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第七話

冷泉天皇(2)

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 奇妙な星の輝きがあることに気づいたのは、偶然のことだった。
 帝の星である北辰(北極星)の観測をしていた晴明は、その少し先に赤く輝く星を見つけた。それまで、そこに赤く輝く星などはなかったはずである。晴明はその星の位置を紙に書き留めると、いつの間に現れたのだろうかと、首をひねった。
 帝を退位させようとしている動きがあるのは知っていた。しかし、あの星は帝とは関係のないところで輝く星だった。別のなにかが起きようとしているのだろうか。不穏な空気を感じながらも、晴明は星の観測を続けた。

 陰陽寮には陰陽師の他に天文道を専門とする天文博士という役職の専門職がいた。現在、天文博士は賀茂保憲が務めており、陰陽頭と兼務であった。

「保憲、ちょっと見てもらいたいものがあるのだ」

 翌朝、陰陽寮に出仕するなり晴明は賀茂保憲のもとを訪れた。
 天文博士には、天文の気色を観測し、異変があれば部外に漏れぬようこれを密封するという任務がある。晴明は以前より天文道を学んでおり、保憲はその師の一人でもあった。

「昨晩見つけたのだが、この位置の星が赤く輝いていた」
「ふむ……。北辰より東にある星か。東は右だな」
「あの星は右大臣ということになるのか、保憲」
「現在の右大臣は、藤原師尹もろただ様ということになるな」
「師尹様か。しかし、あまりピンとこんな」

 晴明はそうつぶやくようにいうと顎の髭を撫でた。

「東ではなく、右か……」

 さらにぶつぶつと独り言をつぶやく。

「なるほど、これは右大臣様ではなく、右京区か……右京区に屋敷を構えられている方といえば」

 そこまでつぶやいた時、晴明はハッとして顔をあげた。

西宮にしのみやの左大臣さだいじん!」

 晴明と保憲が同時にその言葉を発する。
 その西宮左大臣というのは、左大臣である源高明の別名であった。

 平安京内は、大きく左京、右京という分け方がされており、地図などで見ると左京は平安京の右側(東側)、右京は平安京の左側(西側)となっている。この理由は「天子南面す」という考えに基づいて平安京が作られたからであり、実際には平安京の北側にある内裏を南として見ているから、少々ややこしい。
 西宮左大臣こと源高明は、右京四条に壮麗な屋敷を構えていることでも有名であった。

「左大臣様に、何かが起こるということか」
「それはわからんな。ただ、注意しておいたほうがよいだろう」
「左大臣様の危機ということは、朝廷の危機ということになるぞ、保憲」
「落ち着け、晴明。まだ凶星と決まったわけではない」
「いや、凶星とわかってからでは遅いのだ」

 晴明は昨晩描いた天文図を畳んで懐にしまい「出掛けてくる」といって陰陽寮を飛び出した。
 向かう先は決まっていた。源高明の屋敷である。
 ただ、晴明は源高明とは面識はなかった。どちらかといえば、藤原兼家と懇意にしているため、藤原一門側の人間と思われているかもしれない。そんな自分が、高明に会うことはできるだろうか。晴明は不安を抱えながら、牛車を進めていた。
 だが、この凶星について西宮左大臣に伝えないわけにはいかない。天体を見て、その吉凶を調べ、それを知らせる。それも陰陽寮の仕事のひとつなのだ。

 しばらく牛車に揺られながら道を進んでいたが、高明の屋敷よりもずいぶんと手前の辻で牛車が止まってしまった。

「どうかしたのか」

 外にいる牛飼童に晴明は問いかける。

「この先の道を武士もののふたちが塞いでおります」

 晴明は牛飼童の言葉を確認するかのように牛車の屋形から顔を出すと、先の辻へと目を向けた。
 すると、そこには大勢の武装した武士たちがおり、何やら物騒な雰囲気を醸し出してる。

「何事だ?」
「わかりませぬ。ちょっと様子を見てきます」

 そういって、牛飼童は牛車から離れていった。
 晴明は嫌な予感を覚えていた。武士たちの動きは統制が取れており、しっかりと訓練されている者たちであるということはひと目でわかった。
 しばらくして牛飼童が息を切らしながら戻ってきた。どうやら走って戻ってきたようだ。

「あの方々は、検非違使けびいしの源満季みつすえ様たちとのことです」
「なぜ、検非違使たちは、あの屋敷の周りにいるのだ」
「さあ、詳しくは話してはくれませんでしたが、これから職務を遂行しなければならないとか言っていました」
「職務?」
「ええ、危ないからあっちに行ってろ、と言われました」

 その言葉を聞いて晴明は背筋に嫌な汗をかいた。

 検非違使とは、違法や非法を取り締まる役人たちであり、時には武装して暴力的な取り締まりを行ったりもする連中だった。そんな検非違使たちが集結しているということは、これから大捕物がはじまるということなのだ。

 そうこうしているうちに、検非違使が屋敷の塀に梯子を掛け、中へと入り込んでいく姿が目に入った。
 余計な疑いを掛けられて巻き込まれるのはごめんだ。そう判断した晴明は牛飼童に別の道を通って源高明の屋敷へ向かうよう指示をした。

 あの屋敷は確か、中務なかつかさの少輔しょうたちばなの繁延しげのぶの屋敷だったはず。検非違使が乗り込んでいくということは、繁延かその周りの人間が何かしらの罪を犯したということなのだろう。

 昔から、嫌な予感というものは良く当たるものだ。このまま源高明の屋敷に向かっても良いものだろうか。ふと、そんなことが晴明の頭に思い浮かぶ。
 すると不思議なことが起きた。また、牛車が動くのをやめてしまったのだ。

「今度は、何だ」

 晴明が外にいる牛飼童に声を掛けると、牛飼童から困惑した声が聞こえてきた。

「申し訳ございません。牛がどうにも言うことを聞いてくれなく」

 牛飼童によると、急に牛が歩くのをやめてしまったそうだ。今まで、こんなことは経験したことはなく、牛飼童も困惑しきっていた。
 これはなにかの導きではないだろうか。晴明は、そう考えた。いまは、西宮左大臣邸へ行くべきではない。そういうことなのだ。

「そうか。では、源高明様の屋敷に向かうのはやめにしよう。陰陽寮へ戻ってくれ」

 晴明はあっさりと、源高明の屋敷へ行くことを諦めた。

 すると、牛がゆっくりと歩きはじめた。牛が向かっているのは、源高明の屋敷の方角ではなく、大内裏の方角だった。
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