笑顔の向こう側

ゆん

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出会い編

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奥に行く透さんを目で追ってた金塚さんが、「ねーねー。気になってたんだけどぉ」と、小さな逆三角形のグラスに入ったオレンジ色のカクテルに口をつけて言った。

「なんで透さんにタメ口なの~?」
「あ、えっと……透さんがそれでいいと仰ったので……」
「ふーん……あの何回かの打ち合わせで随分親しくなったんだねー。いいなぁ~」

僕が透さんのアトリエがある家に下宿してるって金塚さんは知らない。ナイショのそれがばれそうになってるんじゃないかって妙に体が硬くなって、僕はそれを紛らわせるためにストローを銜えて、グラスの底の水をず、とすすった。

金塚さんはさっきよりも酔いの強くなった、とろんとした目つきをしてる。
酔っ払いなんて前職の時に見慣れてるのに不安を感じるのは、彼の目の中にある僕への敵意のせい。

入社した時から僕を疎ましく思っていることを隠してなかったけど、最近は特にあからさまに嫌悪と侮蔑を表すようになってた。
何故なのか、本当に分からない。分からないから余計、怖い。

「ねえ満さん知ってます?この人、透さんが好きなんですよぉ~?」

突然。金塚さんが。
頭真っ白。
だって透さんがトイレから戻って来て、多分聞こえる距離に──

「へえ?そうなの?」

満さんが面白そうに笑って、首を傾げるようにして僕の顔を覗き込む。

僕は必死で首を振った。違います、って。透さんの方は見れない。表情を確認するのが怖い。バレたらだめなんだ……僕が至さんを好きだって思ってる透さんにバレたら、恋愛依存って……誰でもすぐに好きになるって軽蔑される……

僕はそれだけは嫌で。どうしても、嫌で。

「僕は、至さんが……」

言った後で、至さんを好きだってことだって十分恥ずかしいことだ!って気づいてそれ以上は口に出せずに俯いた。

「へえ~至さんが好きだったんだ。知らなかった。あ、透さんおかえりなさぁ~い」

金塚さんのテンションの高い声が戻ってきた透さんを迎えて、無言の彼が僕の隣に腰を下ろした。

僕の心はぎゅうっと絞られるように痛んだ。
すぐ傍に座ってるのに、間に氷の板を挟まれたみたいに感じてた。

どっちにしても未来のない恋なんだから放っておいて欲しかった。
ただ想ってるだけだ。
それすら許されずにこうして人目に晒され、嗤われるしかないなんて、あんまりじゃないか。

「満さん、次、何か飲まれますか?」

底を色づけるだけになった満さんのグラスを見て訊ねると、満さんはまるで僕が訊いたことが聞こえていないみたいに僕を見つめてた。

えっと……?

戸惑うほどの間を開けて、満さんが「同じものを」と僕に微笑みかける。

ちょうどその時バーテンダーの「お待たせしました」という静かな声がして、その手の丸いトレーの上には、それはそれは綺麗な青いグラスが乗っていた。

「ブルーラグーンソーダでございます」

ゴブレットにたっぷり入った下から上へ濃淡のついたブルーの液体と、皮の黄色も鮮やかな半月のレモン。なんだか海を往く黄色いヨットの光景を、ぎゅっと閉じ込めたみたいだ。

落とし気味の室内照明をキラキラと反射するそれはあんまり綺麗で、重く沈んだ気持ちをほんの少しの間忘れさせてくれた。

ところが、これがさっき透さんが僕のために注文してくれた飲み物だったのに、そんなの状況で分かるはずなのに、僕はただ見惚れてしまってた。

誰も手を上げないからバーテンダーが戸惑った顔をして、透さんがそれを僕のだと知らせるようにテーブルの上を指して置いてもらうと、「ロックふたつ。あとチェイサーも」と僕がするはずだった注文まで済ませてくれた。

「何から何までお世話になって……」

思わず出た言葉と共に透さんを意識して頭を下げたら、満さんが吹き出して、「横断歩道で親切にされたおばあちゃんみたいだね」って……その例えに、透さんが吹き出して、周りも笑って、僕も笑って。

金塚さんたちはともかく、満さんや透さんの笑いには僕の言葉のチョイスに対する可笑しみしかないのは分かってるのに、さっきの胸の重みがそれを曲げて感じさせてた。だからもっと笑った。痛みに追いつかれたくなくて。

「松崎くんって童顔だけど年寄り臭いよね~」
「確かに~!やっぱ人生経験豊富だからじゃないかなぁ。主に夜のだけどぉ~」
「でもその割に色気はイマイチ?だって『POISON』の源氏名ミゾレちゃんだよ」
「なにそれ」
「ほら、かき氷のミゾレって色がないじゃん。色気がないからミゾレちゃん」

酔っぱらってバカ受けしてる三人に合わせて、笑う僕。
胸の奥から突き上げて来る悲鳴が体を震わせても、「そうなんです。ひどいでしょ」って笑って返す。
盛り上がってる雰囲気を壊す勇気なんか、さらさらないから。
全部は流れて行ってしまうんだから、そうしたら元通りだから。

「実は別名もあったんだよ」

下村さんが少し声を落として言う。
怖い。怖い。自分が割れそうだ。

「本名にかけてね。オマルって」
「オマル?」
「スカトロ系好きな客が多かったからねぇ」

なるほどー!って体を曲げて笑ってる三人に、「ほんと、最悪でした」って同調しながら笑って、笑って、笑ってられるはずがないのに笑ってる僕は、好きな人の前で最も知られたくない話をされても笑ってる僕は、いったい誰なんだって訳が分からなくなって──



「何が可笑しいんだよ」



そう、透さんの声が割り込んだ時……僕は。
救われたと思ったんだ。一瞬。
あの頃から待ち望んでいた助けが来たんだと。

だけど……透さんは僕を見てた。
僕を見て言ったんだ。

「あんた、プライドとかないの?」

どうすればいいんだろう。僕は僕を保つのに、この粉々になってしまいそうな僕を保ち続けるのに、笑うしかなかった僕のその手段を奪われたら。

「プライドとか、よく分かんなくて」

辛うじて出せた声と、機械仕掛けみたいに頬を上げて笑う僕。
好きな人にここまで言われても、僕であり続ける手段を選ぶ僕。
透さんは黙ったまま財布を取り出してお札をテーブルに置き、出口に向かった。金塚さんが慌てて同じようにテーブルにお札を置いて、後を追う。残された下村さんたちは顔を見合わせてヒソヒソやって、それから僕にお札を渡して帰って行った。
その間僕は、馬鹿みたいに笑顔を固めて見ていただけだった。
だってそれ以外にどうしようもない。すべては、終わってしまったから。



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