大江戸の朝、君と駆ける

藤本 サクヤ

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第三章 当世合戦絵巻

1.江戸のおまわりさん(五)

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「よいしょっ!」
 
 珠希は重い背負子しょいこ背負せおい直した。

「ああ、今日も一日良く働いた! 御褒美に何か甘い物でも買って帰ろうかな」

 ――ひとりで回るのにもずいぶん慣れてきたみたい。
 にっこり微笑む珠希の耳に、変わったふしの口上が飛び込んだ。

「きたまだエェ さてもないない つまらないヘイヘイ 絵入りの一枚が、たったの四文」

 白黒刷りの瓦版かわらばんを道行く人々に示しながら、読売は大声で喧伝けんでんする。

「泣く子も黙るおまわりさんが、またも夜盗と激突したよ! いの一番に飛び出して、悪党どもを一刀両断に斬り捨てたのは、御存知、高梨凛太朗様! その凛々しいお姿を描いた挿絵さしえ付き! さあさあ皆々様方、お代をご準備いただき、買った買った買ったぁ!」 

 妖怪などの眉唾噺まゆつばばなしから天変地異、巷に起こる事件まで、ありとあらゆる情報を掲載している瓦版。内容を読んで売るから、商う者を「読売」と言う。菅笠すげがさで顔を隠して売るのがお決まりだったが、それは人々を扇動せんどうするとされ、たびたび公儀の取り締まりを受けたからである。
 情報統制をかいくぐり、なおも真実を拡散しようとするその姿勢には、伝え拡げようとする者の矜持きょうじがあった。

 最近では読み物的な要素を高めた「新聞」と称する冊子も出始めている。動乱の世の中、瓦版や新聞は民衆らにとって貴重な情報源になっていた。

 新徴組の高梨凛太朗は、その美男子ぶりでちまたに絶大な人気を博している。市中の見回りに加われば、凛太朗目当ての人だかりは隊列の人数を軽く超えた。
 我も我もと読売に群がる人々に混じり、珠希も早速その一部を買い求める。

 ――ふむふむ、この挿絵は…ううん…まあまあ、だね。
 僕だったら、もっと美人画風の艶っぽい絵を持ってくるけどなあ。できれば彩色付きで。文調も…ちょっと荒々しすぎる。もっと…気持ちがきゅん、となるような感じがいいよ。
 題して浮世絵新聞、なあんてね。あはは、それじゃあ値段が高くなっちゃうのかな。

 ふと浮かんだ思い付きに目を輝かせる珠希。
 ――そうだ、版元さんにお願いして、摺師すりしさんの仕事場を見学させてもらおう。一体どんな風に刷っているのか、見てみたいよ!

 あれこれ夢想しつつ長屋に戻った珠希は、共同のかわやから出てくる秋司と出くわした。

「おう、珠希。丁度良かった。ちょっと今、諒を借りてるぞ」

「え! 諒さんが、来てるんですか?」

 嬉しそうに頬を染める珠希を、秋司は指でつつき揶揄った。

「はは、にやけすぎだろ珠希。ちょっと珍しい客が来てるから、お前も顔出して行け」

 狭い秋司の部屋は超満員だった。珠希は秋司が開けた戸の外から部屋を覗き込む。

 入ってすぐの上り框には、腰を下ろした諒がいた。諒は少し照れくさそうに、よお、と片手を挙げる。
 畳の上には、御苦労だったねと微笑む冬儀。その隣に秋司がどっかり陣取った。

 最後にあとひとり。
 部屋の奥に立て膝で座る若侍の溌剌はつらつとしたうるわしさに、珠希は思わずぽかんと口を開ける。
 ――あ…まさか、まさかこのお方は…!

「珠希。こちらは新徴組の高梨凛太朗殿だ」

 秋司の言葉に珠希は目を白黒させて、手元の瓦版とその姿を交互に見た。

「ああっ、やっぱり! た、高梨凛太朗様! この、瓦版の…」

「ふふ。またそんな瓦版が出ていたか。ちょっと見せてくれ」

 珠希は震える手で、凛太朗に瓦版を渡す。
 ――ほ、本物の凛太朗様が、うちの…長屋に!

「ううん…まあこの挿絵なら少しはましか。だがあと一息…何とかならぬものだろうか」

 挿絵に目を落とし、おどけてぼやく凛太朗。

「そ、そうなんです、僕も常日頃そう思っていて! こういう武者絵風じゃなくて、例えば美人画の得意な絵師に描かせたら、もっと凛太朗様の御美しさが映えるのに…」

 頬を赤く染め熱弁をふるう珠希。凛太朗は爽やかに笑いかけた。

「ならばお前、今度読売に会ったら言っておいてくれ。豪快に描いてくれるのは嬉しいが、無骨な弁慶べんけいみたいに描かれるとさすがに少々落ち込むぞ、と」

「そう、そうですよ! それじゃあまるで、秋司さんですものね!」

「おい珠希! それは俺を褒めてるのか、けなしてるのか、どっちなんだよ!」

「ふふ。秋司、ならば珠希に瓦版を作ってもらおう。きっと珠希なら…秋司のことも美しく描いてくれる」

 ――僕が、瓦版を…? わあっ…! 何だか面白そう! 
 冬儀の言葉に珠希は目を輝かせる。
 ――そうだ、瓦版の真似ごとを作ってみよう。貸本屋で回るついでに…おまけ程度に売ったらいいかもしれない。どれくらいの元手がいるのか、版元さんに相談してみよう!

「じゃあ…僕はそろそろ家に戻りますね。凛太朗様、お会いできてとっても…とっても嬉しかったです! それからその、諒さん…また、あとで、ね!」

 照れながら諒に小さく手を振ると、珠希はぺこりと皆に頭を下げて静かに戸を閉めた。
 部屋に差し込んだ明るい光。その余韻のあとで、一同は表情を引き締めなおす。

「で…武崎様。俺みてぇなただの町人がここに呼ばれたのは…どうしてなんです?」

 諒は改めて冬儀に向き直った。

「凛太朗様の前で言うのも何だけど、俺ぁ、元博打打ちです。刀は使えねぇが度胸だけはある。鉄のためなら何だってやりますよ。で、俺は一体ぇ…何をすりゃあいいんです?」

 冬儀はおもむろに諒を見返した。その目はいつになく楽しげに輝き、頬はほんのり桜色に染まっている。

「元、ではなく…。ぜひここで現役の博打打ちに戻ってくれ、諒。無論資金は用意する。新徴組の御一行を引き連れて、皆様に丁半博打を指南してほしいんだ」

「ば、博打? 現役の?」

 諒は一気に青ざめた。

「御接待だか何だか知りませんが、そ、そりゃ困りますよ武崎様! 俺ぁ根津の権現様に固ぁく誓ったんで、もう二度とさいころには関わりません、ってさ。その禁を破ったら、権現様に祟られて珠希に嫌われて…またあいつが逃げちまうかも…」

 うろたえる諒に冬儀は声を改め、すっと姿勢を正す。

「安心してくれ、諒。博打を打つのは無論方便だ。一見では入れぬあの賭場に、堂々と入れるのはお前しかいない。新徴組の皆様とて、本気で博打を打ちに行かれるわけではなく、敵陣の御偵察がその目的。その密偵部隊をお前が現場に導くんだ。そして諒、お前にはもうひとつ大仕事がある。鉄二郎に会い、この…紙と筆とを渡してほしい」

「紙…? ってことは、俺が鉄に何か書かせるってことですね…?」

 忙しく頭の中を動かす諒。冬儀は諒の利発な様子に内心胸をなでおろした。

「ああ。根城の全容を図面にするんだ。加えて頭領の居場所や外への出入り口、各所に置かれた見張りの状況なども詳しく聞き出してくれ。それより何より重要なのは…お前が鉄二郎の信頼を得て、こちら側に協力すると固く誓わせること。どうだろうか、諒。私はお前ならこの仕事ができると、確信しているのだが…」

 ――鉄の、信頼を…。
 諒は勢いよく鼻の下をこすってみせる。

「…できるのできねぇのって、武崎様、そりゃあできるに決まってまさあ! 俺と鉄ってのは、小っちぇえ頃から阿吽あうんの呼吸で通じてきたんです。俺がびしっと鉄んとこに顔みせりゃ、あいつだってびびり倒した肝っ玉に気合い入れ直して…てめぇが何をしなけりゃいけねぇか、すぐに分かるはずですよ」

 微笑みうなずく冬儀に向かい、諒は言葉を続けた。

「丁度いいや。俺が賭場から遠ざかったもんだから、かっかしてるお方がいるんですよ。銀次兄さんっていう、いけ好かない野郎なんですが…お詫びがてらに上客を連れて来ました! なんて頭を下げりゃ…はは、上機嫌でほいほい場に上げてくれるでしょうよ」

 秋司は冬儀と見交わした目を、ゆっくり諒に移す。

「頼んだぞ、諒。まああれだ、珠希のことなら心配するな。俺からもちゃんと話をする。だが、これを機会にまたぞろお前が博打に入れ込んだりしたら…その先は権現様にお任せだけどな」

「いや、ほんと珠希のことは…頼みますよ秋司さん。これぁ俺から言い出したことじゃねぇんだって、皆様からお願いされて、ほんとに仕方なく、嫌々行くんだって…ね?」

 そう言いながらも、人任せではいけないと諒は思った。
 気になることは先送りにしない。珠希の逃げ出したあの夜の失敗を、もう二度と繰り返すつもりはない。
 ――あとですぐ、珠希に説明しなけりゃな。そんで、そうだ、珠希の願いを十でも二十でも聞いてやろう。鉄のためとはいえ、ここであいつに嫌われちまったら…。

 冬儀は柏手かしわででも叩くように、ぱんっ、とひとつ手を叩いた。

「よし。では早速細かい話を詰めて行こうか」

 黙って成り行きを見守っていた凛太朗もその口を開く。

「…ああ、そうだな。今夜の話は私がしっかり持ち帰り、兄上にお伝えしよう」

 秋司は座を盛り上げるように、明るい笑顔を諒に向けた。

「ほら、諒もこっちに上がってこい。はは、何て顔してる。まさにお前らの言う、『なんでぇこのうらなり、いつまでもしけた面しやがって』だぞ?」

「おいおい、ひでぇな秋司さん! くそっ、こうなりゃ…ええい、ままよ! 鉄のためだ、四の五の言わずにきっちり務めてやろうじゃねぇか!」 

 草履をぽん、ぽん、と脱ぎ棄てた諒は、ぐっと勢いをつけて上り框をあがった。
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