たとえ月しか見えなくても

ゆん

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第一部

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 僕が感じていたのは、急速に侵食が進んだ世界の怖さだ。巣が他者によってあっけなく壊され、そこにあった温かなものがすべてなくなってしまう恐怖。
 番とか、結婚とか……僕が避けていたデリケートな場所にも易々と踏み込まれてやっと出た芽を踏みつけられてしまったみたいに、僕はなすすべもなく手をぎゅっと握り込んだ。

「俺はそういうのは嫌いだ。俺も留丸も別れる気がない以上、可能性はゼロだよ」

透の落ち着いた声が、足場を失いそうな僕を掬い上げる。けど、澄香さんは一歩も引かない。

「今はその気がなくても先は分からない。だって透はあんなにあたしを愛してくれてた。大事にしてくれてた。あたしが透を想う以上に強く。結婚を申し出てくれたのは、そういうことでしょ」
「だから……それは過去の話だ。お前はそれを断ってニューヨークへ飛んだ。それで俺たちは終わった」
「終わってない!だって透の声も指も手の平も何もかも覚えてる!透も絶対忘れてない。一生傍にいてもいいって一度は決めたあたしのこと」
「やめろって!」

 澄香さんを撥ねつける透の声からは過去の苦しみを感じ取れた。愛した人が自分の元を去って行った時の悲しみを、空白の寂しさを、それを乗り越えて行くためにかけた時間を澄香さんが思い出させたことが、その声から伝わって来た。

 それは澄香さんが言うのが全部でなくても当たってるって、言外に僕に教えてた。透の中には種が残ってる。だからこそ、強く跳ね付ける。芽を出させまいと意地になる。

 胸の奥が痛くて震えている。こうして悪気のない人たちに切りつけられることは初めてじゃない。むしろ慣れてる。でも慣れていたって痛いんだ。

 澄香さんは僕がオメガだから割り込む余地があるって感じたんだろう。オメガにはそうしたって構わないって。それが分かっても、怒っていない自分に気付く。救いようがないことに僕ですら、そうされても仕方がないと考えてるんだ。ただ悲しかった。



 僕と同じようにふたりの話を聞いていた雛子ちゃんが上品な仕草でカップをとって口を付け、特に動揺してる様子もなく僕と目を合わせると、じいっと値踏みするようにこっちを見てからカップを置いた。

「雛子は透がなぜ松崎さんを選ぶのか、よく分からないわ。アルファとオメガのさががあるのだとしても、澄香ちゃんと逢えばちゃんとした気持ちを思い出すかと思ったのに」

 雛子ちゃんからみたら、透が僕に向ける気持ちはかつて澄香さんに向けていたものとは違うんだろうか。”ちゃんと” してない?僕は今の透しか知らない。十分に大事にされ愛されてるって感じてる、この気持ちしか。

 雛子ちゃんがそう言い終わると同時に今度は澄香さんが「あたしは分かる」と僕を見た。

「独特の可愛さがあるもの。透が好きそう」

 前に座ったふたりの視線が僕に注がれて、身を縮める。言葉にされなくても分かる。雛子ちゃんも澄香さんも僕を対等の人間と思ってない。まるで愛玩動物か何かみたいに……僕の意志なんて配慮しなくていいみたいに。

 何か言い返せたらいいのに、と思う。僕のためというよりは、僕を選んだがためにこんな風に言われる透のために。でも出来ないんだ。だって夜の世界で叩きこまれた支配構造は、社会より何より僕の中に深く根を下ろしてしまっていたから。

「……帰ってくれ。もうお前たちに話すことは何もないから」

 透はそう言って立ち上がり、ふたりにも立つことを促した。けど、澄香さんも雛子ちゃんも立ち上がらない。僕は透の味方をしたくて立ち上がったものの、見られるのが居心地悪くて俯いた。まるで罰で立たされてるみたいだ。もっと堂々としたらいいのに、と自分で自分が嫌になる。

「まだ紅茶を飲み終わってないわ」
「あたしもまだ帰れない。言ったでしょ。最後のチャンスだと思って来たって」
「チャンスなんかない。夢を掴んだんだからひたすら前を向いとけよ。雛子ももうじきドイツだろ。帰って練習しろ」
「練習はちゃんとしてるもん」

 透は自分の思い通りにならないふたりに苛立つように息を吐き出すと、どすんと乱暴に椅子に腰を下ろした。3人が座って僕が立ってる状況に、慌てて僕もすとんと座る。

 僕の紅茶だけちっとも減ってなくて、ここにいながらひとり何も言えないでいる僕とそっくり。胸の奥に残るざらざらした触感が苦しいのをその紅茶で流そうとしたけど、まだまだ熱くて口が付けられなかった。




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