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トロッコ問題

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その日、僕は何となく、本当になんとなく、いつも飄々としている年上で博識な彼の返答なら、面白いんじゃないかと「トロッコ問題」という究極の選択の話をふってみた。
「トロッコ問題って知ってる?」
「どっちの?」
「え??」
僕は別の友人から「無人のトロッコの進行上に一人と多数、犠牲にするならどっち?」と聞かれた。それ以外に何かあるのか?と驚いた僕に、彼はどう捉えたのか小さく頷いて口を開いた。
「ん?本家は暴走列車で、個をとるか多をとるかっつー倫理学上の問題だったはず」
は~。「トロッコ」って、文字通りじゃないんだ。
どうやら、僕の聞いたものは亜種なのだと納得した時、僕の口から言葉がポロリと落ちた。
「え?なら別なのは?」
「そっから文字だけでトロッコになってたり、究極の選択問題になって、脱出する為に定員制限のあるトロッコに誰を乗せるか乗せないかっつーやつとか、ホントにバリエーション多いな」
僕の疑問に楽しんでいるような表情で答えてくれた彼は、片眉を器用に上げる事で「どの問題にするのだ?」と言外に伝えてくる。
「ん、じゃ、脱出の為のトロッコ」
僕のそれに、ニヤリと口の端を上げて小さく頷いて彼は口を開く。
「なまじっか救いがありそうだから迷うんだよ」
ん?なんだ?
すぐには理解できなかったけれど、人の話は最後まで聞かなきゃなと口をつぐんでいると、正解だったようで僕の頭をクシャリと撫でてくれた。
「大体なんにしても[絶対]って、無いんだよ」
あ、確かに。
買い物する時、「絶対貰える」って、冷静に考えると[オマケ]だし、買わないで貰いたいなんて泥棒だもんな。
世界は断定ではなく、あやふやな中にあると思ってるからこそ、「絶対◯◯」とか言われると「胡散臭い」とも感じちゃうし。
「絶対って言葉は相手、もしくは自分に言い聞かせる言葉で[絶体絶命]とかとにかく激ヤバな時に使われるじゃないか?」
そうだ!!そうだよ!!
彼の言葉に「その通りだ」と何度も頷けば、置かれたままの僕の頭を再びクシャクシャと撫でてくれた。
「だろ?だから、俺の答えは[トロッコを壊す]だ」
……え!?な!?え!?
「は!?助かるかもしれないのに!?」
「そう。それも[かも]だ。断定じゃない。推測論だ」
あ。確かに。
でも、それでなんで答えが[トロッコを壊す]なんだろ。
壊したら周りに責められるじゃん。下手すりゃ殺され……
「ちょっと考えな?残す方は自分に酔いしれて逝けるが、残された方は?なんでお前だけ助かった!?を周囲、自分で、人と言葉を変えて言われ続けるんだ」
あ。そっか。
家族、恋人、遺族と呼ばれる彼等はだからこそ、同じ空間に居た生還してきた彼等に理不尽とは判っていても怒りをぶつけるんだ。
そうだ。さっき、僕も考えた。[周りに責められ、下手すりや殺される]って。
僕の表情が、彼の欲しい答えに思い当たったと判ったのか、ふっと目尻が下がった。
「俺は地獄だと思うね」
「ん。思いは薄れても、責める対象がちらつく限り、……やるせないよね」
「そう!!なんだよ。ちゃんと考えてんじゃん!!」
それは「僕はなにも考えていない生き物だと思ってましたってこと?」と脱力感を抱きながら続ける。
「ん、じゃあ、列車なら?」
「説明した上で俺もまとめて集団自殺だ」
「   ぇ   」
彼はいつものような食えない笑顔でなぞなぞの答えを口にするように、簡単にそれを言った。
「そうすりゃ、少なくとも当事者は自分達は尊い犠牲になったって思って死ねるわけだ」
でも!?そうしたら……
「やっぱり遺族は悲しむし!!」
責める対象が身近に無い分、苦しみは……
「そ。どっちに転んでも何をしてもこれはバッドエンドは変えられないんだよ」
僕の頭にポスッと音を立てて乗せられた彼の手は変わらず暖かい。
けど……
「全てのトロッコ問題への答えだ。[関わらない]。俺の持論だけどな?」
これはあくまで道徳の問題だ。
冷静にこうして余裕があるから、色々考えられる。
でも、本当にこんなことが起こったら?
誰かを犠牲にしなければならない事件に対面したら?
グルグル回る思考に囚われた僕に、「なぁ?なに食べたい?」となんでもないように笑う彼が、未知の怪物のようで僕にはとても恐ろしかった。
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