庶民派魔王と失踪少女

塚井理央

文字の大きさ
上 下
4 / 9

side-B 2 発見

しおりを挟む
「何これ、人形……?」
 リノリウムの廊下の片隅に落ちているものを見て、私はぽつりと呟いた。最初、私はそれを風によって一箇所に吹き寄せられたゴミだと思った。じっと見つめてみると、どうやら豚を模した人形であることが分かった。
 豚だと断定したのは、ピンク色の鼻とカールしているしっぽがあったからだ。郵便はがきほどの大きさのその人形は、羊毛フェルトで作られていた。身体は薄黒く汚れていて、ドブのような臭いがした。ナイフのようなもので削って先を尖らせた木の枝が、胴体のフェルトから四本生えていて、どうやら足を表現しているらしかった。口には歯がびっしりと描かれており、ゴマのような目はぬらぬらと濡れていた。これが日香里の失踪と関係があるものなのかどうか、私は瞬時に判断ができなかった。
 終業式が終わってから、あっという間に数日が経った。学校が夏休みの間も、警察の捜索は続けられていて、昼のニュース番組で日香里の失踪が報じられた。ニュースキャスターが日香里の名前を告げて、テレビ画面に学び舎が映ったものの、磨りガラス越しに見る風景のようにあまり現実感がなかった。
 私は日香里の行きそうなあらゆる場所に行き、彼女の痕跡を探した。何もしないでただ待っていると、心が色彩を失っていき、自分という存在がどんどん透明になっていくような気がした。
 高校はもちろん、最寄り駅、CDショップ、ハンバーガーショップ、塾、カラオケボックス、アパレルショップ、靴屋、雑貨屋、ゲームセンター、映画館など、思いついた場所は虱潰しに回った。しかし、日香里の痕跡はおろか、髪の毛一本さえ見つけることはできなかった。

 肩を落としながら、私は夏休みにもかかわらず、図書委員の仕事を全うするために学校に来ていた。自室で燻っているよりは、学校に出向いたほうが気が紛れると思ったのだ。
 学校の鉄扉の前の道路に、マスコミの車らしき軽自動車が止まっていた。それを横目に下駄箱に向かい、上履きに履き替えて、一階の廊下を歩いていた。そして先ほどの奇妙な人形を見つけたのだった。
 膝を折ってしゃがみ、目を凝らして人形を見た。昼間の穏やかな空気の中で、その人形は異質な存在感を放っていた。誰がこんなものを置いたのだろう。ただのイタズラなのか、何らかのメッセージなのか……。難解な方程式を解いているように、思考がまとまらなかった。
「どうしました、こんなところで」
 背中とシャツの隙間にムカデが落ちてきたような驚き。慌てて立ち上がると、後藤先生が目を丸くしていた。ほっそりとした頬をしていて、夏場にもかかわらず汗をかいていなかった。
「びっくりした、後藤先生だったんですか……」
「驚いたのはこっちですよ」目尻を下げてかすかに笑いながら、先生が言った。「五十嵐さん、それは触らないで良いですよ」
 落ち着いた声色でそう言うと、先生はポケットからティッシュを一枚取り出して人形をつまみ上げた。伸ばした腕に、引っ掻いたような傷跡があった。
「先生、その傷は……」
「ああ、これですか」そう言って、先生は指先で軽く傷跡を擦った。「通勤途中に野良猫と遭遇しましてね。その子の頭を撫でようとしたら、引っかかれてしまいました」
「生物の先生でも、そんなことがあるんですね」
「弘法にも筆の誤りと言いますから」
 屈託のない笑みを浮かべて、私もくすりと笑った。そして手元の人形を見ながら「それにしても困りました」と先生が呟いた。
「その人形のことですか?」
「こういうのが今朝から、学校のあちこちで見つかっているんですよ」
「誰かのイタズラですかね」
「そうだと思います。もう少し可愛げのある人形ならまだしも、これは少々不気味ですね」
「ちょっと怖いですね。ここ最近、色々とありましたから」色々と、の部分を強調して発音した。
「……そうですね」先生は眼鏡のブリッジをくいと上げた。廊下は人気が無く、互いの声が響いて、天井の隅にいつまでも残っているようだった。
「先生、日香里はまだ見つからないんですか?」
「まだ捜索中だと、昨日警察から連絡がありました」沈鬱な表情で先生が言った。
「この街は、そういう事件とは無縁だと思っていました」長身な先生の喉仏のあたりを見ながら言った。
「この学校に来て六年ですが、こういうケースは始めてですよ。二年前に、隣の区の中学校でちょっとした事件があったくらいでね。最近は、ずっと穏やかでしたから……」
「ちょっとした事件?」
 先生の目に焦燥の色が走り、慌てて取り繕った風の笑顔を見せた。
「いや、そんな大きな事件じゃないんです。不安にさせてしまったなら、すみません」
 先生は早口で話してから、摘んでいた人形をゴミ箱に投げ捨てた。そして「図書委員の仕事、頑張ってくださいね」と言うと、職員室に入っていった。
 ちょっとした事件とは何だろうかと考えながら、私は三階の図書室の方へ歩き出した。廊下の隅や掲示物の下に、先ほど見た人形と同様のものが置かれていた。私はそれをティッシュで摘み、ゴミ箱の中へ放った。人形の作りは甘く、投げ捨てるときに手がもげたり、首が取れたりした。
 三階の廊下の壁には、進路関係や薬物乱用防止のポスター、校内新聞などが張られていた。校内は静かで、廊下を歩いているときにすれ違ったのは、用務員のおじさんや数人の生徒だけだった。
 図書室に到着して、何故あの人形が学校中に置かれていたのか考えながら、私はカウンターに鞄を置いた。その時、小銭同士がぶつかるような音がして、足元に三日月のキーホルダーが転がった。
「そんな……」
 鞄を置くときに、キーホルダーがどこかに引っかかってしまったのかもしれない。拾い上げると、金具が千切れてしまっていた。私は制服のポケットにキーホルダーをしまい、深いため息をついた。
 気落ちしたまま、私は校舎側の窓を開けた。湿り気のある風が吹き込み、空には溶けた水銀のような太陽が燃えていた。運動部の熱を孕んだ声と、吹奏楽部の楽器の奏でる音色が聞こえた。
 
 夕方になって自宅に帰ると、私は制服のまま自室のパソコンを立ち上げた。図書室で雑務をしている間も、先生の言っていた「ちょっとした事件」の正体が気になっていた。
 新聞社のサイトにアクセスして、隣接した地区の高校の名前を、一つずつ検索エンジンに入力した。一昨年の記事に絞り込み、片っ端から見出しに目を走らせた。

《吹奏楽コンクール最終日、音色響かせる》……《高校生作文コンテスト、テーマは「私の家族」》………《三年ぶり初戦突破、高校野球選手権大会》……《米国の高校生と異文化交流》……《SNSで高まるリスク、青少年に安全なネット利用》……《学生のアイデアを商品化、コンビニと共同開発》……《オリンピック代表選手、母校で激励》……《百人一首大会、高校生が技を競う》……《高校生が啓発ポスター、安全なまちづくり》

 日常の延長線上にある、月並みな話題ばかりだった。事件と呼べるようなニュースはなかなか見つからず、いくら食い入るように題字に目を通しても、注目に値する記事は見つけられなかった。
 窓の外を見ると、夕日が名残惜しげに地平線にしがみついていた。もう少し経てば夜の気配が部屋を漂い始めてしまうだろう。パソコンの画面を睨んでいたせいか、眼の奥がつんと痛み、何度か目を瞬かせると、じんわりと涙が滲んできた。
 新聞の記事に載らないような小さな事件だったのだろうか。それとも、二年前というのは先生の勘違いで、時期を間違えているのだろうか。半ば諦めていたとき、『X県の中学校に切断された犬の死体』という見出しが目に飛び込んできた。

***

 二十四日午前八時ごろ、Y市Z区の公立中学校の屋上で犬が死んでいるのを、校内の見回りをしていた校長が見つけ、警察に通報した。
 同署によると、死体は首と胴体と足が切断されており、何者かが鋭利な刃物のようなものを使ったとみられる。また、死体の周辺に血だまりがないことから、何者かが別の場所で犬を殺し、学校に運んできた可能性が高いという。
 今年の夏以降、Z区を含む近接区内で動物の切断死体が多数見つかっており、同署は動物愛護法違反の疑いで調べるとともに、学校周辺の警戒を強めている。
 この犬は頻繁に校内へ出没していて、生徒から可愛がられていたという。

***

 夕刊の隅に載っていた小さな記事だった。だが、純白のドレスに付いた一点の黒染みのように、この事件は私の心に強く引っかかるものがあった。隣区の出来事だったが、私はこの事件のことを全く知らなかった。事の残虐性を鑑みた両親が、私からこの話題を遠ざけていたのかもしれない。
 事件の起こった中学校は、近くの国道を東に進み、踏切を跨いだ先にある長閑な学校だ。私の通っていた中学校からは一駅分ほど離れていて、この中学校出身の人は知り合いに誰もいなかった。どうしたものか悩んでいると、ふと啓ちゃんの「いつでも電話していいから」という言葉を思い出した。
 制服のポケットから携帯電話を取り出し、啓ちゃんに連絡を取った。呼び出し音が三回鳴り、電話が繋がった。
「もしもし、どうした?」
「ちょっと訊きたいことがあって。今、時間大丈夫?」
「いや、今忙しい。英語の宿題とにらめっこしていたところだから」
「それ、忙しいって言うの?」
 久しぶりに啓ちゃんの声を聞いたような気がして、私はほっとした。二言三言、他愛のない話をしてから、私は記事にあった中学校の名前を伝え、二年前に何か事件が無かったかどうか、遠回しに尋ねた。
「もしかして、犬の事件か?」
「知ってるの?」
「友達が話していたのを、耳にしたことがあるよ。夜になると、学校の廊下を犬の幽霊が彷徨うとか」
「まさか、オカルトでしょ……」
「まあ、俺も詳しくは知らないんだ」啓ちゃんの短い笑い声が聞こえた。「友達にその中学校出身の奴がいるから、詳しく訊いてみようか?」
「お願いしても良い?」
「良いよ。今はうちの高校の三組にいる、岸田って、知らないかな。背が高くて丸刈りの……」
 啓ちゃんと違って交流関係の狭い私には、いまいちピンと来なかった。「いたような、いなかったような……」
「いるって。じゃあ後で岸田にメールしてみるよ」
 電話の向こうで、啓ちゃんの名前を呼ぶ声がした。母親が声をかけているらしく、「すぐに行くよ」という啓ちゃんの大きな声が響いた。
「悪い、夕飯の時間だから来いって母親が呼んできた。詳しいことが分かったら、また電話するよ」
「うん、ありがとう。夏休みの英語の宿題、私の写して良いから」
「マジで? 恩に着るよ。それじゃあな」
 じゃあね、と言ってから私は電話を切った。啓ちゃんの優しさが温かい湯になり、私の心を満たしていくような気がした。
 私は啓ちゃんのことが好きなのだろうか、とふいに考えた。彼に対する漠然とした好意はあるが、この気持ちは国語辞典に載っているどんな言葉にも――例えば、友愛、景仰、愛情など――ぴったりと当てはまらないような気がした。小学生の頃から、私と啓ちゃんの関係は水平に保たれていた。そして、片方の分銅の重さが変わってしまえば、二人のバランスはたちまち崩れてしまうように思えた。
 部屋をノックする音がして、夕飯の時間だと母親がドアの前で告げた。私は上擦った声で返事をしてから、部屋着に着替え始めた。とにかく今は、啓ちゃんの電話を待つしか無かった。窓の外に目をやると、蝉の羽のような澄んだ月が、雲の切れ間から見え隠れしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

不遇職とバカにされましたが、実際はそれほど悪くありません?

カタナヅキ
ファンタジー
現実世界で普通の高校生として過ごしていた「白崎レナ」は謎の空間の亀裂に飲み込まれ、狭間の世界と呼ばれる空間に移動していた。彼はそこで世界の「管理者」と名乗る女性と出会い、彼女と何時でも交信できる能力を授かり、異世界に転生される。 次に彼が意識を取り戻した時には見知らぬ女性と男性が激しく口論しており、会話の内容から自分達から誕生した赤子は呪われた子供であり、王位を継ぐ権利はないと男性が怒鳴り散らしている事を知る。そして子供というのが自分自身である事にレナは気付き、彼は母親と供に追い出された。 時は流れ、成長したレナは自分がこの世界では不遇職として扱われている「支援魔術師」と「錬金術師」の職業を習得している事が判明し、更に彼は一般的には扱われていないスキルばかり習得してしまう。多くの人間から見下され、実の姉弟からも馬鹿にされてしまうが、彼は決して挫けずに自分の能力を信じて生き抜く―― ――後にレナは自分の得た職業とスキルの真の力を「世界の管理者」を名乗る女性のアイリスに伝えられ、自分を見下していた人間から逆に見上げられる立場になる事を彼は知らない。 ※タイトルを変更しました。(旧題:不遇職に役立たずスキルと馬鹿にされましたが、実際はそれほど悪くはありません)。書籍化に伴い、一部の話を取り下げました。また、近い内に大幅な取り下げが行われます。 ※11月22日に第一巻が発売されます!!また、書籍版では主人公の名前が「レナ」→「レイト」に変更しています。

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。

ひさまま
ファンタジー
 前世で搾取されまくりだった私。  魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。  とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。  これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。  取り敢えず、明日は退職届けを出そう。  目指せ、快適異世界生活。  ぽちぽち更新します。  作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。  脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。

新人聖騎士、新米聖女と救済の旅に出る~聖女の正体が魔王だなんて聞いてない~

福留しゅん
ファンタジー
「実は余は魔王なのです」「はい?」「さあ我が騎士、共に救済の旅に出ましょう!」「今何つった?」 聖パラティヌス教国、未来の聖女と聖女を守る聖騎士を育成する施設、学院を卒業した新人聖騎士ニッコロは、新米聖女ミカエラに共に救済の旅に行こうと誘われる。その過程でかつて人類に絶望を与えた古の魔王に関わる聖地を巡礼しようとも提案された。 しかし、ミカエラは自分が魔王であることを打ち明ける。魔王である彼女が聖女となった目的は? 聖地を巡礼するのはどうしてか? 古の魔王はどのような在り方だったか? そして、聖地で彼らを待ち受ける出会いとは? 普通の聖騎士と聖女魔王の旅が今始まる――。 「さあ我が騎士、もっと余を褒めるのです!」「はいはい凄い凄い」「むー、せめて頭を撫でてください!」 ※小説家になろう様にて先行公開中

あなたは異世界に行ったら何をします?~良いことしてポイント稼いで気ままに生きていこう~

深楽朱夜
ファンタジー
13人の神がいる異世界《アタラクシア》にこの世界を治癒する為の魔術、異界人召喚によって呼ばれた主人公 じゃ、この世界を治せばいいの?そうじゃない、この魔法そのものが治療なので後は好きに生きていって下さい …この世界でも生きていける術は用意している 責任はとります、《アタラクシア》に来てくれてありがとう という訳で異世界暮らし始めちゃいます? ※誤字 脱字 矛盾 作者承知の上です 寛容な心で読んで頂けると幸いです ※表紙イラストはAIイラスト自動作成で作っています

処理中です...