8 / 36
第二話
二振りの剣(3)
しおりを挟む
内裏の火災は二刻(4時間)ほど燃え続けたが、その火は大内裏までは燃え広がらず、焼け落ちたのが内裏内の殿舎だけで済んだのは不幸中の幸いといえただろう。
翌日から焼け落ちた殿舎の取り壊しがはじまり、復旧に向けた作業がはじまった。内裏の修復が終わるまでの間、帝は仮御所に引っ越し、帝に関する朝廷の機能もすべてがその仮御所へと移動した。
「晴明、安倍晴明はおるか」
陰陽寮の建物の中に賀茂保憲の声が響き渡る。
またあのお方は何かをやらかしたのだろうか。若い得業生たちはひそひそと噂をする。若い彼らからすれば自分の父親と同じくらいの年齢であるにもかかわらず、同じ得業生という晴明の存在は、時に噂の種となっていた。そういった噂話はすべて晴明の耳にも届いていたが、晴明は噂話についてはまったく気にはしなかった。
「こちらにおります」
書庫から顔を出した晴明は、保憲に声を掛ける。
最近は調べ物することが多く、晴明は書庫に籠っていることがほとんどだった。
「そこにおったか、晴明。すぐに身支度を整えよ」
「なにかありましたかな」
「仮御所へ行くぞ」
「と、いわれますと」
「あるお方がお呼びなのだ。すぐに身支度を整えよ」
晴明はあるお方と聞いて、内心ほくそ笑んだ。いままで蒔いてきた種が芽を出し、実りをもたらしたのだ。しかし、どの種が芽を出したのだろうか。保憲が名前を伏せなければならないほどの公卿などに繋がるような種を蒔いた覚えは、晴明にはなかった。
身支度を整えた晴明は賀茂保憲と共に牛車へ乗り込むと、仮御所として使われている冷泉院へと向かった。
冷泉院は大内裏の東に隣接した寝殿造の屋敷であり、多くの殿舎を供えていることから内裏の代わりとしても十分に機能していた。元々は嵯峨上皇が住んでいた屋敷であり、その子である仁明天皇や次代の文徳天皇もこの冷泉院で過ごした時期があったという、由緒正しき屋敷であった。
「なぜ、私が呼ばれたのだ」
牛車の中で二人きりとなった晴明は、くだけた口調で保憲に問いかけた。晴明は、他に陰陽寮の者がいる時は敬語、保憲と二人きりの時はくだけた口調と使い分けているのだ。
「先日の内裏火災の際に、晴明は温明殿へ向かったであろう」
「ああ。確かに私は温明殿の中に入った」
「そこで剣を見なかったか」
「……見たが」
なにか嫌な予感を覚えた晴明は、保憲の次の言葉を待った。
狭い牛車の屋形の中で、保憲はじっと晴明の顔を見つめている。
「見たのだな」
「ああ、見た。しかし、燃え盛る炎の中に消えて行ってしまった」
「それはわかっておる。剣は何振りあった?」
「二振りであったが……」
「そうか。お前のことだ、その二振りはどのような剣であったか覚えているであろう」
保憲はそう言うと、にやりと笑って見せた。晴明は物事を記憶するということに長けていた。そのため、一度読んだ書物などは書き写したりしなくとも、頭の中に入っていた。そのことを保憲は知っているのだ。
「覚えておる。北斗七星と南斗六星の模様が入っていた」
「それならば良い」
「どういうことだ、保憲」
「行けばわかるさ」
保憲はそれだけ言うと、安心したような表情で晴明に微笑みかけた。
しばらく牛車に揺られて、晴明たちは冷泉院へと到着した。冷泉院は現在仮御所として使用されているため、警備の武官たちが大勢いる。
保憲と晴明は到着するとすぐに冷泉院の奥の部屋へと通され、そこで待つように指示された。その部屋の続きになっており、もうひとつ部屋があったが、その部屋には御簾が降ろされており、中の様子を窺い知ることはできなかった。
「おい、保憲。ここは」
「帝の御前だ。何か聞かれたら、しっかりと答えよ」
声を潜めるようにして質問した晴明は、保憲の言葉を聞いて顔を強張らせた。冷泉院に連れて来られた時点で薄々は察していたが、まさか本当に帝の御前に来ることになるとは思いもよらぬことだった。
しばらくすると、御簾の向こうに人の気配が現れた。すると、保憲はひれ服すように頭を下げる。それを見た晴明も慌てて頭を下げた。
「陰陽頭、賀茂保憲にございます」
「よく来たな、保憲。きょう呼んだのは他でもない。先日の火災で失われた護身剣と破敵剣についてである」
「はい。その二振りの剣に関しては、この者がよく覚えております」
「そうか。そなた、名を何と申す」
帝が晴明に声を掛けて来た。
「陰陽寮、天文得業生の安倍晴明と申します」
「晴明。そなたは、二振りの剣を蘇らせることができるか」
「もちろんでございます。北斗七星と南斗六星の剣の姿はすべて、この晴明の頭の中にしっかりと刻み込まれております」
「ほう、面白き男よ。では晴明、そなたが二振りの剣を蘇らせてみせよ」
「はっ。この安倍晴明にお任せください」
晴明は、こういう時に怖気づいたりしない肝の据わった人物であった。他の陰陽寮の得業生であれば、帝を前にしてここまで大きな口を聞くことはできなかっただろう。これは晴明だからこそ出来たことであった。
「頼んだぞ、晴明よ」
こうして、晴明は帝の命により、二振りの剣を蘇らせることとなったのだった。
翌日から焼け落ちた殿舎の取り壊しがはじまり、復旧に向けた作業がはじまった。内裏の修復が終わるまでの間、帝は仮御所に引っ越し、帝に関する朝廷の機能もすべてがその仮御所へと移動した。
「晴明、安倍晴明はおるか」
陰陽寮の建物の中に賀茂保憲の声が響き渡る。
またあのお方は何かをやらかしたのだろうか。若い得業生たちはひそひそと噂をする。若い彼らからすれば自分の父親と同じくらいの年齢であるにもかかわらず、同じ得業生という晴明の存在は、時に噂の種となっていた。そういった噂話はすべて晴明の耳にも届いていたが、晴明は噂話についてはまったく気にはしなかった。
「こちらにおります」
書庫から顔を出した晴明は、保憲に声を掛ける。
最近は調べ物することが多く、晴明は書庫に籠っていることがほとんどだった。
「そこにおったか、晴明。すぐに身支度を整えよ」
「なにかありましたかな」
「仮御所へ行くぞ」
「と、いわれますと」
「あるお方がお呼びなのだ。すぐに身支度を整えよ」
晴明はあるお方と聞いて、内心ほくそ笑んだ。いままで蒔いてきた種が芽を出し、実りをもたらしたのだ。しかし、どの種が芽を出したのだろうか。保憲が名前を伏せなければならないほどの公卿などに繋がるような種を蒔いた覚えは、晴明にはなかった。
身支度を整えた晴明は賀茂保憲と共に牛車へ乗り込むと、仮御所として使われている冷泉院へと向かった。
冷泉院は大内裏の東に隣接した寝殿造の屋敷であり、多くの殿舎を供えていることから内裏の代わりとしても十分に機能していた。元々は嵯峨上皇が住んでいた屋敷であり、その子である仁明天皇や次代の文徳天皇もこの冷泉院で過ごした時期があったという、由緒正しき屋敷であった。
「なぜ、私が呼ばれたのだ」
牛車の中で二人きりとなった晴明は、くだけた口調で保憲に問いかけた。晴明は、他に陰陽寮の者がいる時は敬語、保憲と二人きりの時はくだけた口調と使い分けているのだ。
「先日の内裏火災の際に、晴明は温明殿へ向かったであろう」
「ああ。確かに私は温明殿の中に入った」
「そこで剣を見なかったか」
「……見たが」
なにか嫌な予感を覚えた晴明は、保憲の次の言葉を待った。
狭い牛車の屋形の中で、保憲はじっと晴明の顔を見つめている。
「見たのだな」
「ああ、見た。しかし、燃え盛る炎の中に消えて行ってしまった」
「それはわかっておる。剣は何振りあった?」
「二振りであったが……」
「そうか。お前のことだ、その二振りはどのような剣であったか覚えているであろう」
保憲はそう言うと、にやりと笑って見せた。晴明は物事を記憶するということに長けていた。そのため、一度読んだ書物などは書き写したりしなくとも、頭の中に入っていた。そのことを保憲は知っているのだ。
「覚えておる。北斗七星と南斗六星の模様が入っていた」
「それならば良い」
「どういうことだ、保憲」
「行けばわかるさ」
保憲はそれだけ言うと、安心したような表情で晴明に微笑みかけた。
しばらく牛車に揺られて、晴明たちは冷泉院へと到着した。冷泉院は現在仮御所として使用されているため、警備の武官たちが大勢いる。
保憲と晴明は到着するとすぐに冷泉院の奥の部屋へと通され、そこで待つように指示された。その部屋の続きになっており、もうひとつ部屋があったが、その部屋には御簾が降ろされており、中の様子を窺い知ることはできなかった。
「おい、保憲。ここは」
「帝の御前だ。何か聞かれたら、しっかりと答えよ」
声を潜めるようにして質問した晴明は、保憲の言葉を聞いて顔を強張らせた。冷泉院に連れて来られた時点で薄々は察していたが、まさか本当に帝の御前に来ることになるとは思いもよらぬことだった。
しばらくすると、御簾の向こうに人の気配が現れた。すると、保憲はひれ服すように頭を下げる。それを見た晴明も慌てて頭を下げた。
「陰陽頭、賀茂保憲にございます」
「よく来たな、保憲。きょう呼んだのは他でもない。先日の火災で失われた護身剣と破敵剣についてである」
「はい。その二振りの剣に関しては、この者がよく覚えております」
「そうか。そなた、名を何と申す」
帝が晴明に声を掛けて来た。
「陰陽寮、天文得業生の安倍晴明と申します」
「晴明。そなたは、二振りの剣を蘇らせることができるか」
「もちろんでございます。北斗七星と南斗六星の剣の姿はすべて、この晴明の頭の中にしっかりと刻み込まれております」
「ほう、面白き男よ。では晴明、そなたが二振りの剣を蘇らせてみせよ」
「はっ。この安倍晴明にお任せください」
晴明は、こういう時に怖気づいたりしない肝の据わった人物であった。他の陰陽寮の得業生であれば、帝を前にしてここまで大きな口を聞くことはできなかっただろう。これは晴明だからこそ出来たことであった。
「頼んだぞ、晴明よ」
こうして、晴明は帝の命により、二振りの剣を蘇らせることとなったのだった。
22
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
忍者同心 服部文蔵
大澤伝兵衛
歴史・時代
八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。
服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。
忍者同心の誕生である。
だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。
それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……
和ませ屋仇討ち始末
志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。
門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。
久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。
父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。
「目に焼き付けてください」
久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。
新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。
「江戸に向かいます」
同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。
父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。
他サイトでも掲載しています
表紙は写真ACより引用しています
R15は保険です
呪法奇伝ZERO・平安京異聞録~夕空晴れて明星は煌めき、遥かなる道程に月影は満ちゆく~
武無由乃
歴史・時代
「拙僧(おれ)を殺したければ――播摩の地へと来るがいい。拙僧(おれ)は人の世を壊す悪鬼羅刹であるぞ――」
――その日、そう言って蘆屋道満は、師である安倍晴明の下を去った。
時は平安時代、魑魅魍魎が跳梁跋扈する平安京において――、後の世に最強の陰陽師として名をのこす安倍晴明と、その好敵手であり悪の陰陽師とみなされる蘆屋道満は共にあって笑いあっていた。
彼らはお互いを師弟――、そして相棒として、平安の都の闇に巣食う悪しき妖魔――、そして陰謀に立ち向かっていく。
しかし――、平安京の闇は蘆屋道満の心を蝕み――、そして人への絶望をその心に満たしてゆく。
そして――、永遠と思われた絆は砕かれ――、一つであった道は分かたれる。
人の世の安寧を選んだ安倍晴明――。
迫害され――滅ぼされゆく妖魔を救うべく、魔道へと自ら進みゆく蘆屋道満。
――これは、そうして道を分かたれた二人の男が、いまだ笑いあい、――そして共にあった時代の物語。
吉宗のさくら ~八代将軍へと至る道~
裏耕記
歴史・時代
破天荒な将軍 吉宗。民を導く将軍となれるのか
―――
将軍?捨て子?
貴公子として生まれ、捨て子として道に捨てられた。
その暮らしは長く続かない。兄の不審死。
呼び戻された吉宗は陰謀に巻き込まれ将軍位争いの旗頭に担ぎ上げられていく。
次第に明らかになる不審死の謎。
運命に導かれるようになりあがる吉宗。
将軍となった吉宗が隅田川にさくらを植えたのはなぜだろうか。
※※
暴れん坊将軍として有名な徳川吉宗。
低迷していた徳川幕府に再び力を持たせた。
民の味方とも呼ばれ人気を博した将軍でもある。
徳川家の序列でいくと、徳川宗家、尾張家、紀州家と三番目の家柄で四男坊。
本来ならば将軍どころか実家の家督も継げないはずの人生。
数奇な運命に付きまとわれ将軍になってしまった吉宗は何を思う。
本人の意思とはかけ離れた人生、権力の頂点に立つのは幸運か不運なのか……
突拍子もない政策や独創的な人事制度。かの有名なお庭番衆も彼が作った役職だ。
そして御三家を模倣した御三卿を作る。
決して旧来の物を破壊するだけではなかった。その効用を充分理解して変化させるのだ。
彼は前例主義に凝り固まった重臣や役人たちを相手取り、旧来の慣習を打ち破った。
そして独自の政策や改革を断行した。
いきなり有能な人間にはなれない。彼は失敗も多く完全無欠ではなかったのは歴史が証明している。
破天荒でありながら有能な将軍である徳川吉宗が、どうしてそのような将軍になったのか。
おそらく将軍に至るまでの若き日々の経験が彼を育てたのだろう。
その辺りを深堀して、将軍になる前の半生にスポットを当てたのがこの作品です。
本作品は、第9回歴史・時代小説大賞の参加作です。
投票やお気に入り追加をして頂けますと幸いです。
信乃介捕物帳✨💕 平家伝説殺人捕物帳✨✨鳴かぬなら 裁いてくれよう ホトトギス❗ 織田信長の末裔❗ 信乃介が天に代わって悪を討つ✨✨
オズ研究所《横須賀ストーリー紅白へ》
歴史・時代
信長の末裔、信乃介が江戸に蔓延る悪を成敗していく。
信乃介は平家ゆかりの清雅とお蝶を助けたことから平家の隠し財宝を巡る争いに巻き込まれた。
母親の遺品の羽子板と千羽鶴から隠し財宝の在り処を掴んだ清雅は信乃介と平賀源内等とともに平家の郷へ乗り込んだ。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
香蕉の生き方
うたう
歴史・時代
始皇帝が没した。
宦官趙高は、始皇帝の寵愛を受けていたにも関わらず、時期到来とばかりに謀を巡らせる。
秦帝国滅亡の原因ともなった趙高の側面や内心を、丞相李斯、二世皇帝胡亥、趙高の弟趙成、趙高の娘婿閻楽、そして趙高自身の視点から描く。
高天神攻略の祝宴でしこたま飲まされた武田勝頼。翌朝、事の顛末を聞いた勝頼が採った行動とは?
俣彦
ファンタジー
高天神城攻略の祝宴が開かれた翌朝。武田勝頼が採った行動により、これまで疎遠となっていた武田四天王との関係が修復。一致団結し向かった先は長篠城。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる