京都和み堂書店でお悩み承ります

葉方萌生

文字の大きさ
上 下
38 / 57
第五話 忘れられない人がいるあなたへ

不穏な電話

しおりを挟む
 翌日、私は再び京都和み堂でのアルバイトに入っていた。時間帯は夜。夜の時間はゆったりとしていて、客足もまばらだったため、本の整理をしたり注文をしたりしていたのだが。
 ルルルルル、ルルルルル
 普段夜の時間帯にはあまり鳴らない電話が、その日は音を立てた。
 電話を取る前、なんとなく、「あ、この電話はお客様からのお問い合わせ電話だな」とか、「これは店長宛の電話だな」というような予感がするのだけれど、今日の電話はやけに胸騒ぎがした。

「お電話ありがとうございます。京都和み堂書店の———」

『あなたですか』

「え?」

 電話を取るなり聞こえてきたのは女の人の鋭い声だった。

『夫にくだらない小説なんか渡したのは、あなたなの?』

「え、あ、昨日の……」

 電話の相手が、昨日大きな声を上げながら店にやって来た女性——早苗さんだということはすぐに分かった。
 それにしても、どうしたんだろう。
 とても、嫌な予感がする。電話の向こうにいる彼女の棘のある口調や、張り詰めた空気感。そして、「くだらない小説」という毒を含む言葉。
 その全てが私に警告している。

『余計なこと、しないでくれる?』

「それは……大変、申し訳ございません。でも」

『でも何?』

 私はなんとかして、彼女の気をなだめたかった。しかし、昨日の夫婦の様子を見ている限り、そんなことは到底無理だとも思う。だって、早苗さんのことを一番分かっているはずの旦那さんだって、あれほど苦戦していたのだから。

 だから私は、彼女の気を宥めるのではなく、自分なりに伝えたいことを伝えようとした。

「その小説は……全然くだらなくなんか、ありません」

『は?』

 まさか、仮にも店員とお客様であるはずの立場の私が、抵抗すると思っていなかったのだろう。早苗さんは、「ありえない」という口調で私に聞き返す。
 けれど、私は諦めたくない。

「その本を、『星やどりの声』を、忘れられない人がいる全ての人に、読んでほしいんです」

 読んだらきっと分かる。その小説が、どれほど心にビタミンを運んでくれるか。
 しばらくの間、電話の向こうでピタリと彼女の声が止んだ。
 だから私は、彼女を説得できたのかと、一瞬だけ思った。思ってしまった。しかし、次に彼女の口から飛んできた言葉が、私の胸にグサリと刃を突き立てた。

『あなたに何が分かるのよっ』

 それは、激しい怒りの感情だった。怒りがむき出しになれば、たとえ顔が見えなくたって、こんなにも直接的に感じられるなんて思ってもみなかった。

『あなたに……、健康に生きてきて、今までなんの苦労もしてないような涼しい顔をしてるあなたに、娘を失った私の気持ちなんて、一ミリも理解できないわよっ』

 今もし彼女が私の目の前にいたら、そのまま噛み付いてきそうな勢いでそう言った。
 理解、か。
 そうだな。理解なんて、私にはできない。
 できるわけがない。
 だって、早苗さんと全く同じ人間じゃないもの。
 旦那さんだって、彼女の気持ちを100%理解することはできないのに、赤の他人の私には、到底分かってあげられない。
 でも、それでも私は。
 読んでほしい。
 その本を読んで、ひどく心を動かされた一人の読者として。
 だから、あなたにどれだけ嫌われたって、私は読んでほしい。

「私は、あなたが『星やどりの声』を読んでくださると、信じてます」 

 それだけだった。もうそれだけしか言えない。これ以上どんな言葉を繋げたって、一つも届きっこない。言葉は時に誰かを励ますけれど、いっぱいの言葉はかえって邪魔になってしまうこともあるから。

『……』

 諦めたのか、はたまた私は話が通じない人間だと思われたのか。
 そのどちらかは分からないけれど、電話の向こう側からは、それ以上なんの言葉も発せられなかった。
 私は、電話の先で私の出方を窺っているであろう彼女に向けて、「では、失礼します」と一言声をかけて電話を切った。

「なのちゃん、どうしたの?」

 二階で仕事をしていた詩乃さんが、スタスタと階段から降りてくる。私のちょっと長い電話を気にかけてくれたようだ。

「いえ、実は昨日のお客さまから、お電話があって……」

 昨日の出来事は、詩乃さんには伝えてあった。娘さんを亡くした夫婦が訪ねてきたこと。  奥さんや旦那さんのそれぞれの気持ち。私は、旦那さんに小説を渡すことしかできなかったこと。
 昨日京都和み堂で起こったこと全て、詩乃さんも把握してくれた上で、私を見守ってくれていた。

「ああ、例のお客さんね。それなら、大丈夫と思うよ」

 相変わらず落ち着き払った声色で、詩乃さんは私にそう言った。

「本当に、大丈夫でしょうか?」

「うん。だって今までもそうだったじゃん」

「そう……ですね」

 不思議たった。詩乃さんに「大丈夫」と言われたら、本当に上手くいくし、なんでもないことのような気がしたから。「なんでもない気がする」ってとても大事なことだと思う。それだけで安心できる。だから、いつも無条件で「大丈夫」と思わせてくれる詩乃さんに感謝した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】召しませ神様おむすび処〜メニューは一択。思い出の味のみ〜

四片霞彩
キャラ文芸
【第6回ほっこり・じんわり大賞にて奨励賞を受賞いたしました🌸】 応援いただいた皆様、お読みいただいた皆様、本当にありがとうございました! ❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁.。. 疲れた時は神様のおにぎり処に足を運んで。店主の豊穣の神が握るおにぎりが貴方を癒してくれる。 ここは人もあやかしも神も訪れるおむすび処。メニューは一択。店主にとっての思い出の味のみ――。 大学進学を機に田舎から都会に上京した伊勢山莉亜は、都会に馴染めず、居場所のなさを感じていた。 とある夕方、花見で立ち寄った公園で人のいない場所を探していると、キジ白の猫である神使のハルに導かれて、名前を忘れた豊穣の神・蓬が営むおむすび処に辿り着く。 自分が使役する神使のハルが迷惑を掛けたお詫びとして、おむすび処の唯一のメニューである塩おにぎりをご馳走してくれる蓬。おにぎりを食べた莉亜は心を解きほぐされ、今まで溜めこんでいた感情を吐露して泣き出してしまうのだった。 店に通うようになった莉亜は、蓬が料理人として致命的なある物を失っていることを知ってしまう。そして、それを失っている蓬は近い内に消滅してしまうとも。 それでも蓬は自身が消える時までおにぎりを握り続け、店を開けるという。 そこにはおむすび処の唯一のメニューである塩おにぎりと、かつて蓬を信仰していた人間・セイとの間にあった優しい思い出と大切な借り物、そして蓬が犯した取り返しのつかない罪が深く関わっていたのだった。 「これも俺の運命だ。アイツが現れるまで、ここでアイツから借りたものを守り続けること。それが俺に出来る、唯一の贖罪だ」 蓬を助けるには、豊穣の神としての蓬の名前とセイとの思い出の味という塩おにぎりが必要だという。 莉亜は蓬とセイのために、蓬の名前とセイとの思い出の味を見つけると決意するがーー。 蓬がセイに犯した罪とは、そして蓬は名前と思い出の味を思い出せるのかーー。 ❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁.。. ※ノベマに掲載していた短編作品を加筆、修正した長編作品になります。 ※ほっこり・じんわり大賞の応募について、運営様より許可をいただいております。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

裏吉原あやかし語り

石田空
キャラ文芸
「堀の向こうには裏吉原があり、そこでは苦界の苦しみはないよ」 吉原に売られ、顔の火傷が原因で年季が明けるまで下働きとしてこき使われている音羽は、火事の日、遊女たちの噂になっている裏吉原に行けると信じて、堀に飛び込んだ。 そこで待っていたのは、人間のいない裏吉原。ここを出るためにはどのみち徳を積まないと出られないというあやかしだけの街だった。 「極楽浄土にそんな簡単に行けたら苦労はしないさね。あたしたちができるのは、ひとの苦しみを分かつことだけさ」 自称魔女の柊野に拾われた音羽は、裏吉原のひとびとの悩みを分かつ手伝いをはじめることになる。 *カクヨム、エブリスタ、pixivにも掲載しております。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

不埒な社長と熱い一夜を過ごしたら、溺愛沼に堕とされました

加地アヤメ
恋愛
カフェの新規開発を担当する三十歳の真白。仕事は充実しているし、今更恋愛をするのもいろいろと面倒くさい。気付けばすっかり、おひとり様生活を満喫していた。そんなある日、仕事相手のイケメン社長・八子と脳が溶けるような濃密な一夜を経験してしまう。色恋に長けていそうな極上のモテ男とのあり得ない事態に、きっとワンナイトの遊びだろうとサクッと脳内消去するはずが……真摯な告白と容赦ないアプローチで大人の恋に強制参加!? 「俺が本気だってこと、まだ分からない?」不埒で一途なイケメン社長と、恋愛脳退化中の残念OLの蕩けるまじラブ!

いたずら妖狐の目付け役 ~京都もふもふあやかし譚

ススキ荻経
キャラ文芸
【京都×動物妖怪のお仕事小説!】 「目付け役」――。それは、平時から妖怪が悪さをしないように見張る役目を任された者たちのことである。 しかし、妖狐を専門とする目付け役「狐番」の京都担当は、なんとサボりの常習犯だった!? 京の平和を全力で守ろうとする新米陰陽師の賀茂紬は、ひねくれものの狐番の手を(半ば強引に)借り、今日も動物妖怪たちが引き起こすトラブルを解決するために奔走する! これは京都に潜むもふもふなあやかしたちの物語。 第8回キャラ文芸大賞で奨励賞をいただきました! エブリスタにも掲載しています。

一目ぼれした小3美少女が、ゲテモノ好き変態思考者だと、僕はまだ知らない

草笛あたる(乱暴)
恋愛
《視点・山柿》 大学入試を目前にしていた山柿が、一目惚れしたのは黒髪ロングの美少女、岩田愛里。 その子はよりにもよって親友岩田の妹で、しかも小学3年生!! 《視点・愛里》 兄さんの親友だと思っていた人は、恐ろしい顔をしていた。 だけどその怖顔が、なんだろう素敵! そして偶然が重なってしまい禁断の合体! あーれーっ、それだめ、いやいや、でもくせになりそうっ!   身体が恋したってことなのかしら……っ?  男女双方の視点から読むラブコメ。 タイトル変更しました!! 前タイトル《 恐怖顔男が惚れたのは、変態思考美少女でした 》

処理中です...