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第二話 失恋に負けたくないあなたへ
わたしが入り込む隙間
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***
付き合っていた一歳年上の彼、今井ヒロキと連絡が取れなくなったのは一週間前のことだ。わたしのメッセージは彼に届いていたはずなのだが、彼はそれをぜんぶ無視していたのだ。その証拠に、彼に送ったLINEの画面に、一週間前から「既読」マークがつかなくなっていた。
「ヒロくん、どうしたの? やっぱり忙しいかな……。落ち着いたらお返事ください」
返信が来なくなってから、わたしの精神は荒れていた。ただでさえ自分の方が気持ちが大きいと思っていて不安だったのだ。彼はいつわたしを捨ててもおかしくない。
今井ヒロキと出会ったのは、わたしの家の近くにある大きな橋の上だった。今思えば、とてもへんてこな出会い。わたしが塾講師のアルバイトを終えて夜遅くに家に帰っている最中に、声をかけられたのがきっかけだった。
「あの、俺、君と話したくて」
追いかけてきました、と言われたときはびっくりしてストーカーかと本気で身構えた。
「はあ」
ストーカーの話なんて聞きたくないと思ったが、いかんせんバイト帰りで疲れていたわたしはダッシュで逃げる気力なんて全然なかった。それに、彼が明らかに自分と同じぐらいの歳の大学生とわかる格好をしていて、よく見たら整った端正な顔立ちに低くて素敵な声をしていたから、咄嗟に立ち止まってしまった。
つまるところそう、わたしはたぶん一目惚れしていたのだ。
「少しだけなら……」
無意識のうちにそう返事をしたあとに彼を見ると、心底嬉しそうに笑っていて、わたしはもうそれだけで嬉しかった。今日夜遅くのこの時間に橋を渡ってよかったと思う。
今井ヒロキと自己紹介をして少しだけ話した後、連絡先を聞かれた。彼は同じ大学の工学部で、歳はわたしより一個上だった。東京出身で、一人暮らし。まさにわたしが憧れる男子大学生そのものだったのだ。
そこからの展開は自分でもびっくりするぐらいスムーズで逆に罠ではないかと思うほどだった。
彼の誘いで何度か遊びに行き、
「俺、咲良が好きだ」
というストレートな告白を受けて付き合うことになった。
全てが順調。何も心配することがないくらいに、これからの彼との毎日に心躍らせていた——はずだった。
「釣った魚に餌をやらない」という言葉を、何かの雑誌で見たことがある。
付き合うまでは意中の女性を落とすために誠意を尽くすが、一度捕まえてしまうと途端に彼女の相手をしてくれなくなる男性のことを揶揄した言い方らしい。
今井ヒロキは、まさにその”釣った魚に餌をやらない男”だった。
橋の上で声をかけられてから連絡先を交換し、デートの予定を立てて告白してくるまでは、それはそれはマメで、特に用もないのにLINEが来たり、わたしに対して、可愛いとかきれいだとか、言われた方が恥ずかしくなるような台詞を臆せず口に出したりしていた。そう言われるとわたし自身気分が良くなって、お世辞と分かっていても嬉しかった。
しかし、付き合ってから一ヶ月もすると、彼からの連絡はめっきり少なくなってしまった。連絡だけじゃない。デートもあまり外を出歩きたがらず、家でゴロゴロと映画を見たり漫画を読んだり。もちろんそれも楽しくないわけではなかったが、交際前には一生懸命わたしが行って喜びそうな場所をリサーチして連れて行ってくれたぶん、期待はずれな残念な気分になった。
「咲良、ティッシュとって」
「来週は空いてないなー」
「連絡するの週一でいい?」
こんなふうに杜撰な扱いをされることもあれば、
「ねえ、今から空いてない?」
と突然呼び出されたりもした。
放置されている間は「なによ、そっちがそうならこっちもこうよ!」と自分も連絡を断ち、頑張って怒りを発信しているのだが、一度誘いの連絡が来れば、いそいそと彼の元へ駆けていってしまう。もうこれは完全に都合の良い女だ。いつかプイッと捨てられるに決まってる。
だんだんと遠くなってゆく彼の気持ちが痛いくらいズシリと胸にのしかかってきて。わたしが好きになるほどに、彼はわたしを空気にしてゆく。
そして、予想通りフラれたのだ。
フラれるなら早くフラれたい。捨てられるかもしれないという生き地獄みたいな時間から早く解放されたい。
そう思っていたのに、不安が現実になった瞬間、想像以上の痛みが襲ってきた。
それが、昨日の夜の話。
暗い気持ちで眠り、目覚めた朝はやっぱり憂鬱で。
大学に行く元気もないのに、家に引きこもっていたら辛すぎて吐きそうだった。
だから、ふらふらと家から出て、目的もなく歩いた。
人がいっぱいいるところに行こう。その方が、気分が紛れるかもしれないから。
そう思って、京都で一番の観光地、祇園四条にやってきたのだが、人の多さに逆に気持ちが萎えてしまい、今度は人通りの少ない路地に入った。
そうして見つけたのだ。
まるで、田舎のおばあちゃんちみたいな温かい空気を醸し出すお店を。
看板には『京都和み堂書店』と書かれている。ぱっと見普通の本屋かと思った。けれど近づいてよく見ると「ブックカフェ」と記載されていて、心惹かれた。外人さんが頻りに出入りしていて、わたしは人が少なくなるまで店の入り口の横に突っ立っていた。心が不安定だったため、こんなところで立ち止まっている自分は何なんだろうとか、道ゆく人にどう思われているのだろうとか考える余裕はなかった。恥じらいもへったくれもない。ただただ、待っていた。わたしが入り込むだけの隙間ができるのを——。
付き合っていた一歳年上の彼、今井ヒロキと連絡が取れなくなったのは一週間前のことだ。わたしのメッセージは彼に届いていたはずなのだが、彼はそれをぜんぶ無視していたのだ。その証拠に、彼に送ったLINEの画面に、一週間前から「既読」マークがつかなくなっていた。
「ヒロくん、どうしたの? やっぱり忙しいかな……。落ち着いたらお返事ください」
返信が来なくなってから、わたしの精神は荒れていた。ただでさえ自分の方が気持ちが大きいと思っていて不安だったのだ。彼はいつわたしを捨ててもおかしくない。
今井ヒロキと出会ったのは、わたしの家の近くにある大きな橋の上だった。今思えば、とてもへんてこな出会い。わたしが塾講師のアルバイトを終えて夜遅くに家に帰っている最中に、声をかけられたのがきっかけだった。
「あの、俺、君と話したくて」
追いかけてきました、と言われたときはびっくりしてストーカーかと本気で身構えた。
「はあ」
ストーカーの話なんて聞きたくないと思ったが、いかんせんバイト帰りで疲れていたわたしはダッシュで逃げる気力なんて全然なかった。それに、彼が明らかに自分と同じぐらいの歳の大学生とわかる格好をしていて、よく見たら整った端正な顔立ちに低くて素敵な声をしていたから、咄嗟に立ち止まってしまった。
つまるところそう、わたしはたぶん一目惚れしていたのだ。
「少しだけなら……」
無意識のうちにそう返事をしたあとに彼を見ると、心底嬉しそうに笑っていて、わたしはもうそれだけで嬉しかった。今日夜遅くのこの時間に橋を渡ってよかったと思う。
今井ヒロキと自己紹介をして少しだけ話した後、連絡先を聞かれた。彼は同じ大学の工学部で、歳はわたしより一個上だった。東京出身で、一人暮らし。まさにわたしが憧れる男子大学生そのものだったのだ。
そこからの展開は自分でもびっくりするぐらいスムーズで逆に罠ではないかと思うほどだった。
彼の誘いで何度か遊びに行き、
「俺、咲良が好きだ」
というストレートな告白を受けて付き合うことになった。
全てが順調。何も心配することがないくらいに、これからの彼との毎日に心躍らせていた——はずだった。
「釣った魚に餌をやらない」という言葉を、何かの雑誌で見たことがある。
付き合うまでは意中の女性を落とすために誠意を尽くすが、一度捕まえてしまうと途端に彼女の相手をしてくれなくなる男性のことを揶揄した言い方らしい。
今井ヒロキは、まさにその”釣った魚に餌をやらない男”だった。
橋の上で声をかけられてから連絡先を交換し、デートの予定を立てて告白してくるまでは、それはそれはマメで、特に用もないのにLINEが来たり、わたしに対して、可愛いとかきれいだとか、言われた方が恥ずかしくなるような台詞を臆せず口に出したりしていた。そう言われるとわたし自身気分が良くなって、お世辞と分かっていても嬉しかった。
しかし、付き合ってから一ヶ月もすると、彼からの連絡はめっきり少なくなってしまった。連絡だけじゃない。デートもあまり外を出歩きたがらず、家でゴロゴロと映画を見たり漫画を読んだり。もちろんそれも楽しくないわけではなかったが、交際前には一生懸命わたしが行って喜びそうな場所をリサーチして連れて行ってくれたぶん、期待はずれな残念な気分になった。
「咲良、ティッシュとって」
「来週は空いてないなー」
「連絡するの週一でいい?」
こんなふうに杜撰な扱いをされることもあれば、
「ねえ、今から空いてない?」
と突然呼び出されたりもした。
放置されている間は「なによ、そっちがそうならこっちもこうよ!」と自分も連絡を断ち、頑張って怒りを発信しているのだが、一度誘いの連絡が来れば、いそいそと彼の元へ駆けていってしまう。もうこれは完全に都合の良い女だ。いつかプイッと捨てられるに決まってる。
だんだんと遠くなってゆく彼の気持ちが痛いくらいズシリと胸にのしかかってきて。わたしが好きになるほどに、彼はわたしを空気にしてゆく。
そして、予想通りフラれたのだ。
フラれるなら早くフラれたい。捨てられるかもしれないという生き地獄みたいな時間から早く解放されたい。
そう思っていたのに、不安が現実になった瞬間、想像以上の痛みが襲ってきた。
それが、昨日の夜の話。
暗い気持ちで眠り、目覚めた朝はやっぱり憂鬱で。
大学に行く元気もないのに、家に引きこもっていたら辛すぎて吐きそうだった。
だから、ふらふらと家から出て、目的もなく歩いた。
人がいっぱいいるところに行こう。その方が、気分が紛れるかもしれないから。
そう思って、京都で一番の観光地、祇園四条にやってきたのだが、人の多さに逆に気持ちが萎えてしまい、今度は人通りの少ない路地に入った。
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看板には『京都和み堂書店』と書かれている。ぱっと見普通の本屋かと思った。けれど近づいてよく見ると「ブックカフェ」と記載されていて、心惹かれた。外人さんが頻りに出入りしていて、わたしは人が少なくなるまで店の入り口の横に突っ立っていた。心が不安定だったため、こんなところで立ち止まっている自分は何なんだろうとか、道ゆく人にどう思われているのだろうとか考える余裕はなかった。恥じらいもへったくれもない。ただただ、待っていた。わたしが入り込むだけの隙間ができるのを——。
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