笑顔の向こう側

ゆん

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出会い編

エトピリカ

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タクシーが店に着く頃、ゴロゴロと雷鳴が遠くに聞こえていた。夕方から止んだままだった雨はまた降り出しそうな匂いがしていて、みんな閉じたままの傘を片手に急ぎ足で歩道を横切り、地下に向かう細い階段を降りていった。

僕はというと、領収書をもらい、先に帰っちゃった人が忘れていった3本の傘と僕のを合わせて片手に抱え、少し遅れて店に入った。

バー『エトピリカ』は至さんのお友達が経営してる海と空と鳥がテーマのお店だ。

カウンター席は少なめで、フロアには大きな葉をした南国風の植物で区画されたボックス席が沢山あって、大きな壁一面に大海原と、真っ青な空と、その間を往く鳥の群れの画像がプロジェクターで映し出されてて、なんだか深呼吸したくなるような気持ちの良い空間だった。

今日は店のひと隅を僕たちが占拠してる。

先に入った人達がぞくぞくと席を決めてく中、どこに座ろうと思ってたら、「トマルくーん!こっちおいで」と満さんの声が──

振り向けば、奥の席の満さんと透さんの間が空けてあって……えっ!透さんの隣??

「あ、ありがとうございま──」

急ぎ足で行こうとした瞬間、持ってた傘のうちの1本が僕について来れずに抜け落ちる。

「落ちちゃった」

拾おうとしたら肩に掛けてたカバンがずり落ちそうになって、それを止めようとしたら傘がもう一本落ちた。

もう落ちないように抱きしめて落ちた傘を拾ったら、いつの間にか傍に来た透さんが 「イライラする」 と言って僕が胸に抱えてた4本の傘を片手で掴んで引き抜いた。

「ありがと……」

あれを片手で掴めるの!?と、びっくりしながら後ろをとことこついて行ったら、「いやぁ最高だな」 と満さんが笑ってて……

「可愛いねえ、トマルくん。絵になるどんくささだよ」
「えっ……絵になりますか……」
「狙ってもそうはいかない。貴重だよ」
「はぁ……」

褒められた……?よく分からない。けど満さんは本当に楽しそうで、嫌味な感じは全くなかった。

透さんはソファ席の端に傘をまとめて置いて、元通りに座った。長いソファの右端と左端に透さんと満さんで、つまり僕は真ん中に挟まれる格好になる。

嬉しい……透さんの存在感が近い……!幹事頑張ってるご褒美みたい……!



店の奥の右と左、ざっくりふたつのグループに分かれてた。ひとつは透さんと満さんと僕と金塚さんたちいつもの三人組チーム。もうひとつは至さんと波野さんと勤続年数1年未満チーム。

向こうのグループとは隣同士だけど、植栽の大きな葉が緩やかに間を隔ててるから、話してることはお互いには聞こえない。

白い壁にブルーが映っているせいで部屋の中は薄暗さの中に青が滲んでる。

バーって綺麗で大人っぽくてちょっと気後れすることが多いけど、ここはまるで浅い海の底にとぷんと沈んでるみたいで不思議とリラックスできた。

「はいはい、じゃあカンパイしましょうか」

満さんが音頭を取ってくれて、それぞれのグラスを少し持ち上げて乾杯した。

僕は『ヴァージン・チチ』っていうノンアルコールカクテル。ウーロン茶を頼もうとしたら、満さんが「それじゃあ面白くない」って注文してくれたのがこれ。

見た目、牛乳。ころんとまあるいチューリップ型のグラスに、パイナップルとしましまストロー……これが、美味しくて!

「美味しいです、これ」
「だろ?しかも似合うし」
「こういうものに似合うとかあるんですか?」
「こどもと牛乳。ぴったりだろ」

満さんは自分で言って吹き出し、肩を揺らして笑った。一応24歳ですって言ったけど、満さんからしたらそりゃあお子様だよなと思った。

ソファにゆったりと足を組んで座りロックグラスでウイスキーを飲む満さんは、大人中の大人。満さんと比べると透さんや至さんもまだまだ青く見えてくるから不思議。外見が変わったわけじゃないのにね。

満さんはすごく安らげる空気感を持った人だった。アルファの圧は強いのに矛盾するけど……なんとなく至さんに近い感じ。

気さくでお話上手で、かつ聞き上手。初めての人が苦手な僕もいつの間にか色々話してる感じ。満さんも透さんの話をしてくれて、子どもの頃の透さんのこととか可愛い~って思いながら聞いてたら「ペラペラしゃべり過ぎ」と透さんがぶっきら棒に割り込んできた。

声が近くて後頭部の皮膚がザワッとする。

思わず透さんの方を向いたら、声以上に存在が近くて思わず体を引いた。

そしたら金塚さんが「こら~松崎くん、失礼~!」って──

「そんな引き方さぁ……いくら苦手って思ってるからって」
「えっお、思ってないです、そんな──」
「いつもびくびくしてるしさぁ~この間言ってたよね、怖いって~」

ねえ?って金塚さんが隣のお取り巻きふたりに同意を求めると、ふたりもうんうん頷いてそれに応える。

僕は混乱した。言ったかな?そんなこと。でも確かに前は怖いって思ってたから言ったのかな……忘れっぽい所があるし、自信がなくてしばらく考えて。でもやっぱり思い出せなくて。

せめて今は怖くないって言おうとしたら、「そういえばさっき話の続きなんですけど」と金塚さんが振るまま、話が流れてった。

話のテンポが早すぎて、全然ついていけない。

透さんにはあとで言おうと思った。今は怖くないって。



居酒屋さんでも思ったけど、透さんは意外にもよく話す方だった。

僕といるときはあんまり喋らないのに、金塚さん相手にはナントカって服のブランドの歴史がどうのとか、ドコソコの食器のむーぶめんとがどうのとか。なんのことかさっぱりわからない話をサラサラとして、また金塚さんがどの話にもしっかりついて行けるんだ。すごい。

流れで哲学の話が始まった時には満さんも混じって話が白熱して、間に挟まった僕はクラッシュアイスだけになった『ヴァージン・チチ』を未練がましくすすって愛想笑いで時間を潰してた。

そしたら……

「なんか頼めば。ズーズー水すすってないで」

ニーチェがどうの、と話してる最中に急に透さんの言葉が紛れ込んで、皆の目が僕を見てて。ストローを銜えたままびっくりして「えっ僕!?」ってソファの上で小さく跳ねた。

「あんた以外誰がいるの」
「そ、そーだね」
「なんでもいいんだろ。そこで待っとけ」

透さんは立ち上がって向こうへ行き、カウンターでバーテンダーに何か言うと、そのまま奥のトイレに入って行った。

あんなにいっぱい喋ってるのに、僕の飲み物がないのによく気づいたなぁ……こっちを見た風でもなかったのに。も、もしかしてそんなにうるさかった?あんまり音が出ないようにそーっと吸ってたけど、だいぶ音がしてたのかな。

でも、気にかけて貰えたのが嬉しくて。話について行けない僕には、ほんのちょっとのやり取りも宝物だった。



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