笑顔の向こう側

ゆん

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同棲編

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「ごめんね、驚かせて。やはり私も男なもので反応してしまうことはあります。でも大丈夫です。何もしませんよ」

さっきまで偉い先生に見えてたのに、今は淫欲に歪んだ顔に映った。

「あの……もういいです……帰ります……」

震える声でなんとか言った。

「そんなこと言わずにもう少し頑張ってごらん。あともう少しで体の診察は終わるよ。その後あなたのお悩みを詳しくお聞きする。リラックスして、美味しいお茶を飲みながら話をしましょう。セックスが出来ないと言っていたのが嘘みたいに、彼を喜ばせることが出来るようになりますよ」

 その言葉を、今はもう信じることが出来ない。”ひとりで相談できる” というのは一人で来させるためだったんだとしか思えなくなって、僕は頑なに首を振った。

 先生はそれ以上はしつこくすることなく、僕が着替える様子を黙って見ていた。診療代として実費1万円を請求されて、でももうこれ以上ここにいたくなくて大人しく払った。

「松崎さん、あなた嗜虐心をそそるいい顔をしてますよ。もしかしたら前職が天職だったかもしれませんね」

 そう言って、先生はドアを閉めた。僕は知らない男に裸を見られ、弄られ、お金を払った。何でこうなったのか分からなかった。ただ透くんに愛されたいだけだったのに。僕のダメな所を直して、透くんに応えたかっただけなのに。




 雑居ビルを出ると、まだまだ昼間の熱気を残した夜の街が僕を待っていた。なんとなく、僕は元の世界に戻るべきなのかなぁと思った。

  駅に向かうのとは違う道をふらふら歩いて、客引きに何度も手を引っ張られた。透くんが遠かった。

  僕は『ダブダブ』でまともになったつもりでいたけど、それは多分外側だけなんだ。きっと夜の世界の匂いが絶えず僕からは漂っていて、どれだけ昼の服を着ていても隠すことは出来ないんだろう。

 あの男が言ったことは本当かもしれない。僕には、あの職業が合っていたのかも。そうすれば、透くんに出逢うことなくこんな風に悩んだりは──

 途端にぶわっと涙が出た。いやだ。透くんに出逢わない人生なんて。透くんに逢いたい。抱き締められたい。

  でも……僕は彼を喜ばせられない。透くんは優しいからセックスなんてしなくていいって言いそうだけど、透くんをそんな目に合わせる権利は僕にはないと思った。健康な男だったら抱きたいと思うのが普通なんだし、その普通を僕と付き合ったがために失うなんて。あんな素敵な人が……

 でも、別れるのは嫌だった。だからなんとかしたかった。でももう病院は怖かった。僕は行く先行く先でああいう目に遭う。運がないっていうか、誰かが引かなきゃいけない貧乏くじをもれなく引くのが僕だった。

  みっともなく泣きながら歩いた。あてどなく。時々通行人に振り返られながら、疲れて歩けなくなるまで。

 あんまり疲れて知らない町のバス停のベンチにぼーっと座ってた。そしたらしばらくしてバスがそこに停まって、僕のためだけに停まったらしいバスに違いますと言えず、のろのろと一番前の席に座った。

 ここがどこなのかも分からない。どこに行くのかも知らない。そんな状況がなんだか変で、僕はくすくすと笑った。運転手さんがちらっとこっちを見たのが視野で分かった。

 泣き腫らした顔の男がひとりでくすくす笑ってたらそりゃあ気味が悪いだろうなと笑いを引っ込めつつ、どこで降車ボタンを押そうかと考えてたらあっさりと終点の駅に着いてしまった。

 終点は住宅地のはずれだった。周辺地図を見ても全然分からない。バスは行ってしまったし、辺りを歩いてる人もいない。僕はぽつんと外灯が灯る終点のベンチに座って、薄い雲の中にぼんやり月の見える空を見上げた。

 セミではない何かの虫が鳴いてる。ここに僕がいると、誰も知らない。でも考えてみたらみんな一緒だと思った。僕だって、僕の知らない誰かがどこにいるのかなんて知りようもない。

 疲れたなぁ。どうやって帰ろうか、また歩かなきゃいけないなんて馬鹿みたいだなぁとベンチの背もたれから体を離せないでいると、カバンの中のスマホがブーンブーンと震えてるのに気付いた。

  取り出して暗闇に眩しい画面を見たら、透くんの名前が光ってた。今の状況とか何も考えず、条件反射で電話に出てた。

『もしもし』

 透くんの声。恋しい音が、耳からじーんと広がってく。

『もしもし?留丸?』
「あ、うん」
『いや……帰ってきたらいないから。LiNEも既読つかないし』
「ごめんね、気付かなかった」

 止まってた涙が出て来る。僕を心配してくれる透くん。優しいなぁ……透くんは、ほんとに優しい……




 
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