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第五話 忘れられない人がいるあなたへ
不穏な電話
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翌日、私は再び京都和み堂でのアルバイトに入っていた。時間帯は夜。夜の時間はゆったりとしていて、客足もまばらだったため、本の整理をしたり注文をしたりしていたのだが。
ルルルルル、ルルルルル
普段夜の時間帯にはあまり鳴らない電話が、その日は音を立てた。
電話を取る前、なんとなく、「あ、この電話はお客様からのお問い合わせ電話だな」とか、「これは店長宛の電話だな」というような予感がするのだけれど、今日の電話はやけに胸騒ぎがした。
「お電話ありがとうございます。京都和み堂書店の———」
『あなたですか』
「え?」
電話を取るなり聞こえてきたのは女の人の鋭い声だった。
『夫にくだらない小説なんか渡したのは、あなたなの?』
「え、あ、昨日の……」
電話の相手が、昨日大きな声を上げながら店にやって来た女性——早苗さんだということはすぐに分かった。
それにしても、どうしたんだろう。
とても、嫌な予感がする。電話の向こうにいる彼女の棘のある口調や、張り詰めた空気感。そして、「くだらない小説」という毒を含む言葉。
その全てが私に警告している。
『余計なこと、しないでくれる?』
「それは……大変、申し訳ございません。でも」
『でも何?』
私はなんとかして、彼女の気をなだめたかった。しかし、昨日の夫婦の様子を見ている限り、そんなことは到底無理だとも思う。だって、早苗さんのことを一番分かっているはずの旦那さんだって、あれほど苦戦していたのだから。
だから私は、彼女の気を宥めるのではなく、自分なりに伝えたいことを伝えようとした。
「その小説は……全然くだらなくなんか、ありません」
『は?』
まさか、仮にも店員とお客様であるはずの立場の私が、抵抗すると思っていなかったのだろう。早苗さんは、「ありえない」という口調で私に聞き返す。
けれど、私は諦めたくない。
「その本を、『星やどりの声』を、忘れられない人がいる全ての人に、読んでほしいんです」
読んだらきっと分かる。その小説が、どれほど心にビタミンを運んでくれるか。
しばらくの間、電話の向こうでピタリと彼女の声が止んだ。
だから私は、彼女を説得できたのかと、一瞬だけ思った。思ってしまった。しかし、次に彼女の口から飛んできた言葉が、私の胸にグサリと刃を突き立てた。
『あなたに何が分かるのよっ』
それは、激しい怒りの感情だった。怒りがむき出しになれば、たとえ顔が見えなくたって、こんなにも直接的に感じられるなんて思ってもみなかった。
『あなたに……、健康に生きてきて、今までなんの苦労もしてないような涼しい顔をしてるあなたに、娘を失った私の気持ちなんて、一ミリも理解できないわよっ』
今もし彼女が私の目の前にいたら、そのまま噛み付いてきそうな勢いでそう言った。
理解、か。
そうだな。理解なんて、私にはできない。
できるわけがない。
だって、早苗さんと全く同じ人間じゃないもの。
旦那さんだって、彼女の気持ちを100%理解することはできないのに、赤の他人の私には、到底分かってあげられない。
でも、それでも私は。
読んでほしい。
その本を読んで、ひどく心を動かされた一人の読者として。
だから、あなたにどれだけ嫌われたって、私は読んでほしい。
「私は、あなたが『星やどりの声』を読んでくださると、信じてます」
それだけだった。もうそれだけしか言えない。これ以上どんな言葉を繋げたって、一つも届きっこない。言葉は時に誰かを励ますけれど、いっぱいの言葉はかえって邪魔になってしまうこともあるから。
『……』
諦めたのか、はたまた私は話が通じない人間だと思われたのか。
そのどちらかは分からないけれど、電話の向こう側からは、それ以上なんの言葉も発せられなかった。
私は、電話の先で私の出方を窺っているであろう彼女に向けて、「では、失礼します」と一言声をかけて電話を切った。
「なのちゃん、どうしたの?」
二階で仕事をしていた詩乃さんが、スタスタと階段から降りてくる。私のちょっと長い電話を気にかけてくれたようだ。
「いえ、実は昨日のお客さまから、お電話があって……」
昨日の出来事は、詩乃さんには伝えてあった。娘さんを亡くした夫婦が訪ねてきたこと。 奥さんや旦那さんのそれぞれの気持ち。私は、旦那さんに小説を渡すことしかできなかったこと。
昨日京都和み堂で起こったこと全て、詩乃さんも把握してくれた上で、私を見守ってくれていた。
「ああ、例のお客さんね。それなら、大丈夫と思うよ」
相変わらず落ち着き払った声色で、詩乃さんは私にそう言った。
「本当に、大丈夫でしょうか?」
「うん。だって今までもそうだったじゃん」
「そう……ですね」
不思議たった。詩乃さんに「大丈夫」と言われたら、本当に上手くいくし、なんでもないことのような気がしたから。「なんでもない気がする」ってとても大事なことだと思う。それだけで安心できる。だから、いつも無条件で「大丈夫」と思わせてくれる詩乃さんに感謝した。
ルルルルル、ルルルルル
普段夜の時間帯にはあまり鳴らない電話が、その日は音を立てた。
電話を取る前、なんとなく、「あ、この電話はお客様からのお問い合わせ電話だな」とか、「これは店長宛の電話だな」というような予感がするのだけれど、今日の電話はやけに胸騒ぎがした。
「お電話ありがとうございます。京都和み堂書店の———」
『あなたですか』
「え?」
電話を取るなり聞こえてきたのは女の人の鋭い声だった。
『夫にくだらない小説なんか渡したのは、あなたなの?』
「え、あ、昨日の……」
電話の相手が、昨日大きな声を上げながら店にやって来た女性——早苗さんだということはすぐに分かった。
それにしても、どうしたんだろう。
とても、嫌な予感がする。電話の向こうにいる彼女の棘のある口調や、張り詰めた空気感。そして、「くだらない小説」という毒を含む言葉。
その全てが私に警告している。
『余計なこと、しないでくれる?』
「それは……大変、申し訳ございません。でも」
『でも何?』
私はなんとかして、彼女の気をなだめたかった。しかし、昨日の夫婦の様子を見ている限り、そんなことは到底無理だとも思う。だって、早苗さんのことを一番分かっているはずの旦那さんだって、あれほど苦戦していたのだから。
だから私は、彼女の気を宥めるのではなく、自分なりに伝えたいことを伝えようとした。
「その小説は……全然くだらなくなんか、ありません」
『は?』
まさか、仮にも店員とお客様であるはずの立場の私が、抵抗すると思っていなかったのだろう。早苗さんは、「ありえない」という口調で私に聞き返す。
けれど、私は諦めたくない。
「その本を、『星やどりの声』を、忘れられない人がいる全ての人に、読んでほしいんです」
読んだらきっと分かる。その小説が、どれほど心にビタミンを運んでくれるか。
しばらくの間、電話の向こうでピタリと彼女の声が止んだ。
だから私は、彼女を説得できたのかと、一瞬だけ思った。思ってしまった。しかし、次に彼女の口から飛んできた言葉が、私の胸にグサリと刃を突き立てた。
『あなたに何が分かるのよっ』
それは、激しい怒りの感情だった。怒りがむき出しになれば、たとえ顔が見えなくたって、こんなにも直接的に感じられるなんて思ってもみなかった。
『あなたに……、健康に生きてきて、今までなんの苦労もしてないような涼しい顔をしてるあなたに、娘を失った私の気持ちなんて、一ミリも理解できないわよっ』
今もし彼女が私の目の前にいたら、そのまま噛み付いてきそうな勢いでそう言った。
理解、か。
そうだな。理解なんて、私にはできない。
できるわけがない。
だって、早苗さんと全く同じ人間じゃないもの。
旦那さんだって、彼女の気持ちを100%理解することはできないのに、赤の他人の私には、到底分かってあげられない。
でも、それでも私は。
読んでほしい。
その本を読んで、ひどく心を動かされた一人の読者として。
だから、あなたにどれだけ嫌われたって、私は読んでほしい。
「私は、あなたが『星やどりの声』を読んでくださると、信じてます」
それだけだった。もうそれだけしか言えない。これ以上どんな言葉を繋げたって、一つも届きっこない。言葉は時に誰かを励ますけれど、いっぱいの言葉はかえって邪魔になってしまうこともあるから。
『……』
諦めたのか、はたまた私は話が通じない人間だと思われたのか。
そのどちらかは分からないけれど、電話の向こう側からは、それ以上なんの言葉も発せられなかった。
私は、電話の先で私の出方を窺っているであろう彼女に向けて、「では、失礼します」と一言声をかけて電話を切った。
「なのちゃん、どうしたの?」
二階で仕事をしていた詩乃さんが、スタスタと階段から降りてくる。私のちょっと長い電話を気にかけてくれたようだ。
「いえ、実は昨日のお客さまから、お電話があって……」
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