聖典の守護者

らむか

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二章 リスカとアルカロイド

VOIDで繋がる魂

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 おまえは血の掟に背いた。

 バルカから発せられたデューイの声に、アッシュは凍りついた。
 物心がついた時から一緒に暮らしてきた師は、飴と鞭を使い分ける天才だった。
 受けたミッションが失敗すれば狂ったように叱責されたが、逆に、成功すればこの上なく愛された。

 生きた証の記憶が次々と想起され、アッシュは身体を二つ折りにして吐きそうになったが、なんとか堪えた。

「僕は盲人じゃない。そして、忠実な操り人形でもない。心ある人間だ」
 左手に持つ円形の小刀で、右肘の内側を一気に切り裂いた。

 今度は激痛で身体が二つ折りになった。

 常に薬で感覚を麻痺させていたので、これほどまでの痛みを伴う行為だったとは予想だにしていなかった。
 痛みに怯んでいては、悪魔を使役できない。
 アッシュは歯を食い縛り、石床に血の魔法陣を描いた。

 有り難いことに、強力な護衛ロイドのお陰で完璧な魔法陣が描けた。

「地獄から汲んだ毒を使って現世に蘇れ」
 魔法陣が光輝き、その中心から炎をまとう翼の生えた蜥蜴の様な黒い悪魔が三体出現した。
「行け、火蜥蜴サラマンダー
 炎をまとった蜥蜴は、主の指示に忠実に動いた。

 これで決定的になった。
 もう後戻りはできない。
 仲間であるバルカに火蜥蜴サラマンダーをけしかけた。
 アッシュのメッセージは、疑う余地もなくデューイに伝わったはずだ。

 白い忍と剣を交えるロイドは、背中に冷たいものが這い上ってくる感覚を覚えた。
 焦点の合わぬ銀色の瞳が、あらゆる方向に忙しげに移動している。

 そのくせ、操り人形にしては動きが滑らかでトリッキーだった。
 今は確実にバルカ本人の魂が、この噐を支配していると感じた。

 死人と闘っているという奇妙な感覚が、ロイドを冷静にさせた。
 そのせいか、変異した身体は徐々に通常の姿へ戻っていった。

 アッシュが火蜥蜴サラマンダーを召喚するのが横目に見えた。
 召喚魔法を初めて見たロイドだったが、鮮やかに召喚して見せるアッシュの実力を、殺し屋でなくとも一流の召喚士なのだと内心感心していた。

 シェリスを取り戻さなければ……。
 この、ある意味不死身の白い死人と交戦していても埒が明かない。

 コミュ障野郎はグラファイトだけでは飽きたらず、シェリスにまで手をかけた。
 嫌な予感がする。
 正直、アッシュの内輪揉めがどうゆう結末になろうとも、どうでも良かった。

火蜥蜴サラマンダーと遊んでろ」
 低く構えた姿勢から繰り出されたロイドの回し蹴りが、バルカの下顎側面にまともに入ったと同時に、ロイドは走った。

 バルカは吹っ飛ぶはずだった。
 が、そうはならずに後ろへ反り返ったかと思うと、バネの様に勢い良く体勢を戻し、ロイドの頭を背後から脇で固めて動きを封じた。

 バルカの盾にされている自分に、容赦なく襲ってくる火蜥蜴サラマンダー一体を、ロイドはダガーで仕留めた。
 あとの二体は、アッシュが魔法陣の一部を消すことで魔界へ還した。

「アッシュ、最後通牒だ」
 ロイドの耳元でデューイの声が響いた。
 再び兄と魂で繋がったようだ。

「俺も最後通牒だ」
 ロイドは逆手に持つ双剣を、背後に立つバルカの脇腹へ突き立てた。
 が、またしても狙い通りの結果にはならず、バルカは双剣が突き刺さる寸前に消えた。

「女を殺す」
 バルカは横たわるシェリスの傍へ瞬間移動していた。

 女を殺す……。
 アッシュは動揺を隠せなかった。
 シェリスの首筋に向けられたバルカの忍刀しのびがたなの切先と、シェリスの細い首を交互に見る。

 最後通牒とは……

 デューイの冷たい声が、しんと冷えたドームに鋭く響いた。
「おまえは、仲間であるバルカに火蜥蜴サラマンダーをけしかけた。おまえにとっては、もはや"元仲間"だな。よくわかった。逃亡並びに裏切りのダブルクライムは、並大抵のペナルティでは済まされない。"死"などという寛大な処置では……」

 ダガーを掌に収めたロイドは、首をさすりながらアッシュを眺めた。
 明らかに狼狽えていた。
 肌を刺す冷たい空気にも関わらず、汗が吹き出て今にも膝からくずおれそうになっている。

 組織を抜ける覚悟がどれほどのものか、今、まさに最後通牒として試されている。

「おまえの決意と、この女の命を、天秤にかけられるか? 女を助けたくば今すぐ戻れ。今なら全てを許してやる。これは、前例の無い未曾有の処置だ」

 バルカは忍刀しのびがたなを持つ腕を、ゆっくりと上げた。
 その腕が下がるとき、シェリスはこの世にいない。

 アッシュは固く目を閉じた。
 全てを許すという言葉に心が揺れた。
 思えば、逃亡生活は連れ戻されればそれ以上の凄惨な制裁が待っているという恐怖のみに支配されていたように感じた。
 逃亡するきっかけを作ったそもそもの原因も、今や大したことではなかったように思えた。

「良かったな、僕。棟梁が許してくれるそうだ」

 アッシュの揺れる心を見透かしたかのように、ロイドはふっと短く息を吐いた。

 たいそうな執着だ……。
 内心、ロイドはこの師のアッシュに対する執念にも似た愛着に寒気がした。

 ロイドは、自身の位置とバルカの忍刀しのびがたなとの間合いを計っていた。
 掌から突出したダガーは、バルカの忍刀しのびがたなに届くかどうか……

 森閑とした広い空間を、金木犀の香りが儚く漂うなか、時が止まったかのような人影が、静止画のように見えた。

「戻るよ。許してくれるなら」
 アッシュは顔を上げ、まっすぐにバルカを見ながら答えた。

おまえの師この俺が、吐いた唾を呑むような男に見えるか?」

 デューイは心底残念だ、という風に即答したが、先ほどとはうって変わってその声音にはわずかに安心感が漂っていた。

「アホくさ」
 ロイドは頭を掻きながら、ぶらぶらと一段高い祭壇に横たわるシェリスに近づいていった。
「内輪揉めが解決したなら、さっさとこの国から出ていけよ」

「ああ、そうさせて貰うよ」
 バルカは忍刀しのびがたなを下ろすと、アッシュに近づいていった。

 肩が触れるほどの距離で、ロイドとバルカはすれ違った。

 デューイであるバルカはアッシュの頬に触れた。
 戻った……! デューイは一瞬、アッシュの頬を思いきりひっぱたきたい衝動に駆られたが、何とか堪えた。そんなことは、いつでもできる。
「そうそう……、我々が出ていけばこの幻影イリュージョンは消える」
 バルカはロイドを振り返り、デューイの声でそう伝えた。

 ロイドはシェリスを見下ろしながら、未だ立ち尽くしていた。
 デューイはその後ろ姿に「とっとと失せろ」のメッセージを認めたが、アッシュを取り戻した安心感から、妙な親切心が芽生え最後にこう付け足した。

「安心しろ、その女には何も……」

 その時、バルカの腹からサーベルが突き出した。

「そう来なくちゃ……つまんねぇよ」
 ロイドは誰に言うでもなく呟いた。

 バルカは自身の腹から飛び出たサーベルを、両手でつかむようにして、前のめりにぐらついた。

「ごめんね、バルカ。あなたには文字を教えてもらった。お箸の持ち方も。僕はあなたが好きだったよ。兄の操り人形であっても。魂だけの存在であっても」

 バルカの背後に描かれた魔法陣から、燃え盛る灰と共に出現した鳥の姿をした悪魔は、両の翼で持ったサーベルを一気に引き抜くと、一仕事を終えたかのように、出てきた時同様、静かに魔法陣へと消えていった。

 仮初めの噐が壊され、バルカの姿は朧気な白い煙に巻かれたかと思うと、青白く光る火の玉と化し、宙を漂ったが、すぐに一方へ一直線に飛んでいった。

 兄デューイの元へ。

「あぶない、ロイド!」
 アッシュの絶叫がドームにこだました。

 咄嗟に手首に絡めた鎖をほどき、円形の武器を投げた。
 ロイドは振り返りざまに左の掌から突出したダガーで空を切った。

 そこには、両目を黒の手拭いで覆った黒い忍のような出で立ちのデューイその人がいた。
 両手は腰の後ろに携えた、交差する2本の忍刀しのびがたなの柄をつかんでいる。
 完全に動きを読まれ、抜刀すらできなかった。

 ロイドの攻撃を紙一重でかわすのがやっとだったが、空を切ったと思われたその攻撃は、デューイの黒の手拭いを鼻筋に沿って切断していた。

 露になったデューイの両目を見て、ロイドは息を呑んだ。

 右目は多重瞳、左目は……
 左目は虚空ヴォイドだった。
 漆黒のブラックホール。

 その虚空の中へ、バルカの青白く光る魂が一瞬で入り、そして消えた。
 やっと実体として姿を現したデューイに、ロイドは窘めるように言い放った。

「落ち着けよ、棟梁。支配的な過干渉はヒステリックになりがちだぜ」

「ロイド……。おまえの名を覚えておく」
 デューイは無表情にロイドの目をまっすぐに見つめながら、後方へ跳んだかと思うとその姿は瞬く間に消えた。
 アッシュの投げた円形の武器はデューイの足元をかすめ、乾いた音を立てながらコロコロと地面を転がっていった。

 世界は、デューイの退出を機に空間はあちこちでひび割れ、がらがらと砕け散った。
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