全てを諦めた男爵令嬢は星に願う

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9: 言いがかりと毒について

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「この、泥棒猫!たかが男爵令嬢のくせに、わたくしの婚約者に色目を使うなんて恥を知りなさい!」

 バシャ!!

 その日、リリアナは届いたばかりの新しい髪飾りをつけて学園の門をくぐった。白銀の土台には鮮やかなエメラルドやサファイアなどの様々な宝石が散りばめられていて複雑な模様を浮き上がらせている。安いクズ石を寄せ集めたように思われがちだが、腕のある職人が見ればかなり高度な技術が使われているとわかる品物だ。それにシンプルなデザインながらも華やかなそれはリリアナのひまわり色の髪によく映えていた。しかしその髪飾りも髪も門をくぐった瞬間にびしょ濡れとなってしまったのだ。

 ……せっかくリリアナ・・・・がより可愛くなるように仕上げてきたのに。と、リリアナは内心ちょっとむくれた。しかし、本来のリリアナがまだ眠っていてよかった。とも思いながら水が飛んできた方向に視線を動かすと、ひとりの令嬢が花瓶を持って立っている。濃いブラウン色の髪と緑色の瞳をした伯爵令嬢。リリアナの記憶の中にある顔だった。なにやらものすごい形相をしているが……しかも、気になる形相だ。

「……アデル伯爵令嬢、花瓶の水は人に向かってかけるものではありませんわ」

 にこりと首を傾げてやれば「ば、馬鹿にしてぇっ!」とさらに激昂したのは、例の公爵令嬢の取り巻きのひとりだ。これまでもリリアナを散々馬鹿にして“男爵令嬢のくせに”と罵ってきていたが先日の出来事でその態度は軟化していたはすだった。なにをそんなに怒っているのかと考えたが……まぁ、先程の彼女の言葉から推測するにきっと彼女の婚約者とやらが失言をしたんだろう。

 しかし、この女の婚約者なんか知らないし興味もない。とんだ言いがかりである。

「ですが、おっしゃられている意味がわかりません。色目とはどうゆうことでしょうか?」

 ポタリと水滴が前髪から落ちて頬を濡らすが、それを拭うこと無くリリアナは真っ直ぐにその伯爵令嬢を見た。

「な、なにをとぼけていますの?!せっかくあなたの事を少し見直していましたのに、あなたがちょっかいをかけてくるからエーモン様が困ってーーーー」

「僕がなんだって?」

 さらにリリアナに掴みかかろうとするアデル伯爵令嬢だったが、それを制するようにひとりの令息が姿を現した。まるで側で見ていて見計らったかのようなタイミングの良さにリリアナの内心は今度は呆れ返る。それによく見ればこの令息はリリアナに告白まがいの事をしてきた手のひら返し男だったのだ。よくもまぁ、自信満々のドヤ顔でこの場に出てこれるものである。

「エーモン様……!どうしてここに……」

「まさか君が、人を爵位で差別して、なおかつか弱い男爵令嬢を人前でこんな風にイジメるような女だったとはね。がっかりだよ」

「え?!イジメなんかじゃ……!だって、エーモン様がこの男爵令嬢に言い寄られてきて困っているからみんなの前で罪をーーーー」

 パシッ!

 慌てて口を開くアデル伯爵令嬢だったが、その口を塞ぐかのように婚約者である伯爵令息が頬を平手打ちした。さらにはショックのあまり青ざめるアデル伯爵令嬢に追い打ちをかけるかのように舌打ちし睨み付ける。

「僕がいつ、そんな事を言ったと言うのだ?リベラト男爵令嬢の美しさに嫉妬でもしたのか!君のような女は僕の婚約者に相応しくないようだな」

「そ、そんな……っ」

 そして、崩れ落ちるように地べたに座り込むアデル伯爵令嬢の姿を鼻で笑いながらその伯爵令息はリリアナに手を伸ばしてきたのだ。

「リベラト男爵令嬢、大丈夫ですか?あなたのように美しい令嬢にこんなことをする女は僕が責任持って処分しますのでご安心を。よければあなたの傷付いた心を癒す栄誉ある役を僕に与えてくださ「触らないで下さい」え」

 伸ばされた手を避け、リリアナは座り込むアデル伯爵令嬢の側へ行くと同じく座り込み目線を同じにする。

「アデル伯爵令嬢。つまり、あなたは婚約者の憂いを晴らそうと必死だったのですね?婚約者の気持ちを自分に繋ぎ止めたいとがむしゃらに……その気持ち、痛いほどにわかります。私も自分の婚約者様に少しでも好かれたくて今も必死で頑張っていますもの」

「リベラト男爵令嬢……」

「でもご安心なさって。私の心は全て婚約者様であるジェット様に捧げているのです。どんなに冷たくされても振り向いてもらうまで努力しようと思ってますのよ。ですから、神に誓ってアデル伯爵令嬢の婚約者の方に色目やちょっかいなどかけてなどいません。たぶん誤解があったのですわ……」

 すると、アデル伯爵令嬢の目があからさまに泳ぎだす。ソワソワと体を揺らし、綺麗に整えられた爪を噛み始めた。

「わ、わたくし……わたくしは……」

「もう、いいのですよ」

 リリアナが噛みすぎて爪が欠けたアデル伯爵令嬢の手をそっと握る。するとアデル伯爵令嬢の体がほんの一瞬だけ淡く輝き……その瞳に涙があふれたのだ。

「ーーーーそうだわ……そうですわよね。わたくしもわかっていたはずですのに……。あなたは、婚約者に人前であんな扱いをされても、それでも健気に前を向いていて、だから、その姿を見て今まで誤解していたのかもって思っていましたのに……。わ、わたくし……綺麗になったあなたに嫉妬して、なぜかエーモン様が奪われるんじゃないかって思ったらいても立ってもいられなくなってしまって……ご、ごめんなさ……あぁぁ……!」

 リリアナが黙って抱きしめると、アデル伯爵令嬢は体を丸めて泣きじゃくった。貴族令嬢としては失態な姿だが、リリアナを含めて周りで見ていた生徒たちも何も言葉を発しない。……ひとりを除いてだが。


「な、なんだこれは……どうなって。お、おい!リベラト男爵令嬢!伯爵令息である僕がお前を慰めてやると言っているのに、なんで無視してそんな女に……!だいたいお前の婚約者は人前で婚約者に冷たくするクズ男じゃないか!あんな男のどこがいいっていうんだ……!」

「触らないで下さいと申したはずですわ。私に触れていいのは私の婚約者様のみ。あなたが伯爵令息だろうと関係ありません。それに、ジェット様を酷い男だと罵る前にご自分の事を鏡で見てみたらいかがですか?例え誤解だろうと、貴方が不用意に漏らした言葉のせいであなたの婚約者が必死になられたのですよ?あなたがまずすることは彼女を諌めて謝罪し誤解をとくことではないのですか?」

「ぼ、僕は何も言っていな「それならば尚更、なぜこんな事態になってのか原因を探るべきですわ。それをこんな人前で自分の婚約者を蔑み、まるで婚約を破棄するかのような言葉を投げつけるなんてーーーー最低ですわね」なぁっ?!」

 リリアナの絶対零度のような冷たい視線が伯爵令息を貫く。自分よりも爵位の高い令息に男爵令嬢が立ち向かったのだ。しかも、自分を害そうとした伯爵令嬢を守るために。その姿はそこにいる皆に共感を与えた。

 そして、伯爵令息が「だ、男爵令嬢のくせに……!伯爵令息である僕に口答えするなど生意気な……!」とギリギリと歯を噛み締めながら悔しそうに漏らすと、それまで黙っていた周りの生徒たちがざわざわと口を開き出した。

「……さっき、アデル伯爵令嬢に爵位で差別するなんてと嘆いていらっしゃったのに……ご自分の発言を覚えていらっしゃらないのかしら?」

「つまり、自分の婚約者を陥れて辱めたのか?さらにリベラト男爵令嬢にちょっかいをかけようとしたってことだろう?」

「そう言えばあそこの伯爵家は代々浮ついた噂が絶えないらしいぞ。先代がかなりの女好きで何人も愛人を囲っているとか。しかし、まだ結婚もしていないのに今から愛人を探していたのか?」

「まぁ、本当に最低ですわね!愛人とは、正妻に3年以上子供が出来なかった時にだけ許されるはずでは?結婚前から婚約者を陥れてまでリベラト男爵令嬢を愛人にしようとするなんてーーーー本当に最低てすわ」

 そんなざわめきが広がり……今度は伯爵令息が青ざめる番になってしまった。

 その状況にリリアナが周りにはバレないように密かに微笑む。実はこの髪飾りの複雑な模様は微弱ではあるが毒を無効化する効果のある魔法陣を表しているのだ。誰にもわからないように、でも少しでもリリアナを守れるように。この髪飾りを身に着けたリリアナが触れれば、多少の毒は消えてしまう。もちろん即座に人体の命を奪うような強力な毒には効かないが、それでも御守り代わりにと思って特注で作らせた物だった。一瞬の油断が命取りになるのは身を持って知っているからだ。

 つまり、リリアナに触れられて正気を取り戻したこの伯爵令嬢は毒に侵されていたことになる。ここで問題となるのは、誰が伯爵令嬢に毒を盛ったのかだ。症状を見るからにじわじわと正常な判断を狂わせ、疑心暗鬼にさせる。そして精神を不安定にさせる毒だろう。直接的に命に関わるものではないが、毒を盛られた本人は常に不安定になり精神をどんどん病んでいく。毒の効果が酷くなれば自害を促してしまうかもしれない恐ろしい毒だと思われた。


 もちろん1番怪しいのは婚約者の伯爵令息だが……。

 ちらりと、少し離れた校舎の影に人影が見える。忌々しそうにこちらを睨み付けているだろうそのシルエットはーーーー因縁の公爵令嬢の姿に見えたのだった。





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