22 / 117
5章 夜の出来事
20話 ジャンザと師匠の思い出
しおりを挟む
★ ジャンザと師匠の思い出
図書館でユスティアに会った、その日の夜。
これでよし、と。
今日の分を書き終わったノートをざっと見渡して満足すると、ワタシはかたわらのミンシアティーを口に含んだ。
すっかり冷めてはしまっているが、それでもすーっとする清涼感は相変わらず強力だ。
口の中を浄化してくるようなこの爽快感がワタシは好きだ。
それにこのスッキリした香りが気分を変える役割を果たしおだやかな眠りを誘うため、睡眠前に飲むのにピッタリのお茶だといえる。
いまワタシは、寝室の机で、自分の知っている薬草の知識をノートに書き出していたところだった。
もちろん王子様と結婚して権力を持ち、魔力の入っていない薬を広めるつもりではいるが、そのときでもきっとこのノートは役に立つだろう。
世の中というのは他人に分かるように書き記した情報が物をいうのだ。……きっと、そういう時代が来る。
そのときになれば、このノートはみんなの知識の礎になるだろう。必ず。
しかし、ロウソクの火だけで夜中に書き物というのはさすがに疲れる。燭台のロウソクは二本だから明るいといえば明るいんだけど。
師匠はこういうとき、魔法で明るい光を出していたんだよな……。それを思うとやはり暗く感じる。魔力があるって、いいなあ。いや、ワタシだって魔力自体はあるんだけど……。質と量がね……。
師匠……。
ロウソクの炎を見つめながら、ワタシは師匠のことを思い出していた。
* * *
ワタシは捨て子で、小さい頃に師匠アリアネディアに拾われたそうだ。
あまりにも小さくて、その時のことなんか覚えていないけれど。
ワタシをどこでどうやって拾ったのか、小さい頃のワタシはよく師匠に聞いたものだ。自分がどこの誰かなのか、そのころはまだ興味があったから。
『川沿い歩いてたら赤ちゃんの鳴き声がしてね、何かと思ったら赤ちゃんが入った籠が流れてきたのよ! もうびっくりしたんだから!』
『アリィったら泣きながらあの大河にざっぶざぶ分け入ってってね……。アタシが止めなかったらって思うと、今でもゾッとするわ』
『だって、赤ちゃんよ!? 泣きながら流されてるのよ!? 助けなきゃ! ってなるでしょ!?』
『だからってなんでアンタまで大泣きしながら川に入る必要があったのよ。飛べるのよアタシ』
『そ、それはそうなんだけど……慌てちゃって……』
返ってくるのはいつも、身振り手振り込みの即興劇みたいな、師匠とその使い魔風鴉フィナのそんなやりとりだった。
川を流れていたワタシは師匠たちに見つけてもらって、師匠が慌てて川に入ろうとしてフィナに止められて、飛ぶことができるフィナがワタシを籠ごとその鉤爪で持ち上げて、陸に運んでくれた。
そんな昔話を、それこそこの目で見たことがあるように錯覚するほど、ワタシは何度も何度も聞いた。
何度も聞いて、そのたびに安心した。
ワタシは捨てられたけど、いい人たちに拾われたんだと……。
それにワタシには微量とはいえ魔力があった。師匠たちははっきりとはいわなかったけど、おそらくそれが原因で捨てられたのだろう。
師匠たちはそんなワタシに――魔力の量も質も桁違いとはいえ同じように魔力を持つものとして――同情してくれたんだろう。
そして、師匠はワタシに魔女としての名をつけ、魔女として育てることにした。
ワタシはその運命を受け入れた。受け入れるしかなかったし、師匠たちの期待に応えたかったから。
魔女としての宿命も受け入れたつもりだった。
二年前。目の前で師匠が死に、その遺体をフィナが持っていってしまうまでは。
『フィナ! 師匠をどうするつもり。食べるの? それともバラバラにして……魔法陣に置くの?』
そのころにはワタシももう、ワタシたち魔女の遺体が魔物たちにとっては宝に等しいものなのだということを知っていた。
魔法の媒介にもなるし、食べれば魔力を増幅させる貴重な食物でもあるのだ。
フィナがそれを目当てに師匠に力を貸していたことを、もう理解できる年齢だった。
だがフィナは言ったんだ。
『大丈夫よ、ジャンザ。アリィの体を使ったりはしないわ。アリィはアタシが手厚く葬る。奪いに来るやつがいたら片っ端から殺してやる。アタシ、これでも強いのよ』
『……知ってる』
『ジャンザ。ジャンザがアリィを好きなように、アタシもアリィのこと、大好きなの。だから心配しないで。ジャンザ、アナタはアナタがすべきことをするのよ』
ワタシは……その言葉を、信じた。
そして、二人が魔界に行ってしまうと、ワタシは一人になって……。
自分にできることを、自分がしなければならないことを、しようと思ったんだ。
* * *
ロウソクの炎が、優しく揺らめいている。
目の端に滲んできた涙をそっと指先でぬぐった。
……嫌だな、感傷的になって。こんなことしてる暇なんかないのに。
それにね、師匠――。
ワタシは心のなかで、そっと師匠に語りかけた。
ワタシにも使い魔みたいなのが、できたよ。しかも風の魔王なんだ。ワタシなんかには不釣り合いなくらい強い魔物だよ、なのにワタシへの制約はなし。契約もしてないんだよ。
……なんだか怖いくらい条件が良いよね?
きっと、なにか裏があるんだよね。それくらい分かってる。
師匠は身体をフィナに差し出したけど、ワタシはアスタフェルに何を差し出すことになるのかな。怖いね……。
けど、今はアスタフェルを利用するよ、師匠。
ワタシのような力のない魔女はそうするしか道がないんだ。野望を叶えるためには。
大丈夫、けっこう頼りがいがあるんだよ、あいつ。
今日だって、守ってくれた……。
そのことを思い出した途端、ドキッと心臓が脈打つ。
唇と唇が触れる寸前のところで止められた、美しい顔。甘い吐息。それに、ワタシを抱きしめてくれた、あの力強い腕……。
あいつはワタシと結婚したいだなんてぬかしてるんだ。もちろん風の魔王がそんなことを言うんだから、裏はあるはずだ。
今日だって、あいつは何故か本当のキスはしなかった。
普段のあいつの勢いならしても何らおかしくはないのに。
でも……今は、頭を使うことは、忘れて。
ちょっとくらい、たゆたってもいいかな。
キスするとか、しないとか、そういうことに心をときめかせても……今くらいは……。
でも明日は早いんだ。もう寝よう。
……おやすみなさい、師匠。いい夢を。
ノートを閉じ、燭台の二本のロウソクの炎を消そうと息を吸い込み――。
「ジャンザ! ちょっといいか!!」
元気よく開けられた寝室のドアを、ワタシは振り返った。
……本当に雰囲気をぶち壊すのだけはうまいな、こいつ。
図書館でユスティアに会った、その日の夜。
これでよし、と。
今日の分を書き終わったノートをざっと見渡して満足すると、ワタシはかたわらのミンシアティーを口に含んだ。
すっかり冷めてはしまっているが、それでもすーっとする清涼感は相変わらず強力だ。
口の中を浄化してくるようなこの爽快感がワタシは好きだ。
それにこのスッキリした香りが気分を変える役割を果たしおだやかな眠りを誘うため、睡眠前に飲むのにピッタリのお茶だといえる。
いまワタシは、寝室の机で、自分の知っている薬草の知識をノートに書き出していたところだった。
もちろん王子様と結婚して権力を持ち、魔力の入っていない薬を広めるつもりではいるが、そのときでもきっとこのノートは役に立つだろう。
世の中というのは他人に分かるように書き記した情報が物をいうのだ。……きっと、そういう時代が来る。
そのときになれば、このノートはみんなの知識の礎になるだろう。必ず。
しかし、ロウソクの火だけで夜中に書き物というのはさすがに疲れる。燭台のロウソクは二本だから明るいといえば明るいんだけど。
師匠はこういうとき、魔法で明るい光を出していたんだよな……。それを思うとやはり暗く感じる。魔力があるって、いいなあ。いや、ワタシだって魔力自体はあるんだけど……。質と量がね……。
師匠……。
ロウソクの炎を見つめながら、ワタシは師匠のことを思い出していた。
* * *
ワタシは捨て子で、小さい頃に師匠アリアネディアに拾われたそうだ。
あまりにも小さくて、その時のことなんか覚えていないけれど。
ワタシをどこでどうやって拾ったのか、小さい頃のワタシはよく師匠に聞いたものだ。自分がどこの誰かなのか、そのころはまだ興味があったから。
『川沿い歩いてたら赤ちゃんの鳴き声がしてね、何かと思ったら赤ちゃんが入った籠が流れてきたのよ! もうびっくりしたんだから!』
『アリィったら泣きながらあの大河にざっぶざぶ分け入ってってね……。アタシが止めなかったらって思うと、今でもゾッとするわ』
『だって、赤ちゃんよ!? 泣きながら流されてるのよ!? 助けなきゃ! ってなるでしょ!?』
『だからってなんでアンタまで大泣きしながら川に入る必要があったのよ。飛べるのよアタシ』
『そ、それはそうなんだけど……慌てちゃって……』
返ってくるのはいつも、身振り手振り込みの即興劇みたいな、師匠とその使い魔風鴉フィナのそんなやりとりだった。
川を流れていたワタシは師匠たちに見つけてもらって、師匠が慌てて川に入ろうとしてフィナに止められて、飛ぶことができるフィナがワタシを籠ごとその鉤爪で持ち上げて、陸に運んでくれた。
そんな昔話を、それこそこの目で見たことがあるように錯覚するほど、ワタシは何度も何度も聞いた。
何度も聞いて、そのたびに安心した。
ワタシは捨てられたけど、いい人たちに拾われたんだと……。
それにワタシには微量とはいえ魔力があった。師匠たちははっきりとはいわなかったけど、おそらくそれが原因で捨てられたのだろう。
師匠たちはそんなワタシに――魔力の量も質も桁違いとはいえ同じように魔力を持つものとして――同情してくれたんだろう。
そして、師匠はワタシに魔女としての名をつけ、魔女として育てることにした。
ワタシはその運命を受け入れた。受け入れるしかなかったし、師匠たちの期待に応えたかったから。
魔女としての宿命も受け入れたつもりだった。
二年前。目の前で師匠が死に、その遺体をフィナが持っていってしまうまでは。
『フィナ! 師匠をどうするつもり。食べるの? それともバラバラにして……魔法陣に置くの?』
そのころにはワタシももう、ワタシたち魔女の遺体が魔物たちにとっては宝に等しいものなのだということを知っていた。
魔法の媒介にもなるし、食べれば魔力を増幅させる貴重な食物でもあるのだ。
フィナがそれを目当てに師匠に力を貸していたことを、もう理解できる年齢だった。
だがフィナは言ったんだ。
『大丈夫よ、ジャンザ。アリィの体を使ったりはしないわ。アリィはアタシが手厚く葬る。奪いに来るやつがいたら片っ端から殺してやる。アタシ、これでも強いのよ』
『……知ってる』
『ジャンザ。ジャンザがアリィを好きなように、アタシもアリィのこと、大好きなの。だから心配しないで。ジャンザ、アナタはアナタがすべきことをするのよ』
ワタシは……その言葉を、信じた。
そして、二人が魔界に行ってしまうと、ワタシは一人になって……。
自分にできることを、自分がしなければならないことを、しようと思ったんだ。
* * *
ロウソクの炎が、優しく揺らめいている。
目の端に滲んできた涙をそっと指先でぬぐった。
……嫌だな、感傷的になって。こんなことしてる暇なんかないのに。
それにね、師匠――。
ワタシは心のなかで、そっと師匠に語りかけた。
ワタシにも使い魔みたいなのが、できたよ。しかも風の魔王なんだ。ワタシなんかには不釣り合いなくらい強い魔物だよ、なのにワタシへの制約はなし。契約もしてないんだよ。
……なんだか怖いくらい条件が良いよね?
きっと、なにか裏があるんだよね。それくらい分かってる。
師匠は身体をフィナに差し出したけど、ワタシはアスタフェルに何を差し出すことになるのかな。怖いね……。
けど、今はアスタフェルを利用するよ、師匠。
ワタシのような力のない魔女はそうするしか道がないんだ。野望を叶えるためには。
大丈夫、けっこう頼りがいがあるんだよ、あいつ。
今日だって、守ってくれた……。
そのことを思い出した途端、ドキッと心臓が脈打つ。
唇と唇が触れる寸前のところで止められた、美しい顔。甘い吐息。それに、ワタシを抱きしめてくれた、あの力強い腕……。
あいつはワタシと結婚したいだなんてぬかしてるんだ。もちろん風の魔王がそんなことを言うんだから、裏はあるはずだ。
今日だって、あいつは何故か本当のキスはしなかった。
普段のあいつの勢いならしても何らおかしくはないのに。
でも……今は、頭を使うことは、忘れて。
ちょっとくらい、たゆたってもいいかな。
キスするとか、しないとか、そういうことに心をときめかせても……今くらいは……。
でも明日は早いんだ。もう寝よう。
……おやすみなさい、師匠。いい夢を。
ノートを閉じ、燭台の二本のロウソクの炎を消そうと息を吸い込み――。
「ジャンザ! ちょっといいか!!」
元気よく開けられた寝室のドアを、ワタシは振り返った。
……本当に雰囲気をぶち壊すのだけはうまいな、こいつ。
0
お気に入りに追加
402
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ヤンデレ騎士団の光の聖女ですが、彼らの心の闇は照らせますか?〜メリバエンド確定の乙女ゲーに転生したので全力でスキル上げて生存目指します〜
たかつじ楓*LINEマンガ連載中!
恋愛
攻略キャラが二人ともヤンデレな乙女ーゲームに転生してしまったルナ。
「……お前も俺を捨てるのか? 行かないでくれ……」
黒騎士ヴィクターは、孤児で修道院で育ち、その修道院も魔族に滅ぼされた過去を持つ闇ヤンデレ。
「ほんと君は危機感ないんだから。閉じ込めておかなきゃ駄目かな?」
大魔導師リロイは、魔法学園主席の天才だが、自分の作った毒薬が事件に使われてしまい、責任を問われ投獄された暗黒微笑ヤンデレである。
ゲームの結末は、黒騎士ヴィクターと魔導師リロイどちらと結ばれても、戦争に負け命を落とすか心中するか。
メリーバッドエンドでエモいと思っていたが、どっちと結ばれても死んでしまう自分の運命に焦るルナ。
唯一生き残る方法はただ一つ。
二人の好感度をMAXにした上で自分のステータスをMAXにする、『大戦争を勝ちに導く光の聖女』として君臨する、激ムズのトゥルーエンドのみ。
ヤンデレだらけのメリバ乙女ゲーで生存するために奔走する!?
ヤンデレ溺愛三角関係ラブストーリー!
※短編です!好評でしたら長編も書きますので応援お願いします♫
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる