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☆第五十一話 ヒントたち現る☆

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 森へ入ると、濃い緑に混じって、特有の色々な臭いがする。
「ふむ…」
 有栖の後ろを歩きながら、章太郎は考えていた。
「とにかく、デコポンが自生してるっぽかったから、少なくともここは 日本と見て良い筈だよな」
 前を歩くメイド少女は、主の休める場所や食べ物を探しながら、しかし主の身の安全にも注意を払っているので、二人の間には会話も可能だ。
「主様におかれましては、この童話世界が日本であると、確信は得られない。と、お考えなのでしょうか?」
「うん。前にさ、ブーケたちと話してて 解った事なんだけど」
 童話の世界は、一つの物語としても単一では無い。
 という話だ。
「たとえばだけど、赤ずきんの物語って、元々は民間伝承だと言われていて、それだけでも小さな差異を含んだ様々な物語があるんだ。そして後々、それらを編纂した物語が作られるんだけど、同じ作家の同じ物語でも加筆修正されたりしている事は、ザラなんだ」
「そうなのですか」
 主と会話をする有栖には、正直、かなり助けられていた。
 章太郎にとっても、伝える為に自分の考えを整理する事が出来るし、何より相手の意見も聞けるし、話していて新しい事に気付く事もある。
「更に時代が進んで、別の国や別の作家が別の要素を加えて物語を改変したり、時代の価値観で元々の話が僅かに変化されたりして、同じ登場人物の一つの物語でも、その世界は無限に広がり続けてる。という感じなんだ」
「そうなのですか。という事は、この童話世界が日本であるからといって、元々が日本で創作された物語とは限らない。という事なのですか」
「そうそう。有栖、理解が早いな」
「恐れ入ります」
 章太郎の正直な感想に、有栖は頬を上気させて、恭しく礼をくれた。
「日本の童話は、日本で生まれた物語だけじゃなくて…元々がユーラシア大陸から伝わった話もあるんだ…。さっきのデコポンは、この物語世界が日本だとは解るけど、でも日本で創作された物語なのかまでは、まだ判断できないからなぁ」
 章太郎も言いながら「まあ当たり前だよな」とは考える。
 考えながら歩く章太郎は、前方の下ばかり見てしまうものの、そんな主の安全の為にも全方位へ気を配っている有栖は、センサーに反応を感じた。
「主様、南西の方角より、何か巨大な生物が接近をしております」
「えっ!? まさか蜃鬼楼っ?」
「恐れながら、その可能性は低く感じます。蜃鬼楼特有の邪鬼は、感じられません」
 二人の右斜め後ろの空を警戒して、大樹の陰へと隠れて見上げていると、巨大な長い影が上空を過ぎて行く。
「…あ、あれって…龍っ!」
 昔話でお馴染みな、長い胴体に緑色の鱗や金色のタテガミも豊かな東洋の龍が、空の北東方面へと、ノンビリ泳いでいた。
 首から後ろを上下にニョロニョロと蠢かせて、気持ち良さそうに飛んでいる姿は、神々しいのにドコか愛嬌が感じられる。
「たつ…でございますか…?」
 一緒に見上げながら、有栖は龍の存在を初めて知ったらしい。
「あ、うん。あれは、日本の昔話でもお馴染みの…水とか雷の神様…だな。日本でも、地方によっては農業の神様だったりするんだっけ」
 という話を、御伽噺を調べた中で、読んだ覚えがある。
 確認した情報で、考えた。
「龍…の子太郎の世界…ではないか…」
 太郎は人間として育てられるから、人家が見当たらない理由が付かない。
 龍が見えなくなったので、また歩き出した二人。
「まてよ…仮に太郎の世界だとしたら、滝か洞窟という可能性も…」
「あ、主様。右手をご覧下さい」
 有栖の掌で示された右側を見ると、拓けて陽の当たる場所があった。
 拓けた向こうには崖もあり、なんと洞窟も見える。
「あの洞穴であれば、万が一の雨風を避けられるかもしれません。少女、お待ち戴けますか? 有栖が、中を確かめて参ります」
「うん…え、ちょっと待って!」
「?」
 ウッカリ許可を出してしまったが、洞穴の中には太郎ではなく、何か危険な生物とかいるかも知れない。
 何と言っても、ここは童話世界なのだ。
「万が一にも、蜃鬼楼とかいたら危険だから。未知の場所を調べるのは、もうすこし周囲を確かめてからにしよう」
「はい。承りました」
 主の判断に、有栖はやはり、美しい礼で応えた。
「しかし…なんかこう、妙な世界だな…」
「妙…でございますか…?」
「うん。さっきの海辺も海岸が長いし陸地も広いし…この山へも、なだらかな斜面で続いてる…。漁村とかになってても、不思議じゃない場所だと思う」
 現実の世界なら、まだ人が見つけていない場所という可能性もあるけれど、ここは童話の世界だ。
「こんなに好立地な舞台を設定しているのに、人間がいないっていうのが、なんか引っかかるんだよな」
「物語の舞台…というお話で御座いますね…。有栖の愚考では御座いますが、もとより人間が登場しない御伽噺。という可能性は、御座いますのでしょうか」
 有栖の意見は、章太郎にとって、考えていなかった可能性である。
「人間が登場しない…? なるほど。言われてみれば、たしかにそういう童話も あるんだよな」
 御伽噺の少女たちやお供たちといる事が普通だったからか、逃していた視点だ。
 二人は、崖の裏で湖を見つけて、有栖が美柑や柿などの実を見つけてきたりして、取り敢えずは休憩を取る。
「湖の水は、摂取に問題の無い清水でございます。ですが念のために、煮沸消毒をさせて戴きたく存じます」
 と言って、有栖はメイド衣装のハーツをいくつか外して組み立てると、小さなケトルやカップなどを完成させる。
「え…有栖のドレスって、そういう機能があったの?」
「はい♪」
 主に感心をされると、メイド少女はまた頬を赤らめて、嬉しそうに微笑んだ。
 湯を沸かしていたら、有栖のセンサーが、再び何かを探知。
「主様、背後から何か、鈍足な生物が 接近をしております!」
 と報告をしながら、メイド少女は主の盾となった。
 二人の視線の先からは、森の草地をガサガサと踏む音が聞こえる。
「な、なんだ…?」
 木々を分けて現れた、大きなシルエットは。
「…牛?」
「ビーフで御座いますか?」
 章太郎と元メイドロイドで認識が違ったけれど、四つ足の牛が、二人に気付いて森から出てきた様子だった。
「主様、どうかそのまま!」
 少年を守護する忠実な下僕としての意識は理解するけれど、小さな有栖を盾にしている自分は情けないので。
「に、日本の御伽噺世界の牛で、暴れ牛とか、ほぼいないから…」
 というか、五メートル程の距離で、ジっとこちらを見ている牛は、とても穏やかな表情に見える。
 何か意志のようなモノを感じる、とか思ったら。
「おおおぉぉ~、これはぁこれはああぁ~、めずらしいぃ~姿をしたあぁ~、お猿さんのぉお友達ぃ~かいぃ~?」
 とか、牛が尋ねて来た。
「…牛がしゃべってる…っていうか、あぁ…俺はアホか…」
 牛が人語を話した事に驚いたけれど、御伽噺の世界なんだから、当たり前とも言えたのに、驚いた自分に章太郎はちょっと呆れたり。
「まあぁ、ビーフさんが、人類の言語を…!」
 有栖は、ちょっと違う感覚で驚いている。
 とにかく、意思の疎通が図れるのなら、この世界のヒントは貰えるかもしれない。
 章太郎は、ちょっと息を飲んで、牛とのコミュニケーションを試みた。
「あの…まずはその、初めまして」
「おおぉ~、こぉれはああぁ~、ごぉていねいにいぃ~。ぼぉくはあぁ~、牛ぃ~でぇ~すうぅ~」
 と、ノンビリとした声と口調で、穏やかな笑顔の挨拶をくれた、存在も名前も牛な牛。
「えぇと…この世界は、その…どんな物語の世界…なんですか? …あ」
 スバリ尋ねてから、章太郎は、自分のミスに気付く。
 そして牛の答えは、案の定。
「んんん~? こぉの世界いぃ~? なぁんのぉ~、事おぉ~?」
 当たり前の話だが、創作物語の殆どでその世界に名前があるのは、読者や視聴者に対して、別世界だと解りやすく認識をしてもらう為である。
 つまり、異世界からの来訪者から「この世界は何という世界なのですか?」とか聞かれたとしても、名前は無いとしか答えようが無い。
「ですよね…すみませんです…」
 章太郎は、自分の質問が自分で恥ずかしくなって、つい謝罪をしていた。
 とはいえ。
「有栖、牛…さんには、俺たちが猿に見えるっぽいな」
「はい、主様。そのような仰りようだと、有栖も感じられました」
 有栖の推測通り、人間は存在していない御伽噺世界なのだ。
「! 主様、左手をご覧下さい!」
 掌で指し示された先を見たら、森から大きな虎が、やはり章太郎たちをジっと見つめながら、コチラへと歩いて来ている。
「虎っ! ん…?」
 一瞬だけ慌てたものの、その表情が牛のように穏やかだと、章太郎も解った。
 そして章太郎の頭の中で、一つの仮説が成り立つ。
「…龍…牛…虎…っ! 有栖、もしかして、近くに猫と鼠も いないか?」
「猫と鼠…に御座いますか?」
 キョトンとする有栖の無防備な愛顔も可愛いなとか、章太郎は感じたり。

                        ~第五十一話 終わり~
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