岩にくだけて散らないで

葉方萌生

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第三話 神様になった

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 一週間前、中学校の卒業式の日、私は俊に呼び出された。卒業式が終わり、教室で一人ずつ、中学三年間の思い出話や感謝の言葉を伝え合ったあとのことだ。私は、「楽しい中学校生活でした」と当たり障りのないことを言った。涙ぐんでいる女子も多い中、私は泣けるほど、中学校で良い思い出を作れたかと言われれば嘘になる。ただ、最初に話した通り、俊に対してだけは思い入れがあった。小さい頃から共に育ってきた俊。そんな彼と、中学を卒業すると同時に離れ離れなる。言いようもない痛みが、私の胸をツンと刺すように襲ってきた。

 別のクラスだった俊は、クラスでのホームルームが終わると、玄関横の庭園で私を待ってくれていた。庭園からは校庭を眺めることができる。咲き始めた庭園の小さな花たちとは違い、校庭の桜の木はまだちらほらと蕾を膨らませている最中で、花は咲いていない。でも、目を閉じると桜の香りが漂ってくるような気配がしていた。

「今日で卒業だな」

「うん」


「凛は……本当に、行っちまうんだな」
「……うん」

 お父さんの仕事の都合で、高知の高校に行くことになったと俊に告げたのは、今年の一月のことだった。お父さんの会社は、毎年十二月に異動が発表されるらしく、ちょうど私の高校入学のタイミングで、お父さんの転勤が決まってしまったのだ。

 単身赴任をすることも考えたようだが、お母さんがそれを拒否した。家族はいつも一緒でないと嫌だ。凛は高校生になるんだし分かってくれるはず、とお母さんの申し出をお父さんが受け入れるかたちで家族会議は終わった。とてもあっけなくて、私が口を挟む暇はなかった。せいぜい、「大丈夫」と頷くくらいで、いろいろと言いたいことはあったけれど、確かにお母さんの言う通りだと、喉元までせり上がってくる言葉を飲み込んだ。あの時、  私は一体何を言おうとしていたのだろう。本当は東京から離れたくないって、心が叫んでいたのかな。分からない。でも、目の前で寂しそうな表情を浮かべる幼なじみの男の子の顔を見ると、じわりと胸に滲む苦い後悔のようなものが、私の心を弱くした。

「俺さ、凛のことずっと好きだった」

 この時期の春風は、どうしても暖かいと思えない。
 まるで突風のように吹いた風が、俊と私の前髪を揺らす。
 周りで友達と写真を撮る卒業生の声が、遠く耳に響いた。

「凛が遠くへ行ってしまうって知って、言わなきゃって思って。でも俺臆病だから。こんなタイミングになってしまってごめん。だけど、この気持ちは本物だ」

 ああ、俊はどうしてこんなにも格好良くて、優しくて、まっすぐに私の目を見てくれるんだろう。幼い頃は、生意気なガキだったけれど、思えばいつだって私を守ってくれていた。口下手な私の代わりに、私が胸に抱えている言葉を、俊は代わりに周囲に伝えてくれていたのだ。それが、どれほど温かく、心強いものだったのか。渦中にいた私は気づくことができなかった。
 周りにいたクラスメイトの女子が、「好き」という言葉に反応したのか、こちらをちらちらと見ているのが分かった。私は耳まで赤くなるのを感じで、その場で俯いた。
 俊は格好良い。頭も良くてスポーツができてよくモテる。時々子供みたいなことを言うこともあるけれど、そのギャップが好きだという女子も多い。
 そんな彼が、どうして私なんかを好きなってしまったんだろう。
 ただ家が近所で小さい頃から縁があって隣にいるだけだった。私のように地味な女の子に、彼のような完璧な男の子は不釣り合いだ。

「もし凛が俺と同じ気持ちなら……付き合ってほしい」

 彼らしからぬ、祈るようなまなざしを私に向けていた。
 私は素直に、その目がとても愛しく思えた。でも同時に、私の目の前に広がっている不確定な未来が私の目の前を真っ暗にしていく。私はこれから、まったく知らない土地で生きなければならないのだ。そこに俊はいない。だたっ広い荒野に、俊を連れていくことなんてできるのだろうか。

「……っ」

 一瞬のうちにぐるぐると頭の中を思考が駆け巡った。
 どんな時も、私を守ってくれた俊の温かさを思い出す。彼がいなければ、友達すらまともにできない私が、普通に学校に通い続けられてはいなかっただろう。クラスメイトから「便利屋」扱いされることに嫌気が差して、不登校になっていたかもしれない。だから、俊にはとても感謝している。だからこそ、離れ離れになる運命にある彼と、今この瞬間に心をつなぐのが怖かった。
 私が答えを出すのに逡巡しているのを感じたのか、俊の瞳は次第にうるんでいった。

「……ごめん、私、分からない」

 今思えば、どうしてこんな曖昧な言葉でごまかしてしまったんだろうかと後悔している。
 彼の気持ちと、自分の気持ちに向き合うことがこんなにも怖く、道の途切れた崖の上に立たされているような気分にさせられるなんて思ってもみなかった。
 きっと俊は、曖昧な態度しかとれない私に、嫌気がさしただろう。
 でも俊は、そのどうしようもないほどの優しさで「そっか」と私の返事を受け入れてくれた。
 逸らしかけた視線を、どうにか彼の方へと動かした。
 どうして。
 どうして俊は、そんなにも優しい。
 私はあなたの優しさに、甘えてしまうんだよ。
 これから、私は俊のいない世界を、たった一人で生きなくちゃいけない。助けてほしいと思っても、あなたに甘えられない。私は俊から、離れないといけないのだ。

「……っ」

 俊に、これ以上どんな言葉もかけてあげられなかった。俊の顔が、泣き笑いのように歪んで、それでも最後には男
らしく、凛としていた。
 振るでも振られるでもなく、私たちの関係はそこで終わってしまった。
近くで見ていた女子たちが、「なにあれ」とささやく声が聞こえる。彼女たちからすれば、私の答えは納得がいかないものなんだろう。ずるくて、卑怯で、感じ悪い。きっと俊だって同じことを思っている。口には出さないが、煮え切らない態度の私に怒っているだろう。

「なんかあったら、いつでも相談して。俺はずっと、凛の味方だから」

 痛いくらいの優しい言葉が、塞いでいた私の耳にするりと入ってきた。どうして俊はいつも、そんなに他人のことを思いやれるの。私は、自分のことしか考えられないのに。

「……ありがとう」

 まだ冷たい春風が、再び私たちの間を吹き抜ける。俊の背が、いつの間にか私よりも二十センチほど高くなっていることに気がついた。小さい頃は、私の方が高かったのに。知らない俊。私の知らない幼なじみの男の子。この日を境に、俊は私の中で、神様にみたいになってしまった。

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