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第八話

陰陽少属(4)

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 日の暮れた洛外というのは、不気味であった。
 洛中のように建物は存在せず、鬱蒼とした雑木林がただ続いている。
 道は形ばかりの土を固めたものが存在はしているが、洛中のように整備されたものではないため石などがゴロゴロと転がっていた。

 明かりというものは、存在しなかった。唯一の明かりは、天にある蒼い月だけであり、今宵は満月であるため幾分か、いつもよりは明るく感じられた。
 人の気配はまったくなかった。風が木々を揺らす音や野犬や狐といった獣の息遣いが感じられるだけであり、静寂を保っている。

 風葬地帯である化野については、奇妙な出来事の噂話を聞くことが多かった。特に一番多いのが、雨上がりの夜に出没するといわれている蒼い炎である。その青い炎は人魂であるとか鬼火であるとかいわれているが、誰もその正体を知る者はいない。その次に多いのは死んだ人を見たという話だ。死んだはずの人間が、黒装束で闇の中に佇んでいたとか、夜中に地を這いずり回っているのを見たとか、そんな話が多かった。
 また、化野ではないが同じ風葬地帯である鳥辺野にある六道辻と呼ばれる場所には、かつて参議であった小野おののたかむらという貴族が夜な夜な冥府へと通っていた古井戸があるとされている。しかし、その場所というのは噂ばかりであり、井戸は見つかってはいなかった。

 闇の中を歩いていると、遠くの方に小さな明かりがあることに晴明は気づいた。
 足音を殺して、ゆっくりとその明かりのもとへと近づいていく。
 そこには小さな建物があり、崩れた土塀に囲まれていた。ここは、かつて寺だった場所のようで、雑草の生い茂った元境内だった場所も存在していた。おそらく、明かりが灯っている小さな建物が本堂なのだろう。

 こういった場所には危険が潜んでいた。洛外で暮らす者は多少なりともいるが、化野のような風葬地帯に好んで暮らすような者は限られている。平安京みやこで罪を犯し検非違使に追われている者、物取りや追い剥ぎをして生計を立てている者、何らかの理由で洛中を追い出された者などであり、あまり近づきたいとは思えない存在であった。
 晴明は腰にいている太刀に触れてみた。形ばかりではあるが、洛外に出る時は太刀を佩くようにしていた。それだけ洛外では何が起こるかわからないのだ。もちろん、太刀を抜いて相手を斬ったりしたことなどは一度もなかった。それどころか、まともに太刀を抜けるかどうかも晴明にはわからなかった。

 建物に近づいていくと、人の声が聞こえてきた。声が聞こえるということは、一人ではないということだった。晴明はこの場所に一人で来てしまったことを少し後悔していた。酒でも飲んでいるのか、建物の中から聞こえてくる声はかなり大きなものだった。その大きな声の主は男であり、聞き覚えの無い声だった。

「だから言ったであろう、あの法師は信用ならんのだ。顔を布作面などで隠しおって。あれは後ろめたいことがあるから、顔を見せれないのだ」
「しかし、殺してしまったのはまずかったのではないですか」
「あれは事故だ。あの者が逃げようとしなければ、斬らずに済んだものを」
「ひとり死んだと言ったら、あの法師は金を払わないと言い始めるかも知れませんね」
「……。その時は、あの法師にも死んでもらうしかあるまい」

 晴明は話を盗み聞きながら、震えていた。おそらく、法師というのは道摩法師のことだろう。布作面を付けている法師などはあの男以外には存在しない。そして、話をしている者たちが斬ったといっているのは、晴明の式人のことに違いなかった。道摩が何らかの理由で式人ふたりをこの者たちに誘拐させた。しかし、そのうちの一人が逃げようとして斬り殺されてしまったのだ。
 ここで話をしている者たちの顔を見て、検非違使に報告する必要がある。そう晴明は判断したが、どうやってこの者たちの顔を見れば良いのかという良案が思い浮かばなかった。もし、晴明が相手の顔を見たとしても、相手からも晴明の顔は見られてしまうだろう。
 どうしたものか。晴明は息を殺しながら、じっと藪の中でうずくまっていた。

 しばらくすると、声が途絶えた。寝てしまったのだろうか。晴明はゆっくりと建物へと近づいてみることにした。まだ建物の中には明かりが灯っている。
 すると獣の鳴き声のような大きな声が聞こえてきた。驚いた晴明は思わずその場で尻もちをついてしまった。
 顔を上げてみると、寺のお堂の中央で男が大の字になって眠っていた。薄汚れた着物をきた男は顔の下半分を無精ひげで覆っており、少し離れたところには酒の入っていたと思われるかめが転がっている。
 どうやら先ほどの獣の鳴き声は、この男の鼾だったようだ。
 男の顔をしっかりと見た晴明は洛中に引き返して、検非違使に報告しようと思ったが、そこで男がひとりしかいないことに気づいた。

「何をしておる」

 少し離れたところから声がした。暗がりの中に細面の男が立っているのが見えた。手には山刀と思われる刃の大きな剣が握られている。

「これはこれは、失礼いたしました。道に迷ってしまい、明かりを見つけたもので……」

 晴明はそう言いながら、暗がりに立っている男から距離を取ろうと後退りをした。

「そうか、道に迷われたか。この辺りは何も無いところだ。朝まで、ここで過ごすと良い」

 細面の男はそう言うと警戒心を解いたかのように、山刀を床の上に置いた。

「こちらに住まわれている方なのですか」
「いや、我らも道に迷ってな。ちょうどよい建物を見つけて、ちょっと間借りさせてもらっておる」
「そうでしたか」

 話をしながら晴明は旅装束を解くような素振りを見せて、床に腰を下ろした。こうなってしまうと、晴明も肝が座る。あまりこういった修羅場のようなものは経験したことのない晴明であったが、なぜかこのような場面においても冷静でいることができた。

平安京みやこの者か」
「はい。中務省の働いております」
「そうか。わしも昔は洛中で仕事をしておった。源満仲様はご存知かな」
「ええ。知っております」
「わしは一時期あの御方の下で働いておったのだ」

 そう言って男は晴明に近づいてくると、晴明のすぐ近くに腰を下ろした。
 そして近くにあった酒瓶に手を伸ばすと、椀を中に入れて酒を汲み、晴明に差し出した。
 差し出された椀を晴明は両手で受け取り、その酒を口にする。良い酒とはいえなかった。味はほとんどせず、発酵した酸っぱさを感じさせる酒だった。それでも晴明はその酒を飲み干すと、椀を男に返した。

「そうでございましたか。満仲さまは、いまは藤原兼家様の筆頭従者をお勤めです」
「ほう、満仲様は貴族の犬に成り下がったか」

 男はつまらなそうに言うと、椀を酒瓶に突っ込んで自分も一杯飲んだ。
 そして、椀の中身を飲み干すと、また更に椀を酒瓶に突っ込んで、もう一杯飲む。
 晴明がここに入る前から男は酒を飲んでいたようで、だいぶ酔いが回っているようにも見える。
 この男が眠ってしまったら、すぐにここを抜け出そう。晴明はそう思いながら、酔っ払っていく男の姿を見つめていた。
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