【本編完結】朱咲舞う

南 鈴紀

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第二五話 希望の灯

第二五話 五

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 あかりに大きな変化がないまま時間だけが過ぎ去っていく。気がつけば残暑の厳しい夏が終わり、紅葉の美しい季節になっていた。
 あかりは気の向くままふらりと縁側から中庭に降りて、そこに植えられたもみじの木を眺めていた。澄んだ青空を背景に、紅に染まったもみじの葉がよく映えている。
(そら、はっぱ、きれい)
 気分が良いからだろうか。あかりは自然と謡っていた。
「すざく、うたいて、こえ、たかく……。まい、おどりて、そら、たかく……」
 どこで知ったのか、どんな意味がこめられた謡なのかはわからなかったが、妙に口馴染みが良い気がする。あかりは謡い続けた。
「いのりの、うたがとどくとき……、あなたに、かごが、ありましょう。すざくもやすは、じゃの、こころ。やきはらうは、ごう、のみぞ。ごうかの、うたが、とどくとき、そのみはきよめ、られましょう……」
 高い空にあかりの謡声が吸い込まれていく。
「すざくやどりて、わが、うちに。きょうも、ねがい、たてまつる。きょうも、かんしゃを、ささげましょう。すざく、ごしん、きゅうきゅうにょりつりょう」
 霊力のない今のあかりが謡ったところで、言霊の力は得られず、赤い光が舞うこともない。しかしあかりは満足げにして、空を見上げたままその場に佇んでいた。
 すると背後から声があがる。
「今の謡……」
 声につられてあかりは振り返った。縁側には昴が立っていた。
「すばる」
「あかりちゃん、何か思い出したの?」
「うた、すき。たのしい」
 やはり会話はかみ合わなかったが、昴はあかりのその一言に目を細めた。
(あかりちゃんは、きっとどこかにいるんだ)
 まだ終わりではない。諦めてはいけない。
 昴はあかりと会話が成立しないことを知りながら、それでも語りかけるようにして話す。
「そろそろ秋くんとゆづくんも来る頃合いかな。お茶の準備でもして待ってようか」
「おちゃ。おいしい、もの」
「ふふ、そうだね」
 昴は小さな結界を顕現させると、その中から茶器などを取り出す。慣れた手つきでお茶を湯飲みに注いでいると、昴の予想通り秋之介と結月が現れた。
「よう。あかり、昴」
「こんにちは。お邪魔してます」
「いらっしゃい、二人とも」
 復興が進んだことで白古家の邸も新築された。現在は秋之介も結月のように自邸から玄舞家へと足を運んでいる。
「秋くん、梓様の様子はどう?」
 梓は錯乱することが完全になくなったわけではないが、当初に比べれば現実と妄想の世界の区別はつけられるようになっていた。だから彼女も秋之介とともに白古家に戻っていて、ときどき昴が診たり、秋之介から報告を受けたりしている。
「元気だよ。昴のとこに行くって言ったらこれ持ってけってさ」
 秋之介が重そうな風呂敷包みを差し出したので、昴は両手でそれを受け取った。
「何入ってるの?」
 横から結月が尋ねると秋之介は「柿」と答えた。
「わ、いい色艶してるね」
 風呂敷を広げた昴が歓声をあげる。あかりはつんと人差し指で柿の実をつついていた。
「柿っていうんだ。美味しいよ。今日のおやつに出そうか」
「昴はお茶の準備、してて。おれが皮むきする。果物包丁、ある?」
「うん、今出すね」
 結月は昴が黒い結界から取り出した果物包丁を受け取ると、するすると柿の皮をむき始めた。あかりは長い螺旋を描く皮をじっと見つめている。
「お皿、ここに置いておくね」
 お茶を淹れ、予め用意していた茶菓子の栗ようかんを出し終えて、昴が柿をいれるための器を差し出す。結月はそこに食べやすい大きさに切り分けた柿を載せていった。
 「いただきます」と手を合わせ、お茶の時間が始まった。
 あかりはまず柿に手を伸ばした。一口かじって「あまい」と呟くと、しゃくしゃくと食べ進める。結月たちは優しい眼差しであかりの様子を見守っていた。
「姫様の口に合ったんなら何よりだぜ」
「そういえば、さっきさ……」
 あかりの横顔を眺めながら、昴がぽつりぽつりと話し出す。
「あかりちゃんが謡ってたんだ。何を思い出したって感じでもなさそうだったし、霊力がないから言霊にもなってなかったけど、あかりちゃんね、謡うのが好きだって楽しいって言ったんだよ」
 自我や記憶が失われても、変わらない本質のようなものはあるのかもしれない。現に今だってそうだと結月たちは思う。
 「美味しいね」と笑うことこそないが、あかりは食べることが好きなようだった。表情は動かないが、普段ぼんやりしていることが多いあかりと比べると食事中は夢中になっているように見えた。
 あかりが最後の戦いに倒れてから一年と数か月、自我を失くしながらも目覚めてから数か月が経過しようとしていた。その間あかりに大きな変化や回復の兆しは見られなかったが、諦めるのにはまだ早いと思えるほどには希望は残されていると信じられた。
 今もなおあかりを迎えに行く術はないままだから、できることといえば彼女の帰りを信じて待つことくらいだ。ずっと、いつでも、いつまでも、あかりが戻ってくるときを待つ覚悟はとうにできていた。
 今日も和やかに緩やかに時は流れる。
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