笑顔の向こう側

ゆん

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同棲編

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 初めて見る真四角の狭い浴槽がある浴室で、2年以上ぶりに熱い質量を受け入れようとしているその場所に指で触れる。透はしてくれないかもしれない。でも僕は……たとえ他の夜がダメでも、ここなら……海と月が見守るこの場所なら、大丈夫な気がしてた。

 だから頭から体の隅々までをきれいに洗って、火照りを収めるために水のシャワーを浴びた。ラッシュガードと日焼け止めで強い日差しから守っていた肌もやっぱり日焼けをしているみたいで、熱を持ったそこここを水が上滑りしてるように感じた。

透と繋がりたい。
僕の体で、彼を悦ばせたい。
僕だけが気持ちいいなんて、だめ。
対等ってそういうことだよ、透。

 タオルを腰に巻いてキッチンに戻り、少しの緊張と喉の渇きを癒すために冷蔵庫の水を飲んだ。ペットボトルをドアポケットに仕舞い、リビングを振り向く。革張りのソファに座ってスマホを弄ってる透の後ろ姿が見える。

「……透」

 僕が小さく呼ぶと、透がこっちを振り返った。上に行こう、とか何か言おうとして息を吸って……そのまま吐き出した。透が立ち上がってこっちを一瞥して、そのままリビングを出てったから。

 後を追ってあの狭い階段を、手も使いながら四つ足の動物のように上っていった。透がドアを開けると漏れ出た冷気がぬるい空気に沈んでくる。冷たいくらいに冷やされた部屋には洗って干したシーツが綺麗にセットされた敷布団が並べられ、枕が1つずつ置いてある。

 昼間に海を見渡した窓は今は真っ暗だったけど、透が電気をつけるとスクリーンになって、Tシャツにハーフパンツの透くんとタオルを腰に巻いた僕を明々と映し出した。僕は思わず目を逸らした。自分の欲望を不意に晒された気がして、どぎまぎした。

「電気、消して」

 窓を見ないままお願いしたら、透はすぐに電気を消して僕へ手を伸ばした。

「待って、透も脱いで」

 立て続けのお願いは、今度はすぐには聞いてもらえなかった。理由は分かってる。僕の、トリガー。

「今日は大丈夫……さっきも、大丈夫だったし」
「あれは海だったから──」
「大丈夫!ほんとに!」

 僕は腰に巻いてたタオルを落とし、透に抱き付いた。

「僕は、君の肌を知りたい」

 ああ、それこそ今は電気をつけないで。服を着た恋人に全裸で抱いて、と迫る僕を、僕は到底直視できない。

 透は少し考えるように間を置いて、やがてゆっくり、僕の様子を伺いながらTシャツを脱いだ。僕の心臓は確かに鼓動を早めたけど、それは刻まれた過去がそうしたんじゃない。僕とは違う綺麗な筋肉のついた体に、情欲を掻き立てられたせい。

 電気を消していても部屋の中はぼんやりと明るい。さっき太陽が沈んで行った西の空に、追いかけるように月があるから。

 潮でくすんだ窓は、僕と透の秘め事を外の世界から隠す。遠く聞こえる波の音は、昼間の海の夢を見せる。ただ、僕に触れてくる彼の乾いた手の平は、どこまでもリアルだった。


 布団の上に立ったまま、そっと抱き寄せられる。僕の指が、透の広い背中を確かめるように滑る。ほら、大丈夫──僕はそう思っていたけど、耳元に「息、吐いて」と囁かれて、僕は自分が息を止めてたこと知り、吐き出して全身に力が入ってたことを知った。

 僕は透がやめてしまうんじゃないかと思って顔を上げた。そしたら透はそれを否定するように僕の口を塞いだ。塞いで、歯列に割り入ってきた。

 さっきキッチンでキスをした時はただエッチな気持ちを煽るだけだったそれが、たった数センチの柔らかいその器官が、何か分からない重い記憶を連れて来る。

 僕は目を開けて、透を見た。確かめた。僕の大好きな人を。僕の大切な人を。月明かりが浮かび上がらせる、恋人の顔。性感の高まりとは違う息の乱れに透が唇を離したから、僕はやめないで、と泣きそうになりながら懇願した。

「壊して……壊して、透……」

 縋るようにキスしながら訴えたのは、本当にそう思ったからだった。今生きているのは、この僕なんだ。例え自分であろうとも、僕の邪魔はさせない。

 透は「変化球だか直球だか分かんないので刺してくるね……」とキスの合間に囁いた。その言葉の意味を考えている間に布団に押し倒されて、彼の重みに目が眩みそうになる。

 ああ、そのまま僕に突き入って、壊してほしい。めちゃくちゃにされたい。僕を取り巻く過去のすべてを、バラバラになった破片を跡形もなく踏みしだいて、海に還して欲しい。




 実際の彼は時間をかけて指と舌とで僕を愛撫した。その感触が連れて来る暗く重い質量を持った記憶を立ち上らせては過去にして、霧の向こうに見え隠れする透を追いかける。

 透が僕が弱い胸の先端を何度も刺激するから、先走りに股間をべたべたにしてしまう。そんなになってるのに、彼は前も後ろも直接は触ってくれない。自分で触ろうとすると布団に手を縫い留められて、もどかしさに泣くみたいに喘いだ。

「や……ッ……あ、あ……ッ……」

 透の舌が僕のおへそをくすぐる。お腹が出てるって言うからいつでも気にしてるのに、今は与えられる悦楽に身を捩り、もっと奥へその舌を導きたくて無心に足をこれ以上出来ないくらい開いてた。

 待ち焦がれたその場所をぬるりと舐められた時、僕はびくりと震えて射精した。息を止めてびくんびくんと揺れながら涙が零れたのは、五感に刻まれた過去の断片のせいじゃない。

こんなに大事に愛されたことがない。
こんなに大切に扱われたことがない。
こんなに快楽だけを与えられたことがない。
こんなに、愛を感じたことがない。

 彼が霧の向こうからはっきりと姿を現し、僕はこの昭和の小さな部屋の布団の上で透とセックスをしている、というこの瞬間に追いついて、しっかりと彼の目を見た。

「……入れて……僕の中に、きて……」

 この夜だけじゃなく、きっと、もう大丈夫なんだ、と根拠はない確信がある。もしまた霧に覆われても、透は絶対僕を見つけ出す。僕は絶対透を見つけ出す。だから、大丈夫だって。

 透のは大きくて、久しぶりの僕はちょっと痛くて、でも変なんだ。痛いのは嫌いなはずなのに、僕は同時に強い快感を感じてた。

 熱いと痛いが似てる時があるみたいに、痛いと気持ちいいが似てて……醒めた時を想像すれば怖いくらい、いい、いいと喘いでた。

 透が最後の方、僕を強く抱きしめてスパートした時、堪えきれないというように吐息で低く呻いた。その快感を表す音を耳にした時の幸福。僕も彼を満たせてるという至福。それは単なる体の快楽の何倍も僕を満たし、細かな傷の隅々まで癒していった。




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