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第二章 寺小姓立志譚

3.奥山詣(二)

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 行きかう人々に混じり、本堂に向かう参道、仲見世なかみせを歩いた。左右には、土産物や様々な菓子を売る店が所狭しと並んでいる。あれこれ見て行く中に、珠希が特に目を輝かせた店があった。
 屋号は『助六すけろく』。
小玩具しょうがんぐ」という、手の平に乗るほど小さな玩具を所狭しと並べた宝箱のような店だった。
 風車に上から息を吹きかけると、豆粒のように小さな鼠と猫がくるくるまわる「風車」。木綿糸が巻かれた細い棒を回し、ぽん、と人形を飛ばすと、被せが外れて下から違った顔が出る「とんだりはねたり変わったり」。
 色合いも鮮やかな仕掛け玩具にひとつひとつ歓声を上げながら、にこにこと店主の説明を聞く珠希を見ていると、諒も心底楽しい気持ちになってくる。

 ――いっつもそうだ。珠希の気持ちは不思議と俺に移って来るんだよな…。
 諒はそっと、笑う珠希の美しい横顔を見つめた。

 迷いに迷った珠希は「鼠と猫」という小玩具を買うことにする。猫が乗った小さな木箱のふたを押し引きすると、追われた鼠がすっ、と消えたり、ぴょいっ、と出てくる愛らしい仕掛けだった。

「これはね、本来会うはずがない者同士が偶然出会った様子を表してるんですよ」

 店主の言葉に心がきゅっと動いた。
 ――まるで僕と諒さんみたいだ。

「…決まったんなら、俺が買ってやるよ」

 可愛らしい巾着を取り出した珠希を諒が押しとどめる。ひそかにさいころ断ちの願掛けをしている諒はめっきり賭場に足が向かなくなり、以前よりもずっと財布が潤っていた。
 つつじの押し花を渡した時の、珠希のうるんだ眼差しが諒には忘れられなかった。
 ――またあんな風に珠希を喜ばしてぇな。

 今日はその好機だった。何かひとつぐらい珠希の好きな物を買ってやろうと、そう心に決めていた。

「ほ、ほんとに? じゃあこれは諒さんからの、二つ目の贈り物になるの?」

 ああ、そうなるな。うなずく諒に珠希は口元を手で覆い、ぎゅっと目をつぶった。

「嬉しい…ありがとう、ありがとう諒さん…!」

 店を出ても珠希は玩具を離さなかった。
 
「この鼠、ちっちゃくって珠希みてぇだな。じゃあ俺は…こっちの猫だ!」

 わっ、と珠希をつかまえようとする諒。きゃはは、と子どものように珠希がはしゃぐ。

「無くさないように、しまっとけよ」

 諒は満ち足りた思いで珠希の笑顔を見つめた。
 美人揃いの茶屋娘が客をひく、水茶屋の並びを冷やかしつつ二人は額堂がくどうをくぐり、右手に五重塔を見ながら進む。沢山の紙が貼られた背の高い石碑を指さして、あれが浅草寺の迷子石だと諒は言った。

「新吉原の火事で死んだ遊女を弔うために寄進されたらしいぜ。向かって左が『たづぬる方』、右が『らする方』。ほら…上っ側の窪んだところに、紙がたくさん貼ってあるだろ?」

 何でもない風に語る諒の横で、珠希は迷子石をじっと見つめる。

「ね…。もし僕が迷子になったら、諒さん、ここへ迎えに来てね。僕、ずっとずっと…待ってるから」

 そして諒を見上げ、にっこりと笑った。

「僕も諒さんが迷子になったら…絶対ここへ迎えに来るからね」

 ――珠希の奴、俺のこと…気遣ってくれてるんだな。
 諒は照れ隠しにわざとまぜっかえす。

「はは、もういい大人だってのに、俺たち迷子になんかならねぇだろ」

 珠希はぷうっと口をとがらせた。

「だから、もしも、の話!」

 笑いながら歩みを進める二人の前に、急勾配の大屋根を抱いた本堂が迫る。諒は珠希を優しく覗き込んだ。

「じゃあさ。そんな悲しいことが起きねぇように、しっかりお参りしような」

「うん! お参りが済んだら、いよいよ『大イタチ』だね!」

 ゆっくりと一段ずつ、本堂に繋がる大階段を昇って行く。
 賽銭を放り込み、神妙に何かを祈る互いのことを、二人はこっそり横目で覗いた。
 ――いつかこの思いが、通じますように。

 厨子ずしに隠された御本尊の秘仏のように、二人は同じ願いをそっと心にしまっていた。


 ***


 本堂を出て、浅草寺を左奥へ抜けて行く。ごった返す人波と呼び込みや芸人たちの口上、人々の笑いさざめきが交じり合った喧噪が珠希を圧倒した。
 浅草奥山。浅草随一の盛り場だ。珠希は諒の左の袂を掴み、迷子にならないようにした。

「ね、諒さん、あの人だかりは何?」

「浅草奥山名物の、曲独楽きょくごまって芸だよ。せっかくだから見て行こうぜ」

 ――きっと珠希の奴、目ぇ丸くするぞ。
 諒はわくわくした気持ちになった。

 羽織袴に身を包んだ十三代、松井源水まついげんすい。代々この場所で曲独楽芸を披露しながら、薬や歯磨き粉などの商品を売りさばいて来た、当代一流の曲芸師である。大小様々な独楽を自在にあやつり、ひも、羽織、手の上、棒、扇子…不安定で到底乗りそうもないような所へひょいっと独楽を投げては乗っけ、また回し続ける。
 緊張感と華やかさを備えた十三代目の名人芸に、人々は惜しみない歓声を送った。

「聞いたか? すげぇよなあ、とうとう秋から二年間あちらさんに呼ばれて、亜墨利加アメリカをぐるりと回るんだってよ」

「はぁっ、いよいよ海の外に出るのかい…! 亜墨利加なんて想像もつかねぇけどよ、これならまあどこだって胸張って行けるわな!」

 取り囲む人々のあいだで口々に賞賛の声が上がる。珠希も頬を上気させて、諒の袂をぶんぶん振った。

「諒さん! ねえ諒さん! 亜墨利加、亜墨利加だって!」

「象がいるぐれぇだ、亜墨利加ってのもほんとにあるんだろうけど…浅草の芸が海を渡って、訳分からねぇとこまで出掛けてくってのは…ほんと、すげぇ世の中になったんだな」

 大きな船に乗り込み、真っ直ぐに風を受ける松井源水の姿を想像する。
 世界の広さを珠希は思った。
 ――もっともっと、色々な物が見たい。色々なことをしてみたい。

 小さなそんな思いの種が、目を輝かせる珠希の心にそっと植わった。
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