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第二話
二振りの剣(3)
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内裏の火災は二刻(4時間)ほど燃え続けたが、その火は大内裏までは燃え広がらず、焼け落ちたのが内裏内の殿舎だけで済んだのは不幸中の幸いといえただろう。
翌日から焼け落ちた殿舎の取り壊しがはじまり、復旧に向けた作業がはじまった。内裏の修復が終わるまでの間、帝は仮御所に引っ越し、帝に関する朝廷の機能もすべてがその仮御所へと移動した。
「晴明、安倍晴明はおるか」
陰陽寮の建物の中に賀茂保憲の声が響き渡る。
またあのお方は何かをやらかしたのだろうか。若い得業生たちはひそひそと噂をする。若い彼らからすれば自分の父親と同じくらいの年齢であるにもかかわらず、同じ得業生という晴明の存在は、時に噂の種となっていた。そういった噂話はすべて晴明の耳にも届いていたが、晴明は噂話についてはまったく気にはしなかった。
「こちらにおります」
書庫から顔を出した晴明は、保憲に声を掛ける。
最近は調べ物することが多く、晴明は書庫に籠っていることがほとんどだった。
「そこにおったか、晴明。すぐに身支度を整えよ」
「なにかありましたかな」
「仮御所へ行くぞ」
「と、いわれますと」
「あるお方がお呼びなのだ。すぐに身支度を整えよ」
晴明はあるお方と聞いて、内心ほくそ笑んだ。いままで蒔いてきた種が芽を出し、実りをもたらしたのだ。しかし、どの種が芽を出したのだろうか。保憲が名前を伏せなければならないほどの公卿などに繋がるような種を蒔いた覚えは、晴明にはなかった。
身支度を整えた晴明は賀茂保憲と共に牛車へ乗り込むと、仮御所として使われている冷泉院へと向かった。
冷泉院は大内裏の東に隣接した寝殿造の屋敷であり、多くの殿舎を供えていることから内裏の代わりとしても十分に機能していた。元々は嵯峨上皇が住んでいた屋敷であり、その子である仁明天皇や次代の文徳天皇もこの冷泉院で過ごした時期があったという、由緒正しき屋敷であった。
「なぜ、私が呼ばれたのだ」
牛車の中で二人きりとなった晴明は、くだけた口調で保憲に問いかけた。晴明は、他に陰陽寮の者がいる時は敬語、保憲と二人きりの時はくだけた口調と使い分けているのだ。
「先日の内裏火災の際に、晴明は温明殿へ向かったであろう」
「ああ。確かに私は温明殿の中に入った」
「そこで剣を見なかったか」
「……見たが」
なにか嫌な予感を覚えた晴明は、保憲の次の言葉を待った。
狭い牛車の屋形の中で、保憲はじっと晴明の顔を見つめている。
「見たのだな」
「ああ、見た。しかし、燃え盛る炎の中に消えて行ってしまった」
「それはわかっておる。剣は何振りあった?」
「二振りであったが……」
「そうか。お前のことだ、その二振りはどのような剣であったか覚えているであろう」
保憲はそう言うと、にやりと笑って見せた。晴明は物事を記憶するということに長けていた。そのため、一度読んだ書物などは書き写したりしなくとも、頭の中に入っていた。そのことを保憲は知っているのだ。
「覚えておる。北斗七星と南斗六星の模様が入っていた」
「それならば良い」
「どういうことだ、保憲」
「行けばわかるさ」
保憲はそれだけ言うと、安心したような表情で晴明に微笑みかけた。
しばらく牛車に揺られて、晴明たちは冷泉院へと到着した。冷泉院は現在仮御所として使用されているため、警備の武官たちが大勢いる。
保憲と晴明は到着するとすぐに冷泉院の奥の部屋へと通され、そこで待つように指示された。その部屋の続きになっており、もうひとつ部屋があったが、その部屋には御簾が降ろされており、中の様子を窺い知ることはできなかった。
「おい、保憲。ここは」
「帝の御前だ。何か聞かれたら、しっかりと答えよ」
声を潜めるようにして質問した晴明は、保憲の言葉を聞いて顔を強張らせた。冷泉院に連れて来られた時点で薄々は察していたが、まさか本当に帝の御前に来ることになるとは思いもよらぬことだった。
しばらくすると、御簾の向こうに人の気配が現れた。すると、保憲はひれ服すように頭を下げる。それを見た晴明も慌てて頭を下げた。
「陰陽頭、賀茂保憲にございます」
「よく来たな、保憲。きょう呼んだのは他でもない。先日の火災で失われた護身剣と破敵剣についてである」
「はい。その二振りの剣に関しては、この者がよく覚えております」
「そうか。そなた、名を何と申す」
帝が晴明に声を掛けて来た。
「陰陽寮、天文得業生の安倍晴明と申します」
「晴明。そなたは、二振りの剣を蘇らせることができるか」
「もちろんでございます。北斗七星と南斗六星の剣の姿はすべて、この晴明の頭の中にしっかりと刻み込まれております」
「ほう、面白き男よ。では晴明、そなたが二振りの剣を蘇らせてみせよ」
「はっ。この安倍晴明にお任せください」
晴明は、こういう時に怖気づいたりしない肝の据わった人物であった。他の陰陽寮の得業生であれば、帝を前にしてここまで大きな口を聞くことはできなかっただろう。これは晴明だからこそ出来たことであった。
「頼んだぞ、晴明よ」
こうして、晴明は帝の命により、二振りの剣を蘇らせることとなったのだった。
翌日から焼け落ちた殿舎の取り壊しがはじまり、復旧に向けた作業がはじまった。内裏の修復が終わるまでの間、帝は仮御所に引っ越し、帝に関する朝廷の機能もすべてがその仮御所へと移動した。
「晴明、安倍晴明はおるか」
陰陽寮の建物の中に賀茂保憲の声が響き渡る。
またあのお方は何かをやらかしたのだろうか。若い得業生たちはひそひそと噂をする。若い彼らからすれば自分の父親と同じくらいの年齢であるにもかかわらず、同じ得業生という晴明の存在は、時に噂の種となっていた。そういった噂話はすべて晴明の耳にも届いていたが、晴明は噂話についてはまったく気にはしなかった。
「こちらにおります」
書庫から顔を出した晴明は、保憲に声を掛ける。
最近は調べ物することが多く、晴明は書庫に籠っていることがほとんどだった。
「そこにおったか、晴明。すぐに身支度を整えよ」
「なにかありましたかな」
「仮御所へ行くぞ」
「と、いわれますと」
「あるお方がお呼びなのだ。すぐに身支度を整えよ」
晴明はあるお方と聞いて、内心ほくそ笑んだ。いままで蒔いてきた種が芽を出し、実りをもたらしたのだ。しかし、どの種が芽を出したのだろうか。保憲が名前を伏せなければならないほどの公卿などに繋がるような種を蒔いた覚えは、晴明にはなかった。
身支度を整えた晴明は賀茂保憲と共に牛車へ乗り込むと、仮御所として使われている冷泉院へと向かった。
冷泉院は大内裏の東に隣接した寝殿造の屋敷であり、多くの殿舎を供えていることから内裏の代わりとしても十分に機能していた。元々は嵯峨上皇が住んでいた屋敷であり、その子である仁明天皇や次代の文徳天皇もこの冷泉院で過ごした時期があったという、由緒正しき屋敷であった。
「なぜ、私が呼ばれたのだ」
牛車の中で二人きりとなった晴明は、くだけた口調で保憲に問いかけた。晴明は、他に陰陽寮の者がいる時は敬語、保憲と二人きりの時はくだけた口調と使い分けているのだ。
「先日の内裏火災の際に、晴明は温明殿へ向かったであろう」
「ああ。確かに私は温明殿の中に入った」
「そこで剣を見なかったか」
「……見たが」
なにか嫌な予感を覚えた晴明は、保憲の次の言葉を待った。
狭い牛車の屋形の中で、保憲はじっと晴明の顔を見つめている。
「見たのだな」
「ああ、見た。しかし、燃え盛る炎の中に消えて行ってしまった」
「それはわかっておる。剣は何振りあった?」
「二振りであったが……」
「そうか。お前のことだ、その二振りはどのような剣であったか覚えているであろう」
保憲はそう言うと、にやりと笑って見せた。晴明は物事を記憶するということに長けていた。そのため、一度読んだ書物などは書き写したりしなくとも、頭の中に入っていた。そのことを保憲は知っているのだ。
「覚えておる。北斗七星と南斗六星の模様が入っていた」
「それならば良い」
「どういうことだ、保憲」
「行けばわかるさ」
保憲はそれだけ言うと、安心したような表情で晴明に微笑みかけた。
しばらく牛車に揺られて、晴明たちは冷泉院へと到着した。冷泉院は現在仮御所として使用されているため、警備の武官たちが大勢いる。
保憲と晴明は到着するとすぐに冷泉院の奥の部屋へと通され、そこで待つように指示された。その部屋の続きになっており、もうひとつ部屋があったが、その部屋には御簾が降ろされており、中の様子を窺い知ることはできなかった。
「おい、保憲。ここは」
「帝の御前だ。何か聞かれたら、しっかりと答えよ」
声を潜めるようにして質問した晴明は、保憲の言葉を聞いて顔を強張らせた。冷泉院に連れて来られた時点で薄々は察していたが、まさか本当に帝の御前に来ることになるとは思いもよらぬことだった。
しばらくすると、御簾の向こうに人の気配が現れた。すると、保憲はひれ服すように頭を下げる。それを見た晴明も慌てて頭を下げた。
「陰陽頭、賀茂保憲にございます」
「よく来たな、保憲。きょう呼んだのは他でもない。先日の火災で失われた護身剣と破敵剣についてである」
「はい。その二振りの剣に関しては、この者がよく覚えております」
「そうか。そなた、名を何と申す」
帝が晴明に声を掛けて来た。
「陰陽寮、天文得業生の安倍晴明と申します」
「晴明。そなたは、二振りの剣を蘇らせることができるか」
「もちろんでございます。北斗七星と南斗六星の剣の姿はすべて、この晴明の頭の中にしっかりと刻み込まれております」
「ほう、面白き男よ。では晴明、そなたが二振りの剣を蘇らせてみせよ」
「はっ。この安倍晴明にお任せください」
晴明は、こういう時に怖気づいたりしない肝の据わった人物であった。他の陰陽寮の得業生であれば、帝を前にしてここまで大きな口を聞くことはできなかっただろう。これは晴明だからこそ出来たことであった。
「頼んだぞ、晴明よ」
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