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#1受け入れられない真実なら信じなければいい【息子を亡くした大学教授】
しおりを挟むピーポーピーポーピーポーピーポー。
暗い深い夜を切り裂くように、
救急車のサイレンの音が鳴り響く。
チカチカと青から赤に変わる信号。
横断歩道を渡りきる手前でうつ伏せに倒れている学生服姿の少年。
その体の傍にはスポーツバックが無造作に放り出され、
中身が無残に地面に広がっている。
そして、つーぅっと血だまりが
少年の頭蓋あたりから広がっていく。
無残に曲がった足。
ピクリとも動かない体。
「観測を終了します。」
ちょうど反対側の横断歩道、
電柱の脇に一人のスーツを着た
黒い男が立っていた。
そこ男は学生服姿の少年のほうを
じぃーっと見ていた。
「どうやら死んでしまったようだ」
そして、黒い男が一人つぶやいた。
※※※
わたしはその知らせを電話で聞いたときに
文字通り頭が真っ白になった。
思わず受話器を落とし、
その場に呆然と立ち尽くした。
大学教授であるわたしは、
常に冷静であることを心がけていた。
客観的に自分を分析して、
いかなる時でも感情をあらわにすることない。
それゆえ予想外の出来事が起きたとしても
常に冷静でいられる自信があった。
「もしもし、聞こえていますか、白雪さん、白雪さん」
しかし本当に予想外の出来事が起きた時、人は脆い。
どんなに頭がよく、どんなに崇高な人間であってもパニックに陥り、
身もふたもなく泣きわめく。
受話器からはずっとわたしに対して呼びかける声が聞こえている。
慌てて我に返り、受話器に手を伸ばそうとしたが、
手が震えてさらに汗で滑って、受話器を取り落とした。
…この知らせは嘘なんじゃないか。
ふと、そんな思考が頭をよぎる。
このまま受話器を置いて、また研究資料の続きを読み始めたら、
この知らせはなかったことになるんじゃないか。
そして、しばらくしたらいつもみたいに息子が玄関を開けて、
「ただいま」って言って…。
「白雪さん、あなたのご子息は交通事故に遭い、危篤状態です。
今すぐに病院に来てください。白雪さん、聞こえていますか!白雪さん!」
※※※
集中治療室の赤いランプがついた部屋の前。
簡素なロビーチェアに座り、
顔の前で手を組んで眉間に当てる。
神に、ただ神に祈った。
息子を失うことが何より怖かった。
妻は失った。
わたしには息子しか、もう息子しか残されていないのだ。
これまでの研究、名誉、金など息子の命に比べれば、塵ほどの価値もない。
すべてくれてやってもいいから、息子を息子を救ってくれ。
誰か、お願いだ。
この際悪魔でもなんでもいい。
何でもいい。
なんでもやるから。
息子を助けてくれ。
「終わりました」
集中治療室の赤いランプが消えた。
待て、早くないか。
おい、待ってくれ。
白い扉を開けて中から医者と看護婦が出てくる。
医者がわたしを見た。
静かに口を開こうとする。
医者の目に映る私はひどい表情だった。
やつれて、この世の終わりみたいな顔をしていた。
「あなたの息子さんは…。」
待って、待ってくれ、本当に、
嫌だ、その先を言わないでくれ。
嫌だ、そんな。そんなこと…。
医者の様子から、白雪の優秀な脳みそは
残酷にも一つの答えにたどり着く。
言われなくてもわかっている。
だが、聞きたくない。
聞いてしまったら、
誰かの口から言われてしまったら終わる気がした。
お願いだ。お願いだ。
奇跡よ…。
「残念ながら、お亡くなりになりました。」
白雪の頭の中で教会の鐘が鳴り響く。
それは愛する妻とカトリックの教会で結婚式を挙げた時。
そして、妻が神のもとへ召され、永遠の生を受る儀式の最中、
鳴り響いた音だった。
白雪は膝から崩れ落ち、ネジが切れた人形のように動かなくなった。
医者と看護師はその様子を沈痛な面持ちで見た後、
すぐに横を通り過ぎて行ってしまった。
※※※
霊安室の狭い部屋の中央に寝かされている息子は
目を閉じ、安らかな表情だった。
少年らしい、まろやかな頬には最近成長期のせいか
ニキビが出てきたと気にしていた。
女の子にモテたくて毎日洗顔をしていた。
バスケ部で毎朝朝早く朝練に行って、帰ってくるのは19時過ぎ。
勉強は苦手だが、なぜか数学だけは得意だった。
有名な数学教授の息子だから、
そう知人に言われると決まって嫌な顔をしていた。
父さんは関係ないだろって。
負けん気が強い子だから、わたしを見返したかったのだと思う。
そうなるはずだった。
頑張って頑張って、
わたしよりも優れた研究者になるかもしれない。
もしかしたら、わたしが思いもよらないような仕事、
例えば宇宙飛行士とか天文学者になるかもしれない。
この子は空を見たり、宇宙の本を読むのが大好きだったから。
広い広い宇宙よりもこの子の可能性は無限だった。
ただの親バカかもしれないが、そう思っていた。
「…っふ、くぅっ」
喉奥からこみあげてくる熱いものを飲み下すこともできず、
それは大きな波になって、両の目からこぼれていく。
決壊したダムのようにその涙は止めることができなかった。
ぼろぼろと水が次から次へとこぼれ、それと同時に息子との思い出が蘇る。
狂おしいほど鮮明に。
小さな赤ん坊からランドセルを背負って、そして中学校の制服に袖を通すまで。
大好きだった。喧嘩もした、妻が亡くなった時はひどく荒れた。
それでも愛していた。いつでもいつまでも愛していた。
突然の喪失に胸が痛い痛いと叫びをあげる。
引き裂かれたほどだった。
息子と一緒にわたしの心も、死へと向かっている。
耐えきれない苦痛。受け止めきれない事実。
どうしてわたしが息子の死を受け入れることができようか。
見送ることなどできない。ならいっそ、一緒に死んでしまおうか。
自死は大罪と言われる。
そう幼いころから言われてきた。
しかし、もう地獄に落ちることも怖くない。
人生で一番深い苦しみを2度も味わった。
もう十分だ。
「助けてあげましょうか?息子さん」
いつの間にか隣に黒い男が立っていた。
※※
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