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第五話
呪詛の祓え(4)
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翌朝、晴明は陰陽寮に出仕すると、すぐに賀茂保憲のところへと向かった。
普段であれば書庫に引きこもっている晴明が、出仕早々にやってくることは珍しい。突然、晴明の訪問を受けた保憲は驚きを隠さなかった。
「なにごとだ、晴明」
「朝から悪いな、保憲。ちょっと話があるんだ」
「どうかしたのか」
嫌な予感を覚えたのか、保憲は眉間にしわを寄せて渋い表情を作る。
「昨日、鴨川で河臨祓をやっているのを見つけた」
「河臨祓だと。そのような儀式を行うという申請は受けておらぬぞ」
「いや、陰陽寮の人間ではない。陰陽法師などと呼ばれる連中だ」
「陰陽法師か……」
その言葉を口にした保憲は更に渋い顔をした。
陰陽法師については、陰陽寮の中でも何度か話題にのぼったことがあった。どこで身につけたのかは知らないが、呪いなどを使って、人々の病を祓ったりしているという話であったり、ある貴人に対して呪術を施したり、鬼や物怪、あやかしといった目には見えぬ存在を人々に信じ込ませて、それを祓うために金品の要求をするような連中もいるという話だった。
人によっては、その陰陽法師と朝廷に仕える陰陽師の区別がついていなかったりするから、厄介なのだ。もし陰陽法師たちが悪事を働いた場合に、陰陽師である晴明たちもが風評被害に合わないとは言い切れなかった。
「これは何か手を打たなければならないかもしれないぞ、陰陽頭よ」
晴明は保憲を脅かすように、わざわざ役職名で保憲のことを呼んだ。
「わかっておる。それで、お前はどうしようと考えているのだ、晴明」
「実は、こんなものを手に入れたのだ」
そう言って晴明は葛籠に貼り付けてあった札を懐から取り出すと、保憲の前に置いた。
「なんだ、これは」
「その陰陽法師たちが使っていた札よ」
「見たことのない模様が使われているな」
「そうなのだ」
やはり保憲も見たことの無い模様だった。陰陽頭である保憲が見たことがないというのだから、朝廷に仕える陰陽師たちが使う札では無いということだろう。
「おそらく、これは九字を表している」
「確かに縦横合わせると9本の線が引かれておるな。では、この下に書かれている言葉のようなものは何なのだ」
「わからん」
晴明ははっきりと保憲に告げた。その文字は、この国で使われている文字でもなければ、大陸の文字でもなかった。もしかすると、蝦夷《えみし》などが使っていた文字かもしれない。
「私はこの者たちを調べようと思う。もしもの際は検非違使をすぐに派遣できるような体制を整えておいてくれ」
「わかった。無理はするなよ、晴明」
「大丈夫だ。こんな爺が無理はせぬ」
晴明はそう言って笑ってみせると、葛籠の札を懐に収めて陰陽頭の部屋を出た。
鴨川に晴明がやってきたのは、昼過ぎのことだった。
雲ひとつ無い空は容赦ない日差しを照りつける。
これであれば、昨日同様に編笠を被ってくれば良かった。そのようなことを思いながら、晴明は鴨川沿いの道をゆっくりと歩いた。晴明の格好は昨日のように直垂に小袴という庶民の姿はなく、烏帽子に水干といった陰陽師の正装であり、手にも釣り竿は持ってはいなかった。
川の流れは昨日同様に穏やかなものだった。
途中、対岸に渡れる石で作られた橋を見つけ、その橋を渡って河臨祓が行われていた場所へと向かった。
最初から期待はしていなかったが、やはり何もそこには残されてはいなかった。
昨日見た光景を思い出しながら晴明はしばらく河原を歩いた。
河臨祓は悪いものを川に流してしまうという祓いの儀式であるが、あの女童も悪いものと判断されたために葛籠に入れられていたということなのだろうか。それとも、あの女童に何か悪いものが憑いたためにそれを祓おうとしたのだろうか。いや、そうであれば体中を布で覆う必要はないはずだし、陰陽法師たちも面などを被る必要はないはずだ。顔を見られたくはない。陰陽法師たちには、そのような考えがあって面を付け、さらには女童の顔も布で覆ったのだろう。
「あんた、こんなところで何してるんだ」
晴明が下を向きながら河原をうろついていると、少し離れたところから声をかけられた。
顔を上げると、そこには直垂姿の男が立っていた。服装からして、朝廷に仕えるものではなく庶民のようだ。腰には魚籠を下げていることから、魚を捕りに来たのだということが安易に想像できた。
「探しものをしておるのだ」
「そうか。ここには魚以外何もねえぞ。さっきも言ったけど」
「さっきも?」
「ああ。市女笠を被った高貴そうなお方が、あんたと同じように河原で下を向きながら歩いてたんだ。何か落ちてんのかって聞いたんだけど、首を横に振るだけだった」
「ほう。そのようなことがあったのか。して、その市女笠の人はどちらへ」
「しばらくはこの辺を行ったり来たりしてたけど、従者みたいなやつが来て、一緒に上流の方へ歩いていったな」
「そうか」
晴明は男に礼を言うと、その市女笠の人物が歩いていったという上流の方へと足を向けた。
その市女笠の人物が何者であるかはわからなかった。ただ、自分と同じ目的で河原をうろついていた可能性は高い。もしかしたら、あの童子を探しているのかもしれない。そう思うと、晴明の歩く足は少し速くなった。
普段であれば書庫に引きこもっている晴明が、出仕早々にやってくることは珍しい。突然、晴明の訪問を受けた保憲は驚きを隠さなかった。
「なにごとだ、晴明」
「朝から悪いな、保憲。ちょっと話があるんだ」
「どうかしたのか」
嫌な予感を覚えたのか、保憲は眉間にしわを寄せて渋い表情を作る。
「昨日、鴨川で河臨祓をやっているのを見つけた」
「河臨祓だと。そのような儀式を行うという申請は受けておらぬぞ」
「いや、陰陽寮の人間ではない。陰陽法師などと呼ばれる連中だ」
「陰陽法師か……」
その言葉を口にした保憲は更に渋い顔をした。
陰陽法師については、陰陽寮の中でも何度か話題にのぼったことがあった。どこで身につけたのかは知らないが、呪いなどを使って、人々の病を祓ったりしているという話であったり、ある貴人に対して呪術を施したり、鬼や物怪、あやかしといった目には見えぬ存在を人々に信じ込ませて、それを祓うために金品の要求をするような連中もいるという話だった。
人によっては、その陰陽法師と朝廷に仕える陰陽師の区別がついていなかったりするから、厄介なのだ。もし陰陽法師たちが悪事を働いた場合に、陰陽師である晴明たちもが風評被害に合わないとは言い切れなかった。
「これは何か手を打たなければならないかもしれないぞ、陰陽頭よ」
晴明は保憲を脅かすように、わざわざ役職名で保憲のことを呼んだ。
「わかっておる。それで、お前はどうしようと考えているのだ、晴明」
「実は、こんなものを手に入れたのだ」
そう言って晴明は葛籠に貼り付けてあった札を懐から取り出すと、保憲の前に置いた。
「なんだ、これは」
「その陰陽法師たちが使っていた札よ」
「見たことのない模様が使われているな」
「そうなのだ」
やはり保憲も見たことの無い模様だった。陰陽頭である保憲が見たことがないというのだから、朝廷に仕える陰陽師たちが使う札では無いということだろう。
「おそらく、これは九字を表している」
「確かに縦横合わせると9本の線が引かれておるな。では、この下に書かれている言葉のようなものは何なのだ」
「わからん」
晴明ははっきりと保憲に告げた。その文字は、この国で使われている文字でもなければ、大陸の文字でもなかった。もしかすると、蝦夷《えみし》などが使っていた文字かもしれない。
「私はこの者たちを調べようと思う。もしもの際は検非違使をすぐに派遣できるような体制を整えておいてくれ」
「わかった。無理はするなよ、晴明」
「大丈夫だ。こんな爺が無理はせぬ」
晴明はそう言って笑ってみせると、葛籠の札を懐に収めて陰陽頭の部屋を出た。
鴨川に晴明がやってきたのは、昼過ぎのことだった。
雲ひとつ無い空は容赦ない日差しを照りつける。
これであれば、昨日同様に編笠を被ってくれば良かった。そのようなことを思いながら、晴明は鴨川沿いの道をゆっくりと歩いた。晴明の格好は昨日のように直垂に小袴という庶民の姿はなく、烏帽子に水干といった陰陽師の正装であり、手にも釣り竿は持ってはいなかった。
川の流れは昨日同様に穏やかなものだった。
途中、対岸に渡れる石で作られた橋を見つけ、その橋を渡って河臨祓が行われていた場所へと向かった。
最初から期待はしていなかったが、やはり何もそこには残されてはいなかった。
昨日見た光景を思い出しながら晴明はしばらく河原を歩いた。
河臨祓は悪いものを川に流してしまうという祓いの儀式であるが、あの女童も悪いものと判断されたために葛籠に入れられていたということなのだろうか。それとも、あの女童に何か悪いものが憑いたためにそれを祓おうとしたのだろうか。いや、そうであれば体中を布で覆う必要はないはずだし、陰陽法師たちも面などを被る必要はないはずだ。顔を見られたくはない。陰陽法師たちには、そのような考えがあって面を付け、さらには女童の顔も布で覆ったのだろう。
「あんた、こんなところで何してるんだ」
晴明が下を向きながら河原をうろついていると、少し離れたところから声をかけられた。
顔を上げると、そこには直垂姿の男が立っていた。服装からして、朝廷に仕えるものではなく庶民のようだ。腰には魚籠を下げていることから、魚を捕りに来たのだということが安易に想像できた。
「探しものをしておるのだ」
「そうか。ここには魚以外何もねえぞ。さっきも言ったけど」
「さっきも?」
「ああ。市女笠を被った高貴そうなお方が、あんたと同じように河原で下を向きながら歩いてたんだ。何か落ちてんのかって聞いたんだけど、首を横に振るだけだった」
「ほう。そのようなことがあったのか。して、その市女笠の人はどちらへ」
「しばらくはこの辺を行ったり来たりしてたけど、従者みたいなやつが来て、一緒に上流の方へ歩いていったな」
「そうか」
晴明は男に礼を言うと、その市女笠の人物が歩いていったという上流の方へと足を向けた。
その市女笠の人物が何者であるかはわからなかった。ただ、自分と同じ目的で河原をうろついていた可能性は高い。もしかしたら、あの童子を探しているのかもしれない。そう思うと、晴明の歩く足は少し速くなった。
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