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8章 舞踏会への招待

65話 おかしいくらいのときめき

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「好きだ、ジャンザ」

 アスタフェルの言葉に耳がカッと熱くなる。
 あれ? なんで……てかワタシ、なに今更……。なんでこんな、凄い恥ずかしいんだ?
 顔がとにかく熱い。その熱に感情が引っ張られている。

 何か言わないと。
 ワタシの答えは――。

 あ、違うか。これワタシが求婚して、それに対してのアスタフェルの答えだ。だからワタシの答えは特にいらないんだった。

 いやあ、なんていうか。
 思い返すと混乱していたとはいえ、よくワタシも風の魔王アスタフェルに求婚するわ迫るわしてたなあ、と。今更恥ずかしがっても遅いけど……。

「……でっ、でもオマエ、舞踏会会場で女の子たちに囲まれて嬉しそうにしてたじゃないか」

 耳の近くで心臓の音がドクドクとうるさい。そのせいで、ワタシの声まで震えていた。

 アスタフェルが短く息を吸い込むのが耳のすぐ近くで聞こえる。

「それって。じゃあ、会場で俺から逃げたのって――」
「う。それ以上言うのはまかりならん……!」

 ワタシは慌てて彼の口を手でふさぎ、ついでに睨み付けた。
 自分で話を振っといてなんだけど、これは凄く恥ずかしい。――女の子たちへの嫉妬だと、自らバラしてしまった。

 アスタフェルはワタシの手の下で口元を微笑ませる。形のいい空色の目まで嬉しそうに細めて。そしてふさいだ手を、自分の手で覆い隠すようにしてどかしてしまった。

「あの女性たちとは単に話してたけだ。でもジャンザが気にするんなら、もうお前以外の女とは話さないことにする」
「いやそういうわけにもいかないだろ」

 彼のあんまりな宣言に、思わず少し素に戻ってしまう。

「ジャンザがそんなふうに思ってくれたなんて、嬉しいよ。やっぱりお前アークより俺のこととってくれたんだ。大好き。ずっと言いたかった、大好きだぞ」
「アーク……王子……」

 そうだ。アーク王子。
 場の空気に流されてはならない。確かにアスタは好きだけど、好いた惚れただけで行動するのはワタシの信条に反する。

 ワタシは師匠の仇を討つため、薬草薬を広めるため、王子様の権力という後ろ盾が必要なんだ。
 そのためには王子様と結婚――じゃなくて、あのクズ王子のご希望に添うよう、アスタフェルと結婚して人妻にならなければならない……。

 ワタシは、気持ちを新たにしてアスタフェルの顔を見上げ、その空色の瞳を見つめた。

「ん? どうした?」

 ワタシに見つめられて、彼は小首を傾げる。
 思わずドキッとしてしまう。

 柔らかく潤んだ空色の瞳、赤く染まった頬。高いところで一つに結われた輝く白銀の髪。本当に美しく整った整った顔立ちは、今は包み込むような優しさに満ちている。

 ワタシを骨抜きにするためにワザとこんなことしてるんだとしたら見事だが、奴の術中にはまるのも癪である。

 理性よ、ワタシに自分を律する力を……! 
 ワタシは決意をもってすうっと息を吸って、新鮮な空気を息を肺に満たした。

 ……よし。もう平気だ。
 アスタの顔を間近から見ていても冷静でいられる。理性を使いこなすこの感じ、大好きだ。

 今。
 この瞬間、覚悟を決めよう。

「ありがとう、アスタフェル。ただ、ワタシから求婚しといてなんだけど、ちょっと条件が――」
「なんだ、もう終わりか」

 結婚生活は魔界ではなくこの世界で送りたいと言おうとしたワタシに、少しがっかりしたように、それでも優しい声音で彼はつぶやいた。

「終わり? なにが」
「俺の可愛いジャンザの時間」

 やはりアスタフェルにもワタシの……ときめきは伝わっていたようだ。恥ずかしい。ときめきって言葉自体がもう恥ずかしい。

「……すまんな、こういう性格なんだ」
「いいぞ。そういう苦虫をかみつぶした顔のお前が好きだから」
「それ、好きな理由としてはあまり聞かないな」

 ていうか女性にいう言葉じゃないぞ。

「もちろん笑ってる顔も好きだよ。どんなお前も、好き」

 あ、なんだろう。なんか調子狂う。こうはっきりストレートに言われると、やっぱり恥ずかしさのほうが勝る……。

 駄目だ、負けるな。理性理性!

「話を進める。結婚生活だが――」

 理性を総動員して心を落ち着け話を続けようとしたワタシだったが……。

 廊下の奥の方から足音がして、口をつぐんだ。

 ……やばい。ここは控え室がある棟への廊下なわけで、ここを通る人ということは、あちらに行くということで。というか我々だってそうだと思われてしまう……。

「逃げるぞ、アスタ」

 こそこそとアスタフェルに告げるが、彼は不思議そうに首をかしげた。

「意味分からんが? なんで逃げるんだ?」
「いいから。話はあと――あう、くそっ」

 腰から下がガクッと抜けてしまい、着ている上品なドレスに似合わぬ悪態をついた。
 ひねった足首はもう痛くはないのだが……アスタフェルから離れて歩き出そうとした途端、踏み出した足がふにゃっと崩れてしまい壁に手をついたのだ。
 やっぱり、いろいろあって精神的に参ってたのかな……。

「大丈夫か? やはりなにか――」
「いや、腰抜けただけ。悪いが、あっちまで運んでくれ」
「了解した」

 と、彼はワタシの腰に手を回し――。
 横に、抱き上げた。

 これはいわゆるお姫様抱っこというやつだ。恥ずかしい。以前にもこういうふうに運ばれた覚えはあるが、今は別格の恥ずかしさが身に染みる。

 今のワタシの格好にはよく合っているとはいえる……というか、軍服風の黒い立襟礼服の男が翡翠色のドレスの女を横抱きにして運ぶって、きっとはたから見たら絵になるだろう。女は、まあ、この際どんな女でものいいのさ。男のアスタフェルが絵面の大部分を持って行ってくれるから。
 しかしこんなに恥ずかしいもんだったのか、この体勢。ゆっさゆっさと運ばれていく振動も、肌と肌の接触……服の上からだけど。それにやっぱり胸や腕がたくましい。男だもんな、アスタフェルは。
 なんかもう……そわそわして、自分で歩きたくなってくる。この程度の腰抜けは静かにしてたらすぐ治ると思うから、早く治らないかな……。

 なんて考えるワタシを運び、アスタフェルは足取りも軽く進んでいく。

 扉を出て夜気が素肌に当たる。
 ワタシは急いで渡り廊下から外れるよう指示した。このまま隣りの館に行くのは……まあ、ちょっと。今はそういう状況でもないし。

 そして、ワタシたちは中庭に出た。
 アスタフェルはそのまま歩いて行く。どうやら近くの噴水を目指しているようだ。

 で、ワタシは横抱きされたまま、目の端でちらりと見てしまった。
 ワタシたちが今までいた渡り廊下を渡っていく二人の姿を。

 夜気に沈むような紺色の騎士服は司書騎士のものだ。
 小柄な女性……ユスティアだった。
 これはまだいい、婚約者相手に惚れ薬を使うというユスティアの自己申告のとおりだから(彼女が自分に使うということだけど)。

 彼女に先行して歩く男が問題だった。

 夜に反発するかのごとく浮かび上がる真っ白い騎士服はシフォルゼノ教聖騎士団のもの。そして輝く金髪に白い肌、すらりとした手足。高い背丈――。

 ユスティア……。エンリオ似の婚約者さんって、聖騎士でもあるんだね。どこまでエンリオに似てるんだ……ってエンリオ本人だよねそいつ!?

 ありえん。あいつが女を相手にすることはない。
 男色好みというわけではなく、聖騎士は妻帯禁止、色事禁止だということだ。あいつはそれを愚直に守っている。
 なぜ断言できるかといえば、以前あいつの弱みを握ろうと思って調べたことがあるからだ。

 だから知ってる、浮かれた醜聞も闇に静むような権力の醜聞もない。美形でキザでムカつくのに信仰一筋というある意味変人なのだ、エンリオは。
 なに考えて平気な顔してユスティア引き連れてんだあいつ……。

 たぶんあちらはワタシたちが魔女ジャンザとその付き人アフェルだとは気づいていない。格好がいつもと違いすぎるから。
 ドレスを着た淑女と礼服の男性という舞踏会にありがちな貴人カップルが中庭に行った、としか認識していないはずだ。

 ワタシの心臓が、甘いときめきとはまた違った高鳴りを刻んだ。今度は身を強ばらせる緊張の鼓動だ。
 一時期にこんなにいろんなドキドキをしていたのでは、心臓への負荷が心配される。

 そもそもが、今夜はユスティアを見張りに来たのを思い出す。
 忘れちゃいけないのに目の前のときめきに囚われて頭からすっぽ抜けていた。

 まったく。いろいろありすぎだ、今夜は。

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