あの夏の海には帰れない

葉方萌生

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第五話 夏の寂しさ

理沙の告白

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 僕たちは海際の方まで歩いて、波が当たるか当たらないかの位置で座り込む。理沙の太腿に砂がついているのが目に飛び込んできて、咄嗟に視線を逸らした。

「この間の花火大会、ありがとうね」

 理沙が左手で砂をすくって、さらさらとまた落としながらそう言った。思い出を噛み締めるような口ぶりで、彼女が花火大会の日の記憶を大切にしているのだとすぐに分かった。

「いや、あれは偶然だったし。むしろ僕は、僕なんかと二人きりでごめんって思ってたから」

「なんでそんなこと言うの。二人になったのは、偶然なんかじゃなかったわ」

「え?」

 理沙の切れ長の瞳が、ゆっくりとこちらへと向けられる。僕はその目に吸い込まれそうになる。なんだろう。夏海の澄んだまなざしとも違う。いろんな人生経験を積んで、何かを思案しているような目だ。
 人生経験。
 そうだ。理沙は僕と同じ種類の人間なんだ。
 だとすれば、理沙も現世で自殺をしたということになる。
 普段は姉御肌で、成績もスタイルも良くて、男を誘う妖艶さも兼ね備えている彼女が、一体なぜ自殺なんか——。

「偶然じゃない。私がそうなるようにしたの。……迷惑だった?」

「……いや、迷惑なんかじゃないよ」

 僕も右手で砂浜の砂を握り潰す。胸が、この砂のようにざらついた何かで撫でられているような心地がした。

「それなら良かった。私さ、昔ろくでもない男と結婚してたんだよねえ」

 突然彼女の口から紡ぎ出された『結婚』というワードに、僕は握り潰していた砂をすべて掌から落っことした。彼女の言う「昔」というのが、現実世界のことだと悟る。

「結婚……してたの?」

「ええ。私たち、“同類”でしょう。だから、話しても大丈夫かなと思って」

 そうだ。案内人によると、同じ種類の人間には自分の正体を打ち明けても罰は受けないと言っていた。理沙は僕が同じ種類の人間だと最初から意識していたのだ。

「それはそうだけど。誰かとこういう話をするの、初めてだからさ」

「そっか。でも私も初めてよ。こんなこと、龍介や夏海には言えないもん」

「そう、だな」

 龍介と夏海は別の種類の人間。だから二人には生前の話などできるわけがない。
 でも、目の前にいる理沙は、僕に自分のことを打ち明ける資格がある。反対に、僕も理沙に何を話したって、問題ないと保証されている。

「なに、私が結婚してたこと、そんなにびっくりした?」

「そりゃそうさ。だって僕たちは高校生なんだし」

「まあ、そうね。てか春樹も高校生だったんだ。現実からやってくる人って、みんな本当に高校生なのかなって疑問だったから安心した」

 理沙がほっと胸を撫で下ろす。僕も同意見だった。

「結婚っていうのは……高校生でしたってことだよね?」

「うん、そうだよ。バカだよねえ。今思えば、どうしてあの時結婚しちゃったんだって、思うよ」

 理沙の口ぶりからすると、現実世界で結婚をしたことが、彼女の自殺につながってしまったのではないかとすぐに分かった。

「いや、馬鹿だなんて思わないよ。人間誰しも、その時はこうするのがいちばん正解だって思うことがある。僕にも似たような経験が、あるから」

 僕は本心を口にしていた。ディーナスという世界において、誰にも自分の素性を明かせずに圧倒的な孤独感に苛まれていた僕にとって、理沙が現実世界で、同じような過ちを犯してしまったと知って、ほっとしたのだ。

「そっか、ありがとう。私ね、嬉しかったんだ。春樹が自分と同じ種類の人間だって分かって。春樹になら、私の抱えていたものをすべて話すことができるんだって思うと、心が軽くなった。もちろん、全部話すかどうかは分からないけどさ、そういう存在がいるだけで、心強いなと思って」

 理沙の言葉に、僕も深く頷く。
 この世界にやって来て、僕は誰にも自分のことを知ってもらえないのだと思っていた。現実世界と同じように、誰かと心を通わせることなんて、無理なのだと。どうして死んだ後に、わざわざ青春のやり直しのようなことをさせられているのか疑問だった。でも、今なら少し分かる気がする。
 僕たちはこの世界で、本当に心を通わせられる人間関係を築くためにここに来たのではないだろうか。現実では自殺をしてしまったという人間が、最後に許された、まっとうな人としての青春時代を送れるようにするチャンス。案内人が——神様がくれたのは、きっとそういうことだ。

「いつかさ、春樹のことも教えてよ。私だったらきっと、笑わずに最後まで聞いてあげられるから」

 いつもの姉御肌に戻った理沙が、まっすぐに僕を見つめてそう言った。

「ああ、分かった」

 理沙に自分のことを開示するかどうか。今ははっきりとは分からない。でもこの世界に来た以上、理沙になら打ち明けてもいいかもしれない。過去の傷跡も、二人でなら笑い飛ばせる気がした。
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