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50.少しだけ、安心したんだ

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「母さんの、ことだけど」

 その日の夜、うとうとする私の髪を丁寧に乾かしながら、ノアがぽつりぽつりと話し出した。

「まだ僕も兄さんも小さかった頃、父さんが大きな病気をしたことがあって……領地の経営も、他の貴族との折衝も。全部母が一人でやっていたんだ」

 それを聞いて、ノアのお母さんと対面した時の「圧」に納得した。

 アイシャの家もそうだけれど、貴族というのは爵位を持った人間……男が表に立つことを前提とした仕組みになっている。
 そこに女性が出ていかなくてはならなかったとき……それは、強くならざるを得ないだろう。

 そうしないと、子どもたちや家を守れないのだから。
 お日様を見られなくする、という言葉に妙な説得力があったのにも頷ける話だ。

 ……どうしよう。私が息子を誑かした女ーー私にはそのつもりはないけれど、ノアの母から見たらそう思われていてもおかしくないーーだとバレたら、私もお日様を見られなくなってしまうかもしれない。
 これはますますバレるわけにはいかなくなってしまった。

「幸い父は良くなったけど、その時ずいぶん苦労したみたいで。だから、こう……ちょっと、たくましいというか」

 ノアが言葉を濁した。
 たくましい、という表現は結構しっくりくる気がする。こんな言葉で片付けたら怒られるかもしれないが……母は強し、というやつが近いと思った。

「僕が禁術を使ったって知って……そりゃあ、家族は怒ったけど。それでも――誰も、僕の気持ちは否定しなかった」

 ゆっくりと語る彼の声は、私に向かって言っているような……それでいて、自分に向かって言っているような。
 頭の中を整理するために、口から言葉を出力しているような。
 そんな調子を含んでいた。

「たぶん……もしあの時、父さんが死んでいたら――母さんも兄さんも、生き返らせたいって思ったからなんじゃないかって、思うんだ」

 それは、そうだろう。
 親しい人が死んだら、誰だって悲しい。

 小さな子どもが父親を亡くす気持ち。
 幼い子どもを抱えた母親が夫を亡くす気持ち。
 私には分からない。
 けれどそれが一度眼前に迫ったことのある人間なら、きっと……私よりもよく、理解できるだろう。

 親しい人を亡くして、生き返らせたいと願った、ノアの気持ちが。

「もし生き返らせる術を知っていたら、それを試さなかったか――たぶん、言い切れなかったんだ。だから、行為は咎められたけど、気持ちは否定されなかった」

 するすると、彼の指が髪を梳る。
 心地よくて、どんどん瞼が重くなる。彼の声がだんだんと、遠くで聞こえるような気がしてきた。

「先生は帰ってこなかったけど――それで僕の気持ちが癒えたわけでもないけど」

 ノアが言葉を切る。
 髪を乾かすための温風の音だけが、ごうごうと響いた。

「否定されなかったことには……少しだけ、安心したんだ」

 ノアと私は、似たもの同士だ。

 私は、魔法に。
 彼は、先生に。
 そればかりに夢中で、そればかりを考えて。
 それ以外のものを、すっかり見落としているのだ。

 たとえば、私が死んだら悲しむ人がいるとか。
 たとえば、彼が悲しい時に、寄り添ってくれる人がいるとか。
 そういうことに気づかないまま、大人になった。

 あいにく私は、そのままで死んでしまったけれど……彼はまだ間に合う。

 前世の私と違って聡い彼は、すでにもう気づき始めている。
 自分が「興味ない」と切り捨てたものの中に、大切なものがあったことに。
 彼を大切に思う家族や、彼が楽しいと感じていた魔法が、そこにあったことに。

「だから、……何ていうか。迷惑をかけたことは、悪いと思ってて。正直気まずくて、会いたくなかったんだけど」

 風の音が止む。
 とぷりと夢の世界へと沈む寸前、彼のあたたかな手のひらが、私の頭をそっと撫でた……ような、気がした。

「でも、今日は……会えてよかった、かな」
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