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第八話
陰陽少属(2)
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兼家の屋敷で祓えの儀を終えた晴明は、機嫌の直った兼家より宴に招かれていた。
その席には、兼家の筆頭従者である源満仲やその息子の頼光も参加し、歌を詠んだり、武芸の技を披露したりと大いに盛り上がる宴だった。
宴の途中、晴明は席を抜け、ひとり兼家の屋敷の中庭を見つめていた。東三条にあるこの大きな屋敷は寝殿造で、中庭の中央には舟を浮かべられるほどの大きな池があり、池に映し出された月がみごとだった。
「晴明様――」
晴明が夜風にあたっていると、闇の中から声が聞こえてきた。
近くには誰もおらず、この場には自分しかいない。そのことを確認してから晴明は口を開いた。
「どうかしたのか」
闇の中に佇む人影。それは晴明の式人であった。兼家の屋敷の警備を抜けて中へと入ってきたのだ。そんな危険を冒してまで晴明に会いに来たということは、それなりの事が起きたということなのだろう。
「二人ほど、連絡が途絶えています」
「どういうことだ」
「わかりません。いま、探させていますが、二人同時に消えるというのは少々……」
消えたというのは、式人のことであった。晴明に仕える式人と呼ばれる者たちは、平安京のあちこちに配置されており、様々な情報を見聞きし、それを晴明に伝えるといった役割を果たしている。その中の二名と連絡が取れなくなり、行方がわからないのだという。このようなことは今まで一度もなかったことだった。
報告しに現れたのは、その式人たちを仕切る役を任されている年配の男だった。この男の腕を持ってすれば、兼家の屋敷に忍び込むことなど朝飯前といったところだろう。
「お前の目から見て、何か気になることはあるか」
「そういえば、道摩法師が洛外の廃寺に姿を現したという報告がありました」
「それと、二名が消えた関係は」
「まだ、わかりませぬ。ただ、消えた二名は、かつての葛道真殿のことを知っていた二人です」
「なるほど。引き続き、消えた二名の行方を追え。もし人手が足りないというのであれば、屋敷の警備から何人かそちらにまわそう」
「わかりました」
「ちょっと待て」
年配の男が影のように闇の中へと溶け込んで姿を消そうとしたが、それを晴明が止めた。
「どうかなさいましたか」
「こちらについても、調べてみてくれぬか」
晴明はそう言って、懐から一枚の紙切れを取り出した。それは、先ほど懐に収めた呪符であった。
「もしかすると、この呪符と二人が消えたことが関係しているやもしれん。十分に気をつけてやれ」
「わかりました」
式人である年配の男が消えたことを確認すると、晴明はひとり目を閉じて考え事をはじめた。
あの呪符は本当に兼家を狙ったものだったのだろうか。兼家を狙ったと見せて、本当は自分をおびき寄せるための罠だったのではないか。そんな考えが晴明の頭に浮かんだ。兼家の屋敷に呪符を仕掛ければ、それを見つけた兼家が自分を呼び出すはずだ。それをわかっていて、仕掛けてきた。もし、そうであるならば、相手の目的とはなんだろうか。
「私は相手の罠に飛び込んだというわけか」
晴明は独り言をつぶやいた。どうしても、嫌な予感を払拭することができない。
「少属殿、こちらにおられましたか」
不意に背後から声をかけられた。晴明が振り返ると、そこには源頼光が立っていた。いつ見ても、この青年の佇まいは凛としていて、美しい。
「おお、頼光殿。どうか、なさいましたか」
「ちょっと酔い覚ましに」
そう言って頼光は微笑んで見せる。その顔に酔った様子は感じられなかったが、あの空間を抜け出す口実なのかもしれないと晴明は考えた。
「少属殿は、鬼やあやかし、物怪といったものを退治されておられるのですか」
「晴明《せいめい》と呼んでくだされ。肩書きで呼ばれるのは少々窮屈です」
笑いながら晴明は言った。
少属というのは、陰陽寮の役職であった。正式名称は、陰陽少属。その上には陰陽大属という役職があり、公文書の記載や読上げなどの記録実務を行うのが主な仕事であった。簡単にいってしまえば、陰陽寮の中間管理職である。晴明はこの年の一月に陰陽少属に任命されたのだった。
「正直なことを言いますと、私は鬼やあやかし、物怪といったものは、存在しないと考えております」
「えっ、そうなのですか」
「はい。陰陽師である私が言うのもなんですが。そのようなものを見たことはありません」
晴明はそう言って笑ってみせた。
「では、鬼や物怪とは何なのでしょうか」
「なんでしょうね。人の心が生み出してしまう、何か。それが鬼や物怪ではないかと私は考えております」
「なるほど。鬼と呼ばれる者たちがおりましたが、実際に会ってみると、それは人でした。奴らは朝廷の意に反する者たちであり、それを自ら鬼だと名乗ったりしておりました」
源頼光といえば、鬼退治で有名な人物であった。頼光とその家来の四天王が活躍する鬼退治物語は御伽草子などで現代に語り継がれている。もっとも、その頼光の鬼退治が行われるのは、この数年後の話となる。
「ほう。自ら鬼だと名乗る者もいるのですね」
「武士《もののふ》の中には、自らを鬼と名乗ることで気持ちを奮い立たせる者もいるのです」
「なかなか興味深い話ですね」
晴明はそう言って微笑んでみせた。
時おり吹く風が、心地よかった。そして、頼光と話をするのも、どこか心地がよかった。武士というと無骨な印象が強いが、この青年はどこか他の武士とは違っていると思えた。
その席には、兼家の筆頭従者である源満仲やその息子の頼光も参加し、歌を詠んだり、武芸の技を披露したりと大いに盛り上がる宴だった。
宴の途中、晴明は席を抜け、ひとり兼家の屋敷の中庭を見つめていた。東三条にあるこの大きな屋敷は寝殿造で、中庭の中央には舟を浮かべられるほどの大きな池があり、池に映し出された月がみごとだった。
「晴明様――」
晴明が夜風にあたっていると、闇の中から声が聞こえてきた。
近くには誰もおらず、この場には自分しかいない。そのことを確認してから晴明は口を開いた。
「どうかしたのか」
闇の中に佇む人影。それは晴明の式人であった。兼家の屋敷の警備を抜けて中へと入ってきたのだ。そんな危険を冒してまで晴明に会いに来たということは、それなりの事が起きたということなのだろう。
「二人ほど、連絡が途絶えています」
「どういうことだ」
「わかりません。いま、探させていますが、二人同時に消えるというのは少々……」
消えたというのは、式人のことであった。晴明に仕える式人と呼ばれる者たちは、平安京のあちこちに配置されており、様々な情報を見聞きし、それを晴明に伝えるといった役割を果たしている。その中の二名と連絡が取れなくなり、行方がわからないのだという。このようなことは今まで一度もなかったことだった。
報告しに現れたのは、その式人たちを仕切る役を任されている年配の男だった。この男の腕を持ってすれば、兼家の屋敷に忍び込むことなど朝飯前といったところだろう。
「お前の目から見て、何か気になることはあるか」
「そういえば、道摩法師が洛外の廃寺に姿を現したという報告がありました」
「それと、二名が消えた関係は」
「まだ、わかりませぬ。ただ、消えた二名は、かつての葛道真殿のことを知っていた二人です」
「なるほど。引き続き、消えた二名の行方を追え。もし人手が足りないというのであれば、屋敷の警備から何人かそちらにまわそう」
「わかりました」
「ちょっと待て」
年配の男が影のように闇の中へと溶け込んで姿を消そうとしたが、それを晴明が止めた。
「どうかなさいましたか」
「こちらについても、調べてみてくれぬか」
晴明はそう言って、懐から一枚の紙切れを取り出した。それは、先ほど懐に収めた呪符であった。
「もしかすると、この呪符と二人が消えたことが関係しているやもしれん。十分に気をつけてやれ」
「わかりました」
式人である年配の男が消えたことを確認すると、晴明はひとり目を閉じて考え事をはじめた。
あの呪符は本当に兼家を狙ったものだったのだろうか。兼家を狙ったと見せて、本当は自分をおびき寄せるための罠だったのではないか。そんな考えが晴明の頭に浮かんだ。兼家の屋敷に呪符を仕掛ければ、それを見つけた兼家が自分を呼び出すはずだ。それをわかっていて、仕掛けてきた。もし、そうであるならば、相手の目的とはなんだろうか。
「私は相手の罠に飛び込んだというわけか」
晴明は独り言をつぶやいた。どうしても、嫌な予感を払拭することができない。
「少属殿、こちらにおられましたか」
不意に背後から声をかけられた。晴明が振り返ると、そこには源頼光が立っていた。いつ見ても、この青年の佇まいは凛としていて、美しい。
「おお、頼光殿。どうか、なさいましたか」
「ちょっと酔い覚ましに」
そう言って頼光は微笑んで見せる。その顔に酔った様子は感じられなかったが、あの空間を抜け出す口実なのかもしれないと晴明は考えた。
「少属殿は、鬼やあやかし、物怪といったものを退治されておられるのですか」
「晴明《せいめい》と呼んでくだされ。肩書きで呼ばれるのは少々窮屈です」
笑いながら晴明は言った。
少属というのは、陰陽寮の役職であった。正式名称は、陰陽少属。その上には陰陽大属という役職があり、公文書の記載や読上げなどの記録実務を行うのが主な仕事であった。簡単にいってしまえば、陰陽寮の中間管理職である。晴明はこの年の一月に陰陽少属に任命されたのだった。
「正直なことを言いますと、私は鬼やあやかし、物怪といったものは、存在しないと考えております」
「えっ、そうなのですか」
「はい。陰陽師である私が言うのもなんですが。そのようなものを見たことはありません」
晴明はそう言って笑ってみせた。
「では、鬼や物怪とは何なのでしょうか」
「なんでしょうね。人の心が生み出してしまう、何か。それが鬼や物怪ではないかと私は考えております」
「なるほど。鬼と呼ばれる者たちがおりましたが、実際に会ってみると、それは人でした。奴らは朝廷の意に反する者たちであり、それを自ら鬼だと名乗ったりしておりました」
源頼光といえば、鬼退治で有名な人物であった。頼光とその家来の四天王が活躍する鬼退治物語は御伽草子などで現代に語り継がれている。もっとも、その頼光の鬼退治が行われるのは、この数年後の話となる。
「ほう。自ら鬼だと名乗る者もいるのですね」
「武士《もののふ》の中には、自らを鬼と名乗ることで気持ちを奮い立たせる者もいるのです」
「なかなか興味深い話ですね」
晴明はそう言って微笑んでみせた。
時おり吹く風が、心地よかった。そして、頼光と話をするのも、どこか心地がよかった。武士というと無骨な印象が強いが、この青年はどこか他の武士とは違っていると思えた。
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