野江 水流である。
 彼女は幼い頃より剣道を習っており、幾つかの大会で優勝を果たした事も有った。
 教職の道を進む事を決意した今は引退したが、高校でも剣道部の顧問として昔取った杵柄を発揮している。
 そんなローズにとって、体幹の制御や姿勢の良さ等は無意識に癖として染みついており、肉体の変化に関して然程影響を受けない。
 勿論ローズの肉体が、驚いた事にそれなりの身体能力が備わっていたと言う事も大きいだろう。
 それは恐らく代々騎士の家系であり、その受け継がれてきた優秀な遺伝子のお陰なのかもしれない。

 そんな二つの偶然が重なり合い、貴族の中の貴族としての立ち振る舞いが発揮され皆の前に披露される事となった。
 皆は感嘆の言葉を上げ、ただその様にため息を漏らす。

「フレデリカ、お願い……」

 降りる最中、ローズは後ろを付いて来るフレデリカにただそれだけを小さく告げた。
 隣で必死について来ているカナンがその言葉に首を傾げたが、フレデリカは分かっているとばかりに、自分の主人であるローズに耳打ちする。

「右からカナード伯爵、その左後ろの赤い服はジェスター子爵、隣は旦那様の部下である騎士のギュンター様……」

 フレデリカは、次々と小声で玄関前ホールに居る主要な貴族や騎士達の名前をローズに伝えていく。
 ローズは皆ににこやかな笑顔を浮かべたままそれを暗記していった。

「え? え? 何? お姉ちゃん? 一体どうしたの?」

 その二人のやり取りに驚いたカナンがローズに尋ねた。

「……以上です」

 今この場で覚えておくべき名前を全員言い終えたフレデリカは少し離れた位置に戻り、元と同じように後から静々とついて来る。
 ローズは小声でフレデリカに『ご苦労様』と伝えた。

「カナンちゃ、……カナン。今まで私は無知過ぎたわ。だってあそこの方々の名前なんて覚えて無かったんですもの」

 客人達から目線を移さずにカナンにそう答えた。
 カナンはその回答に、慌てながらローズとフレデリカを交互に見る。
 フレデリカも主人に付き従うメイドとして目線を下げたまま、カナンとは目を合わさない。
 優雅な振る舞いの貴族令嬢にお付きのメイド、この姿も歌劇の中の理想の貴族像の様であり、隣でおろおろとした顔でドタドタとついて来るカナンが、更に二人を際立たせる為のスパイスとなっていた。

「え? 今ので伝わったの? お願いってしか言ってなかったじゃないか」

 そんな周囲の目に気付かないカナンがローズに問い掛ける。
 無理も無い、先程のやり取りは打ち合わせなど無い突然の事だったのだから。

「これが主人と従者と言う物よ」

 その言葉にフレデリカはうっすら笑みを浮かべ、逆にカナンは呆然として立ち止まってしまった。
 ローズは格好付けてそんな事を言ったのだが、本来かなりの無茶振りである。
 今の奇跡のコラボが実現したのは、ひとえにフレデリカが優秀なメイドであるお陰だ。
 ただ、少なくとも昨日までのローズとフレデリカならこうはいかなかった。
 ローズに『お願い』と言われたら、『午後のお茶会のスイーツは何にしましょう』とフレデリカは思ったであろう。
 フレデリカは優秀なメイドであるが故に、本来は我を殺し自分の主人の望む鏡として立ち振る舞う。
 昨日までのローズなら自分の享楽の事ばかり、今の時間なら午後のお茶会の事で頭が一杯だったのだ。
 しかし、今のローズはそうではない事をフレデリカは理解している。
 ローズ自身に何が起こったのかはまでは分かっていないが、少なくとも今までの自分を変えようとしている事は朝食の際に理解したので、ローズの知識量を把握しているフレデリカはその『お願い』と言う言葉の中に含まれている真意を読み取り、現在ホールに居る伯爵の代理として挨拶すべき方々の名前を伝えたのだ。
 とは言え、フレデリカも人間である。
 如何にローズが貴族の自覚に目覚めたからと言って、そう簡単には今の様な働きはしなかったであろう。
 そうさせたのは、自分の嗜好を理解し、そして望むままにご褒美とお仕置きご褒美を与えてくれたからに他ならない。
 フレデリカは心の中で、今の働きのご褒美に期待して自然と口角が上がるのに気付いていなかった。


 階段を下りたローズは、衆人環視の中優雅な立ち振る舞いを崩さずに伯爵の前までやって来た。
 周りの者達の目は、最初の様な非難の色は無く、ただ今目の前で起こっている事を理解する為に、固唾を飲んで見守っている。

「お父様、遅くなって申し訳ありません。今日旅立つお父様に少しでも綺麗な記憶として私の姿を残して頂きたく、準備に時間が掛かってしまいました。それに折角お忙しい中来て頂いている皆様にもご迷惑をおかけしてしまい恐縮の限りです。本当に申し訳ありませんでした」

 そう言ってローズは、伯爵と周囲の皆に頭を下げた。
 思いもしなかったその言葉に皆の息が止まる。
 中には軽く悲鳴を上げている者も居た。
 それほど今のローズの姿が奇異な物に映ったのだろう。
 そんな中、伯爵だけは娘の成長に感動して目に涙を浮かべ頷いた。

「お父様……。寂しゅうございます。どうか、どうか……ご無事で帰って頂ける事を毎日お祈りいたします」

 顔を上げたローズはおもむろに伯爵に抱き付き、その逞しい胸板の感触を堪能しながらも、あえて周囲の人達に聞こえる様に少し大袈裟な演技でそう言った。
 その姿に皆は心を打たれて涙する者が一人や二人ではない。

 『フフフ、皆感動しているようね。計画通りだわ』

 周囲の感動が渦巻いている空気をよそにローズは心の中でそうほくそ笑む。
 この際周囲の人々も味方に付けてしまおうとローズは考えていた。
 人間はギャップに弱いもの。
 普段良い事ばっかりしている人が良い事するよりも、同じ程度の事と言えども普段悪い事している人が行った場合の補正は絶大だ。
 特に今の皆はローズの優雅な姿に目を奪われている。
 元より国で評判の美女であったローズの事、お淑やかさと優雅さを兼ね備えた今の姿は、今までのローズが培って来た負のイメージを崩し、上書きさせるには十分の破壊力を持っていた。

 『とは言っても、もう少しこの逞しい胸板を堪能させてもらっても罰は当たらないわよね? ぐふふふ』
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