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第六話 トラウマを消し去りたいあなたへ
もう一度書いてほしい
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二〇二五年一月。
遠方の実家でダラダラと年末年始を過ごし、帰京したら年明けの京都の人の多さに愕然とする、というのは京都に来て四年経った今でも変わらない。
年末年始の京都は国内でも屈指の有名な寺や神社に訪れる人たちで溢れかえっているので、祇園の只中にある京都和み堂書店は、一年で一番のかき入れどき。大晦日から一月初めまでずっと開いているのだ。朝から晩まで一向に客足は途絶えない(と聞いている)。
私が年明けに初めてシフトに入ったのは、そんな超忙しいお正月が過ぎ去った頃だった。時間帯は夕方から夜にかけて。とはいえ、一月はやはりまだ寺や神社を見物に来る観光客が多く、気を抜くことは許されまい。
新年一発目の仕事に精を出しつつ、そろそろ立ち疲れたなーなんて思っていたとき、“その人”は現れた。
「こんにちは」
店内の様子を伺いつつ、開けっ放しの扉からスッと入ってきた男性に、私は見覚えがあった。
見覚え、というか、不覚にも思い出してしまった。
その人は——その男は、店頭で本を並べながら「いらっしゃいませ」と腰を上げた私に目を向けると、「ああ、見つけた」とでも言うように訳知り顔になった。
「お久しぶりですね、三谷さん」
京都和み堂書店の中で、私のことを名字で呼ぶ人間はいない。それこそわざわざ私に会うために来てくれる知人以外はどこにも。
彼が、その“知人”でなければ一体何だと言うのだろう。
「杉崎さん……」
狭い店内ではもはや逃れようがなかった。私は記憶の底に眠っていたその人の顔と名前を一致させて、そう呟く。
入り口付近に立っている四十代ぐらいのその男性は、私が自分の名を呼ぶのを聞いて、嬉しそうに目を細めた。
「覚えてくれていたとは、光栄です」
覚えてくれていた、だなんて。この間岡本を介して私に手紙を寄越したのは当の本人だ。それで彼の名前を思い浮かべないほど、私は薄情な人間じゃない——と、思いたい。
なんて、他愛ない社交辞令をいちいち噛み砕いている余裕は、今の私にはなかったのだけれど。それでも、ぎこちない笑顔だけでも彼に向けられたことは、誰か褒めて欲しい。これでもいっぱいいっぱいなのだ。
「いえ。この間、お手紙くれましたよね。それで思い出したんです」
側から聞くととても白々しい言葉だが、事実だから仕方がない。あの手紙がなければきっと、顔を見ただけで私はこの人の名前を瞬時に思い浮かべられなかったはずだ。
「お読みいただけたんですね。ありがとうございます」
杉崎はそう言うと、恭しく頭を下げた。
「岡本さんとお知り合いだったなんて、すごく偶然ですね。私も岡本さんとは、最近知り合ったものでびっくりしました」
「そうそう、そうだった。英介さんに頼んだんだ。彼が君と知り合いだと聞いて、私の方こそ驚いたよ。だってずっと君に、直接伝えたいことがあったから」
伝えたいことがある。
彼は確かに今、そう口にした。
以前もらった手紙から、彼の“伝えたいこと”が何なのか、なんとなく察していた私は、身を固めて身構えた。
それと同時に、次の瞬間彼の口から紡がれるであろうその言葉を、反射的に聞きたくないとも思った。
私の予想が、どうか外れて欲しい。
この一瞬の間に、そんな願いを、心の中で五回は反芻した。
でも。
「私はね、あなたにもう一度小説を書いて欲しいんですよ」
杉崎がにこやかな表情でそう言った。
まさに予想通りの言葉が耳に飛び込んできて、私は言いようもないほどの虚しさと、苛立ちを感じた。
「……その件に関しては、はっきりと申し上げようと思いますが、答えは”NO“です」
私は、未だ入り口の側で優しい表情を浮かべた——ともすれば幼い頃に近所に暮らして自分のことを可愛がってくれたおじいさんみたいな、その穏やかで人の良さそうな男性に、はっきりと断りの意を示す。
最初から決めていたことだ。もし彼の手紙に返事をするならば、私はもう、小説を書かないという内容の手紙を送っただろう。
その前に、ご本人が登場したわけなのだが。
遠方の実家でダラダラと年末年始を過ごし、帰京したら年明けの京都の人の多さに愕然とする、というのは京都に来て四年経った今でも変わらない。
年末年始の京都は国内でも屈指の有名な寺や神社に訪れる人たちで溢れかえっているので、祇園の只中にある京都和み堂書店は、一年で一番のかき入れどき。大晦日から一月初めまでずっと開いているのだ。朝から晩まで一向に客足は途絶えない(と聞いている)。
私が年明けに初めてシフトに入ったのは、そんな超忙しいお正月が過ぎ去った頃だった。時間帯は夕方から夜にかけて。とはいえ、一月はやはりまだ寺や神社を見物に来る観光客が多く、気を抜くことは許されまい。
新年一発目の仕事に精を出しつつ、そろそろ立ち疲れたなーなんて思っていたとき、“その人”は現れた。
「こんにちは」
店内の様子を伺いつつ、開けっ放しの扉からスッと入ってきた男性に、私は見覚えがあった。
見覚え、というか、不覚にも思い出してしまった。
その人は——その男は、店頭で本を並べながら「いらっしゃいませ」と腰を上げた私に目を向けると、「ああ、見つけた」とでも言うように訳知り顔になった。
「お久しぶりですね、三谷さん」
京都和み堂書店の中で、私のことを名字で呼ぶ人間はいない。それこそわざわざ私に会うために来てくれる知人以外はどこにも。
彼が、その“知人”でなければ一体何だと言うのだろう。
「杉崎さん……」
狭い店内ではもはや逃れようがなかった。私は記憶の底に眠っていたその人の顔と名前を一致させて、そう呟く。
入り口付近に立っている四十代ぐらいのその男性は、私が自分の名を呼ぶのを聞いて、嬉しそうに目を細めた。
「覚えてくれていたとは、光栄です」
覚えてくれていた、だなんて。この間岡本を介して私に手紙を寄越したのは当の本人だ。それで彼の名前を思い浮かべないほど、私は薄情な人間じゃない——と、思いたい。
なんて、他愛ない社交辞令をいちいち噛み砕いている余裕は、今の私にはなかったのだけれど。それでも、ぎこちない笑顔だけでも彼に向けられたことは、誰か褒めて欲しい。これでもいっぱいいっぱいなのだ。
「いえ。この間、お手紙くれましたよね。それで思い出したんです」
側から聞くととても白々しい言葉だが、事実だから仕方がない。あの手紙がなければきっと、顔を見ただけで私はこの人の名前を瞬時に思い浮かべられなかったはずだ。
「お読みいただけたんですね。ありがとうございます」
杉崎はそう言うと、恭しく頭を下げた。
「岡本さんとお知り合いだったなんて、すごく偶然ですね。私も岡本さんとは、最近知り合ったものでびっくりしました」
「そうそう、そうだった。英介さんに頼んだんだ。彼が君と知り合いだと聞いて、私の方こそ驚いたよ。だってずっと君に、直接伝えたいことがあったから」
伝えたいことがある。
彼は確かに今、そう口にした。
以前もらった手紙から、彼の“伝えたいこと”が何なのか、なんとなく察していた私は、身を固めて身構えた。
それと同時に、次の瞬間彼の口から紡がれるであろうその言葉を、反射的に聞きたくないとも思った。
私の予想が、どうか外れて欲しい。
この一瞬の間に、そんな願いを、心の中で五回は反芻した。
でも。
「私はね、あなたにもう一度小説を書いて欲しいんですよ」
杉崎がにこやかな表情でそう言った。
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「……その件に関しては、はっきりと申し上げようと思いますが、答えは”NO“です」
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最初から決めていたことだ。もし彼の手紙に返事をするならば、私はもう、小説を書かないという内容の手紙を送っただろう。
その前に、ご本人が登場したわけなのだが。
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