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出会い編
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気付けば、コンクリートの床に座った透さんの脚の間で抱きしめられている。
どうすればいいか分からないけど、泣きたい気分なのは間違いなかった。
なんであんなふうになっちゃったんだろう……?
僕のヒートはいつだって軽くって、あるんだかないんだか分かんないくらいだったのに。
急に症状が重くなった?いやでも、いつもの弱い薬で正気になったし。
恋がヒートの出方に影響を与えるって聞いたことがあったし、確かにナオトと付き合ってるときはそれまでよりは強い衝動があったけど……それでもこんな風になったことはない。
もしかして……透さんがアルファだから……?
ナオトはベータだったから……
「収まったか」
耳元に低い声がして、体がぴくっと揺れた。
もう……どんな顔すればいいの……ほんっとに最悪だよ……
「ごめんなさい……迷惑かけて……」
やっと出た掠れた声で辛うじてそう言うと、透さんが僕を解放して立ち上がり、背後でズボンを払った音がした。
思いっきり邪魔をしてしまった。忙しい中、絵を描きに来たに違いないのに……
「そう思うなら、早く上がって風呂に入れ」
透さんの声に、怒りの感情は感じられない。少しだけほっとしたけど、それは怒ってはないというだけで何も感じてないわけはない。
もしかしたら怒りを通り越して呆れたのかもしれないし、早く目の前から消えて欲しいだけかもしれない。
僕はもう一度謝って傍に置いてあった冷たいジャケットやらシャツやらを引き寄せると、重い体を引きずるようにして2階へ上がった。
玄関でズボンや靴下を脱いでタオルで包んで脱衣所に持っていくと、開け放していたはずの風呂のドアが閉まってた。
もしかしてと思って覗くと、風呂の蓋が閉められ、湯が張られてる。
透さんがタオルを取りに来た時、僕がすぐに入ると思ってセットしてくれたんだろう。
優しい人。大好き……その大好きな人に獣じみた姿を見せて、びしょびしょのドロドロで……情けなさに湯船に浸かって泣きながら、温かさに弛んでく心が痛みをより明確にした。
僕はもう一生恋なんてしたくない。
ひとりが寂しくったって、好きになった人にあんなところを見られるくらいなら、最初から何も始まらないほうが絶対にいいじゃないか……
湯船に浸かり過ぎて全身茹でたみたいになった僕は、ふらつきながら風呂を出てバスタオルで身体を拭いた。曇った鏡を肩にかけたタオルの端できゅ、きゅ、と拭くと、瞼を赤く腫らしたブサイクな顔が映る。
見慣れてるはずなのに悲しくなる。
どうせオメガならもっと可愛く生まれたかった。
可愛かったら同じ夜の仕事でも色々優遇された。客からも店からも分かりやすくひいきされて、僕とそういう人たちとじゃあ雲泥の差があった。
それは当たり前の真実でもう完全に諦めたはずなのに、恋をすれば ”可愛くなりたい” だなんて、未練がましい自分が息を吹き返すんだ。
なんだってあんなカッコイイ人を好きになっちゃったんだろう。
苦しみしか、生み出さないのに。
そんな自分にもう一人の自分が抗議するように、透さんの腕を思い出させる。あの、唇も……
そうだ……今更だけど、キスしてしまった……いや、あれはキスじゃないけど、でも僕にとったらキスと変わんないし……抱き締められた時のあの安心感……あれだけの恥と引き換えに得た、幸せを錯覚出来る体感。
「透さん……」
小さく呼んだのは、僕の中に息づく幻影に向けたものだった。
それなのに突然脱衣所のドアが開いて本物の透さんが現れたから、心臓が口から出そうなほど驚いた。透さんの方も驚いたみたいで、少し目を見開いて「まだ出てなかったの」と言って中に入って手を洗い始めた。
そうなんです、とでも言ってすぐに出れば良かったのに、僕は何故かその場に留まってて……話しかけるでもなくただ立ち尽くして、透さんが手洗いを終えてポケットから出したタオルハンカチで手を拭くのを、見るとはなしに見てた。
「何してんの」
僕がじっとしてるのを不審に思ったらしい透さんが、訝し気な声で訊ねてきた。
「えと、何も……」
「ゆでだこみたいになって」
「あ、うん……ちょっと、浸かり過ぎちゃった……」
まるで何もなかったみたいな会話。どういうこと?まさかあれを見て何も感じなかったなんてことは──
ぐるぐると考えてると、透さんが「泣いてたの」って、少し顔を覗き込むようにしてきた。僕は思わず体を引いて首を振った。
「泣いてない……」
「バレバレのウソつくな。あんた、泣いたらブサイクだな」
透さんはあの皮肉っぽい笑みを浮かべて、脱衣所を出て行った。
いつもの透さんだった。”バカ” とおんなじで、”ブサイク” も優しい音がした。
なんで……あんな迷惑かけたのに、あんなみっともない所見せたのに、透さん、なんで……?
胸に渦巻いた疑問に突き動かされるように透さんに続いて外に出た僕は、ダイニングの椅子に掛けてあったジャケットを羽織って帰り支度をしてる透さんの方へふらふらと寄って行った。
透さんは僕がなんて言おう、と考えているのが分かったみたいに、「気にするな、とは言わない」と腕時計を左手首に付けながら言った。
「でもまぁ、急病みたいなもんだと思えば。俺も目の前で具合が悪くなったヤツの面倒をみたと思ってるし」
そう、言ってくれて……そんなの、嬉しすぎて……もう絶対呆れられた、軽蔑されたと思ったのに……
じわっとまた目尻が熱くなった、と思ったら僕を見た透さんが「やっぱブサイク」って口の端を意地悪に上げて……酷いよ……どれだけ好きにさせるんだよ……
それからバスタオルでてるてる坊主みたいになってる僕を頭のてっぺんから足の先までじろりと見て、「早く服着たら」と目を逸らした。
「これから飯食いに行くけど。あんたは」
ぶっきら棒に言われたそれが食事の誘いだと気付いて、「行く!」と部屋へ駆け出そうとしたら「慌てない」と呆れたように言われた。
いつものやり取りが嬉し過ぎた。さり気ない優しさが好き過ぎた。
僕は泣き腫らしてシリシリする目を指で擦って、急いで着替えて透さんのあとを追いかけた。
この前行ったラーメン屋さんで僕はワカメラーメンを、透さんはチャーシューメンを食べた。
分かりにくい路地裏にあるのにいつも人が並んでて、清潔ではあるけど結構狭くて大衆的雰囲気のあるこの店を透さんは気に入ってるみたいだ。
透さんの見た目だと、オシャレなイタリアンとかフレンチとか、そんな店が似合うのにね。
食事を終えて帰って来ると、透さんはまた絵を描き始めた。
透さんがいいって言ったから、僕は眠くなるまで傍で見てた。
地獄と天国とを行ったり来たりした乱高下の一日。
本当に疲れたけど、わんこを抱き締めて眠る僕の寝顔はきっと笑ってた。
どうすればいいか分からないけど、泣きたい気分なのは間違いなかった。
なんであんなふうになっちゃったんだろう……?
僕のヒートはいつだって軽くって、あるんだかないんだか分かんないくらいだったのに。
急に症状が重くなった?いやでも、いつもの弱い薬で正気になったし。
恋がヒートの出方に影響を与えるって聞いたことがあったし、確かにナオトと付き合ってるときはそれまでよりは強い衝動があったけど……それでもこんな風になったことはない。
もしかして……透さんがアルファだから……?
ナオトはベータだったから……
「収まったか」
耳元に低い声がして、体がぴくっと揺れた。
もう……どんな顔すればいいの……ほんっとに最悪だよ……
「ごめんなさい……迷惑かけて……」
やっと出た掠れた声で辛うじてそう言うと、透さんが僕を解放して立ち上がり、背後でズボンを払った音がした。
思いっきり邪魔をしてしまった。忙しい中、絵を描きに来たに違いないのに……
「そう思うなら、早く上がって風呂に入れ」
透さんの声に、怒りの感情は感じられない。少しだけほっとしたけど、それは怒ってはないというだけで何も感じてないわけはない。
もしかしたら怒りを通り越して呆れたのかもしれないし、早く目の前から消えて欲しいだけかもしれない。
僕はもう一度謝って傍に置いてあった冷たいジャケットやらシャツやらを引き寄せると、重い体を引きずるようにして2階へ上がった。
玄関でズボンや靴下を脱いでタオルで包んで脱衣所に持っていくと、開け放していたはずの風呂のドアが閉まってた。
もしかしてと思って覗くと、風呂の蓋が閉められ、湯が張られてる。
透さんがタオルを取りに来た時、僕がすぐに入ると思ってセットしてくれたんだろう。
優しい人。大好き……その大好きな人に獣じみた姿を見せて、びしょびしょのドロドロで……情けなさに湯船に浸かって泣きながら、温かさに弛んでく心が痛みをより明確にした。
僕はもう一生恋なんてしたくない。
ひとりが寂しくったって、好きになった人にあんなところを見られるくらいなら、最初から何も始まらないほうが絶対にいいじゃないか……
湯船に浸かり過ぎて全身茹でたみたいになった僕は、ふらつきながら風呂を出てバスタオルで身体を拭いた。曇った鏡を肩にかけたタオルの端できゅ、きゅ、と拭くと、瞼を赤く腫らしたブサイクな顔が映る。
見慣れてるはずなのに悲しくなる。
どうせオメガならもっと可愛く生まれたかった。
可愛かったら同じ夜の仕事でも色々優遇された。客からも店からも分かりやすくひいきされて、僕とそういう人たちとじゃあ雲泥の差があった。
それは当たり前の真実でもう完全に諦めたはずなのに、恋をすれば ”可愛くなりたい” だなんて、未練がましい自分が息を吹き返すんだ。
なんだってあんなカッコイイ人を好きになっちゃったんだろう。
苦しみしか、生み出さないのに。
そんな自分にもう一人の自分が抗議するように、透さんの腕を思い出させる。あの、唇も……
そうだ……今更だけど、キスしてしまった……いや、あれはキスじゃないけど、でも僕にとったらキスと変わんないし……抱き締められた時のあの安心感……あれだけの恥と引き換えに得た、幸せを錯覚出来る体感。
「透さん……」
小さく呼んだのは、僕の中に息づく幻影に向けたものだった。
それなのに突然脱衣所のドアが開いて本物の透さんが現れたから、心臓が口から出そうなほど驚いた。透さんの方も驚いたみたいで、少し目を見開いて「まだ出てなかったの」と言って中に入って手を洗い始めた。
そうなんです、とでも言ってすぐに出れば良かったのに、僕は何故かその場に留まってて……話しかけるでもなくただ立ち尽くして、透さんが手洗いを終えてポケットから出したタオルハンカチで手を拭くのを、見るとはなしに見てた。
「何してんの」
僕がじっとしてるのを不審に思ったらしい透さんが、訝し気な声で訊ねてきた。
「えと、何も……」
「ゆでだこみたいになって」
「あ、うん……ちょっと、浸かり過ぎちゃった……」
まるで何もなかったみたいな会話。どういうこと?まさかあれを見て何も感じなかったなんてことは──
ぐるぐると考えてると、透さんが「泣いてたの」って、少し顔を覗き込むようにしてきた。僕は思わず体を引いて首を振った。
「泣いてない……」
「バレバレのウソつくな。あんた、泣いたらブサイクだな」
透さんはあの皮肉っぽい笑みを浮かべて、脱衣所を出て行った。
いつもの透さんだった。”バカ” とおんなじで、”ブサイク” も優しい音がした。
なんで……あんな迷惑かけたのに、あんなみっともない所見せたのに、透さん、なんで……?
胸に渦巻いた疑問に突き動かされるように透さんに続いて外に出た僕は、ダイニングの椅子に掛けてあったジャケットを羽織って帰り支度をしてる透さんの方へふらふらと寄って行った。
透さんは僕がなんて言おう、と考えているのが分かったみたいに、「気にするな、とは言わない」と腕時計を左手首に付けながら言った。
「でもまぁ、急病みたいなもんだと思えば。俺も目の前で具合が悪くなったヤツの面倒をみたと思ってるし」
そう、言ってくれて……そんなの、嬉しすぎて……もう絶対呆れられた、軽蔑されたと思ったのに……
じわっとまた目尻が熱くなった、と思ったら僕を見た透さんが「やっぱブサイク」って口の端を意地悪に上げて……酷いよ……どれだけ好きにさせるんだよ……
それからバスタオルでてるてる坊主みたいになってる僕を頭のてっぺんから足の先までじろりと見て、「早く服着たら」と目を逸らした。
「これから飯食いに行くけど。あんたは」
ぶっきら棒に言われたそれが食事の誘いだと気付いて、「行く!」と部屋へ駆け出そうとしたら「慌てない」と呆れたように言われた。
いつものやり取りが嬉し過ぎた。さり気ない優しさが好き過ぎた。
僕は泣き腫らしてシリシリする目を指で擦って、急いで着替えて透さんのあとを追いかけた。
この前行ったラーメン屋さんで僕はワカメラーメンを、透さんはチャーシューメンを食べた。
分かりにくい路地裏にあるのにいつも人が並んでて、清潔ではあるけど結構狭くて大衆的雰囲気のあるこの店を透さんは気に入ってるみたいだ。
透さんの見た目だと、オシャレなイタリアンとかフレンチとか、そんな店が似合うのにね。
食事を終えて帰って来ると、透さんはまた絵を描き始めた。
透さんがいいって言ったから、僕は眠くなるまで傍で見てた。
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