岩にくだけて散らないで

葉方萌生

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第十四話 卒業の日

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 三月九日、まだ肌寒い風が吹き荒ぶ竜太刀の町で、竜太刀岬高校はひっそりと卒業式を迎えた。総勢七十名の私たち三年生は、後輩や先生たちに見守られながら、教室のドアを潜った。
 慣れ親しんだ教室と今日でぱったりとお別れになるなんて、不思議な気分だ。私は心の中で「三年間ありがとう」と呟いた。
 昨日、私が受けた大学の合格発表があった。私は無事に第一志望の東京の大学に合格することができた。両親や先生たちから「おめでとう」と言われ、ようやく目標を達成したのだと実感しているところだ。

「この町ともお別れかあ……」

 両親はまだ高知で仕事があるので、私は春から東京で一人暮らしをすることになる。十五年間も暮らした東京に戻るだけなのに、なんだか胸がざわついている。ざぶん、ざぶん。波の音に誘われるようにして、私は校舎を出て校門をまたぎ、竜太刀岬の見える高台へと登っていた。ここで、何度も蓮と撮影をした。観光客も訪れることの多い場所だったから、人のいない時間を狙うのに必死だった。
 懐かしい。懐かしいなあ。
 ざぶん。

「なんで一人でいなくなったりするんや……!」

 後ろから聞こえてきた慣れ親しんだ人の声に、はっと私は振り返る。蓮の声は、竜太刀岬の波の音みたいに、もう私の生活の一部みたいに響いている。

「……ごめん。そういうつもりじゃなかったんだけど。なんか、身体が勝手に動いてて」

 嘘じゃない。蓮から逃げようとしたわけではない。ただ、竜太刀岬に誘われて来ただけだ。
 そんな気持ちを伝えたかったのだが、蓮がいつになく必死な表情で私を見据えていて、私の心臓の動きが速くなっていくから、冷静に何かを伝えることができなかった。

「ま、そんなことはええんやけど。さっき、電話が、かかってきた」

 興奮冷めやらぬ、とは今の蓮のような状態のことを言うのかもしれないと思った。
息を切らしてここまで走って来たと思われる蓮が、途切れ途切れに呼吸をしている。疲れているせいではないということはすぐに分かった。

「電話?」

「ああ。全日本青春動画コンテストの主催者からっ」

「あ——」

 忘れていた。受験勉強に必死になっていて、コンテストの結果が三月に発表されることを忘れていた。蓮との撮影の日々がこんなにも色濃く記憶にこびりついているというのに、結果発表を忘れるなんて、と少し凹んだ。

「え、でも、電話? 電話って受賞者のみじゃなかった?」

 確か、主催者のHPにはそう書いてあった。
 私は目を見開いて蓮をじっと見ると、蓮の口の端が大きく開く。蓮は前のめりの体勢になり、私のすぐ近くに顔を寄せる。そして。

「た、大賞……はダメやったんやけど、社長さんが気に入ってくれて、それで、奨励賞やって……!」

 感極まった蓮の呼吸と、蓮から報告を聞いてバクバクと荒波のように暴れる心臓を抱えた私の呼吸が、不規則に重なった。
 ざぶん。
 雲の切れ間から、太陽の光が海面を照らす。その一部だけが光って、波はこんなにも美しかったのか、と初めて気がついた。

「やった……やったじゃん、蓮! すごいよ、蓮の夢、叶ったじゃん!」

 蓮の手を握り、私は高台の上でぴょんぴょん飛び跳ねる。「風間さん、危ないって」と蓮が止める声も聞かず、喜びを全身で噛み締めていた。

「ありがとう……ありがとうな、風間さん。風間さんのおかげや。本当に、ありがとう」

 メガネを外し、うう、と涙の滲む目を擦る蓮の姿が、陽光に照らされて、やっぱり綺麗だと思う。初めて竜太刀岬を見た時、私は岩肌にぶつかる波を見て恐ろしさで震えていた。でも、岬は、太陽は、海は、こんなにも私たちの物語を輝かせてくれる。今更気がつくなんて、私もいい加減鈍いなあ。

「蓮が頑張ったからだよ。でも私も嬉しい。私も、高校三年間、蓮の夢に関わらせてもらえて本当によかった。あり
がとう」

 心からの本音が、口から漏れ出るとともに、まだ涙の滲む蓮の瞳が、私をまっすぐに捉えた。

「……風間さんが、好きや」

 世界一美しいと「好き」という言葉が、波の音に溶けて、私の胸に溶けて、大地を照らす日の光みたいにほの温かく、蓮との思い出を照らした。
 蓮の、泣きそうなほど綺麗な表情が、私の目に焼きついた。
 竜太刀岬みたいだった。
 蓮はずっと、新しい土地で迷いそうになっている私のそばにいて、どっしりとただそこにいて、私の三年間を見守ってくれていた。竜太刀岬と同じ、私の高校生活の象徴みたいな存在だった。

「……ごめん。好きな人がいる、の」

 だからこそ、私は蓮にちゃんと伝えなければならなかった。
 ありがとう、とさよなら、を。
 蓮がくれた大切な思い出を胸にしまって、私は新しい一歩を一人で、歩いていこうと誓ったのだ。
 蓮の目が、また大きく見開かれる。そして、ゆっくりと瞬きをした。瞳の奥から、一筋の涙がこぼれ落ちる。

「そうか……知ってたわ」

 泣き笑いの表情を浮かべた蓮が、私に右手を差し出してくる。私はその手を握ってもいいのか少しの間迷ったけれど、波の音に背中を押されるようにして、そっと彼の手を握った。

「ありがとうな。俺たちは、同じ夢を見たパートナーやけん。風間さんのことは、ずっと忘れんよ」

 繋いだ手から伝わる、蓮の体温を感じながら、私は空を仰ぎ見る。
 空は、雲は、太陽は、私たちの不恰好な青春の終わりを、どんなふうに見てくれているのだろう。

「私も、忘れない。好きって言ってくれて、ありがとう。蓮がいなかったら、私はきっと迷子になってたから。だか
ら本当に、感謝してます」

 むきだしの私を撮りたいと言ってくれた蓮。私はずっと、自分みたいな根暗な人間なんて、誰からも必要とされていないのだと思っていた。
高知という東京から八百キロメートルも離れた土地に来て、友達もできずに青春時代が過ぎ去っていくのを待つだけなんだろうと。
 でも、私の三年間をきらきら光る水面みたいに照らしてくれたのは、間違いなく蓮だ。 私は蓮にたくさん頭を下げて、繋いでいた右手をゆっくりと離した。
 そして、蓮に背を向けて高台の階段を一歩踏み出した。
 私の未来への道を、進むために。

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