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第五話 夏の寂しさ
違和感
しおりを挟む理沙と一緒にパラソルの元に戻ると、龍介はいなくて、また海へと泳ぎに行っていた。夏海はどこかぼうっと遠く水平線を眺めている様子だ。
「夏海、お待たせ。もうちょっと泳ぐ?」
理沙がそう誘ったが、
「ううん、私は休憩してる」
と乾いた口調で答えていた。
「そう。じゃあ春樹、一緒に泳ぎに行こうよ」
理沙に誘われて、僕は断ることができなかった。
今日の夏海の様子がずっと気になってはいる。でも、夏海は僕にも、ほかの二人にも、あまり踏み込んでほしくないと思っているように感じられた。
パラソルに夏海を残したまま、僕は夏海と一緒に海へと舞い戻る。
途中で休憩しながら、太陽が傾くまで一緒に遊んだ。理沙は本当に楽しそうに笑っていて、僕も彼女といる最中は、夏海のことを一瞬忘れていたほどだ。
夕日で真っ赤に染まる空の色が反射して、海もまた、金色の光に揺れていた。夕暮れ時の海がこんなにも美しいなんて、現実世界の僕は知らなかった。
「綺麗ねえ……」
気がつけば隣で理沙も海面に反射する光を眺め、ため息を漏らしていた。
「そうだね」
ここは、あの日の海とは違う。
現実世界で、僕の命をゆっくりと沈めていった海とは別の、別次元の極めて美しい海だ。
理沙が、僕の頬に自分の顔を寄せてくる気配がした。彼女の甘い吐息が、僕の耳にかかる。僕は驚いてとっさに顔を背けようとする。
「り、理沙……?」
「今日は、まだダメ?」
甘えるような声を出す彼女から視線を逸らし、夕日とは反対方向に顔を向ける。理沙があっと声を上げるのと、僕が遠くに夏海の姿を見つけたのは同時だった。
「あれ、夏海?」
砂浜で休憩していたはずの彼女が、なぜか僕たちから遠く離れた海の中で佇んでいる。龍介が近くにいるのかと思ったが、彼女の周りには人がいない。僕たちには背を向けて、水平線の方を眺めているかのように見える。
夏海は腰のあたりまで水に浸っていて、少しずつ前へと進み出した。
既視感のあるその光景に、僕ははっと息をのむ。
「春樹どうしたの?」
焦ったそうに聞いてくる理沙の声が、ずっと近くにあるのに掠れて聞こえる。それぐらい、僕は遠くにいる夏海の姿に釘付けになっていた。
夏海は、何をしているのだろう。
いや、何をしようとしているのだろう?
そのうち、夏海のお腹から胸の辺りまで水が迫って来ていることに気がついた。
「夏海!」
名前を叫んでも彼女は振り返らない。
夏海は、もしかして……!
焦った僕は、海の中を、夏海の方へと進み出した。
「え、春樹、どこに行くの?」
夏海の姿に気づいていないのか、理沙が僕に聞いた。
「悪いけど砂浜に上がってて! すぐ戻るから」
僕が行くのを止めようとする理沙だったが、僕があまりに必死な様子なので、彼女は気おされるようにして後退りした。そんな理沙を置いて、僕は夏海の元へと一心不乱に進む。
「夏海、夏海!」
呼びかけても、やっぱり夏海には聞こえていないのか、彼女は歩みを止めない。とてもゆっくりとした動きなのに、確実に水位は上がっていく。
水の抵抗を感じながら、なかなか彼女の元に辿り着かないことに、僕は焦りを覚えていた。僕の想像がすべて間違っているのならそれでいい。単にちょっと深いところまで行ってみたいとか、そういう理由だったら。しかしそれでも危険なのは間違いなかった。
次第に僕の方も水位が上がり、両腕で海水をかき分けるようにして歩き始める。
海ってこんなに冷たかったか……?
さっきまで、まるで冷たいと思っていなかった水の感触に、鳥肌が立っている。
「夏海っ!」
胸まで水に浸かり、精一杯の力で彼女の名前を叫ぶ。
するとようやく夏海がこちらを振り返った。その瞳が僕を見つめて、何度も瞬きを繰り返す。驚きや、悲しみや、怒りが、滲み出ているような人間の目だ。なぜだか僕にはそんなふうに映った。
夏海は僕の姿を認めると、焦ったようにまた前方に振り返って前に進もうとした。
「夏海、ちょっと待って!」
全身の毛が総毛立つかのような恐ろしさを覚えた僕は、一心不乱に彼女の元へと急いだ。
もうだいぶ深いところまで来ていて、早く彼女を捕まえなければ、最悪足を取られて溺れてしまうかもしれない。そうなる前に、早く進むんだ!
頭の中で警鐘を鳴らしながら、ようやく彼女の元へと辿り着く。夏海の右腕を掴むと、
「離してっ」
と彼女は叫んだ。
「落ち着いてくれ。何かあったの? 砂浜に戻ろう。龍介と理沙が待ってるから」
何があったのか分からないが、とにかく夏海を安全なところへと引き上げたかった。現実世界で、夜の海に身を沈めていった僕が言うのもなんだけれど、ここにいると、夏海が自分と同じ目に遭うのではないかと思って、怖いのだ。
夏海は僕の言葉に身体を揺らし、ゆっくりとこちらへ振り返った。よかった。一緒に戻る気になってくれたんだ。ほっと胸を撫で下ろす。深く呼吸をすると、いつの間にか速くなっていた鼓動が、少しだけ落ち着いたような気がした。
しかし、振り返った夏海の表情を見て、僕は再び身体を硬直させる。
彼女の顔はこわばり、深い憎しみを湛えているようだった。
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