笑顔の向こう側

ゆん

文字の大きさ
上 下
10 / 84
出会い編

ハプニング

しおりを挟む
次の日の午後、迎えの予定時刻に透さんから連絡を受けた僕は、電話応対や品物の発送準備で忙しくしてる同僚に挨拶をして会社を出た。

今から緊張の数時間……だけど今日は直帰の予定だから、頑張ったらあとは家に帰れると思って気合いを入れた。

ビルの地下駐車場に降りていくと、教えられた場所に白い軽自動車が停まってた。別に天井に頭がついてるとかじゃないんだけど、透さんに軽自動車の組み合わせはなんとなく窮屈そうに見える。

「こんにちは!お迎えありがとうございます」

助手席に乗ろうとしたらそこには透さんのらしきカバンが置いてあって、僕は慌ててドアを閉めて後部座席に乗り込んだ。

「すみません。失礼しました」
「いえ。これから30分ほどで着きますので」

透さんが前を向いたままそう言って車を発進させると、気詰まりなドライブの始まり。

トンネルを抜けるように地下からビルの外へ出ると、ザァッと一気に雨に包まれる。朝の通勤時は雲が多いくらいだった空は、どんより重くなってまだまだ止みそうにない本降りだった。

雨が打ち付ける音とワイパーがガラスを行き来する音が、沈黙を和らげてくれる。

それはなかなか悪くなかった。

透さんの運転は意外にも優しくて、速度やハンドルさばきからは僕を緊張させるあの迫力は伝わってこない。

彼の相変わらずカッチリ決めたおしゃれな姿を斜め後ろから眺めながら、僕は少しだけ力を抜いて、それでも彼がいつ話し出してもいいように身構えてた。はずだったのに……そのまま30分。

車が停まる揺れでハッと瞼を上げた僕は、その時になって自分が寝てたことに気付いた。

あれっいつの間に?眠いなって思いはしたけど、ほんとに寝ちゃってたなんて……

「すみません……居眠りしてしまって……」

移動中とはいえ仕事時間には違いないのに。

どんな侮蔑の言葉を投げかけてくるかと身を縮めてたら、「いいんじゃないですか。図太くて」って……本気?嫌味?迷いながら曖昧に笑う僕を残して、透さんは傘をさして車を降りた。

良かった……怒られなかった……と思ったら、それどころじゃない。傘!傘持ってないじゃん、僕!!

仕方ない、事務所はすぐそこだしかばんを胸に抱えてダッシュするしか……!

ドアを開けて、閉めて、カバンが濡れないように体を丸めて、雨の中をダーッシュ!って駆け出したら砂利で滑ってズシャーッってマンガみたいにこけた。

痛い……!恥ずかしい……!!





「何やってんの……」

透さんの呆れたような声が降って来て、もう穴があったら入りたい状態で上を向いたら、僕に傘をさしかけた彼が手を差し伸べてくれてて。

「いやっあのっすみません、濡れてますのでっ」
「見りゃ分かる。へんなこけ方したけど、立てるの」
「滑っただけなので大丈……痛っ……」

立とうとしたら、全然大丈夫じゃなかった。こけたときに地面に膝をしたたかにぶつけたのが当たりどころが悪かったのか、力を入れるとメチャクチャ痛い。

透さんはやっぱりな、という顔をしてため息をつき、もう一度僕に手を差し伸べた。

「ほら。手」
「すみません……」

手は濡れてるし汚れてるし申し訳なかったけど、いつまでもこうしてるわけにもいかない。

仕方なく手の平を自分の服でゴシゴシ拭いて透さんの手に乗せて……ぎゅっと握られて、どきんとした。あったかくて大きな手。冷たい印象だからって手まで冷たいとは限らないのに、勝手に決めつけてたみたいだ。

その手を支えにやっと立ち上がったら、スーツの前面が濡れて汚れて悲惨な状態だった。

もー何やってんだろ……今から仕事なのに、大迷惑かけてる……

しかし、痛い。マジで、痛い。恥ずかしさが収まったらズッキンズッキン痛さが増して来た。足をつくことが出来なくてケンケンしようとしたら、透さんが「歩きにくい。肩につかまれ」と言って背を屈めて僕の腰を抱き寄せた。

「ぬ、濡れますよ!汚れ──」
「もう濡れてる。早くしろ」

有無を言わさない声に急かされて、肩へ手を伸ばす。人と密着するのが久し振り過ぎて、変にどきどきしてる。そんな自分にバカ!って喝を入れる。こんな迷惑かけてどきどきとか言ってる場合か!って。

透さんが腰を掬い上げるように支えてくれてるお陰で痛い方に力を入れずに歩けて、そのままなんとか事務所の入り口に辿り着く。

黒い鉄枠の押戸のガラスには『MICHIRU DESIGN OFFICE』の飾り文字。

傘を畳んだ透さんと中へ入ると、そこにはまるでカフェのようなおしゃれな空間が……

「事務所は上だから。ここに座って待ってろ」

透さんは僕を近くの椅子に座らせると、入口のすぐ前からのびる黒い鉄階段を身軽に駆け上って行った。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

知らないだけで。

どんころ
BL
名家育ちのαとΩが政略結婚した話。 最初は切ない展開が続きますが、ハッピーエンドです。 10話程で完結の短編です。

Endless Summer Night ~終わらない夏~

樹木緑
BL
ボーイズラブ・オメガバース "愛し合ったあの日々は、終わりのない夏の夜の様だった” 長谷川陽向は “お見合い大学” と呼ばれる大学費用を稼ぐために、 ひと夏の契約でリゾートにやってきた。 最初は反りが合わず、すれ違いが多かったはずなのに、 気が付けば同じように東京から来ていた同じ年の矢野光に恋をしていた。 そして彼は自分の事を “ポンコツのα” と呼んだ。 ***前作品とは完全に切り離したお話ですが、 世界が被っていますので、所々に前作品の登場人物の名前が出てきます。***

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

運命はいつもその手の中に

みこと
BL
子どもの頃運命だと思っていたオメガと離れ離れになったアルファの亮平。周りのアルファやオメガを見るうちに運命なんて迷信だと思うようになる。自分の前から居なくなったオメガを恨みながら過ごしてきたが、数年後にそのオメガと再会する。 本当に運命はあるのだろうか?あるならばそれを手に入れるには…。 オメガバースものです。オメガバースの説明はありません。

噛痕に思う

阿沙🌷
BL
αのイオに執着されているβのキバは最近、思うことがある。じゃれ合っているとイオが噛み付いてくるのだ。痛む傷跡にどことなく関係もギクシャクしてくる。そんななか、彼の悪癖の理由を知って――。 ✿オメガバースもの掌編二本作。 (『ride』は2021年3月28日に追加します)

オメガ修道院〜破戒の繁殖城〜

トマトふぁ之助
BL
 某国の最北端に位置する陸の孤島、エゼキエラ修道院。  そこは迫害を受けやすいオメガ性を持つ修道士を保護するための施設であった。修道士たちは互いに助け合いながら厳しい冬越えを行っていたが、ある夜の訪問者によってその平穏な生活は終焉を迎える。  聖なる家で嬲られる哀れな修道士たち。アルファ性の兵士のみで構成された王家の私設部隊が逃げ場のない極寒の城を蹂躙し尽くしていく。その裏に棲まうものの正体とは。

花婿候補は冴えないαでした

いち
BL
バース性がわからないまま育った凪咲は、20歳の年に待ちに待った判定を受けた。会社を経営する父の一人息子として育てられるなか結果はΩ。 父親を困らせることになってしまう。このまま親に従って、政略結婚を進めて行こうとするが、それでいいのかと自分の今後を考え始める。そして、偶然同じ部署にいた25歳の秘書の孝景と出会った。 本番なしなのもたまにはと思って書いてみました! ※pixivに同様の作品を掲載しています

恋した貴方はαなロミオ

須藤慎弥
BL
Ω性の凛太が恋したのは、ロミオに扮したα性の結城先輩でした。 Ω性に引け目を感じている凛太。 凛太を運命の番だと信じているα性の結城。 すれ違う二人を引き寄せたヒート。 ほんわか現代BLオメガバース♡ ※二人それぞれの視点が交互に展開します ※R 18要素はほとんどありませんが、表現と受け取り方に個人差があるものと判断しレーティングマークを付けさせていただきますm(*_ _)m ※fujossy様にて行われました「コスプレ」をテーマにした短編コンテスト出品作です

処理中です...