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第一話
朱雀門で笛を奏でし者(4)
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豪胆な男。それが源博雅の第一印象だった。
身長はそれほど大きくないが、肩幅は広く、上級貴族に似つかわしくない浅黒く焼けた肌に、野太く大きな声。それでいてよく笑う。いい意味で右近衛中将という役職が良く似合った男なのだ。
「はっはっはっは、まさか本当に晴明殿が来てくれるとはな。言ってみるものだ」
博雅は大声で笑い、自分の膝をぴしゃりと掌で叩いた。
正直なところ、晴明は困惑していた。思い描いていた源博雅という人物像とは全く違った男が目の前にいるのだ。博雅は臣籍降下前は、博雅王という名の皇族だった。そのことを知っていた晴明は、もっと色白で雅やかな人物を想像していたのだ。
「して、晴明殿。朱雀門の鬼の話は聞いたかね」
「はい。噂程度には耳にしております」
「あれは、嘘じゃ。俺が配下の者たちに流させた」
「なんと……」
「はっはっはっは、驚いたか」
博雅は楽し気に笑う。
何ということだ。もっときちんと調べてから来るべきであった。晴明は自分の下調べの甘さを呪った。最初から鬼の存在などは無いとわかってはいたが、まさか噂の出元が博雅本人であったとは。功を焦らず事前に式人たちを動かし、この噂の情報を集めていれば、こんなことにはならなかっただろう。
「博雅様が流した噂となりますと、その目的は如何に?」
「なるほど、さすがは名の知れた陰陽師であるな。噂が嘘であったということで片づけたりはせぬか」
「博雅様は、ただの悪戯で噂を流されるようなお人ではございますまい」
「よせ、そのような世辞を申しても、なにも出て来んぞ」
「何が目的で朱雀門に鬼が居るなどと噂を流されたのでしょうか」
そう晴明が博雅に聞くと、博雅は少し考えるような顔をしてから口を開いた。
「実は、欲しい笛があった」
「笛でございますか」
「ああ。龍笛と呼ばれる種類の笛だ。たかが笛と思われるかもしれないが、あの音色は唯一無二のもの。どうしても手に入れたく、何年も前から笛匠に作成をお願いしていたのだが、その龍笛が完成間近となった時に忽然と姿を消してしまったのだ」
「盗まれたということでしょうか」
「わからん。ただ、笛匠は消えたとしか言わん」
「そうですか……。その笛を取り戻したいがために、博雅様は朱雀門に居るという鬼の噂を流したというわけですか」
「つまらぬことをしおって……と思っているな」
「まさか、そんなことは」
晴明は冷静に否定したが、心を博雅に読まれたと思い焦っていた。しかし、それを顔に出すような晴明ではない。表情を変えず、あくまで冷静を保った。
「晴明殿も龍笛の音色の素晴らしさを知れば考えが変わるだろう」
博雅はそう言うと、家人に自分の笛を持ってくるように命じた。
家人が持って来たのは、一本の龍笛であった。その龍笛には梅の花の模様が彫りこんであった。
龍笛を唇へ持っていった博雅が構えると、部屋の空気が一変した。
なんなのだ、これは。晴明は一瞬にしてその雰囲気に飲みこまれた。澄んだ音色だった。音楽については何の知識もない晴明であるが、その音色を聞いた時、何か心の奥底から感動し、知らず識らずのうちに涙を流していた。
無骨な男だと思っていたが、笛を手に取った博雅は全くの別の人であった。やはり、この男は先々帝の血を引くお方なのだ。
演奏を終えた博雅が笛を置くと、晴明は整然と博雅に対してひれ伏していた。
「この安倍晴明、博雅様のお力になりとうございます」
「そうか、晴明殿。力を貸してくれるか」
博雅はにっこりと笑うと晴明のところまでやってきて、その手を取った。
ごつごつとした無骨な手であった。この手があれほどの音楽を奏でることができるのかと、晴明は不思議な気分になっていた。
博雅は、毎夜朱雀門までやって来ると笛を吹いていた。
博雅が手にするはずだった龍笛を持ち去った者は、その笛の価値がわかっていたはずだ。だからこそ、持ち去った。あの笛の価値がわかる者であれば、自分の笛の音に誘われて出てくるはずだ。そう博雅は考えていた。博雅は自信家なのだ。
龍笛を吹く博雅は、決して自分の姿を見せないようにしていた。自分が姿を見せれば、相手が警戒して近づいてこない恐れがあると思ったからだ。
そして、博雅はある噂を流した。朱雀門から毎晩笛の音が聞こえるというものだった。最初の噂はその程度のものだったのだ。それが次第に尾ひれがついていき、いつの間にか鬼が登場した。最初の噂には鬼の存在などはどこにもなかったのだ。それがどこでどうなったかはわからないが、朱雀門の鬼の噂となった。
鬼やあやかし、物怪の類は、この世には存在しない。それは、何かの見間違いや勘違い、または人が抱く恐怖感が生み出すまぼろしなのだ。闇夜の中で何かが揺れ動いていたりすると、それを何か恐ろしいものではないかと勘違いをする。人間とは想像力に長けた生き物である。晴明はそのことをわかっていた。だから、鬼やあやかし、物怪については否定的な考えをずっと持っているのだった。
暗くなる前に晴明と博雅は屋敷を出て朱雀門へと向かうことにした。従者は連れてはいない。二人だけだ。
朱雀門は大内裏の入口だった。外界からの入口である羅城門を抜け、朱雀大路をまっすぐに向かった先にある大きな入母屋造の門。それが朱雀門であり、仕事を終えて大内裏内の省庁などから帰宅をする人や、宿直のためにこれから職場へと向かう人などが行き来をしている。
しかし、それも束の間のことだった。帳が降りて暗くなると人の気配も消え、しんと静まり返るのだ。
そして、頃合いを見計らったかのように博雅は持って来た龍笛を取り出すと、おもむろに吹きはじめた。
静かな音色は、夜にふさわしいものだった。
その素晴らしい音に耳を傾けながらも、晴明は闇夜の中に目を向けていた。
本当に鬼が現れた場合はどうするべきか。
闇を見つめていると、そんな考えが晴明の頭の中に浮かんでくる。
いや、鬼など存在はしない。あれは、まやかしである。
幼き頃に晴明が百鬼夜行を見たという噂話は、陰陽道の師である賀茂忠行が流したものであった。そうすることによって、陰陽師の安倍晴明という人物の価値が上がる。忠行はそう言って笑っていた。
朝廷に対して、鬼やあやかし、物怪の噂を流し、陰陽師の存在を必要なものと位置づけたのも忠行であり、身分の低い陰陽寮の陰陽師たちが内裏を出入りできるようにしていったのだった。
しばらくの間、博雅は笛を吹き続けた。
そして、夜も更けた頃、闇の中で何かが動く気配があることに晴明は気づいた。
身長はそれほど大きくないが、肩幅は広く、上級貴族に似つかわしくない浅黒く焼けた肌に、野太く大きな声。それでいてよく笑う。いい意味で右近衛中将という役職が良く似合った男なのだ。
「はっはっはっは、まさか本当に晴明殿が来てくれるとはな。言ってみるものだ」
博雅は大声で笑い、自分の膝をぴしゃりと掌で叩いた。
正直なところ、晴明は困惑していた。思い描いていた源博雅という人物像とは全く違った男が目の前にいるのだ。博雅は臣籍降下前は、博雅王という名の皇族だった。そのことを知っていた晴明は、もっと色白で雅やかな人物を想像していたのだ。
「して、晴明殿。朱雀門の鬼の話は聞いたかね」
「はい。噂程度には耳にしております」
「あれは、嘘じゃ。俺が配下の者たちに流させた」
「なんと……」
「はっはっはっは、驚いたか」
博雅は楽し気に笑う。
何ということだ。もっときちんと調べてから来るべきであった。晴明は自分の下調べの甘さを呪った。最初から鬼の存在などは無いとわかってはいたが、まさか噂の出元が博雅本人であったとは。功を焦らず事前に式人たちを動かし、この噂の情報を集めていれば、こんなことにはならなかっただろう。
「博雅様が流した噂となりますと、その目的は如何に?」
「なるほど、さすがは名の知れた陰陽師であるな。噂が嘘であったということで片づけたりはせぬか」
「博雅様は、ただの悪戯で噂を流されるようなお人ではございますまい」
「よせ、そのような世辞を申しても、なにも出て来んぞ」
「何が目的で朱雀門に鬼が居るなどと噂を流されたのでしょうか」
そう晴明が博雅に聞くと、博雅は少し考えるような顔をしてから口を開いた。
「実は、欲しい笛があった」
「笛でございますか」
「ああ。龍笛と呼ばれる種類の笛だ。たかが笛と思われるかもしれないが、あの音色は唯一無二のもの。どうしても手に入れたく、何年も前から笛匠に作成をお願いしていたのだが、その龍笛が完成間近となった時に忽然と姿を消してしまったのだ」
「盗まれたということでしょうか」
「わからん。ただ、笛匠は消えたとしか言わん」
「そうですか……。その笛を取り戻したいがために、博雅様は朱雀門に居るという鬼の噂を流したというわけですか」
「つまらぬことをしおって……と思っているな」
「まさか、そんなことは」
晴明は冷静に否定したが、心を博雅に読まれたと思い焦っていた。しかし、それを顔に出すような晴明ではない。表情を変えず、あくまで冷静を保った。
「晴明殿も龍笛の音色の素晴らしさを知れば考えが変わるだろう」
博雅はそう言うと、家人に自分の笛を持ってくるように命じた。
家人が持って来たのは、一本の龍笛であった。その龍笛には梅の花の模様が彫りこんであった。
龍笛を唇へ持っていった博雅が構えると、部屋の空気が一変した。
なんなのだ、これは。晴明は一瞬にしてその雰囲気に飲みこまれた。澄んだ音色だった。音楽については何の知識もない晴明であるが、その音色を聞いた時、何か心の奥底から感動し、知らず識らずのうちに涙を流していた。
無骨な男だと思っていたが、笛を手に取った博雅は全くの別の人であった。やはり、この男は先々帝の血を引くお方なのだ。
演奏を終えた博雅が笛を置くと、晴明は整然と博雅に対してひれ伏していた。
「この安倍晴明、博雅様のお力になりとうございます」
「そうか、晴明殿。力を貸してくれるか」
博雅はにっこりと笑うと晴明のところまでやってきて、その手を取った。
ごつごつとした無骨な手であった。この手があれほどの音楽を奏でることができるのかと、晴明は不思議な気分になっていた。
博雅は、毎夜朱雀門までやって来ると笛を吹いていた。
博雅が手にするはずだった龍笛を持ち去った者は、その笛の価値がわかっていたはずだ。だからこそ、持ち去った。あの笛の価値がわかる者であれば、自分の笛の音に誘われて出てくるはずだ。そう博雅は考えていた。博雅は自信家なのだ。
龍笛を吹く博雅は、決して自分の姿を見せないようにしていた。自分が姿を見せれば、相手が警戒して近づいてこない恐れがあると思ったからだ。
そして、博雅はある噂を流した。朱雀門から毎晩笛の音が聞こえるというものだった。最初の噂はその程度のものだったのだ。それが次第に尾ひれがついていき、いつの間にか鬼が登場した。最初の噂には鬼の存在などはどこにもなかったのだ。それがどこでどうなったかはわからないが、朱雀門の鬼の噂となった。
鬼やあやかし、物怪の類は、この世には存在しない。それは、何かの見間違いや勘違い、または人が抱く恐怖感が生み出すまぼろしなのだ。闇夜の中で何かが揺れ動いていたりすると、それを何か恐ろしいものではないかと勘違いをする。人間とは想像力に長けた生き物である。晴明はそのことをわかっていた。だから、鬼やあやかし、物怪については否定的な考えをずっと持っているのだった。
暗くなる前に晴明と博雅は屋敷を出て朱雀門へと向かうことにした。従者は連れてはいない。二人だけだ。
朱雀門は大内裏の入口だった。外界からの入口である羅城門を抜け、朱雀大路をまっすぐに向かった先にある大きな入母屋造の門。それが朱雀門であり、仕事を終えて大内裏内の省庁などから帰宅をする人や、宿直のためにこれから職場へと向かう人などが行き来をしている。
しかし、それも束の間のことだった。帳が降りて暗くなると人の気配も消え、しんと静まり返るのだ。
そして、頃合いを見計らったかのように博雅は持って来た龍笛を取り出すと、おもむろに吹きはじめた。
静かな音色は、夜にふさわしいものだった。
その素晴らしい音に耳を傾けながらも、晴明は闇夜の中に目を向けていた。
本当に鬼が現れた場合はどうするべきか。
闇を見つめていると、そんな考えが晴明の頭の中に浮かんでくる。
いや、鬼など存在はしない。あれは、まやかしである。
幼き頃に晴明が百鬼夜行を見たという噂話は、陰陽道の師である賀茂忠行が流したものであった。そうすることによって、陰陽師の安倍晴明という人物の価値が上がる。忠行はそう言って笑っていた。
朝廷に対して、鬼やあやかし、物怪の噂を流し、陰陽師の存在を必要なものと位置づけたのも忠行であり、身分の低い陰陽寮の陰陽師たちが内裏を出入りできるようにしていったのだった。
しばらくの間、博雅は笛を吹き続けた。
そして、夜も更けた頃、闇の中で何かが動く気配があることに晴明は気づいた。
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