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第六話 優しい昔話

第六話 一三

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「落ち着いた?」
 静かにウタセに訊かれる。
「……はい。すみません。お見苦しい、ところを……」
 子ども達から距離を置いた木陰で、慈乃とウタセは隣り合って座っていた。
「ううん。シノが泣けたのは、却って安心したかな」
「安心、ですか」
 思わずおうむ返しに問うと、ウタセは微かに頷いた。
「そう、安心。それだけ感情表現できるようになったってことだよ。これって成長だよね」
 ウタセはにこにこと楽しそうだ。その様子は子ども達の成長を喜ぶ大人の姿そのままだった。
 妙な安心感があって、慈乃はぽつりと言葉を零した。
「……私は、もう、泣けないと思っていました」
 ウタセは目を僅かに見開いたが、一瞬だけだった。瞬きの間には、いつもの穏やかな表情に戻っていた。
「うん」
 たった一言だけだったけれど、先を促すような相槌に、慈乃はぽろりぽろりと思いのままに呟いた。
「母は私が幼稚園生……六歳のときに、父は一四歳のときに、亡くなって。私の大事な人はいなくなって、それが私のせいで、悲しくて辛くて、懺悔するように、泣きました。それが、最後に泣いた日、です」
「うん」
「もともと感情を表現するのは、苦手、でした……。でも、その日以来、苦手ではなく、できなくなりました。何も感じないほうが、楽だった、から」
「うん」
「ここに初めて来た日、ウタセさんが言ったことは、図星で、驚いたし怖かったです」
 当時のことを思い返す。
『純粋な気は妖精に近づくといわれていてね。例えば、生きたいというまっすぐな願いも。例えば…………死にたいという心からの祈りも』
 あのときは死にたがっていることを見抜かれて、ずいぶんと恐怖した。
まだひと月も経っていないはずなのに、ずいぶんと昔のことのように感じられる。
「私なんか、生きる価値なんて、ない。いっそ、死んでしまえたら、どんなにか、楽なのに。そんな考えを、言い当てられたと、思いました」
「そう、だね……」
 そこで初めて、ウタセが口を挟んだ。
「そういう子を今まで何人も見てきたから、シノのこともそうだろうなってすぐにわかったよ。辛そうで苦しそうなのに、それすら飲み込むように感情を殺してたよね。丁寧に話すし大人しい態度だったけど、どこか投げやりな感じで、本当は死にたいんじゃないかなって、その危うさが僕は怖かったよ」
 そこまでばれていたとは思わなかった。ウタセの観察眼には舌を巻くほかない。
「私には、何もない、独りぼっちだって、思い込んでいたんです。だから、卑屈になって、後ろ向きなことばかり、考えて……。でも、最近は少しだけど、変わったと、思います。ここのところ、見ないようにしてきた過去を知ろうとして、カモミールの精に、母や父の話を聞いています。……忘れていたことが、たくさん、ありました。私はすごく、愛されていました」
「優しい人達だったんだね」
「……だから、失ったことが辛くて、わざと忘れようとしていたんだと、思います。本当はそうするべきでは、なかったのに。今日のことも、そう、です。『たびのさきに』の結末は、母が創った方で、話そうとしました。母の真似をして話すうちに、忘れていたことが次々と、思い出されて。……会いたいなって、それだけでした」
 そこまで語ると、再び目頭が熱くなった。落ち着いたつもりが、涙腺は緩んだままなのかもしれない。
「日常のなんてことはない一時が、私にとっては、すごく、すごく、大切なもので。忘れていたことを謝りたくて、愛してくれていたことに感謝したくて、大好きだよって伝えたいのに、もうできないと思うと……」
 ウタセは声を詰まらせる慈乃の頭を、髪を梳くようにして優しく撫でる。
「シノは、変わったね」
 それから指折り数え始めた。
「声を出して返事をしてくれるようになったこと、目が合う回数が増えたこと、楽しそうにしてるのが伝わってくること、名前を呼んでくれたこと、未来を見つめるようになったこと、そこに当たり前のように学び家の家族の存在がいること。こうして泣けるようになったことも、そう」
 ウタセは「他にもいっぱいあるけどね」と言って、慈しむような、愛おしむような、優しい顔をした。
「きっと、シノはこれからも変われるよ」
「……は、い」
 ここでなら、ウタセの言う未来を信じることができる。涙に震える声で、それでもしっかりと返事をした。
「いつか、シノの笑った顔を見せてね」
「……はい」
 ことあるごとにウタセは慈乃の笑顔を見てみたいと言うが、はじめの頃は笑った自分の顔など想像もできなかった。それが想像できるように変わったのは、いつからだったろう。
 一度深呼吸してから遠く目を向けると、河原で遊ぶレヤやフィオ達、おしゃべりに興じるニアやクルル達、食べることに夢中なヒイラギとアウィルの姿が目に入り、手前の方では慈乃を案じるいくつもの視線と目が合った。
 これから進む道の先にも彼らの存在が側にあればいいと心から思う。
 彼らの笑顔を糧に、今を頑張れるから。
「そろそろ戻ろうか」
「はい」
 振り返った慈乃の姿を、木漏れ日が淡く優しく照らし出した。

 ひと騒ぎあった花見は、しかし穏やかに終わった。
 朝出たきり戻ってこなかった自室のドアノブには、ここ数日ですっかり見慣れた紙袋が掛かっていた。メリルやカルリアとの文通は、慈乃の日課になりつつある。
 部屋の中で手紙に目を通し、返事を書いた。
 鉛筆を持ったついでに、言の葉語の勉強もすることにした。
 鉛筆が紙に擦れる音だけが、静かな部屋に広がる。その環境のせいか、慈乃はそういえばとあることが気になって、ふいに手を止めた。
(私が最後まで語れなかった物語……。あの後、どうなったのかしら)
 周りなど気にしていられる余裕がなく、すっかり抜けていた。
 結末を聞かずに流れてしまったのか、誰かが一応はおしまいまで話してくれたのか。しかし、本来の終わりを聞いたにしては子ども達の反応は悪くなさそうだった。それとも終わりの後味以上に慈乃のことが気にかかったのか。
(ひとりで考えていても、わからないわよね……。次は最後まで聞かせてあげましょう)
 慈乃は今度こそ勉強に集中した。
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