笑顔の向こう側

ゆん

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シェアハウス編

恋バナの夜

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僕がご飯を食べてる途中で、透さんは下に降りてった。多分絵を描きに。食べ始めた時はソファでテレビを見てたから、一緒に降りれるかもっ!って急いだんだけど、健闘虚しく。
結局透さんが降りてから30分ほどで片付けまでしてアトリエに行くと、透さんは茶色とピンクを薄く薄く塗ったカンバスの前に座ってじっとそれを見つめてた。

僕は邪魔にならないように定位置の一人掛けのソファへそっと腰を下ろした。
静かな時間だ。雨は止んだのか、それともごく小降りなのか、ここしばらく聞き慣れた夜の雨音がなくなっている。

透さんが身じろいで、足を組み替える。腕組みをして、首を少し傾げて、カンバスを見つめる。
何が見えてるのかな。
それとも見出そうとしてるのか──






「あんたさ」

突然、透さんが話しかけて来る。ぼーっと彼の背中を見つめてた僕は、「はい」とソファで足を抱えたままぴんと背筋を伸ばして、透さんの次の言葉を待った。

「兄さんと付き合いたいとか思ってないの」
「えっ……」

透さんが訊いてきた、その意味を考える。
なんで急に……?
身の程知らず……といつもの癖で考えて、透さんはそんなことは言わない、と白紙に戻す。
ただ単なる興味。一種の……恋バナみたいな。透さんが恋バナ……しなさそう……
大体僕は至さんじゃなくて透さんが好きなのに。

「思ってないよ……なんで?」

他人の恋愛には興味が無さそうな透さんの、質問の理由が全く想像できない。

「いや。特に行動を起こしてるわけでもなさそうだし。好きってだけで、そこで終わりなのかって思って」
「もちろん……至さんは好きだけど、憧れみたいなものだから。付き合いたいとかは……ないよ」

『僕は至さんが好き説』をやんわり否定しつつ、やっぱり色々考える。好きなら行動しろって思ってたのかな、とか。透さんは積極的に行動に移すタイプなのかな、とか。

透さんはふうん、と言ったまま黙り込んだ。
このまま僕も黙ってたらまた静かな時間に戻ったと思うけど、彼の情報に飢えてる僕はまだ話をやめたくなくて「透さんは?」と彼が世界に戻るのを引き留めた。

「透さんは、好きな人が出来たらガンガンいくの?付き合ってくれ、とか」

しれっと普通に訊いたつもりでも、じわっと耳が熱くなる。
透さんの表情は、向こうを向いたままだから分からない。

透さんは筆を取り、す、す、と色を足しながら「相手による」と言った。
その声は至って普通で動揺も照れもない。

「相手によるって? 例えば?」
「押した方が良ければ押すし、待った方が良ければ待つ。普通だろ」
「すごいクール……好きだけど怖くて前へ進めないとか、待つつもりだったのに我慢できずに言っちゃった、とか……そういうの、ないんだ」
「俺はな」

ほんとにそんな人がいるんだ、と絵筆を動かす広い背中を見つめる。自分や他人の感情に振り回されまくる僕からしたら、信じらんない。
透さんが誰かに恋をしたら、なんか確実に落としそうだな。狙いを定めたら絶対逃がさない、的な。

透さんの恋、か。

「透さん、今は好きな人、いるの?っていうか、付き合ってる人、いるの?」

自然に訊けた!と思ったけど、訊いた途端に答えが怖い。言葉に出してみたら、こんな素敵な人に恋人がいない方がおかしいじゃないかって思ったから。

ところが透さんの答えは「いない」だった。
自分の恋が成就する可能性が増えたわけでもないのに、気分は再浮上。

「そっか。でも確かにお仕事めちゃくちゃ忙しいもんね。土日も関係ないし」
「まぁな。さっきは押すだの待つだの言ったけど、実際のとこ、気になる人がいたってそっちに割く時間がない」
「あ、気になる人はいるんだ」

テンポの早い会話にどきどきしてる。自分の手に負えない早さは命取り……そう思ってたら、透さんは「いるよ」って、あっさり答えた。
ぐさーって、何か形の分かんない物が刺さった。

いるんだ。透さん今、恋してるんだ。
そうなんだ……

「へ、へぇ~……どんな人なの?透さんが気になる人って、全然想像つかない」

聞きたくないのに、知りたくて……知ったってどうすることも出来ないのに。
けど透さんは僕の質問には答えないままリズミカルに絵筆を動かし始めて、返ってこない返事をもう一度促すのは気が引けた。
僕は抱えた脚の膝小僧に顎を乗せて、透さんが世界に集中していく様を眺めていた。

気になる人がいるんだ、なんて訊かなければ良かった。
そうすれば、今は文句なく幸せな時間だったのに。
もしかしたら絵筆を止めているあの空白に、その人を想ってるのかもしれないという想像の余地が出来てしまった。
僕が知らない世界で、僕の知らない人に恋してる透さんを、遠く感じる余地が出来てしまった。

でも……きっとその人は、透さんの絵は分からない。
だって、それは僕だけの特別な役割だから。思い込みじゃない。だって満さんもそう言ってた。
透さんがその人と付き合うことになっても、僕はここにいていい。
多分……

その人はあのアトリエに入るのかな。
ふたりで絵を見たり、語り合ったり……
そして透さんが絵を描き始めたら、あの茶色い一人掛けソファに座るのかな……
僕は自分の想像で胸が苦しくなって──

「僕、邪魔じゃない……? 好きな人と付き合うようになっても、連れて来たりとか……しにくいよね」

つい、そう言ってしまった。
透さんは半分だけ振り向いて、「卑屈な考え方はやめろって言ってんだろ」と不機嫌そうに言った。

「ご、ごめん……」
「あんたは正当な権利を持ってここに住んでるんだ。堂々としとけよ」
「そうだよね、つい。悪い癖だね。ごめん」
「謝んな」

その言葉にも思わずごめん、と返してから、やっとのことで声を飲み込む。
アトリエ内は今までと同じように静かなのに、ただ僕だけがその沈黙を気まずく感じている。
気持ちを切り替えようとしてもダメだった。

せっかくの透さんの描く時間をだいなしにしてしまったことと、どうしたって自分の性格は変えられないことと、透さんには好きな人がいることと、全部が悲しい。僕はもうこれ以上邪魔をしないように、そっとアトリエを出て自分の部屋に戻った。

ベッドにごろんと横になる。
わんこを抱きしめて、顔を押し付けて悲しさを紛らわせる。
いつだってこうしてきたんだし、日が変われば痛みは和らぐ。
それでも……透さんを想う気持ちは完全に出口を失って、中で膿むしかなくなる。

透さんを好きにならない人なんて、いない。
透さんがその気になれば、きっとふたりの関係はすぐ始まる。
途端にシェアハウスが天国から地獄に変わる。
オンタイムの彼を見るたび、オフの彼を見るたび、眼鏡を外した彼を見るたび、優しい気遣いに気づくたび、どんどんどんどん膿んでく。

おめでたくも、ずっとふたりの時間を楽しめるんだと思っていた事実に我ながらびっくりするけど、でもこれは今日じゃなくても、いつか来た日だ。
透さんはいわゆるいいとこのお坊ちゃまで、住む世界が違ってて、そのうちに親や親戚から勧められたいいとこのお嬢さんとお見合いをしたりするんだ。

そして僕は、彼がそのたったひとりの特別な人に微笑みかけるのを後ろから見ている。
同居人として、その人に感じ良く挨拶をしたりなんかする。
胸に臭気の漂う膿みを抱えているのにそれにはきっちり蓋をして、知らん顔で笑ったりするんだ。




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