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第三章 当世合戦絵巻
2.激突(二)
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「高梨様っ! 塀の上から内部の様子を伺う、怪しい者二名を捕らえました!」
表門の前がにわかに騒がしくなった。辺りを警戒する遊撃隊が曲者を捕らえ、引っ立てて来たのだ。
「塀の上…? 賊の一味か?」
両脇を隊士に抱えられ引きずられてきた二人の男は、黒い装束に身を包みだらんとうなだれている。恭一朗は鉄砲隊の一部に指示を出し、照準を二人に合わせて威嚇した。
「…何者だ。言わねばこのまま撃つ」
不審者の顔に提灯をかざした恭一朗。するとそのひとりが叫ぶ。
「高梨様! 俺です、諒ですよ! 新徴組の皆さんをここにお連れした…っ!」
――諒…? 賭場への手引き役…? 確かに一度、武崎殿に連れられ挨拶に来たが…作戦の末端を担う町人の顔などいちいち覚えておらぬ。本当に此奴だったか?
男の連れは不安げに辺りを見回した。自分たちに向けられた銃口とあたりに散らばる賊の骸へ交互に視線を彷徨わせ、恐怖のあまり声を漏らして涙を流す。
「あ…あ、ううっ…!」
「へ、平気だから! 泣くなって珠希! ああもう高梨様、何で分かんねぇんだよ! だから俺です、諒ですって!」
隊士のひとりが怪訝そうに恭一朗に問いかける。
「高梨様。此奴は…?」
「ああ。どうやら…今回の作戦で手引き役を務めた…町人のようだ」
一気にいきり立つ隊士たち。
「な…っ! 町人風情が我らの戦場に入り込むとは!」
「勝手なことを…! 作戦の邪魔をしに来たのか!」
頭に血が上った諒は思わず言い返した。
「なんでぇ! 無茶したことは謝りますけどね、その言い方はないでしょう! 俺だって立派なお仲間ですよ! こちとらお侍様たちとは違って、脇に刀も差さず…皆さんに言われるがまま、幾度もここへ命がけで通ったんだから!」
恭一朗は慌てて声を張る。
「…皆、抑えよ! 作戦中であることを忘れてはならぬ!」
――この流れは、まずい。
恭一朗は取り急ぎ隊士たちから二人を引き取り、指揮を腹心の部下に任せて再度それぞれの配置に戻らせた。
ふてくされる諒と、しおれ切ったその連れ。二人を隊の後ろに控えさせ、恭一朗は今一度態勢を整える。表門の前に再び冷静さが戻った。
「諒。お前たちに…言いたいことが二つある」
表門を睨んだまま、恭一朗は言葉を発する。
「ひとつ。危険かつ重要な役目を担わせておきながら、私と隊士らが『町人風情』という論調で批判したことに対しては…お前の忸怩たる思いも分からぬではない」
恭一朗は憤りを抑えつつ低い声で続けた。
「だがもうひとつ。…考えろ。もっと考えろ! もしもお前たちが賊に見とがめられ、人質となればどうなるか。私たち新徴組は当然お前たちに構わず目的を優先する。だが武崎殿や松波殿はどうだ。お前たちの救出を望むだろう。皆の意思に齟齬が生じる。つまりは仲間割れだ」
圧倒的に思索が足りぬ…! 二人を叱りつける恭一朗。
「それだけではない。敵は残虐な賊どもだ。捕らえられたお前たちは当然壮絶な拷問に掛けられ、作戦の全容と救出対象者の隠れ場所を吐くだろう。その者を救出できなければ、不利益を受けるのは結局お前たちを仲間と信じた松波殿と武崎殿だ。少し考えただけでも…一体何故お前たちの行為が批判されるのか、明白ではないか」
恭一朗は、敢然と言い放つ。
「お前たちはそこまで深慮せず、無計画に戦場に飛び込んだ。となれば、これだから町人はと見下されても仕方がない。どうだ、何か反論は?」
「…!」
「脇が甘すぎる。未熟な隙があれば批判は免れぬ。批判とは即ち攻撃。攻撃とは相手の急所を…反撃不能な場所を鋭く突く行為だ。そこを突かれて悔し涙を流したくなくば、無防備に隙を見せてはならぬ」
諒の体がかっと熱くなった。まるで自分が子どもに思える。悔しいけれど、言い返す言葉もなかった。黙りこくる諒に代わり、珠希は必死に弁明する。
「も、申し訳ありません! 僕が諒さんに無理を言ったんです。姿を隠したまま、御屋敷が見渡せるような場所を探しておいてって…。そこがあんまり完璧な場所だったから、僕たちすっかり自信満々で…御屋敷の外の御見回りのことまでは、考えていなくって…」
「姿を隠したまま、屋敷を見渡せる場所…?」
怪訝そうな恭一朗に、諒はぼそりと言葉を返した。
「ぼろ屋敷で、庭木の手入れも長らくしてねぇから…おあつらえ向きに、あちこち鬱蒼としてるんでさあ。俺ぁ、ここへ通ううちに…こっちからは門前の前庭が丸見えだけど、中からは絶対ぇに見えねぇ場所を見つけたんですよ。しかも塀の崩れたとこを足場にして、すっと上がれるところを…」
「お前、そんな場所を…!」
恭一朗は強く唇を噛む。
――狙撃手の配置に最適だったやもしれぬ。この町人に、偵察の能があったとは…。
恭一朗は、諒を軽くあしらい顔すら覚えていなかった己に内心臍を噛んだ。
珠希は頬を紅潮させて、懸命に恭一朗の目を見つめる。
「高梨様、あの、僕…僕は、その…最高の瓦版を作ろうと思ったんです! それにはみんなからの聞き書きだけじゃ嫌だって、僕が現場をこの目で見なくちゃ駄目だって、そう思って…それで…申し訳ありません! 作戦のお邪魔をするつもりはちっとも無かったんです! 本当です!」
「瓦版…? お前は読売なのか?」
「いえ…今はただの貸本屋です。でも瓦版を作りたくって、第一号はこれだって…新徴組の皆さんの御雄姿を、凛太朗様の華麗なお姿を、世間の皆さんにちゃんとお伝えしたくって…」
前に向き直った恭一朗は、表門に目を据えたまま冷静に考えを巡らせた。
――瓦版か。あれは時に世論を動かす力を持つ。以前、一部隊士の素行の悪さで批判を受けた新徴組が、再び民の支持を回復させたひとつの要素でもある。有象無象が売り歩く紙切れだと軽んじるのは早計だ。
改めて恭一朗はその町人を見る。青年は華奢な体にどこか知性と品を漂わせていた。
――今回の捕り物が、こちらに有益な内容の瓦版になれば…他の賊への警告となり、背後で手を引く黒幕への牽制となるやもしれぬ。
「お前…名は何と?」
「珠希です。高梨様、どうか諒さんをお叱りにならないでください! 諒さん、博打なんかするのは嫌なのに…怖い人たちにお芝居までして、何度も必死にここへ通ったんです。諒さんがいなければ、この作戦は成り立たなかったはずなのに…なのに…」
諒を庇いたい一心で話しているうちに、次第にふつふつと怒りが沸き起こってきた。
――そう、そうだよ…! ずいぶんと諒さんに、失礼じゃないか…!
「そのっ、すっかり顔もお忘れになって、町人風情、なんて叱り方をなさるのは…。これだから新徴組の皆さんは威張り屋だって、『うわばみよりも、かたばみ怖い』って…そう言われても、僕は仕方がないと思います!」
一瞬呆気にとられた恭一朗は、提灯に印されたかたばみの家紋をちらりと一瞥し、ふっと苦笑いを漏らす。
うわばみよりも、かたばみ怖い。それは見回りの途中、あちこちの妓楼や飲食店や大店に乗り込み無料の接待を強要した一部隊士の横暴に、江戸市中を矢のように駆け巡った新徴組への陰口だった。素行の悪い隊士の教育に頭を悩ませた日々の記憶が、羞恥心と共によみがえる。
――此奴、早速先刻の私の言葉に学んだか…。
町人、という認識でしかなかった諒と珠希が、己と変わらぬ個人として息づき始める。恭一朗は背後の珠希に問いかけてみた。
「珠希。こたびの戦いを見てお前は何を思った」
――戦いを、見て…。
珠希は手を合わせ、考え込むようにしながら訥々と言葉を紡ぐ。
「僕が、思ったことは…。まるで物語みたいに、本や瓦版で知った気になってた『戦い』って、本当はこんな風なんだって…。新徴組の皆さんはこんな風に江戸の町を守ってくださっていたんだなって…そう、思いました」
改めて、ありがとうございます。珠希はぺこりと頭を下げた。
「だから僕は、なおさら…みんなに伝えなきゃって。今、何が起きているのかを、ちゃんと知らせなきゃって。町人の僕たちがこれまで通りに暮らしている裏で、こんな戦いがあるってことを、僕たちは何にも知らない…」
その時突如珠希の頭に、ひとつの思いが差し込んだ。
――ううん、そうじゃない。僕たちは…何も知らされていないんだ。町人は蚊帳の外。お武家様の仲間じゃないから…。
けれども珠希は心に浮かんだその言葉を直感的に飲み込んだ。
「その、だから僕は…。これから沢山の瓦版を作りたい。皆さんの、お武家様方の御雄姿を…みんなに向けて書きたいです」
――本当のことを、みんなに知らせるために。
心の中でつぶやいて、珠希はぎゅっと手を握りしめる。
――それにはまず、この方たちに信用されなくちゃ。書いて売ることを…禁じられないように。
恭一朗は納得したようにうなずいた。
「なるほど…。お前の考えは、相分かった」
――うむ。その方針ならば問題あるまい。念のため、事前に検閲をかければ良いことだ…。
恭一朗は、続けてちらりと諒を振り返った。
「ならば諒。お前はその塀の上の『持ち場』に戻れ。その読売と、念のため狙撃手とを連れてな。皆を案内することが今日のお前の役目となる。これまでどおりよろしく頼む」
はっ、と恭一朗を見上げる諒。
「姿を隠したまま表庭が見下ろせる場所ならば、狙撃に使える可能性があるだろう? どうやら私の手落ちだな。私がもっと、お前を仲間として厚遇していれば…その情報を早い段階で明かしてもらえたやもしれぬのに。私もまた深慮が足りなかった。済まぬ、諒」
丁から半にひっくり返った恭一朗の態度に、諒は内心舌を巻いた。
――この御方、すげぇな。てめぇの益になると見りゃあ…『町人風情』にだって、進んで頭を下げんのか。
見上げるほどの男に出会ったのは初めてだと思う。大人とはこういうものかと、諒は心の中にのぼせるような熱さを感じた。
――悔しいけど…人の上に立って、でっかいお務めをしてる男ってのはやっぱり違うもんだ。
何て言うか、目指す場所をはっきり見据えて…冷静に頭使って、てめぇの駒を進めてくのか。
負けたくない、と思った。それは恭一朗にではなく、まだ未熟な己にだ。
――そうだな。考えなしについつい気分で動いちまうのが、つねづね俺の足りねぇとこだよ。
鉄と珠希の助けになりたきゃ、今の俺には…てめぇの気分を押し通すより、やらなきゃいけねぇことがある。
「…分かりました、高梨様。任せてください。俺、しっかりやらせていただきますよ」
諒は続けて恭一朗と周りの隊士たちに向かい、深々と頭を下げる。
「けど、その前に…。新徴組の皆さん、俺、色々と勝手して、生意気言って…すいませんでした!」
――利害、一致か。
同行させる狙撃手に素早く指示を与えながら、恭一朗は諒に向かい満足げにうなずいてみせた。
***
表門の前がにわかに騒がしくなった。辺りを警戒する遊撃隊が曲者を捕らえ、引っ立てて来たのだ。
「塀の上…? 賊の一味か?」
両脇を隊士に抱えられ引きずられてきた二人の男は、黒い装束に身を包みだらんとうなだれている。恭一朗は鉄砲隊の一部に指示を出し、照準を二人に合わせて威嚇した。
「…何者だ。言わねばこのまま撃つ」
不審者の顔に提灯をかざした恭一朗。するとそのひとりが叫ぶ。
「高梨様! 俺です、諒ですよ! 新徴組の皆さんをここにお連れした…っ!」
――諒…? 賭場への手引き役…? 確かに一度、武崎殿に連れられ挨拶に来たが…作戦の末端を担う町人の顔などいちいち覚えておらぬ。本当に此奴だったか?
男の連れは不安げに辺りを見回した。自分たちに向けられた銃口とあたりに散らばる賊の骸へ交互に視線を彷徨わせ、恐怖のあまり声を漏らして涙を流す。
「あ…あ、ううっ…!」
「へ、平気だから! 泣くなって珠希! ああもう高梨様、何で分かんねぇんだよ! だから俺です、諒ですって!」
隊士のひとりが怪訝そうに恭一朗に問いかける。
「高梨様。此奴は…?」
「ああ。どうやら…今回の作戦で手引き役を務めた…町人のようだ」
一気にいきり立つ隊士たち。
「な…っ! 町人風情が我らの戦場に入り込むとは!」
「勝手なことを…! 作戦の邪魔をしに来たのか!」
頭に血が上った諒は思わず言い返した。
「なんでぇ! 無茶したことは謝りますけどね、その言い方はないでしょう! 俺だって立派なお仲間ですよ! こちとらお侍様たちとは違って、脇に刀も差さず…皆さんに言われるがまま、幾度もここへ命がけで通ったんだから!」
恭一朗は慌てて声を張る。
「…皆、抑えよ! 作戦中であることを忘れてはならぬ!」
――この流れは、まずい。
恭一朗は取り急ぎ隊士たちから二人を引き取り、指揮を腹心の部下に任せて再度それぞれの配置に戻らせた。
ふてくされる諒と、しおれ切ったその連れ。二人を隊の後ろに控えさせ、恭一朗は今一度態勢を整える。表門の前に再び冷静さが戻った。
「諒。お前たちに…言いたいことが二つある」
表門を睨んだまま、恭一朗は言葉を発する。
「ひとつ。危険かつ重要な役目を担わせておきながら、私と隊士らが『町人風情』という論調で批判したことに対しては…お前の忸怩たる思いも分からぬではない」
恭一朗は憤りを抑えつつ低い声で続けた。
「だがもうひとつ。…考えろ。もっと考えろ! もしもお前たちが賊に見とがめられ、人質となればどうなるか。私たち新徴組は当然お前たちに構わず目的を優先する。だが武崎殿や松波殿はどうだ。お前たちの救出を望むだろう。皆の意思に齟齬が生じる。つまりは仲間割れだ」
圧倒的に思索が足りぬ…! 二人を叱りつける恭一朗。
「それだけではない。敵は残虐な賊どもだ。捕らえられたお前たちは当然壮絶な拷問に掛けられ、作戦の全容と救出対象者の隠れ場所を吐くだろう。その者を救出できなければ、不利益を受けるのは結局お前たちを仲間と信じた松波殿と武崎殿だ。少し考えただけでも…一体何故お前たちの行為が批判されるのか、明白ではないか」
恭一朗は、敢然と言い放つ。
「お前たちはそこまで深慮せず、無計画に戦場に飛び込んだ。となれば、これだから町人はと見下されても仕方がない。どうだ、何か反論は?」
「…!」
「脇が甘すぎる。未熟な隙があれば批判は免れぬ。批判とは即ち攻撃。攻撃とは相手の急所を…反撃不能な場所を鋭く突く行為だ。そこを突かれて悔し涙を流したくなくば、無防備に隙を見せてはならぬ」
諒の体がかっと熱くなった。まるで自分が子どもに思える。悔しいけれど、言い返す言葉もなかった。黙りこくる諒に代わり、珠希は必死に弁明する。
「も、申し訳ありません! 僕が諒さんに無理を言ったんです。姿を隠したまま、御屋敷が見渡せるような場所を探しておいてって…。そこがあんまり完璧な場所だったから、僕たちすっかり自信満々で…御屋敷の外の御見回りのことまでは、考えていなくって…」
「姿を隠したまま、屋敷を見渡せる場所…?」
怪訝そうな恭一朗に、諒はぼそりと言葉を返した。
「ぼろ屋敷で、庭木の手入れも長らくしてねぇから…おあつらえ向きに、あちこち鬱蒼としてるんでさあ。俺ぁ、ここへ通ううちに…こっちからは門前の前庭が丸見えだけど、中からは絶対ぇに見えねぇ場所を見つけたんですよ。しかも塀の崩れたとこを足場にして、すっと上がれるところを…」
「お前、そんな場所を…!」
恭一朗は強く唇を噛む。
――狙撃手の配置に最適だったやもしれぬ。この町人に、偵察の能があったとは…。
恭一朗は、諒を軽くあしらい顔すら覚えていなかった己に内心臍を噛んだ。
珠希は頬を紅潮させて、懸命に恭一朗の目を見つめる。
「高梨様、あの、僕…僕は、その…最高の瓦版を作ろうと思ったんです! それにはみんなからの聞き書きだけじゃ嫌だって、僕が現場をこの目で見なくちゃ駄目だって、そう思って…それで…申し訳ありません! 作戦のお邪魔をするつもりはちっとも無かったんです! 本当です!」
「瓦版…? お前は読売なのか?」
「いえ…今はただの貸本屋です。でも瓦版を作りたくって、第一号はこれだって…新徴組の皆さんの御雄姿を、凛太朗様の華麗なお姿を、世間の皆さんにちゃんとお伝えしたくって…」
前に向き直った恭一朗は、表門に目を据えたまま冷静に考えを巡らせた。
――瓦版か。あれは時に世論を動かす力を持つ。以前、一部隊士の素行の悪さで批判を受けた新徴組が、再び民の支持を回復させたひとつの要素でもある。有象無象が売り歩く紙切れだと軽んじるのは早計だ。
改めて恭一朗はその町人を見る。青年は華奢な体にどこか知性と品を漂わせていた。
――今回の捕り物が、こちらに有益な内容の瓦版になれば…他の賊への警告となり、背後で手を引く黒幕への牽制となるやもしれぬ。
「お前…名は何と?」
「珠希です。高梨様、どうか諒さんをお叱りにならないでください! 諒さん、博打なんかするのは嫌なのに…怖い人たちにお芝居までして、何度も必死にここへ通ったんです。諒さんがいなければ、この作戦は成り立たなかったはずなのに…なのに…」
諒を庇いたい一心で話しているうちに、次第にふつふつと怒りが沸き起こってきた。
――そう、そうだよ…! ずいぶんと諒さんに、失礼じゃないか…!
「そのっ、すっかり顔もお忘れになって、町人風情、なんて叱り方をなさるのは…。これだから新徴組の皆さんは威張り屋だって、『うわばみよりも、かたばみ怖い』って…そう言われても、僕は仕方がないと思います!」
一瞬呆気にとられた恭一朗は、提灯に印されたかたばみの家紋をちらりと一瞥し、ふっと苦笑いを漏らす。
うわばみよりも、かたばみ怖い。それは見回りの途中、あちこちの妓楼や飲食店や大店に乗り込み無料の接待を強要した一部隊士の横暴に、江戸市中を矢のように駆け巡った新徴組への陰口だった。素行の悪い隊士の教育に頭を悩ませた日々の記憶が、羞恥心と共によみがえる。
――此奴、早速先刻の私の言葉に学んだか…。
町人、という認識でしかなかった諒と珠希が、己と変わらぬ個人として息づき始める。恭一朗は背後の珠希に問いかけてみた。
「珠希。こたびの戦いを見てお前は何を思った」
――戦いを、見て…。
珠希は手を合わせ、考え込むようにしながら訥々と言葉を紡ぐ。
「僕が、思ったことは…。まるで物語みたいに、本や瓦版で知った気になってた『戦い』って、本当はこんな風なんだって…。新徴組の皆さんはこんな風に江戸の町を守ってくださっていたんだなって…そう、思いました」
改めて、ありがとうございます。珠希はぺこりと頭を下げた。
「だから僕は、なおさら…みんなに伝えなきゃって。今、何が起きているのかを、ちゃんと知らせなきゃって。町人の僕たちがこれまで通りに暮らしている裏で、こんな戦いがあるってことを、僕たちは何にも知らない…」
その時突如珠希の頭に、ひとつの思いが差し込んだ。
――ううん、そうじゃない。僕たちは…何も知らされていないんだ。町人は蚊帳の外。お武家様の仲間じゃないから…。
けれども珠希は心に浮かんだその言葉を直感的に飲み込んだ。
「その、だから僕は…。これから沢山の瓦版を作りたい。皆さんの、お武家様方の御雄姿を…みんなに向けて書きたいです」
――本当のことを、みんなに知らせるために。
心の中でつぶやいて、珠希はぎゅっと手を握りしめる。
――それにはまず、この方たちに信用されなくちゃ。書いて売ることを…禁じられないように。
恭一朗は納得したようにうなずいた。
「なるほど…。お前の考えは、相分かった」
――うむ。その方針ならば問題あるまい。念のため、事前に検閲をかければ良いことだ…。
恭一朗は、続けてちらりと諒を振り返った。
「ならば諒。お前はその塀の上の『持ち場』に戻れ。その読売と、念のため狙撃手とを連れてな。皆を案内することが今日のお前の役目となる。これまでどおりよろしく頼む」
はっ、と恭一朗を見上げる諒。
「姿を隠したまま表庭が見下ろせる場所ならば、狙撃に使える可能性があるだろう? どうやら私の手落ちだな。私がもっと、お前を仲間として厚遇していれば…その情報を早い段階で明かしてもらえたやもしれぬのに。私もまた深慮が足りなかった。済まぬ、諒」
丁から半にひっくり返った恭一朗の態度に、諒は内心舌を巻いた。
――この御方、すげぇな。てめぇの益になると見りゃあ…『町人風情』にだって、進んで頭を下げんのか。
見上げるほどの男に出会ったのは初めてだと思う。大人とはこういうものかと、諒は心の中にのぼせるような熱さを感じた。
――悔しいけど…人の上に立って、でっかいお務めをしてる男ってのはやっぱり違うもんだ。
何て言うか、目指す場所をはっきり見据えて…冷静に頭使って、てめぇの駒を進めてくのか。
負けたくない、と思った。それは恭一朗にではなく、まだ未熟な己にだ。
――そうだな。考えなしについつい気分で動いちまうのが、つねづね俺の足りねぇとこだよ。
鉄と珠希の助けになりたきゃ、今の俺には…てめぇの気分を押し通すより、やらなきゃいけねぇことがある。
「…分かりました、高梨様。任せてください。俺、しっかりやらせていただきますよ」
諒は続けて恭一朗と周りの隊士たちに向かい、深々と頭を下げる。
「けど、その前に…。新徴組の皆さん、俺、色々と勝手して、生意気言って…すいませんでした!」
――利害、一致か。
同行させる狙撃手に素早く指示を与えながら、恭一朗は諒に向かい満足げにうなずいてみせた。
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