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第32話 前夜、寝ずの番
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それから夜になり、私とディアンは皇宮へと向かった。
ポレットはお留守番である。「所長の助手は私なのにー!」と悔しがっていたが、寝ずの番になるし、事務所の留守番も立派な仕事だから、となだめて出て来た。
事務所前に迎えに来てくれた馬車に乗り込むと、馬車はゆっくりと皇宮へと向かって走り出した。
皇都を抜けて皇宮の正門から入り長い正道を抜けているあいだ、私は窓から外を見ていた。
ビュシェルツィオ皇宮の暗闇に浮かび上がる明かりは豪華で美しく、思わず見とれてしまう。華美で威厳たっぷりで、まさに帝国の力と誇りを見せつけているようだった。
馬車の対面に座るディアンもその光景を見つめているが、その表情は硬かった。呼吸は浅く、そうかと思うとたまに深呼吸している。緊張しているのがこちらにもうつりそうなくらいだ。
そりゃそうよね、と思う。だって今夜、偽ブラックスピネルが絵画を盗むために襲来してくるかもしれないのだから。
「……大丈夫?」
声を掛けると、ディアンは驚いたように私の方を向いた。淡い色の瞳の奥には、隠しきれない不安がある。
「問題ありません」
低く答えた彼の声は、言葉とは裏腹に微かに震えていた。
珍しい、と少し意外に思った。普段あまり感情を表に出さないディアンが、こんなにも自分の心を晒すだなんて。
「……でも、正直に言えば……不安です。本当にこれでいいのかと……」
彼の視線が一瞬、足下に置いた大きな包みに落ちた。
夜食のお弁当箱を包んできました、と彼は言っていた。一抱えもありそうなあの大きさなら、私の分も入っているかもしれない。
彼の指が、お弁当の包みの結び目をきつく握りしめる。
「でも、進むしかないんですよね」
自分を説得するように、ディアンは静かに呟いた。
私はゆっくりと頷く。
「そうね。皇后陛下にお約束してしまったのだもの」
彼を安心させるために、私はにっこり微笑んだ。
「きっとなんとかなるわ。頑張ってブラックスピネルの犯行を阻止しましょう」
「……はい」
眉をひそめて重々しく頷くディアン。
緊張が、私たちを包み込んでいた。
皇宮の馬車回しにて馬車を降り、夜にもかかわらず明るい光に包まれた廊下を進むと、私達はヘレーネ皇后陛下に迎えられた。
皇后陛下の細い目は緊張を漂わせていたが、そのキラキラしてサファイアの瞳には好奇心も見え隠れしている。
ブラックスピネルの出現に警戒しつつも期待している、といったところだろう。
「ようこそ、名探偵さん。『湖畔の愛』のところまで案内するわね」
ということで、私達は『湖畔の愛』を保管している宝物殿へと向かった。
皇后陛下のあとについて皇宮を移動している途中、あちこちに衛兵たちの姿が見られた。偽ブラックスピネルの予告状を抜きにしても、明日は譲渡の儀で来賓が多数来るのだし、警備は増して当然なのだろう。
そして、私達は個別の棟である宝物殿の前に来た。
「木を隠すなら森の中、というけど――」
皇后陛下が呟く前で、衛兵が重厚な扉をギィッと開ける。
「怪盗に狙われるリスクを考えたら、やっぱり宝物は専門的なところで保管しないとね」
密閉された宝物殿に、皇后陛下の声が響く。
「すごい……」
そこに一歩足を踏み入れて、私は思わず溜め息をついた。
壁に取り付けた燭台の明かりのなか、大きなその空間には様々な宝物が保管されていたのだ。
色とりどりの宝石でギラギラと飾り立てられた剣や、大きなダイヤモンドが嵌め込まれた王冠、エメラルドが輝く豪華なネックレスなどが、所狭しと置かれていた。
まるでそれぞれの宝物が自分に隠された物語を静かに語っているような――そんな輝きだ。
足音が響くなか、皇后陛下を筆頭に、私達は宝物のなかを進んでいると。
「あ、これ……」
私は思わず声をあげた。
あのピンクダイヤモンドの首飾り――【桜であって、桜にあらず】が、ガラスケースに入れられていたのだ。
首飾りは燭台の光にキラキラと輝き、存在感を示している。
「ああ、それね……」
とヘレーネ皇后が奥歯にものが挟まったように微笑んだ。
「あなたに名付けをしてもらったのよね。【桜であって、桜にあらず】……素敵な名前よねぇ」
おほほ、と空々しく笑う皇后陛下。
「名前の通り、太陽が降り注ぐところに置いてあげたいんだけど……ちょっと、まあ、なんていうか、東方からの長旅で疲れてるでしょうしね。お休み期間が必要ってことで、ここで眠ってもらってるの」
皇后陛下は、私がこの宝石の真の来歴を知らない、と思っているのである。
この首飾りは長らくブラックスピネルに盗まれていた――というストーリーをアステル殿下は作り上げ、両陛下に報告していた。彼が私を助け出すときについでに取り戻したのだ、ということにしたのだ。
ハルツハイム王に盗まれたうえに、そこからブラックスピネルにも盗まれていた――その過去を誤魔化すために、新たに『東方からやって来た秘宝』という来歴が皇帝陛下と皇后陛下から付与されたのである。
もちろんそれは、二重の嘘だ。本当はハルツハイム王が長らく借りたまま返さなかったのを、アステル殿下がブラックスピネルとして盗み出したのだ。
なんにせよ、宝石というものには人々の念が集中する。想いの分だけ秘された来歴がいくつも存在する――そういうことだろう。
ここにある宝物は、皆、一つ一つがそういった個性のある来歴を抱えた宝物なのだ。
宝物殿の奥に進むと、それが専用の器具に立てかけられているのが目に入った。朱色の布が掛けられた、大きな板状のものだ。
「こうして見ると、やっぱり大きいわねぇ」
そんなことをいいながら、皇后陛下は布にそっと手を掛けた。
静かな音を立てながら布が取り除かれると、現れたのは一枚の絵画――。
「まあ、素敵……」
感嘆の声をあげながら、私はその絵を見上げる。
幅は三メートルはあるだろうか。かなり大きな絵で、確かに大階段で見た覚えがあった。
豪華な額縁に収められたその絵は、静かで神秘的な湖の風景を描いていた。湖面に映る白と栗毛の二頭の馬が、互いを慈しみ合うように見つめ合っている。その視線の柔らかさが、二頭の間にある特別な感情を想起させた。遠くには、傘を差した後ろ姿の男女が小さく描かれていた。彼らは湖の向こう岸に立っていて、さらに遠くの山を眺めているように見えた。
再評価の結果、価値の変動はないとされた絵画だけれど。それでも私には、十分価値があるように思えた。
これを熱烈に欲しがるアル=ファイラ王国の大富豪も理解できたし、盗もうとしている偽ブラックスピネルのセンスもなかなかだと感じる。……って、盗っ人を評価するのは癪だけどね。
「絵って不思議なものよね」
絵を見上げながら、皇后陛下が満足げに呟いた。
「先様にお渡しするからって綺麗に仕立てたんだけど、そうしたら本当にとんでもない価値がある絵に見えるようになっちゃった。ついこの間まで大階段の途中に飾ってあったと思えないくらいだわ」
ディアンも絵を見上げながら溜め息をつく。
「本当に……素晴らしいです」
「さて」
と、皇后陛下が私達を振り向いた。
「あなたたちにはこの絵を守ってもらうわよ。よろしくお願いしますね、名探偵シルヴィアちゃん!」
「それなのですが……」
遠慮がちにディアンが口を開いた。
「僕が寝ずの番をしますので、所長には帰ってお休みいただきたいと思います」
え? ディアンったらなに言ってるの?
「この仕事をお受けしたのは所長である私よ。責任は私にあるし、この仕事は私がしないといけませんわ」
だが、ディアンは引き下がらない。
「今夜見張りたいと言い出したのは僕ですし、なにより明日には譲渡の儀が控えています。シルヴィア所長には明日に備えて体力を温存しておいていただきたいのです」
普段あまり感情を表に出さない彼にしては熱心な瞳をされてしまい、私はたじろいだ。
「でも、一人で徹夜はキツいわよ?」
「そのつもりで夜食のお弁当も持ってきています。僕、食べると目が覚める質なんです」
ああ、あの大きなお弁当の包みはそういうことだったのね。
「でもディアン、本当に大丈夫? ここって衛兵は入って来れないみたいだから、たった一人での警備になるわよ?」
扉の外で衛兵が警備していたのを最後に、宝物殿内に衛兵の姿はないのだ。おそらく防犯のために、特別な許可がない限り衛兵が入ることを許されていないのだろう。
「大丈夫です。剣技は得意な方ですし、騎士として訓練を受けてきた身ですので、徹夜も苦じゃありません」
「確かに、ディアンくんの言うことにも一理あるわねぇ」
ヘレーネ皇后陛下が指を頬に当て、考え込むように言った。
「今夜ブラックスピネルが来るって確証はないわけだし、より慎重にいくなら、名探偵さんには手分けして警備してもらうのが一番いいかもしれないわ」
「しかし……」
「確かにブラックスピネルの予告状のことを考えると今夜来る可能性もある。だけど来ないかもしれない。誰にも本当のところは分からないわ、だって私たちはブラックスピネルじゃないもの」
まあ、それはそうかもしれない。
予告状ではあくまでも『譲渡の儀』での犯行が予告されているのだ。
それが罠で今夜犯行が行われるのではないか――そんな懸念でここに来たわけだけど、予告状の通りに犯行が行われる可能性だってあるのだから。
そうなった場合、明日寝不足で偽ブラックスピネルと対峙しなくてはいけないのは体力的に大変だろう。
せっかく白鷲探偵事務所のメンバーが二人いるのだし、今夜はディアンが警備を担当して、私は明日に備えるのが得策なのかもしれない。
……でも。
「それならディアンの方が心配です。一人で見張っていてそこにブラックスピネルが来たりしたら、それこそ危険ではありませんか?」
「ディアンなら大丈夫よ」
皇后陛下は自信たっぷりに微笑む。
「ディアンの剣の腕は凄いんだから。ブラックスピネルが来たって絶対に勝つわ」
確かに、ディアンの腰には使い込まれた剣が下げられていた。アステル殿下も「ディアンは僕より強いよ」といっていたし、若いのに相当な使い手なのだろう。
「というか、それも念のためだわね。ここにブラックスピネルは入れないから」
いいながら、皇后陛下は扉の方にサファイア色の視線をやった。
「出入り口はあの扉だけだし、そこはきっちり衛兵が番をしてるわ。ちなみにシルヴィアちゃんがさっき言ったとおりで、ここに衛兵が入ることは許されていないのよ。入ることが出来るのは原則として貴族位を持つものだけなの。ディアンは公爵家の子だからその資格があるってわけ」
「……分かりました」
ヘレーネ皇后陛下は明日のことも警戒しているし、その心配は理解できる。
ディアンは強いし、そもそもここにブラックスピネルが忍び込むのは難しそうだし……。
ここは大人しく身を引いて、明日に備えさせてもらいましょうか。
でもこうなるのなら、最初からそう言っておいて欲しかったわね……。
「では、帰らせていただきますね。でも無理をしちゃだめよ」
「はい、ありがとうございます。……僕、頑張ります」
硬い頬を、彼はほんの少しだけ和らげさせた。
ポレットはお留守番である。「所長の助手は私なのにー!」と悔しがっていたが、寝ずの番になるし、事務所の留守番も立派な仕事だから、となだめて出て来た。
事務所前に迎えに来てくれた馬車に乗り込むと、馬車はゆっくりと皇宮へと向かって走り出した。
皇都を抜けて皇宮の正門から入り長い正道を抜けているあいだ、私は窓から外を見ていた。
ビュシェルツィオ皇宮の暗闇に浮かび上がる明かりは豪華で美しく、思わず見とれてしまう。華美で威厳たっぷりで、まさに帝国の力と誇りを見せつけているようだった。
馬車の対面に座るディアンもその光景を見つめているが、その表情は硬かった。呼吸は浅く、そうかと思うとたまに深呼吸している。緊張しているのがこちらにもうつりそうなくらいだ。
そりゃそうよね、と思う。だって今夜、偽ブラックスピネルが絵画を盗むために襲来してくるかもしれないのだから。
「……大丈夫?」
声を掛けると、ディアンは驚いたように私の方を向いた。淡い色の瞳の奥には、隠しきれない不安がある。
「問題ありません」
低く答えた彼の声は、言葉とは裏腹に微かに震えていた。
珍しい、と少し意外に思った。普段あまり感情を表に出さないディアンが、こんなにも自分の心を晒すだなんて。
「……でも、正直に言えば……不安です。本当にこれでいいのかと……」
彼の視線が一瞬、足下に置いた大きな包みに落ちた。
夜食のお弁当箱を包んできました、と彼は言っていた。一抱えもありそうなあの大きさなら、私の分も入っているかもしれない。
彼の指が、お弁当の包みの結び目をきつく握りしめる。
「でも、進むしかないんですよね」
自分を説得するように、ディアンは静かに呟いた。
私はゆっくりと頷く。
「そうね。皇后陛下にお約束してしまったのだもの」
彼を安心させるために、私はにっこり微笑んだ。
「きっとなんとかなるわ。頑張ってブラックスピネルの犯行を阻止しましょう」
「……はい」
眉をひそめて重々しく頷くディアン。
緊張が、私たちを包み込んでいた。
皇宮の馬車回しにて馬車を降り、夜にもかかわらず明るい光に包まれた廊下を進むと、私達はヘレーネ皇后陛下に迎えられた。
皇后陛下の細い目は緊張を漂わせていたが、そのキラキラしてサファイアの瞳には好奇心も見え隠れしている。
ブラックスピネルの出現に警戒しつつも期待している、といったところだろう。
「ようこそ、名探偵さん。『湖畔の愛』のところまで案内するわね」
ということで、私達は『湖畔の愛』を保管している宝物殿へと向かった。
皇后陛下のあとについて皇宮を移動している途中、あちこちに衛兵たちの姿が見られた。偽ブラックスピネルの予告状を抜きにしても、明日は譲渡の儀で来賓が多数来るのだし、警備は増して当然なのだろう。
そして、私達は個別の棟である宝物殿の前に来た。
「木を隠すなら森の中、というけど――」
皇后陛下が呟く前で、衛兵が重厚な扉をギィッと開ける。
「怪盗に狙われるリスクを考えたら、やっぱり宝物は専門的なところで保管しないとね」
密閉された宝物殿に、皇后陛下の声が響く。
「すごい……」
そこに一歩足を踏み入れて、私は思わず溜め息をついた。
壁に取り付けた燭台の明かりのなか、大きなその空間には様々な宝物が保管されていたのだ。
色とりどりの宝石でギラギラと飾り立てられた剣や、大きなダイヤモンドが嵌め込まれた王冠、エメラルドが輝く豪華なネックレスなどが、所狭しと置かれていた。
まるでそれぞれの宝物が自分に隠された物語を静かに語っているような――そんな輝きだ。
足音が響くなか、皇后陛下を筆頭に、私達は宝物のなかを進んでいると。
「あ、これ……」
私は思わず声をあげた。
あのピンクダイヤモンドの首飾り――【桜であって、桜にあらず】が、ガラスケースに入れられていたのだ。
首飾りは燭台の光にキラキラと輝き、存在感を示している。
「ああ、それね……」
とヘレーネ皇后が奥歯にものが挟まったように微笑んだ。
「あなたに名付けをしてもらったのよね。【桜であって、桜にあらず】……素敵な名前よねぇ」
おほほ、と空々しく笑う皇后陛下。
「名前の通り、太陽が降り注ぐところに置いてあげたいんだけど……ちょっと、まあ、なんていうか、東方からの長旅で疲れてるでしょうしね。お休み期間が必要ってことで、ここで眠ってもらってるの」
皇后陛下は、私がこの宝石の真の来歴を知らない、と思っているのである。
この首飾りは長らくブラックスピネルに盗まれていた――というストーリーをアステル殿下は作り上げ、両陛下に報告していた。彼が私を助け出すときについでに取り戻したのだ、ということにしたのだ。
ハルツハイム王に盗まれたうえに、そこからブラックスピネルにも盗まれていた――その過去を誤魔化すために、新たに『東方からやって来た秘宝』という来歴が皇帝陛下と皇后陛下から付与されたのである。
もちろんそれは、二重の嘘だ。本当はハルツハイム王が長らく借りたまま返さなかったのを、アステル殿下がブラックスピネルとして盗み出したのだ。
なんにせよ、宝石というものには人々の念が集中する。想いの分だけ秘された来歴がいくつも存在する――そういうことだろう。
ここにある宝物は、皆、一つ一つがそういった個性のある来歴を抱えた宝物なのだ。
宝物殿の奥に進むと、それが専用の器具に立てかけられているのが目に入った。朱色の布が掛けられた、大きな板状のものだ。
「こうして見ると、やっぱり大きいわねぇ」
そんなことをいいながら、皇后陛下は布にそっと手を掛けた。
静かな音を立てながら布が取り除かれると、現れたのは一枚の絵画――。
「まあ、素敵……」
感嘆の声をあげながら、私はその絵を見上げる。
幅は三メートルはあるだろうか。かなり大きな絵で、確かに大階段で見た覚えがあった。
豪華な額縁に収められたその絵は、静かで神秘的な湖の風景を描いていた。湖面に映る白と栗毛の二頭の馬が、互いを慈しみ合うように見つめ合っている。その視線の柔らかさが、二頭の間にある特別な感情を想起させた。遠くには、傘を差した後ろ姿の男女が小さく描かれていた。彼らは湖の向こう岸に立っていて、さらに遠くの山を眺めているように見えた。
再評価の結果、価値の変動はないとされた絵画だけれど。それでも私には、十分価値があるように思えた。
これを熱烈に欲しがるアル=ファイラ王国の大富豪も理解できたし、盗もうとしている偽ブラックスピネルのセンスもなかなかだと感じる。……って、盗っ人を評価するのは癪だけどね。
「絵って不思議なものよね」
絵を見上げながら、皇后陛下が満足げに呟いた。
「先様にお渡しするからって綺麗に仕立てたんだけど、そうしたら本当にとんでもない価値がある絵に見えるようになっちゃった。ついこの間まで大階段の途中に飾ってあったと思えないくらいだわ」
ディアンも絵を見上げながら溜め息をつく。
「本当に……素晴らしいです」
「さて」
と、皇后陛下が私達を振り向いた。
「あなたたちにはこの絵を守ってもらうわよ。よろしくお願いしますね、名探偵シルヴィアちゃん!」
「それなのですが……」
遠慮がちにディアンが口を開いた。
「僕が寝ずの番をしますので、所長には帰ってお休みいただきたいと思います」
え? ディアンったらなに言ってるの?
「この仕事をお受けしたのは所長である私よ。責任は私にあるし、この仕事は私がしないといけませんわ」
だが、ディアンは引き下がらない。
「今夜見張りたいと言い出したのは僕ですし、なにより明日には譲渡の儀が控えています。シルヴィア所長には明日に備えて体力を温存しておいていただきたいのです」
普段あまり感情を表に出さない彼にしては熱心な瞳をされてしまい、私はたじろいだ。
「でも、一人で徹夜はキツいわよ?」
「そのつもりで夜食のお弁当も持ってきています。僕、食べると目が覚める質なんです」
ああ、あの大きなお弁当の包みはそういうことだったのね。
「でもディアン、本当に大丈夫? ここって衛兵は入って来れないみたいだから、たった一人での警備になるわよ?」
扉の外で衛兵が警備していたのを最後に、宝物殿内に衛兵の姿はないのだ。おそらく防犯のために、特別な許可がない限り衛兵が入ることを許されていないのだろう。
「大丈夫です。剣技は得意な方ですし、騎士として訓練を受けてきた身ですので、徹夜も苦じゃありません」
「確かに、ディアンくんの言うことにも一理あるわねぇ」
ヘレーネ皇后陛下が指を頬に当て、考え込むように言った。
「今夜ブラックスピネルが来るって確証はないわけだし、より慎重にいくなら、名探偵さんには手分けして警備してもらうのが一番いいかもしれないわ」
「しかし……」
「確かにブラックスピネルの予告状のことを考えると今夜来る可能性もある。だけど来ないかもしれない。誰にも本当のところは分からないわ、だって私たちはブラックスピネルじゃないもの」
まあ、それはそうかもしれない。
予告状ではあくまでも『譲渡の儀』での犯行が予告されているのだ。
それが罠で今夜犯行が行われるのではないか――そんな懸念でここに来たわけだけど、予告状の通りに犯行が行われる可能性だってあるのだから。
そうなった場合、明日寝不足で偽ブラックスピネルと対峙しなくてはいけないのは体力的に大変だろう。
せっかく白鷲探偵事務所のメンバーが二人いるのだし、今夜はディアンが警備を担当して、私は明日に備えるのが得策なのかもしれない。
……でも。
「それならディアンの方が心配です。一人で見張っていてそこにブラックスピネルが来たりしたら、それこそ危険ではありませんか?」
「ディアンなら大丈夫よ」
皇后陛下は自信たっぷりに微笑む。
「ディアンの剣の腕は凄いんだから。ブラックスピネルが来たって絶対に勝つわ」
確かに、ディアンの腰には使い込まれた剣が下げられていた。アステル殿下も「ディアンは僕より強いよ」といっていたし、若いのに相当な使い手なのだろう。
「というか、それも念のためだわね。ここにブラックスピネルは入れないから」
いいながら、皇后陛下は扉の方にサファイア色の視線をやった。
「出入り口はあの扉だけだし、そこはきっちり衛兵が番をしてるわ。ちなみにシルヴィアちゃんがさっき言ったとおりで、ここに衛兵が入ることは許されていないのよ。入ることが出来るのは原則として貴族位を持つものだけなの。ディアンは公爵家の子だからその資格があるってわけ」
「……分かりました」
ヘレーネ皇后陛下は明日のことも警戒しているし、その心配は理解できる。
ディアンは強いし、そもそもここにブラックスピネルが忍び込むのは難しそうだし……。
ここは大人しく身を引いて、明日に備えさせてもらいましょうか。
でもこうなるのなら、最初からそう言っておいて欲しかったわね……。
「では、帰らせていただきますね。でも無理をしちゃだめよ」
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