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第六話 トラウマを消し去りたいあなたへ
心が悲しい時は
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***
これまでの人生で、今日この日ほど恥ずかしく、情けない思いをしたことはない。
私は泣いていた。
一人暮らしの部屋の隅っこでも、掛け布団の中でも、公共トイレの中でもない。
京都和み堂書店で店番をしている最中だ。
原因はかつて応募した小説の審査委員長をしていた杉崎という男に、「また小説を書いてほしい」と言われたこと。
なんでそれだけでこんな事態に陥ってしまったのか、私が一番知りたかった。
とにかく、このまま醜い姿を晒しているのはまずいと思って、咄嗟に厨房の奥へ行き、ティッシュやハンカチで顔を拭う。
でもやっぱり、止まらなかった。
涙だけじゃない。心臓がドクドクとけたたましく脈打っていること。はっきりと分かるぐらい、頭に血がのぼり熱くなっていること。それらが全部止まらなくて、「すみませーん」とレジカウンターの前で本を手にしてお客さんに対応することすらできない。
「あのー、すみません」
厨房の奥に引っ込んだままの私を呼ぶお客さんの声が、だんだんと呆れたような声色に変わってゆく。
いけない、お客様を待たせては。ちゃんと接客しなきゃ。
と思えば思うほど、逆に落ち着くことができなくて、焦っている自分がいた。
涙は出るわ、焦燥感に駆られるわで結局うまく立ち回れない私。
どうしよう、本当に。
誰か助けて。
そう必死に神様に言い聞かせたのが通じたのか、タイミングよく現れたのは、写真のイベントを終えて二階から降りてきた女将詩乃さんだった。
「お待たせして申し訳ございません」
詩乃さんはさっとレジに入り、待っていたお客さんのお会計をさっさと済ませてしまった。
幸い、京都和み堂書店を訪れるお客さんは皆優しくて、ちょっとやそっとのことではお怒りにならない。でもだからと言って、忙しいわけでもないのに、お客さんを待たせて良いわかではなかった。
そのぐらいのことは、私自身、重々承知していた。
だからきっと詩乃さんも、私が承知していることを分かっていたのは間違いない。
「なのちゃん、ちょっと二階上がってようか」
あまりにもひどい私の顔や接客態度に呆れただろうか。詩乃さんは私に一時休憩に入るように言った。
「はい……」
なんだか前にも、こんなことがあった気がする。
高校生の宮脇沙子という女の子がお客さんとしてやって来た日だ。
私の不手際のせいで、彼女を怒らせてしまった。
その日は一時退避はなかったけれど、「もういいよ」と言われた時は、もうここで働かなくていいよ、という意味だと思って覚悟したものだ。
だがその時に私の予想とは裏腹に、詩乃さんがくれたのは「闘わなくていい」という救済の言葉だったのだ。
しかし今日は分からない。今日こそもう、ダメかもしれない。
そんな、嫌な予感と闘いつつ、私は休憩と称して二階の事務所に閉じこもった。
そこでどれくらい時間が過ぎたんだろう。
規定の一時間休憩どころか、その後のシフトの時間中ずっと事務室に引きこもったままだった。本当はこんなことではいけない。きちんとシフトに入らないと、詩乃さんにも迷惑がかかるし、自分自身情けないと分かっていたから、一階に降りて仕事に戻りたかったのだけれど。
事務室に閉じこもって一時間が経つ頃に、詩乃さんが事務室のドアを開け、ホットティーを持ってきてくれたのだ。
「心が悲しい時は、温かい紅茶が効くんだって、昔から決まってるの」
詩乃さんがたった一言そう告げて、私にそっと差し出してくれたホットティーを飲むうちに、私はまたとめどなく流れてくる涙を抑えられなくなってしまった。
「すみませんっ……ありがとうございます……」
悲しいことは一つもないはずなのに、今日は余計に泣いてしまう日だ。ゴシゴシと服の袖で顔を拭いながら、一口ずつ紅茶をまた口に含む。
「それ飲み終わっても、今日は休んで良いよ。また別の日に入ってほしい」
彼女にそう言われなくとも、もう二度も泣いてしまった私は、今日これ以上笑顔で接客できる自信がなかった。だから詩乃さんの気遣いを、今はありがたく頂戴する。
今度はきっとお返ししよう、と心に決めて。
これまでの人生で、今日この日ほど恥ずかしく、情けない思いをしたことはない。
私は泣いていた。
一人暮らしの部屋の隅っこでも、掛け布団の中でも、公共トイレの中でもない。
京都和み堂書店で店番をしている最中だ。
原因はかつて応募した小説の審査委員長をしていた杉崎という男に、「また小説を書いてほしい」と言われたこと。
なんでそれだけでこんな事態に陥ってしまったのか、私が一番知りたかった。
とにかく、このまま醜い姿を晒しているのはまずいと思って、咄嗟に厨房の奥へ行き、ティッシュやハンカチで顔を拭う。
でもやっぱり、止まらなかった。
涙だけじゃない。心臓がドクドクとけたたましく脈打っていること。はっきりと分かるぐらい、頭に血がのぼり熱くなっていること。それらが全部止まらなくて、「すみませーん」とレジカウンターの前で本を手にしてお客さんに対応することすらできない。
「あのー、すみません」
厨房の奥に引っ込んだままの私を呼ぶお客さんの声が、だんだんと呆れたような声色に変わってゆく。
いけない、お客様を待たせては。ちゃんと接客しなきゃ。
と思えば思うほど、逆に落ち着くことができなくて、焦っている自分がいた。
涙は出るわ、焦燥感に駆られるわで結局うまく立ち回れない私。
どうしよう、本当に。
誰か助けて。
そう必死に神様に言い聞かせたのが通じたのか、タイミングよく現れたのは、写真のイベントを終えて二階から降りてきた女将詩乃さんだった。
「お待たせして申し訳ございません」
詩乃さんはさっとレジに入り、待っていたお客さんのお会計をさっさと済ませてしまった。
幸い、京都和み堂書店を訪れるお客さんは皆優しくて、ちょっとやそっとのことではお怒りにならない。でもだからと言って、忙しいわけでもないのに、お客さんを待たせて良いわかではなかった。
そのぐらいのことは、私自身、重々承知していた。
だからきっと詩乃さんも、私が承知していることを分かっていたのは間違いない。
「なのちゃん、ちょっと二階上がってようか」
あまりにもひどい私の顔や接客態度に呆れただろうか。詩乃さんは私に一時休憩に入るように言った。
「はい……」
なんだか前にも、こんなことがあった気がする。
高校生の宮脇沙子という女の子がお客さんとしてやって来た日だ。
私の不手際のせいで、彼女を怒らせてしまった。
その日は一時退避はなかったけれど、「もういいよ」と言われた時は、もうここで働かなくていいよ、という意味だと思って覚悟したものだ。
だがその時に私の予想とは裏腹に、詩乃さんがくれたのは「闘わなくていい」という救済の言葉だったのだ。
しかし今日は分からない。今日こそもう、ダメかもしれない。
そんな、嫌な予感と闘いつつ、私は休憩と称して二階の事務所に閉じこもった。
そこでどれくらい時間が過ぎたんだろう。
規定の一時間休憩どころか、その後のシフトの時間中ずっと事務室に引きこもったままだった。本当はこんなことではいけない。きちんとシフトに入らないと、詩乃さんにも迷惑がかかるし、自分自身情けないと分かっていたから、一階に降りて仕事に戻りたかったのだけれど。
事務室に閉じこもって一時間が経つ頃に、詩乃さんが事務室のドアを開け、ホットティーを持ってきてくれたのだ。
「心が悲しい時は、温かい紅茶が効くんだって、昔から決まってるの」
詩乃さんがたった一言そう告げて、私にそっと差し出してくれたホットティーを飲むうちに、私はまたとめどなく流れてくる涙を抑えられなくなってしまった。
「すみませんっ……ありがとうございます……」
悲しいことは一つもないはずなのに、今日は余計に泣いてしまう日だ。ゴシゴシと服の袖で顔を拭いながら、一口ずつ紅茶をまた口に含む。
「それ飲み終わっても、今日は休んで良いよ。また別の日に入ってほしい」
彼女にそう言われなくとも、もう二度も泣いてしまった私は、今日これ以上笑顔で接客できる自信がなかった。だから詩乃さんの気遣いを、今はありがたく頂戴する。
今度はきっとお返ししよう、と心に決めて。
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